伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年に続き2023年も目標達成!

星のしるし

2009-03-31 21:58:29 | 小説
 アラサー未婚の中小企業営業職OLの何とはなしの日常をつづった小説。
 週末同棲状態の彼氏とそこに転がり込んだ居候男、行き来のなかった父方の祖父の死、実家での微妙な位置、母方の祖母の病気などであれこれストーリーを回してはいるのですが、特段の展開を感じない地味~な読み味。
 この小説では、占い、お祓い、うさんくさいヒーリングスタジオなどに依存し金を払う女性たちが登場し、「それもええやん」みたいな位置づけで語られているのが、いつものパターンとの違いでしょうか。うさんくささをイメージさせていますが、同時にそういううさんくさい商売をアシストしているような感じもして、ちょっといやな読後感でした。UFOに、突然宇宙人の侵略なんて話も入りますし、ちょっと付き合いきれないなと思います。


柴崎友香 文藝春秋 2008年10月10日発行
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さえずる舌

2009-03-29 21:59:16 | 小説
 産業カウンセラーとして事務所を経営している38歳女性友部真幌が、雇い入れた元カリスマ店員島岡芽衣の策略でスタッフの疑心暗鬼や取引先の誤解などを受けて事務所経営の危機に陥るという、企業経営者サイドの心理ミステリー。
 島岡芽衣が美貌に恵まれ人心掌握に長けた魅力あふれる人物でありながら、虚言癖があり底意地が悪く、他人を陥れることを快感とする人物をして描かれ、人を見抜くことの難しさ、人を雇用することの怖さを感じさせます。そう言ってしまうと事業はできないとも思いますが。
 その危機をカウンセラーのアドヴァイスで対処するという流れですから、カウンセラーの宣伝ぽい感じもしますが、結局その対処方法では乗り切れなかったり、真幌自身、自分の身内のことになるといつも客に言っていることが実行できてないことに気がつくシーンが多々ある(事件の当事者ってそういうものです。経験上)というあたりが、少し深みを持たせているというところでしょう。
 最後になってようやく、島岡芽衣は本当にエイリアンやモンスターなのかという問いかけが出てきます。こちらをもう少し追求した方がよかったかも知れません。


明野照葉 光文社文庫 2009年3月20日発行
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ラヴィン・ザ・キューブ

2009-03-27 00:56:07 | 物語・ファンタジー・SF
 2050年の日本のロボットメーカーで企画された外国メーカーとのアンドロイド共同開発を通じて、生産管理のプロジェクトリーダー水沢依奈が、天才的な能力を持つが気まぐれなオタクエンジニアと交流し共感を深める未来ロボット物SF。
 読み物としてみたとき、全体としてそこそこの水準ではありますが、前半で用意した材料と期待のタネを後半で展開しきれずどこか不発に終わります。
 とりわけ、最初の掴みで見せた、能力とガッツのある28歳派遣上がりにしてまるでプロジェクトX世代(って言葉さえ通じない世代が増えてるか)のような水沢依奈のキャラ、この魅力的なキャラが、オタクエンジニアたちを叱咤激励するうちに元気よさがどんどん薄れ、最後はアンドロイドと痴呆症の父親とそしてオタクエンジニアの幼児退行したような姿への母性愛に落とし込まれていきます。はっきり言って、もったいない。元気のいいねえちゃんをまっすぐ突っ走らせても行き詰まると思ったのかも知れませんが、オタク坊やへの母性愛で終わらせるのなら、わざわざこういうキャラを設定しなくても、と思います。バリバリ働ける能力を持っていても、女であれば母性愛に目覚めるのが正しい道と示唆するような、こんな作品を男性作家が書けば、差別的作品と評価されるかオタクの身勝手な妄想と片付けられると思いますが、主人公と同世代女性となると・・・。
 それに共同開発の相手企業の正体が米軍と来れば、中盤・終盤でアクションか陰謀との闘いを期待しますが、せいぜいがバイクでの追いかけっこで終わります。
 主人公がエンジニアではなくてプロジェクトマネージャーのため、アンドロイド開発がテーマでありながら、ロボット技術面のディテールはあまり登場しません。まぁその方が、技術用語が飛び交う文章よりよほど読みやすいのですが、開発の技術的な困難がヤマにならずにあっさりスルーされる感じで、そこも不完全燃焼感が残ります。
 そして、ラストになって、突如観念的な展開になり(唐突に「ラカン:フランスの哲学者」ですって)、水沢依奈がオタクエンジニアへの母性愛に目覚める展開と併せ、オタクっぽいエンディング。
 それぞれの場面で見ると悪くないんですが、なんかせっかくの材料やアイディアが十分に生かし切れていないような、ちょっと残念感が残る読後感です。この先に期待しましょう。
 第9回小松左京賞受賞作。受賞時のタイトルは「エスバレー・ポワンソン・プティタ」(ラカンの引用)。このあたりの衒学趣味がエンタメとして突っ走れない要素でしょうか。


森深紅 角川春樹事務所 2009年2月8日発行
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ペギー・スー 魔法の星の嫌われ王女

2009-03-25 23:39:08 | 物語・ファンタジー・SF
 14歳(この巻で15歳になりますが)の普通の少女ペギー・スーがテレパシー能力を持つ青い犬とともに冒険を続けるファンタジーシリーズの10巻。
 9巻で、第1巻で登場した「妖精」アゼナが実の母と明かされたペギー・スーが、この10巻で突然「故郷」のアンカルタ星に青い犬とともにアゼナに連れられて戻ることになり、ペギー・スーは、実はアンヌ=ソフィー・デ・テールノワールという名前でアンカルタ王国の王女だとされ、宮廷に閉じ込められます。
 この星では、王族や貴族は「幸福の石」の力で多幸感に浸って無気力に生き、庶民は貴族らの身勝手なふるまいに虐待され続けています。
 王国を襲う巨大な鬼の存在を知り、宮廷を抜け出して冒険を続けるペギー・スーと、ペギー・スーを助けようとして罠にはまった庶民の少年コラン、その友人アントナン、そして森を支配する妖精と狼男、宮廷を捨てて森に住むペギーの姉らが絡み、ペギー・スーらは誤解され罪人とされながらも王国の危機を救うというお話です。ペギー・スーを救うために勇敢に戦うコランとしたたかに戦うアントナンに好感が持てます。
 10巻は、アンカルタ王国の危機が救われますが、お尋ね者となったペギー・スーの冒険はまだ続くという形で11巻に続いています。
 10巻は、ペギー・スーと青い犬だけが地球を離れてアンカルタ星に行くという設定で、9巻までの人間関係をすべてご破算にしています。1巻でアゼナはペギー・スーに「宇宙を守ろうとする人たちがあなたを選び、使命を与えた」「子供を一人選ばなきゃいけなくて、たまたまあなたが選ばれたの」(1巻30~31頁)と言っていましたが、9巻では「きみの父親は人間だった。きみが赤ん坊のときに、〈見えざる者〉たちに殺されたのだ。〈見えざる者〉たちはきみをも殺そうとした。だから、アゼナは宇宙の果てにある地球という惑星にきみを隠した。」(9巻163頁)とされます。ここですでに若干説明が変わっていますが、ここまではまぁいいでしょう。それが、9巻の次に出た10巻(原書の発売時期で1年9ヵ月開いてはいますが)では、そのはじめで「あなたのお父様は、亡くなったって聞かされていたかと思うけれど、本当は生きています」(10巻5頁)とあっさり方向転換されて、ペギー・スーの父親の国王「ウィリアム3世」が生きて登場します。なぜ殺されずに生き延びられたかとか、あるいはなぜ殺されたことにしておいたのかとかいう説明は一切ありません。10巻は、9巻までの展開・設定を何から何までご破算にして、ペギー・スーと青い犬というキャラのみを残して作り直している感じです。これまでとのつじつまを合わせることを作者自身が放棄しているように見えます。全体として荒唐無稽なお話ではありますが、そういうところはもっとまじめに作って欲しいなと思います。


原題:Le loup et la fee
セルジュ・ブリュソロ 訳:金子ゆき子
角川書店 2009年2月28日発行 (原書は2008年)
9巻は2008年5月1日の記事で紹介しています
コメント (1)
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不正な処理

2009-03-24 21:25:52 | 小説
 名古屋近郊の団地に住む母子家庭の出始めの頃のマシンにかじりついたパソコンオタクの少年が、人付き合いを避けながらプログラミングを覚えていき、その中で1人の親友を得たが、父子家庭と思っていたその少年に母がいたことがわかるとそれを裏切りと責めつけていじめ、その少年の自殺を機にパソコンと縁を切り平凡な地方公務員となったが、娘のファイル交換ソフト使用で業務上の情報が流出して窓際に追いやられ、妻にも見限られて故郷に戻り思いをはせるという、中年おじさんのパソコンオタク青春回顧小説。
 実在の事件を中途半端に絡ませる手法は、目新しくもなく、私は嫌いです。
 母子家庭の少年が、出始めの当時の価格で20万円もするパソコンを母親にねだり、特段母親の苦労が描かれることなく、マニアックなテクニカルなことに走る描写も、あまりリアリティが感じられず、何不自由なく育った世代の感性かなと思います。
 最初のエピソードも、こだわりを見せ続けながら最後まで決着も付けられず、ラストも落ちにもなっておらず、最後まで半端な感じでした。
 第140回(2008年度下半期)芥川賞候補作。これが?


吉原清隆 集英社 2009年2月10日発行
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トワイライト7~9

2009-03-21 02:36:53 | 物語・ファンタジー・SF
 超美形の吸血鬼エドワードと明るいマッチョ系狼男ジェイコブに二股を掛け、表向きないしは表層意識ではエドワード一筋と言い続けながら、ジェイコブにも思わせぶりを続け、さらには自分から言い寄る性悪ぶりを遺憾なく発揮するベラが、エドワードからは常に「ベラは悪くない」と言い続けてもらい、エドワードからは無限の愛を語られ続けるという、読んでいて恥ずかしくなるぐらい虫のいい、女性作者・読者の妄想に媚びた感じの恋愛系ファンタジー。しかも、エドワードが結婚を求めるのに対して、それを断るベラの理由が、自分は若くして男に孕まされて結婚してしまうような女じゃないって、世間体だけ。1巻から9巻まで我慢強く読み続けても、どうしてエドワードが(さらに言えばジェイコブも)ベラにこれだけ首っ丈になり、明確に裏切られてもなお、「ベラは悪くない」なのか、全く理解できません。
 相変わらず、ストーリーは、ベラを狙う吸血鬼による危機と、それを守る吸血鬼一族(それに今回は+人狼一族)というパターンで、これにベラの二股恋愛と引き立て役として存在感を増すジェイコブを語るための人狼一族の伝説にページを割いて、本が作られています。
 例によって、原作第3巻の“Eclipse”が日本語版では「7.赤い刻印」「8.冷たいキスをあたしに」「9.黄昏は魔物の時間」の3冊に分けられ、7巻巻頭のプロローグが9巻半ばの状況につながっています。プロローグの文章は9巻の文章とは違っていて状況の要約で、あれっプロローグの文章がもっと後にまた出てくるのかな(最後にまた一波乱待っているのかな)と錯覚しますが。


原題:ECLIPSE
ステファニー・メイヤー 訳:小原亜美
ヴィレッジブックス 2007年11月20日発行 (原書も2007年)

1~3は2月25日の記事、4~6は3月3日の記事で紹介しています。
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時間のない国で2 プーカと最後の大王

2009-03-18 21:22:46 | 物語・ファンタジー・SF
 1巻から時間が経ち、少年だったJJ・リディが父親となり有名な音楽家となってアイルランドの田舎に住みながら世界を駆けめぐり、その子どもたちが、近くの塚の上で塚を守っている幽霊、大王(部族長)を名乗る老人ミッキー、山羊の姿をした怪物(神獣?)プーカらと付き合いながら、妖精とプーカととろりん族(人間のこと)の対立に巻き込まれ、解決していくファンタジー。
 このお話では、時間のない国や妖精は、1つのキーポイントやエピソードにはなっているものの、メインストーリーにはあまり出て来ず、サイドストーリー的な位置づけです。お話のほとんどは「とろりん族」こと人間の世界で進みます。そして1巻ではあまり前面に出なかった、人間たちの環境破壊などの哲学的社会的な問いかけがテーマとして登場します。
 主人公と思われたJJが次第に脇役化し、あまり偉くない頼りない弱さのある人間として描かれ(その分憎めないともいえます)、困ったちゃんだったジェニーが精神的な成長を勝ち得ていく変化に読み応えを感じます。
 重要な役回りをするプーカの正体が、結局何者なのか今ひとつわからず、プーカが妖精の世界(時間のない国)にいきなり手だけ突っ込んで樹を持ってきたり、それ以外のパラレルワールドを自由に行き来できることの説明もありません。
 登場するのが、怪物も含めて、みんな憎めないので何となくほんわかした気分で読み終われていいのですが。


原題:THE LAST OF THE HIGH KINGS
ケイト・トンプソン 訳:渡辺庸子
東京創元社 2008年12月25日発行 (原書は2007年)
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時間のない国で 上下

2009-03-16 23:01:24 | 物語・ファンタジー・SF
 アイルランドの村に住む音楽家一家の少年JJ・リディが、リディ家にまつわる過去の謎と人々が時間が足りなくなったという悩みを、環状砦を通じて行き来できる妖精の国に行って妖精の国で見つけた先祖たちとともに解決するというファンタジー。
 パラレルワールドが目に見えない膜を隔ててつながっていて、やり方を知っていればそれを切り開いて行き来でき、その1つがふさがれていないために、2つの世界の間で何かが漏れ出すという設定は、日本語版では「ライラの冒険」と名付けられているフィリップ・プルマンの“His Dark Materials”を思い起こします。漏れ出すのが物質やエネルギーではなく、「時間」だというのがユニークですけど。
 そして「時間」が足りなくなって行くという設定は、もちろん、ミヒャエル・エンデの「モモ」を思い起こさせますが、「モモ」のような堅めのテーマではなく、個人的陰謀とその謎解きの軽めのお話になっています。
 アイルランドの伝統・民族音楽や踊り好きの人々と教会との文化的対立という背景というかテーマは読み取れますが。
 時間が進行していなかった、従って誰も歳をとらず計画などせずに音楽に興じていればよかった妖精の国というパラレルワールドは、憧れの地なのか、そのあたりは生き方の問題として考えさせられるところです。


原題:THE NEW POLICEMAN
ケイト・トンプソン 訳:渡辺庸子
東京創元社 2006年11月20日発行 (原書は2005年)
ガーディアン賞、ウィットブレッド賞
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灰色猫のフィルム

2009-03-15 11:20:44 | 小説
 母親を刺し殺した青年が、髪を切り落として痣を作り容貌を変えて漫画喫茶や公園を転々とし、ホームレスに拾われて生活するが、拾ってくれたホームレスとも暴力沙汰になって飛び出して行き場がなくなり、通りすがりの人に母親殺害を告白するが相手にされず警察に電話をしているうちに通りすがりの高校生に因縁をつけて殴り合うという、どうにも救いようのない小説。
 動機も心情も語られず、ただ殺伐とした暴力が繰り返され、人間関係を結べそうでうまく結べない様子が、事実の流れとして綴られています。
 主人公は将来への洞察力がなく、対人能力にも欠け、何かを努力するということもしない、身勝手で恩知らずな人物と感じられますが、内面がほとんど描かれていないので正確にはわからない、そういう人物設定になります。
 殺伐とした人間関係と理由なき暴力といったところがテーマなんでしょうか。何十年か前なら、それ自体が文学のテーマとして活きたのでしょうけど、今時は、ワイドショーでもつければありきたりになったエピソードを動機も心情も正面から描くことなく羅列されても、だからどうしたの?と思うだけです。
 したり顔で動機を解説しないところがいいという評価なのかも知れませんが、こういうのに文学賞が出るって私には理解できませんでした。


天埜裕文 集英社 2009年2月10日発行
第32回すばる文学賞
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サリー・ロックハートの冒険2 仮面の大富豪 上下

2009-03-15 00:45:55 | 物語・ファンタジー・SF
 1878年のイギリスを舞台に、ケンブリッジ大学を出て財政コンサルタントとして独立開業した22歳の女性サリー・ロックハートが、顧客からの相談で、優良企業を食いつぶして隠れて武器商人として政界に画策する外国人実業家の陰謀に巻き込まれ、戦うというストーリーの小説。
 サリーは、16歳だった1巻から成長し、当時の女性にはかなり珍しく大学を出て独立開業し、自立心と正義感にあふれ自信に満ちています。サリーだけでなく女性の教師がコツコツと貯めた財産を投資したり、芸人やインチキ霊媒としてしたたかに稼ぐ女性も登場しますし、深窓の令嬢が政略結婚に抵抗して失踪したり、奇術師を恋い慕うお針子が意外な強さを見せたりします。
 お針子さんの性格設定が今ひとつしっくりこず、ストーリー展開の都合でテキトーに動かしている印象ですが。それと悪役サイドが、残忍なのに、会って話せば正直に何でも話してしまうし、行動にもスキが多すぎて、都合のいい展開と感じるところがあるのが難点です。
 全体としては娯楽読み物としてはそこそこの線だと思います。1870年代の設定にした理由は今ひとつわかりませんけど。


原題:The Shadow in the North
フィリップ・プルマン 訳:山田順子
東京創元社 2008年10月30日発行 (原書は1986年)

第1巻は2007年7月28日の記事で紹介しています。
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