伊東良徳の超乱読読書日記

読んだ本の感想を中心に本に対するコメントを書き散らします。読み終わった本は図書館に返すのでフォローは保証できません。

すごい進化 「一見すると不合理」の謎を解く

2017-07-24 21:25:55 | 自然科学・工学系
 昆虫の生態で進化論(自然淘汰、性淘汰)からするとあまり合理的でないと思えるものについて、進化論の立場からどこまで説明できるかを論じた本。
 クリサキテントウが松ノ木につくマツオオアブラムシを捕食していることについて、マツオオアブラムシはアブラムシにしては動きが速く捕食しにくい上に栄養価も他のアブラムシと比較して高くなくコロニーが小さく、他方クリサキテントウの幼虫とナミテントウの幼虫を競合させて他のふつうのアブラムシを補食させてもクリサキテントウが十分生き残れる(餌の取り合いでナミテントウに負けるわけではない)から、ふつうに考えて、説明ができないところ、著者の実験で、クリサキテントウはナミテントウが多数派の場合、クリサキテントウの雌がクリサキテントウの雄と交尾できる可能性が相当低くなる(ナミテントウの雄がクリサキテントウの雌と交尾して圧倒してしまう:その場合子は生まれない/雑種も生まれない)ことがわかり(127~131ページ)、他のアブラムシを補食するクリサキテントウは共存することになるナミテントウの雄に圧倒されて子孫を残せず淘汰されてしまうため、幼虫の餌/生き残りの観点からは不利であってもナミテントウと競合しないマツオオアブラムシを捕食すると考えられるのだそうです。大変興味深い議論です。クリサキテントウとナミテントウが共存する場合に、なぜナミテントウの雌は同種の雄と交尾できてクリサキテントウの雌は同種の雄と交尾できなくなるのかはまだ詳しく解明されていない(135ページ)そうですが。
 進化論の議論をするとき、まるで個々の生物個体が、あるいは種全体が、一定の戦略を/目的を持っているような解説がなされがちです。この本でもクリサキテントウが松の木に固執しているなどの表現が度々とられていますが、進化論の議論を正しく説明するのであれば、松の木以外で産卵するクリサキテントウはナミテントウと競合する結果子孫を残せず、松の木に産卵するクリサキテントウが子孫を残せる結果として、松の木に産卵するクリサキテントウが多数派になっているというべきでしょう。
 クジャクの羽の長さや派手な模様は個体の生き残りには不利ですが、雄の生存能力(の余裕)を示すものとして雌に好かれて交尾の相手として選択され、その結果羽が長く模様が派手な雄が子孫を残せる(性淘汰)ためにそのような雄が多くなると説明されています(159~173ページ)。その説明、雄の側については理解できるのですが、雌のそういった雄を好む/選択する傾向というのは遺伝するのでしょうか(あるいは個体の遺伝を考えるまでもなくすべての雌がそういう選択をするということでしょうか)。羽の長さや模様のような体の特徴は当然遺伝するでしょうけど、好みといった言わば思考・思想にも連なる主観的要素が遺伝子の中に組み込まれているとすると、ちょっと哀しい/やりきれないものがあるので、そこはこだわるのですが。
 生物において無性生殖(雌が雌だけで言わばクローンを生み続ける)と有性生殖の優劣については、進化論的な考慮からは有性生殖が有利とは言い切れないにもかかわらず、現実には有性生殖によっている種が圧倒的なのは、雄が存在する限り、雄は雌と交尾しようとする(これは、本能でしょうね。そこは、わかる (*^_^*))ため、有性生殖が(メリットがなかろうが)不可避的に行われてしまい、その結果一定の割合でまた雄が生まれてくるので有性生殖が維持されるという説があり著者はそれが説得力があるとしています(194~204ページ)。う~ん。


鈴木紀之 中公新書 2017年5月25日発行
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7200秒からの解放 レイプと向き合った男女の真実の記録

2017-07-23 22:22:44 | ノンフィクション
 1996年11月にアイスランドのレイキャビクで酔い潰れた16歳のソルディスを部屋まで送った18歳のトムがソルディスのベッドで服を脱がしてそのまま2時間(7200秒)にわたりソルディスをレイプしたことについて、ソルディスが2005年5月にオーストラリアに移住していたトムに対して非難する電子メールを送信したことをきっかけに2人が文通を始め、過去を振り返り、2013年3月27日から9日間南アフリカのケープタウンで行動を共にして語り合い、トムが過去を反省し、ソルディスが赦すという過程を記録した本。
 恨み続けることに未来はないと、基本的に赦すことを目指してケープタウンミッションに臨んだソルディスが、トムのちょっとした言動、さらにはトムに直接関係ない街で目にした様々な言葉や光景に一々いらつき傷つきトムをあるいは男性一般を心の中で罵り僻む心情や言動が繰り返し書き連ねられていて、文章としての読み心地はあまりよくありませんが、それは、被害者が犯罪被害により傷つきその度合いや傷つき方が一様ではなくその被害との向き合い方立ち直りが一様でなく簡単でないことを読み取るべきところで、むしろそこはこの本の読ませどころと受け取れます。
 しかし、レイプ問題の専門家となり、様々なところで講演等をこなしているソルディスが、見知らぬ男によるレイプは一般的ではないと言い、デートレイプへの注目を求めた上で、自己の、この本に書かれている事例をレイプの典型のように言うことには疑問を持ちます。
 ことがらの性質上、具体的事実関係の詳細を明らかにしたくないという心情はわかりますが、2人の人生の事件前・事件後のエピソードを紹介し、その時々の思い・考えを語ることに多くの紙幅を裂いているこの本の性格に照らし、また事件からかなり長い年月が経過して初めてソルディスがトムにレイプを非難し始めたという事情を考えれば、この本に示されている事件とその前後の2人の言動についての記載の程度には、読者としては不満が募ります。特にそれが初期に明らかにされないことには、読んでいて、持って回った書き方だなというフラストレーションがたまりました。この本の記述によれば、ソルディスとトムは1996年11月16日に6時間にわたりいちゃつき続けて性交しソルディスは「ただただ・・・素晴らしかった」と感じた(54~56ページ)、その次の夜(56ページ)または1996年12月17日の夜(187ページ)、ダンスパーティーでソルディスはラムを飲んで酔っ払い、トイレで吐き続け、介抱に行ったトムの前で床に倒れ込んで動かなくなり、トムはソルディスを抱えてソルディスの自宅まで連れて帰りソルディスの部屋で服を脱がせて、その後ソルディスを2時間にわたりレイプした(163~168ページ)、ソルディスは頭ははっきりしていたけれど体が言うことを聞かなくて向きを変えたり体をよじったりするのは無理だった(167~168ページ)、2日後トムはソルディスに別れを告げた(170ページ)、その後ソルディスは完全に気がおかしくなり友達や家族を避けるようになり、その後(時期は何か月後か明示されていないが)自傷行為をするようになった(170~171ページ)、オーストラリアに移住したトムが2000年の夏にアイスランドに帰ってきた際、トムとソルディスは、シャワー室で、2階のベッドで、車の中でセックスした(179ページ)、ソルディスは2013年3月30日にトムから指摘されるまでそのことを忘れていたが、あのときはトムを傷つけたかったのだと思い、「あなたの心をめちゃくちゃにしたかったから、あの夏あなたを誘惑したの」と答えた(179~180ページ)、トムが2000年夏の音楽祭で酔っ払い坂を転げ落ちて頭を割り何針か縫われて立ち去ろうとしたときにソルディスは後を追い、そのとき初めて「よくもわたしをこんなふうに扱えるわね!レイプしたくせに!」と言った(115~117ページ)とされています。2000年夏のことについては、トムの指摘でソルディスが自分がトムに誘いかけてセックスしたことを思い出した後、その話はやっぱり明日にして欲しいと言って(183ページ)その後この事実関係が具体的にされることなく(269ページで抽象的には触れていますが、具体的な事実は出てきません)終わっています。
 レイプ被害者は何度も様々に傷つき、その心理を世間の常識で量り決めつけてはいけないと言われますし、その心理と心情に寄り添え、世間の常識を振りかざした追及はセカンドレイプだというフェミニストの声が聞こえてきます。しかし、ソルディスが2000年夏に自らが誘いかけてトムとセックスしていたことを忘れていたこと、この本でそのことを含む2000年夏の事実の解明が避けられていることを考えると、1996年のレイプに関しても2時間性交をし続けた(2時間ぶっ通しで太ももを殴られているようだった:169ページ)ということ(トムはコンドームをつけていた:173ページ)があまり現実的でないことと合わせ、トムをレイプ犯と決めつけて断罪するほどに明らかなレイプであったのか、疑問も残ります。
 ソルディスが、トムを赦し、和解するために、恋人と幼子を残してケープタウンまで行って、レイプ犯と断罪する元彼と9日間を過ごすことも、ソルディスの心情の上では必要なことだったのでしょうけれども、多くのレイプ被害者にとっては、希望しないことだと考えられます。ソルディスのケース・試みは、そういった努力に意味があることがあるということを示すものではあっても、レイプ被害者に望ましいとかあるべき姿として受け取るべきではない(レイプ被害者にプレッシャーを与えるべきものではない)と考えます。


原題:SOUTH OF FORGIVENESS
ソルディス・エルヴァ、トム・ストレンジャー 訳:越智睦
ハーパーコリンズ・ジャパン 2017年6月25日発行 (原書も2017年)

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夜の谷を行く

2017-07-22 22:10:09 | 小説
 山岳ベースに招集されて参加した革命左派の女性兵士たちが、連合赤軍の結成、山岳ベースでのリンチ殺人事件を生き延び、裁判を受けて受刑した後、知人との連絡も取らずにひっそりと暮らしている姿、革命左派のリーダーだった永田洋子の獄中死(2011年2月)を機に関係者が接触を図ってきてかつての同士の消息を知り様々な思いが去来する様子などを描いた小説。
 凄惨な歴史的事件に関わり、それだけで世間の厳しい/厳しすぎる目にさらされて親族郎党に迷惑をかけ、世間からも親族からもつまはじきにされて細々と生きてきた、しかし自分が生きてきたその選択に一定の自覚と自負を持つ事件当事者が、時が過ぎてようやく平穏な生活を手にしたと思いきや、事件の傷/世間の冷たい視線はなお収まっていないことを自覚し、かつての同士とも屈託なく/腹蔵なくは付き合えないことを感じる寂寥感、諦念、いらだちなどがテーマとなっていて、そこは読ませる感じがします。
 山岳ベースへの招集について、革命左派では、山岳ベースで子どもを育て次世代の革命兵士を育てようという構想を持っていたという、世間ではほとんど知られていないエピソードが、当事者の思い、意地として語られています。そういうあたりは、関係者への取材の努力も感じられます。
 死亡者と今なお獄中にある人物は実名、それ以外の当事者は仮名ではありますが、実在の事件ですので、仮名の当事者も特定できてしまいます。ただ、作中でのそれぞれの人物の刑期が、実際の事件でその人に該当する人物の刑期と全然違うのは、作者が調べずに適当に作ったのか、あえて実在の人物との関係を錯綜させるためにそうしてるのか(でも、山岳ベースでの各人の行動を特定している以上、モデルの人物は、事件を知る人には否応なく見えてしまいますが)。


桐野夏生 文藝春秋 2017年3月30日発行
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伯爵夫人

2017-07-21 20:31:49 | 小説
 アメリカ・イギリスへの宣戦布告直前の東京で、入試を控えた(旧制)高校生二朗と、二朗宅に止宿している怪しげな「伯爵夫人」が、ホテルの茶室に同伴して過ごす間に様々な回想・妄想を拡げる観念的妄想的官能小説。
 蓮實重彦というと、私には昔の記憶で仏文というかフランス現代哲学とかの類いの難しげなことを書いている学者さんというイメージだったのですが、こういう放送禁止用語満載の小説を書いていたのですね。そこにまず驚きがあります。装丁はおとなしいのですが、大半のページに性器を示す言葉が書かれているので、電車の中で読むのは、かなり恥ずかしい。といって、文体のせいか、荒唐無稽な妄想系のエピソードが多いせいか、それほど性的な興奮を感じるわけでもない。どこか中途半端な宙ぶらりんな読中感・読後感を持ちます。
 文芸誌(「新潮」)に連載ではなく一気に掲載されたようですが、繰り返しが多い。老人の話がくどい、ということではなくて、童話的な繰り返しパターンがとられているのだと思います。ホテルの回転扉が「ばふりばふり」と回る、快感を得ると「ぷへー」とうめいて果てる/達する/失神するなどの繰り返しが、次第に快く感じられます。
 時代・場所・謎の伯爵夫人という設定、荒唐無稽な/「シュール」な幻想の展開による「異界」感を、癖のある文体で味わうというところが売りなのだろうと思いますが、私には、それに飽きずに付き合うには半分くらいの長さの方がいいかなと思いました。


蓮實重彦 新潮社 2016年6月20日発行
三島由紀夫賞受賞作
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イアリー 見えない顔

2017-07-20 22:31:13 | 小説
 原因不明の難病で妻を失ったばかりのアメリカ文学専攻の大学教授広川の周辺で、近隣では妻を訪ねてきた不審な女性、その夫の自殺、ゴミ集積場での死体の発見、病人を抱える向かいの家人たちの失踪など、不可解な異常事態が続き、勤務先では総長選挙をめぐり、学内政治好きの策士の友人石田に頼まれて付き合いで会議に出るうちに選挙に巻き込まれ、亡き妻の妹であり勤務先の大学の専任講師の水島麗をめぐり事件が起こりという展開のミステリー小説。
 ミステリーの謎解きでは、ラストシーンでも現実には真実など簡単にはわからないということを示唆しているように、必ずしも明快とはいえず、苦し紛れに近いところもありますし、キーパースンとなる水島麗の心情、水島麗をめぐる事件の経緯と動機など、説明されてもストンと落ちず、いやぁ無理があるでしょと思います。
 広川の心情ですが、う~ん、妻の妹に欲情し、やっちゃうかなぁ。それも妻が死んですぐ。私は、弁護士になったはじめの頃からセクシュアルハラスメントの問題とか意識してたこともあって、例えば依頼者として出会った女性は、最初から気持ちの中で別扱いしている(セクシュアルハラスメント防止の観点から一番有効なのは、職場の同僚等は仕事をする仲間で、性的な関心の対象ではないと、最初に割り切ってしまうことだと思う)ので、仮にどれだけ魅力的であっても、依頼者に性的な関心を持ったことがありません。妻の親族とか友人も、そういうところで性的な関心から遮断するものじゃないのかなぁ・・・そうでない人が現実には割といるから、いろいろ問題が起きているわけではありますが。


前川裕 角川書店 2016年11月26日発行
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虹色のコーラス

2017-07-19 21:12:42 | 小説
 バルセロナの移民集住地域の荒廃した小学校に、定年2年前に突如異動を命じられたフランス人音楽教師ジョルジェット・コリニョンが、他の教師のように子どもたちに高圧的に振る舞うのではなく、優しい声で物語を語り頑張った子は大いに褒め教室で美しい音楽を聴かせ、子どもたちの問題を解決するためにあちこちと掛け合い、次第に子どもたちの心を捉えていき、受け持ちのクラスでコーラス隊を結成して練習を始めたが、心臓が弱っているために入院することになり、病状が思わしくないことを聞きつけた子どもたちがコリニョン先生のためにサプライズ・コンサートを開くと決意し、教師や親たちを始め周囲の大人たちを巻き込んで計画を進めていくという小説。
 コリニョン先生の若き日に別れた元彼が世界的なピアニストで今も世界を股にかけて活躍中とか、クラスで埋もれていたディスレクシア(読字障害)のミレイアが一流オペラ歌手並みの幅広い音域と美声を持つ天才だということがわかったとか、ちょっと作りすぎのところはありますが、褒めて伸ばす子どもに理解のある熱心な教師の物語、落ちこぼれと見られてきた子どもたちの奮起と成長の物語として、共感でき、手軽で読後感のいい読み物だと思います。


原題:La pequena coral de la senorita Collignon
リュイス・プラッツ 訳:寺田真理子
西村書店 2017年5月3日発行 (原書は2012年)
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裸の華

2017-07-18 01:00:01 | 小説
 公演中に左脚を骨折して引退した四十路のストリッパー「フジワラノリカ」が、20歳のときデビューした今は廃屋となっているすすきのの元劇場の近くで、若いダンサー2人とバーテンダーを雇ってダンスシアター「NORIKA」を開業する経緯と顛末を描いた小説。
 何の用意もなく札幌に舞い戻ったノリカが、偶々立ち寄った不動産屋の営業担当者の紹介で技術の際立つダンサーみのりと技術的には今一歩だが華があるダンサー瑞穂、さらにはバーテンダーもそろえてトントン拍子に開業にこぎ着けるというのは、小説にしてもできすぎの感がありますが、他方で、客が目を見張るようなダンスを踊れるダンサーと、「銀座の宝石」と呼ばれたバーテンダーがサービスをして(しかもそのプロたちに1日6000円しか日給を支払わずに済んで)いるのに、家賃と従業員の給料程度しか売り上げがなく、経営者の生活費が出ないという個人自営業者の悲哀の描写が、もの悲しい。そこそこ客が入っていてもそのレベルの売り上げという、ビジネスモデル自体の問題を感じつつも、キャパを増やす(店の箱を大きくする)のも値上げをするのも現実的でないときの、経営者の先行きへの不安と焦燥感は、同じく客商売の個人自営業者としてよくわかります。弁護士の場合でいえば、キャパを増やす/客を増やすことで1つ1つの事件での手間のかけ方/仕上げの丁寧さが落ちないか、すなわち仕事の質を維持できるかという問題、費用/報酬を上げるのも、企業ではなく個人を依頼者としている私のような弁護士(企業の客を取らないというのは弁護士の世界ではごく少数派ですが)には限界がありますから、収益構造を劇的に好転させるのは難しい。勤務弁護士を多数雇って自分は看板(客集め)に徹することにするか、企業側の弁護士になれば、そういう悩みは少ないかもしれませんが。
 バツイチの訳あり腕利きバーテンダーを憎からず思いながら、あくまでも性欲は女性用風俗店「ラブアロマ」での性感マッサージで満たすというノリカの選択は、サバサバした独立志向の女としての一貫性を保とうという作者の意思と、恋愛は面倒という判断と割り切りによるものでしょうけれど、何だかなぁ・・・


桜木紫乃 集英社 2016年6月30日発行
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小説秒速5センチメートル

2017-07-17 20:29:17 | 小説
 アニメ映画監督の作者が、自ら監督制作したアニメ映画を小説化した青春小説。
 親の転勤による転校で同じ私立中学を目指していた幼なじみの篠原明里と引き裂かれ、さらに自らが種子島に転校となることになった中1の遠野貴樹が、大雪の日に約束に大幅に遅れてたどり着いた最後の逢瀬の思い出を綴る第1話、種子島に転校した高校生の貴樹に恋い焦がれるジモティのサーファー澄田花苗の片思いの心情を綴る第2話、東京の大学を出てシステム・エンジニアとなった貴樹が学生時代にバイトの同僚2人、社会人になって勤務先の同僚水野理紗と交際するが疲れて別れてゆき、いかにも予想される結末ではあるが幼き日の篠原明里との逢瀬を思い出すという第3話の短編連作です。
 トップエリートではないものの、進学は思い通りに行き、仕事でも評価が高く、モテモテの貴樹が、それでももつ喪失感・虚無感、幼き日の初恋への幻想的な美化も含めたノスタルジーがテーマと思われますが、恵まれた人生を送る男の贅沢な悩みに読者がどこまでついてくるのかは興味深いところです。
 入籍前日の女性が「あの男の子との想い出は、もう私自身の大切な一部なのだ。食べたものが血肉となるように、もう切り離すことのできない私の心の一部。」(168ページ)と言い、中1のときに書いた渡せなかったラブレターを保存して「いつかもっと歳をとったら、もう一度読んでみようと思う」「それまでは大切にしまっておこう」(175ページ)と思うでしょうか。いかにも男性サイドのノスタルジーに思えるのですが。


新海誠 角川文庫 2016年2月25日発行(単行本は2007年)
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男はなぜこんなに苦しいのか

2017-07-16 18:59:04 | 実用書・ビジネス書
 心療内科医で産業医の著者が、メンタルヘルス上の疾患のために診療に訪れた男性のケースを挙げながら、そういった「アイデンティティの危機」を契機に自分の思考の癖や習慣を意識的に変化させ発想を変えることで、「『男は強く、動じず』という男らしさの神話の呪縛から抜け出し、困難さからの回復力を持ち、人の痛みを感じ取れる新しい生き方」ができるようにすることを勧める本。
 人事評価制度が変更され低い評価(5段階で下から2番目)を続けてつけられてやる気をなくした営業部担当者の例で「一つは、人事評価が相対評価であり、SからDまでの5段階で人数の枠が決まっていたことである。(略)相対評価は本来ならばまずまずという業績の人をランクを落として評価することにもなり、これが社員のモティべーションを失わせたり、プライドを傷つけてしまうことになる。第2の問題点は、目標設定をしてその目標をクリアしているにもかかわらず、それを認めずに次の課題を出して評価を与えなかった、という点である。」(74ページ)と述べられています。裁判になるケースを見ていると、企業での人事評価が、客観的な目に見える指標ではなく曖昧で主観的な基準でなされ(客観的な業績を上げているケースでも協調性だとか意欲だとか業務や社の方針の理解度だとか、どうとでもいえるような項目で点数を下げるなど)、上司の好き嫌いレベルで評価されていると思われるケースがよく見られます。こういった人事評価自体、客観性を装った誰かへの言い訳のために導入されているのだと思いますが、その実態は経営者と中間管理職の自己満足に過ぎず、こういうことに血道を上げる企業はすでに衰退への道をたどり始めているのだろうと私は思います。
 「職場でも大学でも自分に合わないから、とすぐやめてしまう人もいる。一方、自分に合わないから、と葛藤し適応障害で体調を崩し、やめてしまう人もいる。しかし、自分にぴったり合って居心地がよい場は、大学でも職場でも見つけることはまず困難だろう。居心地が悪い場から逃れて別のよりよい場所を見つけられればそれでよいが、そうはいかない場合、居心地の悪い場で少しでも自分の本来の気持ちが満足いくように工夫をしていくことが、ストレスからの回復につながる。ようは『嫌だからやめる』『嫌だけれど我慢』という二つのパターンがほとんどであることが問題なのだ。『嫌な中で自分の居場所を見つけていく。自分の居心地をよくする』ように考え方のベクトルを変えるという選択も必要だろう。」(163ページ)と、自分が変わること、自分の側の受け止め方を変えることが勧められています。
 ストレスを乗り越えるためには、まず「深呼吸、適度に体を動かすこと、睡眠、気持ちを話せる仲間や家族、自然とのふれあい」を整え、「あなたがほっとできてリラックスしていい気分になれること。あるいは集中して嫌なことを忘れられること。そんな気分になれる場所やことをリストアップしてみてください。ただし、お酒、タバコ、ギャンブル、歓楽街以外で」(248~250ページ)と提案されています。
 その上で、自分が変わる(考えを変える)というのですが、ストレス要因があっても「こういうことは起こりうることで、しかし自分はなんとかやっていけるはずだし、このことは大変でも意味があることだ」と思い、挑戦だと受け止めて乗り切っていけるような資質が大事(257~259ページ)という一般論はいいと思います。しかし、著者が産業医を務めている企業で休職からの復職に際して向いていない元職から別の業務に異動させたりトップが先頭に立って改革をして成功例が紹介されている(260~266ページ)のは、本当にうまくいけばいいでしょうけれども、トップの自己満足にとどまり、トップの気まぐれで希望しない業務に配転されて苦しむ労働者が増えるだけということにもなりかねません。それを我慢するのが労働者が「変わること」で「柔軟性」だ、なんていうのでなければいいのですが。


海原純子 朝日新書 2016年1月30日発行
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総選挙ホテル

2017-07-13 22:15:23 | 小説
 業績不振の老舗ホテルに、大学教授が投資ファンドから送り込まれて社長に就任し、ホテルの人員を20%減らして各部署での残留者・異動者を全従業員による選挙で決めるという実験を行い、従業員たちは戸惑いながらも選挙運動や、新しい体制の下での業務を続けるうちに客へのサービスやチームワークに目覚め・・・という小説。
 落下傘経営者の思いつきに翻弄され、ほとんど知らない縁のない部署にまで投票するシステムの下での選挙結果を理由に労働者が解雇され、残留した従業員も絶えざる競争に追い立てられるという、無責任で冷酷な経営者による、経営不振の労働者へのしわ寄せを、競争を生きざるを得ない労働者が自分を鼓舞しポジティブに捉えようとする仕事・お客様サービスへの「目覚め」で覆い隠しあるいは正当化する「やりがい搾取」が美談化された展開です。それが微笑ましく共感を呼ぶような筆致で書かれているのが憎らしい/困ったところです。


桂望実 角川書店 2016年6月1日発行
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