伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年に続き2023年も目標達成!

歌舞伎町セブン

2017-03-31 23:49:09 | 小説
 「ジウⅢ」の歌舞伎町封鎖事件から6年後、警視庁本庁の捜査1課から新宿警察署強行犯1係長に異動となった東弘樹警部補の元で、歌舞伎町1丁目町会長の心不全による急死、歌舞伎町商店会長の失踪と不審な事件が続き、新宿区長だった父が心不全で急死したことに無念の思いを持ち続ける巡査小川幸彦、フリージャーナリストの上岡慎介らが調査を進めるうちに、歌舞伎町を浄化する殺し屋集団「歌舞伎町セブン」とその中心人物と目される「欠伸のリュウ」の存在が歌舞伎町で広く取りざたされていることを知り…という展開のアクションサスペンス小説。
 まったくの無法地帯では困るが、といって厳しい取り締まりがなされたのでは街が成り立たない歌舞伎町という存在をめぐり、グレイゾーンを保ちながら目に余る悪を始末する、アウトローのヒーローとして「歌舞伎町セブン」を設定し、針で痕跡を残さずに相手を殺す「欠伸のリュウ」が活躍するというのは、私のようなおじさん世代には「必殺仕掛人」(1972年)を思い起こさせます。悪人に殺された人・遺族の恨みを晴らすためにその悪人を殺す仕掛け人たちは、かつて庶民の人気を呼び、テレビ番組として続編が繰り返し制作されて長期シリーズとなりましたし、針で「ツボ」を刺して殺人と見せずに殺す藤枝梅安(緒方拳)の斬新さは強く印象に残っています。それだけに、この作品の基本設定は、そのパクリにしか見えません。
 しかも、悪人を、さすがにジウⅢが話を大きくし過ぎて(中途半端な大きさとも言えますが)荒唐無稽に過ぎると感じたのか、歌舞伎町をめぐる暴力団や強欲で無情の経営者たちレベルにとどめているため、必殺シリーズ的な設定への共感を持てても悪人のしょぼさでやはり中途半端感があります。
 この作品も、比較的落ち着きのあるバー「エポ」のマスター陣内陽一、東弘樹警部補、上岡慎介あたりと、この作品では一応正体が明かされないツッパリキャラのミサキなどのキャラと人間関係のしみじみ感を読むという方がよさそうに思えます。


誉田哲也 中公文庫 2013年9月25日発行(単行本は2010年11月)
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ジウⅠ・Ⅱ・Ⅲ

2017-03-30 00:12:57 | 小説
 警視庁特殊犯捜査2係で犯人説得を担当していた門倉美咲巡査27歳が、人質立て籠もり犯の指示で下着姿になったところを雑誌記事にされて所轄に異動されながらも、その犯人が児童誘拐事件の共犯であることがわかり捜査本部に派遣され、捜査1課の切れ者刑事東弘樹警部補と組んで捜査を進めるうち、連続誘拐事件の主犯として浮上したジウと呼ばれる美少年を追うことになり、他方、門倉の同僚だった武闘派でその戦闘能力を買われて特殊急襲部隊(SAT)に異動した伊崎基子巡査25歳は謎の勢力に次第に引き寄せられ…という展開の警察アクション小説。
 優しく涙もろく、しかし正義感が強く無鉄砲なところもある門倉美咲と、厭世的で自暴自棄で尖がった伊崎基子の対照的な性格の2人のヒロインと、切れ者で直情的で女心に鈍感な東弘樹のキャラで読ませていますが、特定の犯罪者(敵役)で3巻も引っ張っているうちに謎の美しくも怪しい敵キャラのジウも色あせ、展開が次第にち密さを失い大味で荒唐無稽になります。2巻から登場する「私」ことミヤジのストーリーでは、最初から命があまりにも簡単に奪われますし、3巻の歌舞伎町封鎖事件などは、もう戦争の趣で、人の命の重さなど無きに等しく描かれます。この作品で、いったい何人が殺されているのか、数える気にさえなれませんが、殺人・残虐行為に対する慣れ・感覚の鈍麻・諦め・無力感・無関心が、この作品の帰結というか読後感となるように思えます。
 大仰に展開して見せたものの、権力内部に根を張る「新世界秩序(NWO)」なる敵は、警察内部でも権力の中枢部とまでは言えず、表に出るジウもミヤジもどこか巨悪と呼ぶには似つかわしくなく、中途半端な、悪くするとちゃちな印象を持ちます。
 大きな展開部分での「陰謀」ないしは巨悪との闘いというテーマが読み物として現実感に欠けながら壮大とも言えないために、爽快な読後感を持てず、結局は、門倉の東に寄せる思いや伊崎の捨て鉢な生き様へのハラハラ感の方を読むべき作品だろうと思います。


誉田哲也 中公文庫
ジウⅠ 警視庁特殊犯捜査係【SIT】 2008年12月20日発行(単行本は2005年12月)
ジウⅡ 警視庁特殊急襲部隊【SAT】 2009年1月25日発行(単行本は2006年3月)
ジウⅢ 新世界秩序【NWO】 2009年2月25日発行(単行本は2006年8月)
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ケモノの城

2017-03-27 23:02:24 | 小説
 長期監禁とその間のレイプ・暴行・拷問、被害者の親族を巻き込んだ恐喝、殺人、死体遺棄を繰り返す犯罪者と、その正体を追いきれない警察という設定で、現代社会の闇を描いたと思われる警察小説。
 読んでいて、作者の出世作の「ストロベリーナイト」もそうでしたが、犯罪/犯罪者の鬼畜の所業ともいえる残忍さ、グロテスクさを描き出す想像力というかおぞましさへのキャパシティには驚きます。その原動力が、犯罪/犯罪者への憎しみなのか、作者の趣味/嗜好なのか、心配になってしまうほど。
 グロテスクな犯罪、本当に腹立たしい憎むべき犯罪者を描き出しながら、「人間は、怖いのではないか。自分が被害者になるのはむろん怖いが、同じくらい加害者になるのも怖いことだ。自分の中にも犯罪の芽はあるかもしれない。今は大丈夫でも、でもいつ、自分も犯罪者になってしまうか分からない。だから知りたいのではないか。自分と犯罪者の何が違うのか。犯罪者になる者とならずに済む者と、その境界線はどこにあるのか。そして一番怖いのは、その境界線がないことだ。」(200ページ)と担当警察官に考えさせています。そのあたりの人間の心の闇、がテーマと考えるべきでしょうか。
 ミステリーとしては、最後にもちろん捻りを入れるんだろうな、と思いながら読むのですが、その捻りに無理があるというか捻りの根拠となる作為の動機が描かれず、エンディングも「藪の中」的な終わり方で、もやもや感が残ります。
 「武士道ジェネレーション」(2015年7月)の「東京裁判史観」/「自虐史観」批判から、この作者がいつからそのような方向に踏み出したかに興味を持ちましたが、2014年4月のこの作品では、(長期間の取調べで被疑者が疲れ果てて罪を認めるのをそういった捜査手法が冤罪を生むと主張する学者や弁護士がいると、人権派弁護士を非難している217ページあたりは、警察の協力を得ないと書けない警察小説の作者が警察寄りの視点になるのはふつうとして)「領土問題というのは、攻められる側が諦めたときに終わりがくるのだと思う。当然といえば当然だ。攻める側、領土がほしい側はいつまででもちょっかいを出し続ける。手に入るまで、しつこくしつこく。それに疲れて『もういいや』と思ってしまったら。攻められる側、領土を守る側は終わりだ。負けが確定する。」(125ページ)という記述が唐突に入るのが目につく程度です。たぶん尖閣諸島や竹島を想定して書いているのでしょうけど、この記述だと北方領土でロシアから見た日本政府を表現したものともいえて、まだニュートラルと考えることもできるレベルです。


誉田哲也 双葉社 2014年4月20日発行
「小説推理」2013年6月号~2014年2月号連載
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裁判の非情と人情

2017-03-26 22:00:25 | 人文・社会科学系
 高裁裁判官時代に20件以上逆転無罪判決をした(81ページ)元裁判官の著者が、雑誌「世界」に連載した裁判関係のコラムをまとめて出版した本。
 裁判所の青法協弾圧・原発裁判への圧力などを描いた「法服の王国」(黒木亮:これが産経新聞に連載されたことも驚きでしたが)を、「かなりのフィクションも含まれているが、最高裁判所を中心とした戦後の司法の大きな流れ(それも暗部)はほぼ正確に摑んでいると思う。」(46ページ)、誤判/冤罪の原因について「これまで、このような検討は、全国裁判官懇話会を中心に行われてきた。しかし、最高裁は、懇話会を敵視し、排除してきた。その経緯は第二章にも挙げた、黒木亮『法服の王国』(岩波現代文庫)に書かれているとおりである。」(96ページ)と紹介し、さらに無罪判決をするのには勇気がいるとしばしば言われることに関して「勇気がいるというのは、無罪判決を続出すると、出世に影響して、場合によれば、転勤させられたり、刑事事件から外されたりするのではないかということであろう。これも、残念ながら事実である。」(82ページ)と述べています。業界人には、常識の域ではありますが、東京高裁の部総括(裁判長)だった裁判官にこう明言してもらうと気持ちいい。
 「裁判官の仕事では記録を丹念に読む以外に、近道はない。この習慣は、若いうちから身につけないと後で困ることになる。どうしても、簡便で能率の良い記録の読み方を探そうとする。とくに若い判事補には、要領のよい記録の読み方をしようとする者が多い。しかし、記録は、隅から隅まで丁寧に読むべきなのである。昔、東京高裁でお仕えした四ツ谷巌判事(のちに最高裁判所判事)は、記録の一隅の数行に真実が隠されていることがあるから、記録は、一行でも疎かにできないとよく言われていた。そのとおりであることは、後に実感した。」(75ページ)は、同業者として、実感するところです。とてもしんどいけれど。
 学者とは違って実務家は締め切りを厳守しようとするという指摘(49~50ページ)、そうあるべきだしそれで当然と言いたいし私は準備書面の提出期限は(よほどの事情がない限りは)守っていますが、私の相手方の弁護士が提出期限を守って出してくるのは半分くらいというのが実感ですから、当たっていると言えるかどうか。近年、法廷を平気で遅刻する若手弁護士が目立ってきた(51ページ)というのも、よく聞く話ではありますが、遅刻して平気な弁護士は昔からいましたから、近年の若手が特にと言えるかどうかもやや疑問です。
 裁判と裁判所を扱ってはいるのですが、短く軽めのコラム集ですので、業界外の人が裁判所の雰囲気を知るのには読みやすくいい本だろうと思います。


原田國男 岩波新書 2017年2月21日発行
「世界」2013年10月号~2017年1月号連載
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地図と愉しむ東京歴史散歩 地下の秘密編

2017-03-25 23:59:53 | 人文・社会科学系
 東京の地下鉄の駅や路線の高さ(標高)と経路などをめぐる由縁、地下壕(防空壕)の工事と戦後、怨霊神(崇徳院、平将門、新田義興)の鎮魂とその後、団地の用地の由来などを解説した本。
 私には、本文が始まる前に25ページにわたって作図掲載されている地下鉄各路線の駅と路線の標高が、印象的でした。20~40m程度ではありますが、新宿とか池袋とか渋谷とか六本木とかって高台なんだ、永田町と国会議事堂もそのあたりだけ高くなってるとか、なんとなく平地に思えている東京の都心部のイメージがちょっと変わるような感じです。地下鉄が、けっこうアップダウンしているのも、乗っていてあまりそういう印象を持っていなかったので驚きました。最近開通した地下鉄では省エネの目的で駅間をすり鉢状(V字状)にしている(駅を出たところを下り坂にして加速を容易にし、駅に着くときには上り坂で減速を容易にするって)というのも初耳でした。


竹内正浩 中公新書 2016年10月25日発行
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ジョイランド

2017-03-24 20:54:45 | 小説
 1973年、当時ニューハンプシャー大学の学生だったデヴィン・ジョーンズが、アメリカ南東部のノースカロライナ州「ヘヴンズベイ」の遊園地「ジョイランド」で夏休みのアルバイトをして夏休み終了後も勤務を続けながら、幽霊屋敷「ホラーハウス」でカップル客の女性リンダ・グレイが殺害された事件とその後ホラーハウスに出るという幽霊の噂の謎に好奇心を持ち…という設定のサスペンス青春小説。
 「ミステリー」としては、幽霊屋敷での事件/アクシデントを始め重要な部分ではっきりせず、また超常現象的な描写だけで合理的な説明なく終わっている印象が強く残ります。
 むしろ、「まだ女を知らない21歳」(11ページ)の主人公が、恋人のウェンディ・キーガンに浮気されて失恋し、ジョイランドでマスコットキャラクターのハッピーハウンド(犬)のハウイーの着ぐるみを着たパフォーマンスなどをしながら傷を癒し、バイト仲間の女学生エリン・クックと知り合うがエリンはバイト仲間のトム・ケネディと恋仲になり、通勤途上のビーチで顔を合わせる筋ジストロフィーの少年マイク・ロスとともに佇んでいる美貌の母アニー・ロスは険しい態度を取り…という「礼儀正しい若者に女はものにできない」(13ページ)青春グラフィティとして読むのが正解と思える作品です。


原題:JOYLAND
スティーヴン・キング 訳:土屋晃
文春文庫 2016年7月10日発行(原書は2013年)
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武士道ジェネレーション

2017-03-21 23:56:26 | 小説
 武士道シックスティーン、武士道セブンティーン、武士道エイティーンと続いた剣道青春小説武士道シリーズの磯山香と西荻早苗の高校卒業後を描いた続編。
 大学でも剣道一筋で教職課程も単位が取れず就職できないで桐山道場に居残る磯山と、膝の負傷で剣道をリタイアしながらつてをたどって東松学園高校の事務職員となり桐山師範の遠戚の沢谷充也と結婚した早苗の掛け合いで話が進行します。
 以前から続く剣道青春ものとしての味わい、展開は維持されていますが、この作品で作者は、東京裁判批判、「自虐史観」批判を展開し、「民間人虐殺を行わなかった日本」(46ページ)とまで述べ、「アメリカは東京大空襲で少なくとも十万人、広島への原爆投下ではその年内に十四万人、長崎では七万人を死亡させている」(46ページ)と言っています。この点は、この1か所だけではなく、繰り返し執念深く登場し(42~51ページ、213~215ページ、216~224ページ、319~323ページ)、作者が確信をもって、この作品を通じてこの考えをアピールしようとしていることが読み取れます。警察もので名を挙げた作者が、犯罪の加害者/犯人を憎み加害者の検挙等による解決を志向し、犯罪者を非難しその残忍さを描くことは理解できます。しかしその作者の視界には、アジアの人々の被害は入らない/見えないのでしょうか。被害者の数は、歴史の記録としては重要でしょうけれども、被害者自身やその関係者にとっては、犠牲者が1人であってもかけがえのない命です。南京大虐殺の被害者の数が過大だと声高に言う作者は、では20万人ではなく10万人なら、あるいは5万人なら殺されてもかまわない、「虐殺ではない」というのでしょうか。日本への空襲を戦時国際法違反だと非難する作者は(私は、アメリカ軍の空襲を批判すること自体は正しいと考えていますが)、日本軍が行った重慶爆撃は「なかった」というのか、民間人が犠牲にならなかったというのか、いったい何をもって日本軍が「民間人虐殺を行わなかった」などというのか、私の目には、作者が、日本人の命は大切だが、アジアの人々(朝鮮人、中国人)の命はどうでもいいと言っているように見えます。


誉田哲也 文藝春秋 2015年7月30日発行
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震度7の生存確率

2017-03-20 20:23:33 | 実用書・ビジネス書
 防災教育の普及活動を行う一般社団法人日本防災教育振興中央会の代表理事(阪神・淡路大震災の被災者だそうです)と理事が、大地震で震度7の激しい揺れに襲われた場合、その瞬間に何をすることで生き延びる確率を上げることができるか、そのために日頃からどのようなことを考え準備すべきかを解説した本。
 冒頭の第1章が、さまざまなシチュエーションで震度7の揺れに襲われたときに取るべき行動を3択ないし4択で答える方式になっていて、ここがこの本のハイライトです。地震の瞬間に関する12問と日常の備え3問、地震後の避難3問で構成され、地震発災の際の12問の著者が評価した生存確率合計860%に対する読者の答えの合計確率で、生存確率の評価がなされます。私の回答は、760%で、評価は上から2つ目の「サバイバー」(生存の可能性が高い人)でした。もっとも、評価対象から外されている「日常の備え」が全然だめなので、現実の生存確率が高いとは言えないでしょうし、自分が車を運転しない関係で、車に乗車中の判断が低かったです。
 私たちが子どものころに繰り返し言われた、(教室で)地震が来たら机の下に潜り込むは、震度7では机ごと飛ばされるのでかえって危険で、窓(ガラス)や机等の飛んできて危ないものから離れてしゃがみ込むべきだそうです。同様に調理中の場合、ガスの火を止めようとすることは震度7では危険(止めるのは無理)な上に今は震度5強以上の強い揺れがあるとガスの供給が自動的にストップするので無意味なのだそうです。
 そのほかに、地震の時にけがをすると生存確率が大幅に低下する(救急車が来ないので平時なら死なない程度の怪我でも死ぬ可能性が高くなる、移動能力が落ちて危険を避けられなくなる。102~105ページ)、倒壊物の下敷きになるなどして筋肉の30%を3時間挟まれると筋肉が押しつぶされることで発生したカリウムやミオグロビン(筋肉中で酸素を貯蔵するたんぱく質)が救出の際急激に体内に回り「クラッシュ症候群」を引き起こして死に至る(116~117ページ)ということも頭に入れておくべきでしょう。クラッシュ症候群というのは初めて知りましたが、せっかく生きて救出されたのに、その救出で圧迫がなくなって死亡するって、あまりにも悲しい。
 そして、大災害に直面すると多くの人は動けなくなるのだそうです。震度7の揺れがあると物理的に動けなくなりますが、それだけではなく、心理的に日常の無意識の刺激→反応/行動のシステムが働かなくなることや麻痺がおこることで動けなくなり、70~75%の人は何もできなくなり、15%以下の人が我を失って泣き叫び、落ち着いて行動ができる人は10~15%程度だとか(123~126ページ)。大きな災害が起こったときは、事前の準備(情報の収集)と麻痺から覚める/覚ますため大きな声を出すことが大事だそうな(126~127ページ)。
 災害時のしゃがみ込みは、著者が「ゴブリン・ポーズ」と呼ぶ、片膝をつき(片膝とその足の先ともう片足の裏3点で体を支える)両手の拳を頭の上側につけて脇を締める体勢で行うべきだそうです。拳を握るのは、頭部への落下物に対して拳がクラッシュ(骨折する)ことでクッションになって頭部を守るのだとか…考えるだけで怖い/痛いけど。
 首都直下地震とその後の状況をシミュレーションした第4章も悲しくおぞましい記述が続きますが、そういったことも含めて、いろいろと直視すべきことがあると考えさせられました。


仲西宏之、佐藤和彦 幻冬舎 2016年12月15日発行

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地方自治講義

2017-03-18 21:18:26 | 人文・社会科学系
 元大田区役所勤務、現在福島大学教授(自治体政策)の著者が行った「自治体の考え方」と題する連続講義をもとに地方自治の歴史や考え方などを解説した本。
 日本の国土政策が「国土の均衡ある発展」などと称して一貫して(少なくとも主観的には)拡散政策だったが、地域に根ざした産業を育成するのではなく大規模製造業や情報通信産業のような大都市を中心とする産業のブランチを全国にばらまこうとしたもので、失敗したところが少なくなく、成功した場合も中央との結びつきが強化されることで一極集中構造が促進する(262~266ページ)というのは、なるほどともそうかねぇとも…その前段で示されている地域別の1人あたり雇用者報酬(労働者賃金)が、1997年頃をピークとして、減少に転じ、東京都は減少が比較的緩やかだが地方の減少が大きく東京と地方の格差が拡大しているというグラフ(251ページ)はショッキングです。経営側にこんなことをやらせていていいのかと、腹立たしく思います。
 今は地方自治体が補助金を得るために中央官庁のご機嫌伺いをしているけれども、「実は国の役所はお金を出したいのです。なぜならお金をばらまくことによって国の役所が成り立っているからです。」「そもそも国の役所は自分自身で何かをするということは少ない。自治体を含めて、結局、誰かにやってもらわないと自分たちの政策が実現できないのです。」(268ページ)「陳情に行くと国の役人はふむふむと偉そうに聞いている。」「だが、それは陳情に行くからです。地域で成功事例があると、噂を聞きつけて国は『視察』にやってきます。国が来たら教えてあげればよい。そうすると、次に国は何かお手伝いできないでしょうか、と言ってくる。そうしたら、しかたないね、と言って補助金をもらう。成功事例と呼ばれている地域ではそのような構造になっています。その前提は、国に頼らず、自分たちが市民や地域の企業と考えに考え抜いて、地域づくりに励むことです。最初から国に頭を下げるとロクなことはない。」(269ページ)というのは、銀行と同じですね。そのとおりだと思いますが、でも実行はなかなかたいへんでしょうね。
 2009年に安土町が近江八幡市と合併するという話が急浮上し、反対派住民が署名を集めて合併の可否を問う住民投票条例制定を議会に直接請求したが議会は否決、反対派住民が署名を集めて町長の解職請求、リコール成立、選挙で合併反対派町長が当選、新町長が住民投票条例を提案したが議会が否決、反対派住民が署名を集めて議会の解散請求、住民投票で議会解散、町議会選挙で反対派議員が過半数をとるという署名集め3回、住民投票2回(町長解職、町議会解散)、選挙2回の7つの手続ですべて反対派住民が勝利したにもかかわらず、その間に町議会がした合併議決の効果で、合併反対派の町長と町議会の下で合併が実行されざるを得なかった(178~179ページ)というエピソードは、読んでいて涙が出ます。一体、日本の地方自治とは何なのか、と呆れてしまいます。
 地方自治の考え方の基本として、住民に一番近い自治体(地方政府)がまず住民のための業務を行い、市町村ではできないか広域で行った方が望ましい業務は都道府県が補完的に行い、都道府県でできない業務を国が補完して行う補完性原理を説明し、誰か有能な人がいてその人を民主的に選出すれば後はその選出した人の指図どおりに動いた方が効率的ではないか、国家全体が民主化されていれば地方自治など必要がないという考え方に対して「歴史をひもとくと、これまで世界は何度も痛い目にあってきた。ドイツでもイタリアでもロシアでも、ある意味では日本でも、広い意味で民主化の動きが出て来た直後に、その流れに危機感や失望感を抱いた人たちによって導かれた独裁政権や戦時体制になだれ込むことが起きた。計り知れない犠牲を払ったのです。」と論じています(64~66ページ)。近年の情勢を思うにつけ、噛みしめておきたいところです。


今井照 ちくま新書 2017年2月10日発行
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荊の城 上下

2017-03-16 23:33:23 | 小説
 ロンドンの西、メイデンヘッドの町の近くのマーロウという村の古城に伯父と住む巨額の資産の相続人だが結婚するまでは相続財産を自由にできない娘モード・リリーの存在を知り、モードを騙して結婚しその後はモードを精神病院に入れて財産を自分のものにしようという詐欺師リチャードの計画に誘われ、モードの侍女となってリチャードのアシストをすることになった17歳の孤児の掏摸スーザン・トリンダー(スウ)が、侍女として過ごすうちにモードに好意を持ちついには性的関係を持ってしまい、揺れる心に悩まされながら計画を進めるうちに予想外の事態に陥るという展開のミステリー小説。
 スウの側からの第1部、同じ場面をモードの側から見る第2部、再びスウが舞い戻る第3部の3部構成になっています。予想を裏切る巧みな展開ではありますが、下巻に入ると特に重苦しい雰囲気が強まります。第1部がスウの視点で入りますので、ふつうの読者はスウの側で読み進めると思うのですが、そういう心情では、第3部は陰鬱な思いが続き、次第に読み進むのがつらく感じられてきます。そんなに悲しい思いをさせなくていいんじゃないの、と私は思ってしまいます。モードへの愛憎を重ね、後半恨み続けるスウを見るのがしんどく思え、ラストの展開に、正直なところそういう気持ちになれるか疑念を抱き、すっきりしませんでした。
 孤児スウの育ての親、スウが母ちゃんと呼ぶサクスビー夫人の実の子と長年育てた子への思いも、重要なポイントになっています。血は長年共有し積み重ねた思い出よりも重いのでしょうか。その点も考えさせられますが、私の感覚とは違うなぁと思いました。
 この作品を原作とした韓国映画「お嬢さん」では、後半のスウを悲しませる重い部分、サクスビー夫人の立ち回りなどをカットして、ハッピーで痛快に仕上げています。重厚さ、人生の悲哀を感じさせる味わいをなくしたともいえるでしょうけど、私には、この作品を読んで、こういう展開にして欲しかったなぁと思ったストーリーで、娯楽作品としては映画の方がよかったかなと思いました。


原題:FINGERSMITH
サラ・ウォーターズ 訳:中村有希
創元社推理文庫 2004年4月23日発行(原書は2002年)
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