伊東良徳の超乱読読書日記

読んだ本の感想を中心に本に対するコメントを書き散らします。読み終わった本は図書館に返すのでフォローは保証できません。

ナイチンゲールの沈黙 上下

2014-01-28 23:29:34 | 小説
 「チーム・バチスタの栄光」に続く田口・白鳥シリーズ第2作。バチスタ・スキャンダルから9か月後の東城大学医学部付属病院で、救命救急センターからたまたまベッドが空いていた神経内科に回され田口が担当することになった肝硬変の伝説の歌姫と眼球摘出手術が待ち受ける小児科病棟の患者の少年を担当する病院一の歌唱力を持つ看護師が絡み合ううちに少年の父親が殺され…という展開です。
 前作に続き、序盤から中盤への展開の巧さ、飽きさせずに読ませる筆力には驚きます。病院の人間関係の妙や医療現場の描写のリアリティは本職の医師だからある種お手の物でしょうけど、キャラ設定や構想力も含めて、とても2作目の新人とは思えません。
 他方、ミステリーの仕掛けと謎解きは凡庸で、読みながら他の答えが探しにくくこの状況でどうやってどんでん返しを作るんだという興味で読んでいたらどんでん返しがなく終わったという感じです。「チーム・バチスタの栄光」では手術室という通常人にはなじみがない領域でのミステリーだったためにミステリー部分の工夫のなさが目に付かなかったのですが、本作ではごく普通の殺人事件の設定なのでそれがあからさまに見えてしまいます。あえて「ミステリー」と分類せずに、病院と変人キャラの人間関係と展開の妙で読ませる新たなタイプのエンターテインメントと位置づけて読む方がよさそうな気がします。
 本作では、アル中の歌姫と看護師の歌に特殊な力を持たせ、警視正がデジタル・ムービー・アナリシス(電脳紙芝居)なるコンピュータなら何でもできるような幻想のソフトが登場し、ファンタジーとSFの趣向となっていて、だいぶ足が地から離れたというか妄想っぽくなっています。私には誇大妄想的な最後を迎える「ケルベロスの肖像」で終わる田口・白鳥シリーズのその後の展開を示唆しているように思えました。
 作品冒頭の2ページの序章、一応は謎解きに絡みはするのですがかなり間接的にで、これだけ思わせぶりに拡げた場面の使い方としては期待外れ感があります。


海堂尊 宝島社文庫 2008年9月19日発行(単行本は2006年10月)

《田口・白鳥シリーズ》
1.チーム・バチスタの栄光:2014年1月26日の記事で紹介
2.ナイチンゲールの沈黙:2014年1月28日の記事で紹介
3.ジェネラル・ルージュの凱旋:2014年2月1日の記事で紹介
4.イノセント・ゲリラの祝祭:2014年2月14日の記事で紹介
5.アリアドネの弾丸:2014年2月14日の記事で紹介
6.ケルベロスの肖像:2013年12月9日の記事で紹介
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人はなぜ集団になると怠けるのか 「社会的手抜き」の心理学

2014-01-27 20:28:28 | 人文・社会科学系
 個人が単独で作業を行った場合に比べて集団で作業を行う場合の方が1人あたりの努力の量が低下するという「社会的手抜き」について、心理学の実験等を引用しながら検討する本。
 多重チェックでチェックする人数を増やすとかえって全体のミス発見率が低下する(110~111ページ)とか、集団でブレーン・ストーミングを行うより個別にアイディア出しを行った方がアイディア総数だけでなく独創的なアイディア数も多い(80~81ページ)等、興味深いことがらがそれなりに書かれています。しかし、その論拠となる実験が引用はされているのですが実験条件等がきちんと紹介されておらず、実験のサンプル数が書かれているものはほとんどがせいぜい数十人レベルのもので、その実験1つでそんなことまで言っていいのかと思うことがしばしばありました。
 日本シリーズの優勝確率について、勝率が55%のチームが「4連勝する確率は0.554=9.15%、4勝1敗の確率は4通りのケースがあるので4×0.555=20.13%、4勝2敗は10通りであるので10×0.556=27.68%、4勝3敗は20通りで20×0.557=30.45%となる。これを合計すれば87%ほどになる」(178ページ)としています。いや、違うでしょ。勝率55%のチームが4勝1敗の確率を議論する時どうして0.555がベースになるのか全然わからない。1敗の方は負ける確率45%なのだから、0.554×0.45をベースにすべきでしょう。著者は「実力差が14%(強いチームの勝利確率が57%)あれば確率論的には弱いチームが優勝する確率はなくなる」(179ページ)としています。著者のやり方(強い方のチームの勝利確率を試合数乗する)で勝率57%のチームの優勝確率を計算すると108%になります。ついでに著者のやり方で勝率60%のチームの優勝確率を計算すると146.7%になってしまいます。確率を計算する時、100%に限りなく近づいていくというならわかりますが、100%を超える計算結果が出たら、それは計算のやり方が間違っていると考えるのが普通でしょう。こういう数学センスを見せつけられると、この本で取り上げている実験結果や統計の処理・評価の信頼性にも疑問を感じてしまいます。さて、この著者の計算結果は何人がチェックしたのでしょう。


釘原直樹 中公新書 2013年10月25日発行
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チーム・バチスタの栄光 上下

2014-01-26 21:52:13 | 小説
 2005年の第4回「このミステリーがすごい!」大賞受賞作のメディカルミステリー。
 首都圏の端の桜宮市にある東城大学医学部付属病院で、平均成功率6割といわれる拡張型心筋症に対する左心室縮小形成術(通称バチスタ手術)で26例連続して成功していた桐生医師のチーム(チーム・バチスタ)で3例立て続けに術死が生じ、不定愁訴外来の万年講師田口公平が高階病院長から調査を命じられチームの聞き取りを行った後手術に立ち会うが、桐生の手技は完璧なのに田口の目の前でまた術死が生じ、原因解明は無理と泣きついた田口に高階病院長は厚労省のはぐれ者白鳥をあてがうが…という展開です。
 大学病院での力関係・人間関係、医療現場の繁忙と緊張と諦念の描写が、とても迫力があります。トリックスターの「厚労省の火喰い鳥」白鳥が、厚労省で残業を拒否して机を奪われ最上階の食堂の5番テーブルに居つき「大臣官房付」の辞令を渡され仕事はないから勝手に探せといわれているというあり得ない経歴で、人の神経を逆なでする無神経な俺様キャラで、読んでいていらつきますが、小説としてみる限りおもしろいところではあります。
 ミステリーとしても、医療技術・医療現場の状況の下での謎なので、読者が容易に推測できないという点が大きいかとは思いますが、終盤まで謎を楽しめ、読み甲斐があります。ただ、ありがちではありますが、犯人の動機・犯人像はあまり説得力がない感じがします。


海堂尊 宝島文庫 2007年11月26日発行 (単行本は2006年2月)

《田口・白鳥シリーズ》
1.チーム・バチスタの栄光:2014年1月26日の記事で紹介
2.ナイチンゲールの沈黙:2014年1月28日の記事で紹介
3.ジェネラル・ルージュの凱旋:2014年2月1日の記事で紹介
4.イノセント・ゲリラの祝祭:2014年2月14日の記事で紹介
5.アリアドネの弾丸:2014年2月14日の記事で紹介
6.ケルベロスの肖像:2013年12月9日の記事で紹介
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ヘイト・スピーチとは何か

2014-01-24 19:36:36 | 人文・社会科学系
 近時の新大久保等での排外主義デモに代表されるマイノリティに対する差別・侮辱・排除の言葉による攻撃などの「ヘイト・スピーチ」について、日本の現状と諸外国の法規制を検討し、日本でも法規制を行うべきことを主張する本。
 「ヘイト・スピーチとは何か」というタイトルから最初に期待されるヘイト・スピーチの定義は、実はこの本を読んでもハッキリとはしません。この本の中心的な論点は、そして弁護士の視点からかもしれませんがこの本の読みどころは、諸外国の法規制を検討する第3章とそれと日本の現状と議論を対照する第4章にあるのですが、そこまで読んで改めて著者が第1章と第2章で語りたかったこと、そしてこのタイトルが意味するところが、ヘイト・スピーチによりマイノリティ側が受ける被害、そこに焦点を当てて捉えるべき「ヘイト・スピーチの本質」であることがわかります。著者の主張は、国際標準を形式的な説得材料とするとともに、実質的あるいは心情的にはマイノリティに対する差別・迫害がヘイトスピーチの本質でありその攻撃とマイノリティの被害が不可分一体であることをより有力な根拠としているように、私には思えます。
 表現の自由の規制と権力によるその濫用への危惧を感じる者(そこには良心的なリベラリストが多く含まれる)に対し、何よりもヘイト・スピーチによって攻撃を受けるマイノリティの被害・ダメージの深刻さを直視するよう迫る論の運びには心を揺さぶられます。この論理は、ヘイト・スピーチの本質がマイノリティに対する攻撃であり、規制により守る/防ぐべきものはマイノリティの被害であるから、規制対象はマイノリティに対する攻撃のみにすべき(マイノリティのマジョリティに対する言論や民衆の権力に対する言論は対象にすべきでない)という片面的な規制を求めるという方向を志向することになると私には思えます。著者も「規制の対象をマイノリティに対する差別的表現に限定することは、最も重要なことであろう」と述べています(209ページ)。その方向性は、私にはむしろそうあるならば望ましいと思えますが、この国でそのような制度が官僚や政治家、裁判所に容認されるのか、立法される時には違った形(官僚の手にかかれば似ても似つかないもの)になってしまうのではないかという危惧を持たざるを得ません。著者自身が、「明文でマイノリティに対する表現に限定している例は多くない」として実例としては中国刑法第250条を挙げるのみである(209ページ)ことも、そのあるべき方向の法規制の実現の難しさを物語っているように思えます。
 法規制を巡る難しさと迷いを感じながら、第1章の2の京都朝鮮学校襲撃事件の紹介と第2章の2のマイノリティの被害を読み返して思いを新たにするというあたりが標準的な読み方かも。


師岡康子 岩波新書 2013年12月20日発行
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美都で恋めぐり

2014-01-22 20:19:14 | 小説
 地元の公立大学に落ちて関西の私立大学に行くことになった大学1年生安藤友恵が、母の従弟でいつも黒装束のスキンヘッドの書道家「黒衣」こと黒川と、黒川の弟子で友恵と大学同期生のなぜか茶髪の女性用カツラ着用の「サカイ」こと森口守、黒川の弟子で黒川に夢中の高校生「ゆりりん」、黒川の学生時代の指導教員だった大学教授「殿下」、殿下の現役ゼミ生で友恵のバイト先の先輩の恋人だった「姫」こと姫宮まろんらと関西の街や祭りを歩き自宅でパーティーをしながら眉目秀麗な「サカイ」に惹かれて行くラブ・コメディ。
 前作「恋都の狐さん」同様、少し変人キャラを並べつつ、観光行事案内的な興味と軽いタッチのラブコメのテーストで読ませる作品だと思います。ふつうの女子大生とイケメンの同級生というパターンは、少女マンガの定番という感じ。「サカイ」が女性用カツラを付け続ける理由が、軽いミステリーとなっていますが、まぁそこはあまり期待せずに読んだ方がいいような…


北夏輝 講談社 2013年4月22日発行
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原子力ドンキホーテ

2014-01-21 22:39:48 | ノンフィクション
 三菱原子力工業(のち三菱重工と合併)、原研を経て原子力安全基盤機構(JNES)の検査員となっていた著者が、2009年3月に泊原発3号機の使用前検査の際の減速材温度係数測定検査で最初の検査時の減速材温度係数が正の値であったことを記載した検査記録について、上司から削除を命じられたがこれを拒否し、JNES側が設けた検討タスクグループが最終的には削除不要の結論を出したがそれでは納得できず、上司の削除命令が不適合業務であることを確認すべく組織内で上長に通報し、その後検査の現場から検査のとりまとめ部門へと異動になりボーナス査定でD査定を受け、定年再雇用を拒否された経緯を紹介し、原子力ムラの実情を明らかにするとともに批判する本。
 減速材温度係数は、それが正であることが、原子炉出力の上昇がさらなる原子炉出力の上昇につながりチェルノブイリ原発事故のような暴走事故の要因となるとされて、それが負であることの確認が要求されているもので、検査で正の値が検出されたことは、重要な意味を持ち、それが是正されたとしてもその後の設計や運転管理に考慮され反映されるべきものと考えられます。そのような事実を隠蔽することは、原子力ムラの体質としてありがちなのでしょうけれども、由々しき事態です。
 この本では、この泊原発3号機での減速材温度係数測定検査の記録隠蔽工作の他にも、敦賀原発2号機での再生熱交換器亀裂発生・冷却材漏れの真の原因の隠蔽工作も紹介されており、原子力ムラの隠蔽体質がよくわかります。
 また、著者が、正義感と同時に揺れ迷う様子も示しつつ、最終的には信念により公益通報に進むあたりが読みどころとなっています。
 著者は、原子力技術は必要だが現在の原子力ムラでは安全が確保できないから脱原発という立場です。加圧水型原発の蒸気発生器で伝熱管(細管)のひび割れが多発してひび割れた伝熱管にプラグで栓をして運転していたがその栓がかなり多くなった時に冷却材設計流量を確保できることを計算で示して運転再開の許可を受けたことを「私のヒット業績」としたり(102~103ページ)、2002年に東京電力でひび割れ隠し問題の発覚で生粋の原子力技術者が責任を取らされて素人が指揮を執ることになったと批判している(119~120ページ)あたりには原子力推進側の思考パターンが見えます。その立ち位置を確認しつつ読んだ方がいいでしょう。
 労働側の弁護士としては、著者が定年を控え再雇用前にD評価を受けても弁護士に相談しないで行動している様子をみると、このあたりで弁護士に相談しておいた方がいいと思うのですが、一般にはそういう発想は出て来ないというか弁護士の存在感がないのでしょうね。著者が再雇用を拒否されてまず労働審判を申し立てたということについては、労働側の弁護士としては違和感を持ちます。具体的な事情と本人のニーズを確認しないとわかりませんが、一般的には労働審判の事案じゃないだろうと思います。著者が「たとえ弁護のしようのない人物であったとしても、あれこれと理由を付けて裁判を有利に進め、検察の追及が弱ければ、犯罪人でも無罪にすることができる」のが弁護士の使命だとして、欠陥技術を正当化しようとする技術者を「技術弁護士」と呼んでいる(117ページ)ことにも、弁護士というのは社会で充分には認知されておらずまた自分が相談依頼することは想定されていない(どこか遠くで悪人を擁護していると思われている)ことが読み取れます。弁護士としては、いろいろな部分で、ちょっと悲しいです。


藤原節男 ぜんにち出版 2012年4月13日発行
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防犯カメラと刑事手続

2014-01-19 20:31:17 | 人文・社会科学系
 街頭防犯カメラの設置と撮影データの管理・利用についての法的根拠等を論じた本。
 警察による街頭防犯カメラの設置とその撮影データの捜査・裁判への利用の法的評価を最初から公平に論じるのではなく、それを正当化する法律構成を考えるというスタンスの本だと、私は思います。
 街頭防犯カメラの設置によって犯罪抑止効果があるかについて、この本が紹介している実証研究を見ると、効果があったとする研究もあるが、効果が全くないとか望ましくない効果が出ているとする研究も少なからずあり、公平に見れば防犯カメラ設置の犯罪抑止効果はハッキリしないと評価すべきように私には思えます。この本では、この部分での小活では「少なくとも、犯罪抑止効果(防犯効果)に関しては『それがあるかないか』の二項対立で論じられる簡単なものでは決してない」(40ページ)と論点をずらす形で、捜査への利用の利点などにつなげています。
 この本では防犯カメラの設置についての世論調査を示して、「街頭防犯カメラに関しては、イギリスおよびアメリカにおいても肯定的な評価が優勢であり、また、わが国でも、かなり際立った支持を集めている」としています(54~58ページ)が、アンケートの実施主体が防犯カメラ推進団体であったりする上に、そもそももしこの本で紹介された実証研究の結果のように犯罪抑止効果がハッキリしないとかほとんどないという実証研究が相当数ある(実質的なメリットは犯罪捜査に使えることくらい)と市民が知ったらそれでも防犯カメラの設置がそれほどの支持を受けられるでしょうか。市民の支持は防犯カメラに犯罪抑止力があるという幻想に基づくものではないでしょうか。法学者がこの本を書いているのにそういう点にまったく注意を払わないというあたりで、私はこの著者の姿勢のバイアスが気になりました。
 防犯カメラを巡る法規制と裁判例での評価について、この本では防犯カメラが世界一普及しているイギリスと、アメリカでの議論だけを紹介しています。イギリスで防犯カメラのデータ利用を正当化した判決がヨーロッパ人権裁判所で覆されたケースも紹介されているのに、その後それについてのイギリス政府の評価を紹介するだけで、EU法やEUでの評価には触れられていません。イギリスの裁判所が適法と判断したものをヨーロッパ人権裁判所が違法だと判断しているのですから、EUではイギリスとは違う法規制、違う法的評価がなされていることが予想できます。しかしこの本ではイギリスとアメリカ以外の外国法には触れようとしません。この点も、著者の姿勢に疑問を感じさせるところです。ただし、このイギリスとアメリカの裁判例紹介は、比較的多くのケースが紹介されていて、仕事がら興味深く読めました(この部分が私にとっては一番眠くなかった。法律業界以外の人には逆かもしれませんが)。
 ただし、イギリスの法規制の紹介の中で、イギリスのデータ保護法では防犯カメラ映像のデータ主体のアクセス権、つまり画像を記録された個人は自らその画像を見てそのコピーの提供を求めることができることが定められているとされ(105ページ)、このことは大変重要なことと私には思えたのですが、この本では日本での法規制を考える段になるとなぜかイギリス法のこの部分はまったく触れられません。こういうあたりも著者の姿勢を疑わせるところです。
 日本での判例を検討する部分でも、写真撮影について最高裁判決を始め裁判所が現行犯かそれに準ずる状態での写真撮影を容認したというものが多いのに、警察による防犯カメラ設置については「行政警察活動」として(つまり犯罪防止目的で)より緩やかな要件でできると論じて、大阪地裁の1判決を偏重してそれに依拠する姿勢を見せています。この本で紹介された実証研究では街頭防犯カメラの犯罪抑止効果がハッキリしないのに、警察が街頭防犯カメラを設置することはそれを理由に容認しろということ自体、著者の姿勢の誠実性に疑問を感じます。そして結局はその防犯カメラで撮影した映像を捜査や裁判で利用するし、そのことが最初から予定されているというか、本当はそれが最初から目的と思われるのに、設置段階ではまるでそのことを無視して容認できるとするのは羊頭狗肉だと、私は思います。


星周一郎 弘文堂 2012年11月15日発行
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iPS細胞はいつ患者に届くのか

2014-01-18 21:00:30 | 自然科学・工学系
 iPS細胞を始めとする幹細胞(さまざまな細胞を作る元になる細胞で、長期にわたって自らを複製・再生する能力と自分とは異なる性質や機能を持つ細胞を作り出す能力を持つ細胞)による再生医療の現状と展望を説明する本。
 幹細胞には、あらゆる細胞を作り出せる万能細胞であるES細胞(受精卵が6~7回分裂した初期胚から培養)とiPS細胞(分化した細胞に特定の遺伝子を導入して作製・培養)、一定の範囲で多様な細胞に分化する能力を持った体性幹細胞があるが、ES細胞は受精卵・胎児の取扱で倫理的なハードルがあり、iPS細胞は体細胞から作製するので倫理的なハードルはクリアできるが治療への利用上魅力的な万能性と著しい増殖能力が同時に腫瘍(癌)化のリスクをも意味しそのリスクの払拭になおハードルがあることから、この本では実際には体性幹細胞の治療への利用とそのために幹細胞をシート化したりさらには臓器のパーツへと形成する技術、移植・注入の技術開発の様子に紙幅を取って説明しています。そういう説明を読んでいると、幹細胞の能力の問題だけではなく、幹細胞から分化した細胞をどのようにして患部に送り定着させるかという面での技術開発が、治療・臨床への利用という観点からはとても重要だということがわかります。
 日本では、自由診療(保険外診療)であれば医師が自分の裁量でiPS細胞を利用した治療を提供することができるということですが、一方で品質や有効性、安全性について国の評価を経たものではなく「野放し」状態であり、他方で治療用にiPS細胞を作製するには膨大な手間と費用がかかり1人の治療に数百万円とか数千万円かかることが紹介されています(111~114ページ)。
 そういった安全面とコスト面でのハードルを乗り越えてiPS細胞が再生治療に利用される日を待っている人たち(体性幹細胞による治療では不十分だったり治療できない人たち)が多数いることと、研究と技術の開発に強い熱意を持つ人たちの物語が紹介され、少し熱い気持ちになる本でした。


朝子 岩波科学ライブラリー 2013年11月26日発行
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世界基準で夢をかなえる私の勉強法

2014-01-13 19:31:38 | 実用書・ビジネス書
 高校時代に短期語学留学のためにカナダでホームステイしたのをきっかけにカナダでの生活で英語を身につけてブリティッシュ・コロンビア大学に入学し、数学専攻から日本史研究に切り替えてブリティッシュ・コロンビア大学で修士、プリンストン大学で博士をとり、ハーバード大学で授業を行い、現在はケンブリッジで研究生活を送る著者が、自分の行ってきた勉強法を紹介する本。
 冒頭、英語力が低い状態で大学入学に必要なTOEFLの基準を満たすことが無理と判断したので、無理なものに挑戦してうちひしがれるのを避けるためにTOEFLの問題を解くことをやめ、3歳の子どもの子守をしながら子供用アニメを見たり絵本を読み聞かせたり家族との会話を通じて会話力を自然に身につけてTOEFLの基準点を突破し大学に入学できたというエピソードを紹介して、とても無理なことはすっぱりあきらめ、急がば回れで焦らずゆったり勉強することを勧めています。一理あると思いますが、対象が語学の習得で、大学に入試がない(TOEFLの他は志望理由のエッセイだけ)という条件だからそれで行けたということは押さえておく必要があるでしょう。
 ノートはほとんどとらず(とってもA4一枚まで)教授の話の重要点(おもしろい点)を仕分けして記憶を反芻することで頭に入れていくというのは、私もノート・メモはあまりとらない方なのでよくわかる気がします。
 「なんの勉強でも、どんな仕事でも、きっとそうである。目の前には無限の可能性が広がっていて、それに気づいた一瞬、大きな竜巻に呑み込まれそうになる。そうやって無限の可能性を感じながら空を眺める時こそ、可能性の果てしなさに翻弄されないよう、逆に、自分の手のひらに収まる範囲の話を考える。」(100~101ページ)というのは至言であると思います。ついそこを踏み越えて無理をしたり無理なことを抱え込んだりしてしまいがちではありますが。
 できないことについて、自分の能力を責めたり悩んだりするより、いいあきらめ方をする方がずっと大事、できないことをどのように受け入れるか、自分にできる他のことでどうかバーするかが大切だという指摘(108~109ページ)も、なるほどと思います。失敗については、内発性のミスで人に迷惑をかけた時はすぐに謝るべきだが、反省してもそれが記憶に残り次に同じ場面に遭遇した時足がすくむことになりかねないし時間の無駄、反省はそこそこにして原因を割り出して冷静に現状を見極め、それが世界に影響するか→まったく影響しないので忘れる(176~182ページ)といわれると、いわんとすることはわかるけどそこまではねぇと思いますけど。


北川智子 幻冬舎 2013年2月15日発行
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大人でもはじめていいんだ! フィギュアスケートはじめました。

2014-01-12 18:16:02 | 趣味の本・暇つぶし本
 運動音痴を自認する「完全室内型フリーライター」の著者が、運動不足解消・ダイエット目的で各種教室を検索しているうちに大人向けのフィギュアスケート教室週1回月5400円也というのを発見し、子どもの頃から憧れていた観るものと思っていたフィギュアスケートを自分でやってもいいんだと「ヘレン・ケラーが『ウォーター!』と叫んだときのような衝撃」(16ページ)を受け、30代後半でフィギュアスケートを始めたという体験型レポート。
 大人になってからフィギュアスケートを趣味でやっている人が多数いることやフィギュアスケートの基本的なテクニックとその難しさなどがわかり、ちょっとお得な気分になれます。
 他方、このタイトルや序盤の書き方から著者が意図しているであろう、この本を読んで自分もやってみようという気持ちになるには相当ハードルが高い感じがします。序盤では運動音痴を強調している著者が、実は子どもの頃最初にスケートリンクに降りたときからすんなりと滑れて転ぶことも少なく手すりにつかまっていることなく自己流でバックスケーティングや前向きのクロススケーティングができていた(52~55ページ)といわれて、大人になって教室に通い始めてからも難しい、できないと嘆きながらも競技会の採点対象になるような技に挑戦し初級とはいえ「選手」のテストに受かってしまうという流れでは、未経験の読者からは、元々素質がある人の特別なケースで、やっぱり自分にはとても無理という読後感になるのがふつうでしょう。
 本文ではなくコラム欄ですが、「後悔のないよう、始めるのに遅いも早いもない、これからの人生で今が一番若いんだ」(144ページ)という言葉は、気に入りました。


佐倉美穂 誠文堂新光社 2013年11月22日発行
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