伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年に続き2023年も目標達成!

それでも、あなたは回すのか

2021-06-30 20:03:23 | 小説
 本を読むことが好きという以上に自分の強みをアピールすることができずに出版社の面接で軒並み落ち続けた就活敗者の文学部青年友利晴朝が、メイン商品を担当するプロデューサーの引きで採用されたソーシャルゲーム運営会社で、同期の力量はあるが尖りすぎた新人デザイナー青塚凛子と角突き合わせ、ゲームプランナーとして悪戦苦闘しつつチームプレイに馴染んでいくお仕事小説。
 著者自身がソーシャルゲーム開発会社のゲームプランナーで、業界内幕ものの性格が色濃く、ソーシャルゲーム運営会社の収益構造、課金収益をどのように増やすか、そのためにどのような顧客をターゲットにどのようなキャンペーン(イベント)を企画するか、社内での駆け引き等の説明と、デバッグ(プログラムのバグの発見、予定どおりに動くか等の確認)や顧客からの意見・クレーム・要望への対応等の描写がたいへん興味深く読めました。
 基本的にいい人に囲まれ、特に意地悪な敵もいない中で、ソーシャルゲーム運営会社のビジネスモデルとその置かれた環境の制約の下で、どうすべきかを学び考え成長するという作品で、不快感を持つ場面もなく明るく読めます。現実はもっと厳しいかなと思えますが。


紙木織々 新潮文庫 2020年12月1日
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大江いずこは何処へ旅に

2021-06-29 23:32:50 | 小説
 IT系ベンチャーで働く元彼高石善徳が二股をかけていたことを知り失意に暮れる20代後半のOL大江いずこが、露店で買ったコンパスのネックレスに潜んでいたマルコ・ポーロと自称するホログラムのような実在するような不思議な形態の中世ヨーロッパ風の白人とともに旅行をして、旅先でさまざま人と出会い自信を取り戻して行く短編連作。
 餃子の王将を誉め讃え、天下一品のラーメンで締める第1話京都編、ファミレスのチーズインハンバーグランチでだべり、てりかつ丼に感動する第2話春日井・土岐編と続き、もっぱらB級グルメに徹すると思われましたが、その後は海産物の一大絵巻を繰り広げる第3話若狭編、バーベキューを繰り返す第4話伊豆編で、そうでもなくなって、ちょっとあれっと思いました。
 エピローグでは「ぴんと来ない。太陽の塔、大阪城。あちこち巡って写真を撮ってみるが、いまいちしっくりこない。なんというか、浮き立つような楽しさがないのだ。大阪はオモロイところではないのか。なんでやねーん」(303ページ)と書かれていて、大阪はお気に召さなかったらしい。大阪出身者(太陽の塔がある千里は小2から高校まで過ごした地元)の私としては、京都旅行で寺1つ見ずに餃子の王将で満足したというのに、それこそなんでやね~んなんですが。


尼野ゆたか 二見サラ文庫 2020年8月10日発行
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EYES 廃物件捜査班

2021-06-28 23:06:50 | 小説
 通り魔事件犯人に右目を刺され角膜移植手術をしたら紫色の虹彩を持つ「忌み目」により廃墟の「記憶」を知覚できるようになった27歳の巡査部長吉灘麻耶が、警察内部で疎んじられながらその超能力で事件を解決するという小説。
 ミステリーとしての部分は、まぁそうだろうと予測する方向で何となく進んでいき、ひねりがない感じがしますが、特殊な設定で主人公等の運命の方を読ませる趣向で、事件そのものはシンプルな方がいいという考えでしょうか。角川春樹小説賞受賞でデビューした作者の受賞後第1作の文庫書き下ろし作品で、最初から続編予告しているとしか考えられないラストは、すごい自信だと思います。
 ふだんは廃墟の「記憶」を黒のカラーコンタクトで保護/遮断しているという設定ですが、麻耶の知覚は画像/映像のみならず過去の人々の声/音声をも捉えています。画像のみなら黒のコンタクトレンズで遮断できるということでさほど違和感はないのですが、声が聞こえるのなら、耳栓ではなくコンタクトレンズで廃墟の「記憶」の音声が遮断できるのはなぜ?と気になってしまいます。


柿本みづほ ハルキ文庫 2020年7月18日発行
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非正規公務員のリアル 欺瞞の会計年度任用職員制度

2021-06-27 18:10:59 | 人文・社会科学系
 非正規公務員の待遇の低さ(官製ワーキングプアの実情)、さまざまな職場での実態、非正規公務員に低い労働条件で恒常的・専門的業務を担わせている制度的・法的根拠、待遇改善をうたった会計年度任用職員制度や女性活躍促進法が待遇改善に繋がっていない現状などについて論じた本。
 自治総研の研究員の著者が、雑誌等に書いた論文を取りまとめたもので、そのパターンの本にありがちですが、ぶつ切れ感、重複感があり、特に後半は法制度と数字が中心で、読み通すのがちょっとつらい。ハローワークの非正規職員(1年任期で雇止めされて自分が求職者に回るとか。笑えない)や図書館員、臨時教員などの現状を紹介する最初の方は、とても興味深く読めたのですが。
 パート労働者を待遇が低いままで基幹職化を進めた場合、労働者は、第1段階では上司に聞こえるように悪口を言う、言われたことしかしない、離職する(消極的抵抗)、第2段階では不満を抱えたパート労働者が共同して1つの非公式権力を構成して管理者と対立する(積極的抵抗)、第3段階では不満を抱えたパート労働者の生産性が低下、それと連鎖して発生する正社員の負担増を通じた生産性の低下が起こるという主張の紹介がなされていて(44~45ページ)、使用者側の思惑どおりには行かないというところ、なるほどと思いました。
 公務員に適用される法律はとてもわかりにくくなっていて、弁護士も事件を担当しないと詳しくは調べないのできちんと理解していないことが多いです。非正規公務員の労災に関して、上下水道、交通事業、学校、動物園、病院、保育所、清掃事務所等の労働基準法別表第一の事業に従事するものは労災保険法が適用され、フルタイムの非正規公務員(常勤の地方公務員に準ずる者)は地方公務員災害補償法が適用され(地方公務員災害補償基金に請求)、それ以外のパートタイム非正規公務員は地方自治体の条例(議会の議員その他非常勤の職員の公務災害補償等に関する条例)が適用される(地方自治体に請求)ことが紹介されています(66~69ページ)。そういう事件を経験していないので、具体的には知りませんでした。勉強になります。
 非正規公務員の継続雇用の期待を裏切ったことについて国家賠償請求を認めた中野区非常勤保育士再任拒否事件の東京高裁判決は紹介されています(190~191ページ等:「画期的」と評価していますが、一方で更新回数制限、経験者も新人と同列で受験を要する公募を強要される原因となったとも書いていて、著者がどう評価しているのかわかりにくいですが)が、非正規公務員の雇止めについて唯一雇止めを無効とした国立情報学研究所事件1審判決には一度も言及されていません。高裁で覆され、その後1件も後に続いた判決がなく(雇止めが違法だとしても雇用の継続は認めず損害賠償しか認めない)、今後も現れる見込みがないというのが実情ですが、非正規公務員の雇止めを論じるからには、触れておいて欲しいなと思います。


上林陽治 日本評論社 2021年2月25日発行
 
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ノマド 漂流する高齢労働者たち

2021-06-26 21:21:19 | ノンフィクション
 アメリカでキャンピングカー、トレーラーハウスの車上生活を送り、移動しながらさまざまなところで働く人々(ワーキャンパー)の生活を綴ったノンフィクション。
 車上生活者たちの自ら選択してそうしているというプライド、明るさなどを描きつつ、著者は、車上生活者に関する記事の大半は「ワーキャンパーという生き方を、楽しく明るいライフスタイルか、変わった趣味であるかのように報じていた。アメリカ人がやっとのことで生活賃金を稼ぎ、伝統的な住宅から閉め出されつつある、そんな時代を生き延びるためのぎりぎりの戦略だと報じる記事は、ほとんど見当たらなかった」「その他の報道もやはり、車上生活のわくわく感と連帯感を強調するものだった。これほど多くの人に生き方を根本的に変えさせる原因となった困難については、話題にするのを避けていた」(231~232ページ)と、著者の問題意識を明らかにしています。「私が何ヵ月にもわたって取材してきたノマドの人々は、無力な犠牲者でもなければお気楽な冒険者でもなかった。真実は、それよりはるかに微妙なところに隠されていた」(233ページ)という、車上生活者の強さ、したたかさを見つつも、それはやはり追い込まれた人々でありその原因を見据え政治と社会が対応すべきことを忘れてはいけないというあたりに著者のスタンスがあることを見逃さないようにしたいところです。
 車上生活者が白人ばかりだということについて、著者は「白人であってさえ、アメリカでノマドでいるのは並大抵のことではない。とくに住宅地でステルス・キャンピングをするのは、キャンプの主流から大きく外れている」「白人であるという特権的な切り札をもってしても、警官や通行人とのいざこざを避けられない場合があるのだ。であれば、丸腰の黒人が赤信号で止まっていただけで警官に撃たれるような地域ではとくに、人種差別的な取締りの犠牲になりかねない人が車上生活をするのは、危険すぎるのではないだろうか」(254ページ)と、思いをはせています。一面で追い込まれた人々でも、まだ恵まれているともいえるわけです。
 恒常的な人手不足に悩み、高齢者が多いワーキャンパーを社会経験があり几帳面でまじめな労働者であり、短期雇用で必要なときだけ使える労働力として使いたがる企業も出てきており、その典型がアマゾンだということのようで、この本で登場するワーキャンパーの多くはアマゾンで繰り返し就労しています。移動を繰り返しながら生活費を稼ぐために短期間の就労を希望するワーキャンパーとは持ちつ持たれつということではありますが、その重労働ぶりが繰り返し描かれ、揶揄されています。登場するノマドの1人、パティは「ねぇ、ウォルマートやアマゾンで買い物するのはやめましょう。町を歩いて、小さい昔からのお店で買いましょうよ。巨大企業の儲けを減らしてやるのよ」と語り(296ページ)、この本で中心的なノマドのリンダは「アマゾンで働いていると、こんなことばかり考えちゃうの。あの倉庫の中には重要なものなんてなに一つない。アマゾンは消費者を抱き込んで、あんなつまらない物を買うためにクレジットカードを使わせている。支払のために、したくもない仕事を続けさせているのよ。あそこにいると、ほんとに気が滅入るわ」と著者にメールしてきます(331ページ)。著者自身も短期間アマゾンでの就労を経験していますが、著者はアマゾンに対して批判的な視点を持ち続けているように思えます。謝辞(347~349ページ)でもアマゾンへの感謝の記載はありません。
 映画では、車上生活へと人々を追い込んだ原因への著者の問題意識は、まったく描かれていないとは言いませんがかなり薄められた感があり、アマゾンへの批判的な視点はほぼ覆い隠されています。それを棘として抜いたからアカデミー賞作品賞が取れたのかも知れませんが、本を読んだ印象は、映画の印象とは違うように思えました。


原題:NOMADLAND Surviving America in the Twenty-First Century
ジェシカ・ブルーダー 訳:鈴木素子
春秋社 2018年10月20日発行(原書は2017年)
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迷子の龍は夜明けを待ちわびる

2021-06-25 20:24:33 | 物語・ファンタジー・SF
 祖母の死後引きこもっていた、緑がかった褐色の肌を持つ少数民族「天空族」の巫女の孫娘セイジが、寝込んでいる富豪の依頼で40年ほど前に先立った妻の天空語で書かれた日記を読み聞かせることになり、死んだ妻とその息子の運命に触れ、「大和族」と天空族の関係、自分の祖母や両親などに思いをはせるというファンタジー。
 植物や龍、霊にエネルギーを「食われ」衰弱する/腹が減る天空族は、何のメタファーなのでしょうか。ディメンター(松岡訳では「吸魂鬼」)に幸福感や精気を吸い取られるハリー・ポッターのような世界観でしょうか。「天空語」がちょっと「蛇語」活字のようなフォントで書かれていることもあって、そういう連想をしました。
 セイジの現在、日記の40年前の世界、セイジと祖母の日々、引きこもり前の時期を行き来しながら、過去が解明されていくスタイルが取られています。さほど大きな謎はないのですが、穏やかにホッとしていくというような読み味です。


岸本惟 新潮社 2021年3月15日発行
日本ファンタジーノベル大賞2020優秀賞受賞作
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「治る」ってどういうことですか? 看護学生と臨床医が一緒に考える医療の難問

2021-06-24 22:00:29 | 自然科学・工学系
 国立がんセンター勤務を経て現在日本赤十字社医療センター化学療法科部長の職にある臨床医の著者が、医療上の答が出しにくいテーマについて看護学生と議論し雑誌「Canser Board Square」に連載したものを単行本化した本。
 タイトルになっている「治る」に関しては、「治った」「治らない」というのは境界がはっきりした yes / no の話ではなくて、10年20年経って再発することもあるけれどもそれは予めわからず、結果的に別の病気その他で死ぬまでに再発しなければ治っていたという結果論の話なのだけれども、一般の人は治ったのか治らなかったのかと聞きたがる、そういうときにどう説明すればいいのか、治ったと思っている人に病識を持たせるべきかというような悩みが論じられています(53~56ページ、121~125ページ)。治っていなくても10年20年平気で生きられることもあるし、治っていない、リスクがあると気にすることがその人の人生・生活に影響する/影を落とすことを考えると、どうすべきなのかはなかなか悩ましいところでしょうね。そうは言っても、治ったと説明していて再発すると、リスクを説明しておいてくれればよかったと文句を言われるのでしょうし。弁護士の場合は、基本、リスクを正しく説明するの一択だと思うのですが。
 延命治療についての事前指示書の問題も悩ましい。本人が延命治療は望まないと文書に書いていても、それから時間が経ったらその指示は有効か、長期間が経過しなくてもその意思はいつでも変えられる訳なのでその意思が変わっていないかをどう判断するか、本人が意識がないときにそれをどうするか、指示書で想定していない急変はどうするか(例えば癌で余命があまりないということで蘇生措置を拒否する意思を示している人が検査の際の造影剤でショック状態になったら蘇生措置をしないのか等)、本人が認知症になったら/病状が進んでいたらその意思をどう判断するのか、その場合に家族が決められるのか、かかりつけ医が判断することはどうかなどが議論されています(34~46ページ)。
 患者や家族の言動があまりに理不尽でこちらが怒ってしまうときにどうするかという問いは、業種を超えて、悩ましい問題だなと思います。どこにでもいますからね、ジコチュウでわがままな、それでいて自分が100%正しいと思っている人は。今どきは、カスハラなんて言葉が使われますが。そういうときは「自分がどうして怒っているのか、を考えよ」、まず自分が怒っていることに気づく必要がある、そしてその原因は何か、患者の言葉遣いか、そもそもこの家族はもともと態度が悪いと思っていたのか、もしくは自分がやろうとしていた仕事を邪魔されたからか…などなど考えていくうちに結論が出る出ないにかかわらず落ち着いていくというのです(76~77ページ)。確かに巧妙な手法です。言い返すまでに10数えろというのと似てはいますが。
 看護学生との比較の関係で、「はじめに」で、医学生の意欲のなさ、授業中最初から寝ている、講義の途中で平気で席を立つ、何が試験に出るかしか興味がないなどが指摘され、また随所で医学生の傲慢さに言及されています。まぁそういうものかなとも思いますが、学生のときはまだ責任感や自覚がなくても、仕事を始め経験を積む中で人間は変わり成長していくものだと思います。そこは寛大に見てやった方がいいかなと思います。弁護士でも、弁護士会の研修で、突っ伏して寝ていたり途中で平気で席を立つ人はいますが。最近はウェビナー研修なのでそもそも寝ているか聞いてるかもわからなくなりましたけど。


國頭英夫 医学書院 2020年10月1日発行
「Canser Board Square」連載
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あたまの地図帳 地図上の発想トレーニング19題

2021-06-23 20:14:47 | エッセイ
 地図・地理と向きあうというコンセプトから思いついた発想・頭の整理法に関して語ったエッセイ。
 自分の頭の中にある「使い物にならなさそうな考え」を年末大掃除のように取り出し眺めていると最初は今考えないといけないアイディアや発想とは何の関係もなくガラクタばかりに見えるが「そんな中から少なからず『これは使えるかもしれない』と感じるものが見つかったりします。」(98ページ)。セレンディピティは単なる「偶然による発見」ではなくて、意識して感受性や理解のしかたにおいてふだんと違う立場に立つようにすることでどこかで従来の自分の予感とぶつかるときが来る、そういうことでいいアイディアが浮かんでくる(194~195ページ)というあたりは、なるほどねと思います。あくまでもそれがうまくいくこともある、そう務めることでよりよいアイディアに至る機会が増えるだろうというレベルの心がけ、ではありますが。
 インドネシアとアメリカ(アラスカを除く)の東西方向の距離はインドネシアの方が大きい(146ページ:メルカトル図法の地図で見てもそうなんですね)という指摘は、地図レベルで、確かに意外でした。
 著者が訪れたことがある都道府県を塗りつぶした地図が245ページに掲載されているのですが、22都道府県止まりって…30代の博報堂のコピーライターって意外に出不精?私は、30代前半までには47都道府県ひととおり行っていたはずですけど。先日見た映画「ザ・ファブル 殺さない殺し屋」で、ジャッカル富岡は、栃木県出身の女性を口説くのにあなたと交際できれば47都道府県出身の女性との交際を達成できると言い、OKをもらって、「コンプリート!」って言ってましたけど。


下東史明 朝日出版社 2012年7月25日発行
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「恐怖」のパラドックス 安心感への執着が恐怖心を生む

2021-06-22 19:16:59 | 人文・社会科学系
 臨床心理士である著者が、多くの患者との臨床(セラピー)経験から、私たちの自由を抑制し、幸福感を失わせ、自己実現の能力を失わせるなどして、人生の膨大な部分を無駄にしている恐怖心が、何故私達の心を支配するのか、うまく折り合える方法はないのかを論じた本。
 恐怖の根源を闇に対する恐怖に求め、捕食者が潜んでいる危険が高い闇を恐怖する(忌避する)ことは、毒物を臭いその他の特徴から嫌悪することと同じように生存上有利であり、そのような特徴を生得的に持つものが子孫を残す結果、人類のDNAにそのような特徴が組み込まれてきたことの説明は説得的に思えます。その闇に潜む目に見えないものを、人類は、他の動物のように嗅覚を発達させることで感知できるようにするのではなく、危険を予測し脅威を予見する想像力により対応することとなり、さまざまな可能性を検討し未来を予測するという能力を得たという説明は、少し疑問を残すように思われますが、なかなかに面白い議論かなと思いました。
 その後の、ヨーロッパ中世のキリスト教会支配下の暗黒時代の話は、私には、生得的なものといえるほどの自然淘汰があったかには疑問に思え、社会的文化的環境の要因からの影響なのではないかと思えて、種としての人類史レベルの話とつなげて論じられることにはやや違和感を持ちました。
 そして、人間は、未熟な状態で生まれ、親から脅威判断を学習する、「すなわち幼児期や児童期における安心は私たちの生来の恐怖に頼るだけでなく、私たちの庇護者がこれまでに学んだ恐怖の経験にも依存する」(105~106ページ)、この脅威評価の柔軟さは種としての生き残りに有益であったが、養育者の人生のトラウマによってゆがめられやすいという弱みでもあるという説明は、「三つ子の魂百まで」がどこまで人生を規定するかという問題を含みつつも、なるほどと思いました。
 恐怖心を解決(克服)しようとする人間の心理は、暗闇を根絶するか、あるいは目が見えなくなるほど光を強くすることを求めがち、言い換えれば恐怖心から愛するすべてのものを破壊する危険を冒すか自分たちの崩壊を招くまで想像を抑え込むかとなりがちだが、著者としては第3の道、恐怖に対する応答が愛する人々に役立つような方向に道徳的に導かれた想像であり、自分の心や他人に対して疑いではなく信頼を持てるような道へと、最も恐れる精神的苦痛(過去のトラウマ)に敢えて飛び込み十分に時間をかけてそこに止まる中で回復の道をなんとか見いだしてゆくということを求めていて、観念的にはなんとなくの納得感を持つのですが、そこは著者が数々の臨床経験を踏まえて見ている世界と門外漢の私が想像する世界は違うはずなので、なおフラストレーションが残りました。


原題:The Fear Paradox
フランク・ファラング 監訳:清水寛之、井上智義 訳:松矢英晶
ニュートンプレス 2021年4月15日発行(原書は2020年)
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保健室から見える親が知らない子どもたち

2021-06-21 18:54:25 | 実用書・ビジネス書
 養護教諭を25年務め、その後教育コンサルタントとなった著者の経験から、問題行動を繰り返す子どもや保健室を度々訪れる子どもたちの悩み・相談に対して、教師や親がどういう対応をしてはいけないか、どう対応すべきかを論じた本。
 タイトルからは、保健室を訪れる子どもたちの悩みの内容が紹介されている本のように見えますが、子どもの側では、そこよりも大人たちの言動、特に問題点を指摘し、叱責し、指導したり反省を求めたりするそのやり方を子どもがどう受け止めることが多いか、そしてそのようなやり方がいかにまずいか、無意味かの指摘が繰り返されています。
 基本的には、よくない自分、好きになれない自分も、それは自分の一面として受け止め、失敗や問題行動は「そうしてしまった自分」ではなくその行動の問題と受け止めて、どうすれば次はもっとよくできるかを自分で考えさせ、試行錯誤させる、過去に注目し続けるよりは未来においてどうなりたいか、どうなっていたいかから、逆算してそのためには今何をするかを考えていくことが勧められています。
 子どもの話を聞くときに、自分(大人)の評価・意見を挟まないで、①実際にあったこと、見たこと、聞いたことは何か(事実)、②そのときにどんな気持ちになったか(感情)、③どうしてそんな気持ちになったか(感情の理由)、④その気持ちになりどんな反応(行動)をしたか(反応)、⑤その結果どうなったか(反応の結果)、⑥本当はこうしたかったということはあったか(本当の気持ち)、⑦次に同じような状況になったときに今回とは違うことをするとしたらどういうことができるか(選択)に分けて丁寧に聞いてみてくださいと書かれています(182~183ページ)。聞く側が冷静さを保ち根気よく聞くということ自体がなかなか難しく、大人の側がクールダウンするためにも、項目分けして聞き続けるという方法論は有効かなと思いました。


桑原朱美 青春出版社 2021年2月25日発行
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