伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年に続き2023年も目標達成!

2023-10-07 00:09:44 | 戯曲
 妻に先立たれて生きる意欲をなくした78歳の健康体の男性が安らかな死を希望して医師にペントバルビタール剤の致死量処方を求めているという設定で、医師はそれに応じるべきかという問題について公開の場で論じるという劇の戯曲。
 倫理委員会の委員長の司会の下、医師による自死幇助に反対の意見を持つ委員と自死を求めている本人とその依頼を受けた弁護士が、参考人として招かれた憲法学の教授、医師会の役員、司教に対して質問・討論をする形で、法律、医学、神学の観点からの問題点が整理して示されるという構成です。
 著者( F.v.シーラッハ)は、「テロ」(2015年)で緊急避難(より多数の被害を避けるための加害)について論じている(それについて、私のサイト「モバイル新館」で「『テロ』( F.v.シーラッハ)を題材に刑事裁判を考える」というブログ記事を書きました)際と同様、シンプルで力強い問題提起をしています。同種の問題提起をしている本は数多あり、情報量は専門家が書いた本の方が多いのですが、構成の妙というか、より心に残るというか、考えさせられるように思えます。
 ただ、普遍的なテーマが論じられてはいるのですが、当然にドイツでの事情が前提となっており、相当に事情が異なる日本では、ここで論じられていることがそのままには当てはまらず、そこで入り込みにくいところがあります。


原題:GOTT
フェルディナント・フォン・シーラッハ 訳:酒寄進一
東京創元社 2023年9月8日発行(原書は2020年)

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テロ

2016-10-31 21:47:09 | 戯曲
 ベルリン発ミュンヘン行きの164人の乗客を乗せた航空機がハイジャックされテロリストは7万人の観客が観戦中のサッカースタジアムに墜落させると機長に通告し空軍機が飛行進路妨害をしても警告射撃をしても反応しなかったため空軍機パイロットの少佐が「いま、撃墜しなければ数万人が死ぬ」と叫び航空機を撃墜したという事件について、被告人は有罪か無罪かを問う裁判劇の戯曲。
 裁判劇の形ですが、7万人の観客の命を救うためならば164人の命を犠牲にしてよいかという観念的/哲学的な命題の論争を目的とする本です。
 日本の刑法第37条には、このような場合に少佐の行為を正当化する「緊急避難」の規定(危害にさらされた人等を守るためにやむを得ず別の人に危害を与えることになってもそれを罰しないという規定)があり、弁護士にとって実定法上は(哲学的/倫理的には別として)あまり悩まずに答えを出せるのですが、ドイツでは近親者のための緊急避難の規定はあっても見知らぬ他人のための緊急避難の規定はないそうで(日本の刑法はドイツから受け継いだもののはずで、少しびっくりしました)、そこらから悩ましい問題提起のようです。
 弁護士の眼には、現実の裁判での感覚とは違う観念的な議論に聞こえ、問題の立て方自体が、実務的でないように思えました。
 そこは、私のサイトのモバイル新館で記事にすることにしました。→「テロ」( F.v.シーラッハ)を題材に刑事裁判を考える



原題:TERROR
フェルディナント・フォン・シーラッハ 訳:酒寄進一
東京創元社 2016年7月15日発行(単行本は2015年)
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私が売られた日

2006-08-11 04:05:56 | 戯曲
 1859年にアメリカ南部ジョージア州で行われた史上最大の奴隷市を題材に、家族と引き裂かれて売られる奴隷の悲劇と、逃走を助ける白人、逃走をめぐる葛藤、逃走して自由を得た黒人の生き様を描いた戯曲です。
 ストーリーは12歳で両親と離ればなれにされて売られる少女エマを中心に進行しますが、さまざまな人の同時的な語りと回想で進められますので、物語は重層的になります。

 エマが売られるシーンにはつい涙ぐんでしまいますし、淡々と逃走を決意し実行するエマの姿、白人の中でも本当の愛情をかけてくれた人の恩を忘れない様子などに共感します。

 開明派の白人農場主に「奴隷制度があってニガーはどんなによかったことか。だいいちやつらが文明的になれたのも奴隷制度のおかげじゃないか。」(62頁)「2人がどうして私を裏切れたのか、いまでもわかりません。いじわるな扱いなんてこれっぽっちもしませんでしたよ。食事だってたっぷり与えました。こづかい稼ぎの仕事もさせてやったし、奴隷には一人残らず菜園まで持たせてやりました。なのに、あんなひどい仕打ちをわたしに返したんです。ええ、すぐに手を打ちましたとも。ほかの奴隷たちまで逃げ出すのをだまって待つようなバカな真似なんかできません。もう奴隷たちの言葉など信じられませんでしたからね。わたしは、隣のジェイク・ベンドルさんにそっくり売ってしまったんです。あの人はわたしみたいに奴隷を甘やかしません。」(178~179頁)「乗った舟があの日の大雨で沈んでしまい、あの5人も、あの5人を逃がそうとしたニガーびいきの白人も、一人残らず溺れ死んでいたらいいって、何度も思ったものです。」(180頁)と言わせてみたり、黒人奴隷に「わしらニガーには奴隷の暮らしがどんなにありがたいもんか、こいつにはわかっちゃいない。めんどうを見てくれる白人がいなかったら、わしらはどこにいけばいい?」(125~126頁)と言わせてみたり、問題提起しています。
 売られた奴隷たちに餞別として恩着せがましく1ドル銀貨を渡す開明派農場主に対して、一緒に売られたジョーは無視し、エマは受け取らずに農場主をにらみ続けます(119~120頁)。
 ジョーからの求婚を、結婚して子どもができたらいつかどこかに売られてしまう、奴隷になると決まった子供を産むのはイヤと拒否していたエマが、そういう時代と葛藤の中で、ジョーから一緒に逃げようと言われてあっさりと逃走を決意する(148~154頁)姿はすがすがしささえ感じます。

 そのエマがおばあさんになってからの回想で物語は幕を閉じるのですが、最後にエマが「この世でいちばん大切なのは優しい心を持つことだよ。だれかが苦しんでいるのを見て、もしあまえの心が痛んだら、それはね、おまえが優しい心を持っているってことなんだよ。」(216頁)と語るのが心にしみます。
 戯曲で短めですので、アピールもストレートですが、それだけ力強く感じます。舞台でも見てみたいと思います。


原題:DAY OF TEARS
ジュリアス・レスター 訳:金利光
あすなろ書房 2006年7月30日発行 (原書は2005年)
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