★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

出張

2017-02-01 23:19:52 | 大学


して疲れただけ。ニホンザルのボスざるに似てるとか、「ばっくつーざふゅーちゃー」のタネンに似ているとか、いろいろからかわれているトランプであるが、油断してはならないのは、そこらの日本の田舎にいる猿の方も、礼儀を知らんやつを怒ってるうちに自分も礼儀を忘れたり、日本語を忘れたり、自分の矮小さだけには無頓着だったり、小さい山に登って満足し理念は正しいのでその実質化だとか言いつづけたり、まさに×並みなので注意が必要である。誰でも確かにこうなる可能性はあるのであるが、坂口安吾の「堕落論」みたく、みんな生きるために何かに頼ってる式の一般化をわたくしがしたくないのは、やっぱり猿と人間は違うと思うからである。人間は頼るといっても、その頼り方は長編小説並みに複雑であるから、動物的に人間を理解する時の危険性は覚悟しておかなくてはならない。多分例外は、喧嘩をしている時である。すぐに何かに頼らないと拳が出ないから……。


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