木澤佐登志氏の『ニック・ランドと新反動主義』を読む。触れられているのは、オルタナ右翼の起源であるが、我々についても考えてみたいものである。
映画『エイプリルフールズ』を録画で見て、それなりに面白かったのであるが、――我々は、少しの嘘が多少の幸福に繋がることを案外自明の理として生きているのではないか。そりゃ、そういうことはあるかもしれない。しかし、世の中には思想や政治があるのではないか?どうも映画は、非常に穏便にではあるが、フェイクを許している気がしたのである。
そういう意味で、「フェイクニュース」という批判をするときに起こる自ら自身の虚構感による気分的な上昇は、日本では、この映画に見られるような、少しの思いやりの嘘、にも見られる気分であるように思われる。
といっても、わたくしは「加速主義」とか聞いても、「加速ソーチっ」ぐらいしか思い浮かばないていたらくなので、講義のためにも勉強しておこうと思う。とりあえず確かなのは、日本で「加速していかねば」とか言うてるやつはニーチェも欲望機械も知らぬおたんちん(のろま)にすぎない、ということだ。