★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

モンティーニュのように

2018-01-09 23:42:09 | 思想


今日は、演習の授業である批評家の「モンティーニュのように」という文章を扱った。「エセー」のような文章を書くのが大変なことだというのは、すぐ理解できるようで、これまたすぐ忘れがちなことである。しかしこれを忘れたらわれわれは人文学から単なる知識の整理係にみたいなものに変化しはじめたと言っていいのではなかろうか。確かに、この悠々たるテンポは彼が仕事を若い頃に辞めて隠居したことと関係があるに違いないと想像されるけれども、そうでもしなければ、宗教戦争のさなか、考えることは出来なかったのも事実のような気がする。これに比べると、日本の随筆文学は鋭さを殊更誇ろうとしてかっこをつけすぎている気がしてくる。これは、――多分そうだと思うんだけども、日本では、平安時代から随筆的なもので「政治」を行っているからだ。まったく耳が痛い。