★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

白鵬優勝おめでとうございます。

2016-03-29 14:14:45 | ニュース


永井龍男の「出口入口」という短編小説があるが、これが私にとっては読後感最悪であって、ほんと日本社会はしょうもないなという感じがする。「星のない奴が、女将になってみろ、位負けしてころりとやられてしまう、人間万事そういうもんだ」と、致命的なミスを犯した――(という風に私は思わないが)常務の靴を間違えて履いてきてしまった男が酔っ払って言う。この男、靴札の9と6を間違えてしまったのであった。この男がうかつだったのはそれはそうだが、何がうかつかと言えば、靴は同じくイタリー製なのだとか、9と6を間違えたりとか、星とか位とか、とにかく話が呪術社会みたいなそれなのだ。

最後に間違えた靴をタクシーから放り投げる男にも疑問がある。人の靴だろうと何だろうと、タクシーから降りたらどうするつもりなのだ。

自分の身体も合理性も、その呪術のなかでは効力を失う。

私は、日本社会を動かしていると言われるところの――「空気」という言い方は、やや命名が甘いとおもう。空気を読むなどという高級な能力ではなく、たぶん、物に意味が固着するとそこから離れられなくなる幼児性なのである。

わたくしは、幼児の時、グレートマジンガーのプラスチックの人形と離れられなくて、外出を嫌がった。いまでもその感情を憶えている。私にとって、それはグレートマジンガー以外の意味がない、トーテムであっただろう。

横綱白鵬は、横綱であろう。しかし、別に彼がいろいろな技を繰り出すのはいいではないか。押してだめなら引いてみな、というし。うだうだ文句言ってんじゃないよ、別にええやないか。だいたい、相撲を経験してみりゃわかるが、変化するというのは結構難しいぞ……

天皇制もそうだが、横綱も実在が確認されていないのが最初に何人かいる。しかも最初に実在が確認されている谷風なんか

「1790年に入ったころ15歳程度だった妾が取り成さないと稽古場にも下りなかったという事実が数々の古典や文献などに記されている。三木貞一の随筆によれば、ある時既に横綱を免許されていた谷風は弟子のことで「撲ち殺してやる」と言い放つほど激昂しており他の多くの弟子が詫びを入れても聞き入れずますます腹を立てていたところ、弟子の一人が当時17歳だった谷風の妾を騒動の現場まで駆けつけて楼上に上がったまま降りてこない谷風を宥めたことであっさり事が治まったとされている。」(ウィキペディア)

はいはい、品格品格……。たぶん、日本における品格とは、いまだに不倫はだめだけど妾はよし、横綱の引き落としや猫騙しはだめでも外人差別はよし、とかいうレベルなのである。

だいたい、体育系なんつーのは、性格はほぼジャイアンか岩鬼だろうが……というのは極端だとしても、エッセンスの一部にそういうものがあることは否定できまい。それは別に悪いこととは限らないのである。スネ夫とかのび太の根性のひん曲がり具合の方もプラス面マイナス面があるのである。問題は、のび太が最下層の劣等生であることや、ジャイアンが弱い物いじめの好きな馬鹿であることを隠蔽することである。