★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

冒險ダン吉のポストコロニアル的……

2015-10-17 23:10:31 | 漫画など


昭和九年版の復刻。読んでみたが、やっぱり面白くはない。ダン吉が芥川龍之介の「桃太郎」よりも純情な植民地主義者だから面白くないのではない。鼠を家来に、どこかの黒人たちを「蛮公」と呼んで番号(マイナンバー!)を振って国民化をはかり、軍隊を組織し、インフラを整備し、「じゃがいも」と呼ばれる海賊(これは白人か?)をやっつけ、様々な失敗をしながら「蛮公」たちに尊敬されている「白んぼ」(!)のダン吉は、まあ当時の国策の漫画化であり……ポストコロニアルの観点からして……。と言いたいところだが、それにしてはあまりに話が脳天気すぎ、幼稚である。大日本帝国にしてもこんな幼稚ではない。ポストコロニアルな観点に立つ学徒は、こんなものを相手にしていると、本丸を見失う。

ダン吉は、鼠としゃべくりながら釣りをしていたところ、居眠りをしてしまい(←だめだこりゃ)、その間に南国に着いていたらしい(どこだよ……)のであるが……、この設定からして、たぶんこの後の話はダン吉の夢か、あるいは鼠がしゃべれることからして最初から夢であろう。だいたい、ダン吉はまだたぶん小学校低学年の男の子だろう……。こんなやつに「蛮公」たちが負ける可能性は、実際のところ完全に0である。

このダン吉の物語に対して、昔の日本人の気概はすごいとか言いたい人がいるであろうが、まさかこんな「少年の夢」の思想で、戦争や植民地支配をやっていたとしたら、そりゃ負けるわ……。

負けて良かった。そのために、「冒険ダン吉」は、「モスラ」や「あやうしズッコケ探検隊」、あるいは「みどりのマキバオー」に変形して子どもたちを熱狂させている。よかったよかった。

附記)ダン吉、久しぶりに手紙がきたので嬉しいやら懐かしいやらで、読んでみると「白ン坊のくせに生意気だぞ。俺の家来になれ」という、隣国の王様からの手紙であった。怒ったダン吉であるが、鼠に相談すると、鼠も怒っている。で、「蛮公」たちに招集をかけてみると「何しろ戦争好きの蛮公たちです。それを聞くと大喜び、命令はそれからそれへと伝わり、島を挙げての大さわぎとなりました」。よく分からんが、丸山眞男に無責任のなんちゃらとまた怒られそうな感じである。絵の部分でも「隣国をやっつけろ」「戦争を始めろ」と言ったのは、「蛮公」たちなのである。「蛮公」たちは、ダン吉が「けしからん」と言って手紙を掲げているだけなのに、勝手に命令を受け取り、大喜びなのだ。さすがに「蛮公」だけのことはある。