新・ボヤッキーでトンズラーな日記

そこいら辺にいる普通のオッサンです。日々気にくわない事や腹が立ったことをつぶやいています。

カウントダウン間近?

2006-11-30 02:06:09 | 政治経済
宮崎談合事件、遂に出納長にまで捜査の手が及んできたようです。

と言うか、ラジオであるアナウンサーが、「(一昨日の県議会か何かの時)知事の横にいた出納長がもの凄く落ち着きが無く、終始ソワソワしどうしで、何か様子がおかしかった」って言ってたんで、おそらく「次は自分に違いない」、ってのは本人も判ってたんでしょうな。

ところで、この出納長の名前「江藤隆」って言うんですね。
宮崎県県北出身で元国会議員だった江藤隆美氏と一字違うだけなんですが、もしかして弟か親戚なのかな?
この件で江藤隆美氏若しくは息子の拓氏も思わぬ影響受けてしまったりして(^^;)。

そういえば、この江藤氏もかなり金にはウルサイオッサンでしたからねぇ…。
あんなに長く国会議員やっていたのに、金集める事ばっかり一生懸命で、結局任期中に県北地域が待ち望んでいた東九州自動車道一つ造ることが出来ませんでした。
そのくせやたらと偉そうにしてて、役職に就く度に失言しまくって罷免されたり、宮崎で開発が勧められていたリニアモーターカーもある程度の目処がついた途端ちゃっかり山梨に持って行かれちゃうし、って感じで全然県の役に立ってなかったし、噂によると自民党内でもかなり鬱陶しがられてたんだとか。

あ、そういえば自分が「引退」してその地盤を息子が丸々引き継いだ時、記者に「世襲制ではないか?と非難の声もありますが?」と聞かれたら「世襲とは何事だ!」って逆ギレした事もありました。
あれが世襲でなくてなんだってんでしょうね(--;)。

さて、出納長がほぼ逮捕された事で、当初「捜査の進展を様子見」と言う、とっても消極的だった県議会もようやく重い腰を上げて「辞職勧告」を突きつけたのですが、安藤知事は断固拒否だそうです。
そりゃあ、以前からなりたくてなりたくてたまらなかった知事にやっとなれたんですし、今辞めたら「知事を辞めたらただの人」どころか「犯罪者」ですからねぇ。

あ、そういえば最近ちょっと小耳に挟んだ話などを一つ。

宮崎も12月1日からデジタル放送が始まるんですけど、殆どの地域が1年以内にデジタル電波が流れるようになっているのに、なぜか一部地域だけ2年後以降対応になってるんです。
で、どうもその地域は「かつて知事選の時、安藤知事の対抗馬を支持した地域」らしく、「他地域よりもデジタル化が遅れるのは安藤知事の指示」なんだとか。

小さい!

判ってはいたけど、なんて肝っ玉の小さいオッサンなんだ (つД`)

何か、こんなのが知事してるってのが県民としてとっても恥ずかしいよ…。
と言うわけで、容疑が固まっているのなら、当局もとっとと逮捕してください。
その方が県民も少しは安心するってモンですよ。

でも、もし逮捕されずそのまま知事続けられたら…イヤだなぁ。
まあ、来年は知事選があるので、その時にハッキリするでしょうけど。


追記
ところで、googleで「江藤隆美」って検索すると日本語サイトが殆どヒットしないんですけど、もしかしてどっかからの圧力で“規制”されているのかな?
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視力回復手術

2006-11-26 23:54:00 | 雑記
祝4周年!

何か最近やたら祝!が多い気がしますが、視力回復手術(LASIK)をして今日でちょうど4年が経ったんです
今では自分がかつてメガネを掛けていた、って事すら忘れてしまってます(^^)。

その視力回復手術を受ける事になったきっかけは、たまたま休日にテレビを見ているとプロゴルファーの西川哲氏がこの手術を受ける、と言う特番をやっていたんです。

私は以前からこの手術の事は知ってはいたのですが、ウチの両親がこの特集に感心したらしく「本当にこんなに視力が回復するんだったら、これからの事もあるからお前も受けてみろ」と言いだし、後はトントン拍子に進んで手術をする事になった、ってわけです。

とは言え、最初はどこの病院で手術するか?で随分迷ったのですが、最終的にはテレビで紹介されていた東京の病院に決めました。

ちなみにその病院は東京八重洲クリニックと言います。
東京駅から歩いて5分程なので便利ですよ。
しかもすぐ近くにポケモンセンターもあったりします。

この病院にしたのは、やっぱりこういった手術を数多くこなしている医者の方が腕も確かだろうし、東京方面だったらどこでも電車で行けるし土地勘もあるし、何より秋葉原に行きたかったから、ってのも(両親には内緒ですが)大きな理由でしたが(^^;)

早速ネットでその病院のサイトを探し、手術に関する資料を取り寄せてみると「手術が出来るかどうかの事前検査とその後の手術を含めても半日も掛からず、従来の方式と違って痛みも危険性も殆ど無く、入院もせずその日に帰る事が出来ます」と書いてあり、更に今は普及キャンペーン中で手術代が割り引き!

ここまで条件が揃っていればやらない手はないので、即予約しちゃいました。

でも手術前日の晩は目を手術する、って事でさすがに不安いっぱいになって「もし失敗して失明したらどうしよう」って事が頭の中を巡りまくって、殆ど眠れませんでした。
実際の所、万が一手術が失敗したとしても失明する事なんて全く無いんですけどね(^^;)。

で、手術当日。
まずは正確な視力検査から、深度※、眼圧、角膜の厚み具合の検査等々、全部で30分も無かったかな?
それから、それらの資料を元に、最終的に手術可能かどうかを先生に直接診てもらって判断してもらいました。
何でも、角膜があまりにも薄い人や眼圧の高い人はこの手術を受けられないんだそうです

前日に寝不足だったから眼圧が高いんじゃないだろうか?と内心ドキドキしていたのですが、私の場合は全く問題が無いどころか、普通の人よりも角膜が厚めだから2~3回やっても大丈夫なんだとか…それって喜んで良いのか?

そういえば以前別の医者で「君の骨は普通の人よりも太いねえ」と言われた事もあったっけ。
我ながらつくづく規格外の体をしてるものだ。

そうして検査の結果も良好だったので、今度はそのまま即手術をする事に!

いやあ、準備が整うまで応接室で待っていたのですが、この時はもうドッキドキがピーク状態!
何せ肝っ玉が小さいから(^^;)。

言われた時間になったので、控え室で無菌室に入るような服と帽子を被り、スリッパも特別な物に履き替え(手術室にホコリが入らないように)手術室に入ると、手術用ベッドとそれらを囲んでいる器具類を見て思わずショッカーの改造ルームを思い出してしまいました。
ショッカーって所が如何にも歳を感じさせますなぁ。

そのまま先生の指定通りに横たわると、再度手術の段取りの説明が始まりました。
段取りを簡単に説明すると次の通りです。


・まず手術が始まったら、目の前に見える赤い点の中心部分だけを見つめておくように
・麻酔を掛けて、器具で眼球を固定し自動カンナで角膜周辺を切り取って角膜をめくると視力がボ~ッとするけど、その間も赤い点だけを見つめておくように
・レーザーが角膜を焼いている時にチリチリと言う音がしたりちょっとタンパク質が焦げるようなニオイがするけど、全く問題ないので気にしないように
・こちらから「動いても良いです」と言うまで絶対に動かない事


正直「焦げるようなニオイ」ってのがちょっと気にはなりましたが、ここまで来て逃げるわけにもいきませんから「ハイ、ハイ」と素直に返事しておきました。


そして手術開始!

最初点眼麻酔を掛けられた時はそうでもなかったのですが、眼球固定用器具を目に取り付けられた時はさすがにビックリしましたねえ。
器具を取付けた後、先生が更に何かを取り付けて、それが「ウィィィン」って音がして、先生が「はい、めくります」と言って、目の横から黒い物が出てきたな、と思った途端、いきなり全てがぼんやりとしか見えなくなったんです。
この「ウィィィン」ってのが角膜周辺をグルッと切り取る自動カンナ(但してっぺん部分は切り取ってません)で、その後すぐに先生が角膜をめくったので、一時的に視力が低下したわけです。

でもこの間も痛みは全然ありませんでした。

それからレーザー照射が始まったのですが、これも痛みは全く無く、時折目に光らしきものが当たっているかな?と感じる程度。
そして、先ほど先生が説明した通り、時折「チリチリ」と角膜が焼ける音と、タンパク質が焦げたニオイがしてきました
何か変なニオイでした。

でもその間も全然痛みが無いので、前日の寝不足もたたって、手術中もの凄く眠くなってきてしまってそっちを我満する方が大変でした。
まあ、目をつぶる事が出来ないので眠れないんですけどね(*’-^)‐☆。

そうこうしているウチにレーザー照射が終わったみたいで、再び先生が近寄ってきて角膜を元に戻し、器具を全て外して手術終了!

結局手術に掛かった時間は10~15分位で、実にアッサリと終わってしまいました。
最近の技術はやっぱりスゴイです。

それから

・今日は絶対にお風呂に入らない事
・もし入りたかったら首から下だけを洗う事
・絶対に目を触らない事
・後で渡す目薬を3時間おきに指す事
・もし目が痛くなってきた時は痛み止めを飲む事
・特殊なメガネを渡すから、今から一週間は寝る時も外さない事
・しばらくの間は近くの物が見えづらいけど、これは自然に治るから気にしない事


などの注意事項を受け、今日はそのまま帰って、明日又検査に来るように、と言われたので、お金を払ってホテルに帰る事に。
でもそのまますぐに帰るのも面白くないんで、わざわざ山手線を逆方向に帰って、どれだけ見えるようになったのかを確かめてみました。

すると、今までメガネを掛けないと見えなかった遠くの看板などが、少しぼんやりしているけど読めるようになったんです!
いやあ、これには感動しましたねぇ。
あんまり目を使わないように、とは言われてたんですけど、もう見えるのが楽しくて仕方がありませんでした。

そして次の日、再度検査に行くと角膜のズレもなくキチンとくっついているので問題は無し
ただし角膜がとりあえずくっつくまで最低でも一週間は掛かるから、絶対に目をこすったり洗ったりしないように!と念を押されました。
その時に「車の運転も控えるように」と言われていたのですが、実は空港まで車で来てたので、手術後二日目でいきなり車運転してましたが(^^;)。

更に一ヶ月後、三ヶ月後、一年後と検査の為上京したのですが、角膜の切り取った部分が見事な位くっついていて、おそらく検査しても手術したって事が判らないだろう、と先生が驚いてました。

あ、そうそう。最終的にどれだけ視力が回復したのかを書いてませんでした。
手術前は右が0.1、左が0.3だったのですが、手術後は右が1.5 左が2.0まで回復しました。
右の方が若干低いのは、乱視が酷かったので今回の手術では完全に矯正出来なかったからなんです。
矯正しようとすれば角膜が完全にくっついた後で別の手術をする事になるのですが、これが角膜に直接切り込みを入れると言う従来の方式なので、手術中も結構痛い上に一ヶ月くらいは痛みが残るそうなので、いまだに受ける気が起きません。
それに以前の状態に比べたら月とスッポンですから、そんなに不便も感じてませんし。

又、別の効能として偏頭痛と肩凝りの回数が格段に減りました
上記の通り、私は左右の視力に結構差があったので、メガネでは矯正出来ず、結局両方の視力の中間部分で調整してもらってたのですが、目にかなり負担を掛けてたらしく、それが偏頭痛や肩凝りの原因だったみたいです。

ですから、もし近眼でそういった症状に悩まされている人は、視力回復手術をすると治るかも?

と言うわけで、4年経った現在も全く問題はありませんし、趣味で集めていたサングラスも全部掛けられるようになってもう良いことだらけです。
(何か怪しげな通販とかの宣伝みたいですな)

特に深夜、夜空を見上げて星座がちゃんと確認出来る様になった時は、改めて自分の目で直接星が見られるようになった事に感動してしまって、涙が出てきそうになりましたよ

しかし、ネックなのはやっぱり費用でしょうね。
病院によってバラツキがあるのですが、両目で大体50~60万円位掛かってしまうんです。
日本ではいまだに視力矯正は「治療」とは認められず「美容整形」と同じ扱いなので、保険等が一切きかない為こんな金額になってしまうんです。
外国では視力矯正手術もちゃんと「治療」と認められているのに…。

手術代が安くなれば皆もっと簡単に受けられて、近視や乱視で悩んでいる人達が大勢助かるってのに。
まあ、「前例がない」事にはなかなか許可を与えないのは日本の医療界の常ではありますが、日本医師会には是非とも前向きに検討してもらいたいものです。

とは言え、こういった事が話題にすらなった事がないので、当面は無理でしょうが(^^;)



※ 移動物体に対して正確にピントが合っているかどうかの検査。大型免許を持っている人が免許更新の際に受けるヤツです。
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風邪は治ったけれど…

2006-11-24 02:05:04 | 雑記
まだ時々変な寒気はするんですが、だいぶ風邪も治ってきたのですが、今度はなぜか古傷の右腕のしびれが(^^;)
どうも尿管結石で右脇腹が痛かった時、体のアチコチに変な力を入れていたせいで肩が凝ったみたいで、その影響のようなのですが。
おかげでここ数日、キーボードが上手く打てません。

この右腕が痺れるようになった原因は今を去ること十数年前。
友人達とスノボーに行った時、皆が滑りまくってアイスバーン状になっている場所でもの凄い勢いで転んでしまって、頭を思いっきり強打したんです。
何せ、痛すぎてしばらくその場にうずくまっていた程でしたから(^-^;)。
しかし痛みはすぐに引いたし、その時は別段何ともなかったのでそのまま家に帰ったのですが、スキー場から帰って数日してから右肩がなぜか疼き始めたんです。
しかも右腕が肩から上に上がらなくなるし、右腕全体がしびれていて、物を掴んでも自分の腕で掴んでいないというか、手袋を何重にもして物を掴んでいるような感じがするようになったんです
特に腕相撲やPCでのキーボードを打つ体勢が腕に一番力が入らなくて、それまで多少は力自慢だったのに、このせいで腕相撲が出来なくなってしまいました(つД`)

医者とか整骨院に行ったりもしたのですが、ドコに行っても「異常なし」なので、半分諦めてそのままにしてたんですね。

その後も年に数回もの凄く痛みが走る事があったのですけど、5年ほど前、突然辛抱できないくらい痛みが!
あまりにも痛いので、ちょっと遠くにあるんですけど、以前ある人から聞いていた腰痛の治療などで評判の高いある病院に行ってみる事にしました。

そこでレントゲンなどを撮ってもらった結果、長年疑問だった右腕がしびれる原因がようやく判りました。

その原因とは頸椎の5番目の骨のズレ!

首の部分には骨が7つあるのですが、この5番目が通常位置よりも右の方にズレていて、それが腕の神経を圧迫していた為しびれなどが起こっていたんだそうです。
それの治療方法は「筋肉が骨を巻いてしまっているので、手術で開いて筋肉を解いて骨を正常の位置に戻すしかない」そうなのですが、手術をしたら最低三ヶ月は動けなくなるし、手術後も再発するかもしれないとも言われてしまい、結局手術はお断りしてきました。

そんなわけで、右腕のしびれとは今でも付き合っているわけです。
以前、腕の良い整体師に“治療”してもらった時は1年程全く痛みがなかったので、又やってもらえば良いのですが、コイツが遠くにいるし、気まぐれの面倒くさがりなのでなかなか治療してくれないんですよねぇ。

私の甥っ子ですが(^^;)

いつか嫌がらせも兼ねてコイツのいる職場に行って堂々と“治療”してもらおうかな…。
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悪の栄えたためし無し!

2006-11-20 03:19:52 | 政治経済
タイトルの言葉と言い「正義は必ず勝つ」と言い、最近ではアニメでさえ死語になりつつありますな。
ただし、アニメの場合はTV局や某電○の要請でワザとそういったアニメを作っている、と言う噂もチラホラと…。


さて話は変わって、なぜそんなタイトルにしたのか?と言いますと、福島知事、和歌山知事に次いで、遂に宮崎県知事にも談合疑惑が!
まあ、正直県民の大半は「やっぱりなぁ」と今更感が漂っている事でしょうが。

他県の人にちょっと説明すると、この安藤知事、当選直後からある業者に対して「当選したら優遇する」と言う念書を名刺の裏に書いた「名刺念書事件」が発覚。
当人は「あれは無理矢理書かされたもの。あれを書かないと帰してもらえない雰囲気だった」と主張し、結局証拠不十分と言う事もあって県議会も含めて有耶無耶にしてしまったのですが、県民の間に疑惑のタネはしっかりと根を下ろしていました。

そして今年になって後援会が元幹部の一人になぜか5000万円を支払っていたのが発覚
しかもその5000万円、元幹部が知事に直接帰したにもかかわらず、知事は「金は後援会が勝手にやった事。受け取ったのが金だとは知らなかった」とすっとぼけていたんです。
紙袋に入れてあったかどうか知りませんが、受け取ったら中身を確認するのが普通でしょうに、あまりにも白々しい言い訳でした。

さすがにこれだけ続けば誰でも「怪しい」、「胡散臭い」と思うのは当然の事で、どうやらそれは検察の方も思ったらしく、早速問題の元幹部を別件逮捕したので「もしかすると知事にまで及ぶか?」と、とってもワクワクしてたひねくれ者は私です(^^;)。

と言うかこの安藤知事、知事選に出る前位からあんまり良くない話が聞こえてはいたんですよねぇ

例えば、私の知り合いが仕事上である人とトラブルになった事があったのですが、(話を聞いた限りは)相手が悪いにもかかわらず、当時県庁職員だった安藤氏がなぜかノコノコと出てきて(おそらく顔見知りだったんでしょう)「俺は県庁職員だぞ。部長だぞ。お前ら文句あるか(意訳)」といきなり威張り散らし、更に「俺に逆らったらお前らどうなるか判ってるんだろうな(意訳)」と脅しまでかけていったんだとか。
どこのヤクザだよ…(--;)。

こんな話を2,3聞いていたので「こんなのが知事になって大丈夫かいな?」とは思ってはいたんですが、当時は選択のしようが無かったんです。

当時、この安藤知事の対立候補がやはり元県庁職員の牧野氏だったんですが、彼は「松形知事の後継者」を謳ってたんです。
実はこの“後継者”が合否を大きく分けたと言っても過言ではありません。

どちらも元県職員なので立場的にそう大きな違いは無かったのですが、「松形知事の後継者」を名乗る牧野氏には土建関係や農協などの主な組織が「支援」を公表していたので「牧野氏断然有利!」と言われていたのに、蓋を開けてみれば安藤氏が当選。

県民の大半が前知事だった松形氏を嫌っていたのが良く判った結果でした(^^;)。

今でも憶えているのですが、選挙結果が出るまでは牧野氏の選挙事務所には溢れんばかりの人でひしめいていたのに、「安藤氏当確」の一報が報道され、その後すぐに牧野氏の事務所をテレビが映すと、何と見事な位スッカラカン!

沈没船から脱出するネズミ宜しく、「“敗者”を応援していたのがバレたら仕事が無くなる」事を危惧した土建関係者等が、テレビに顔が映る前にサッサと引き上げたんでしょうが、その“引き上げ方”は本当に見事の一言。

“当選確実”だったはずの牧野氏が、椅子が散乱して支援者が誰もいなくなった選挙事務所にポツンと立って、文字通り“ボーゼン”としていたのは今でも忘れられません。

又、噂では“当選確実”だった“後継者”牧野氏に、松形氏が“祝福の言葉”を掛けに行こうと車を走らせていたのですが、途中で「安藤氏当確」のニュースを聞いた途端クルッと回れ右をしてサッサと家に帰ってしまったとか
そりゃあ、行っても赤っ恥かくだけですからなぁ…。

ではなぜ「後継者」が問題になったのか?
これも他県の人には説明しなければ判らない話なのですが、まず宮崎は戦後知事になった人の数が60年間で6人(その内初代~3代までは全員1期だけ)と少ない事で一部では有名なんです。
特に次に上げる二人が長期政権を引いていて、前知事だった松形祐堯(すけたか)氏は1979年から2003年まで6期も努めるし(選挙も殆ど“無風状態”)、その前に知事を務めた黒木博氏も1959年から1979年と20年間知事を努めていた位です。

黒木氏も本当ならもっと努めるはずだったのに、’79年に汚職疑惑で辞職したのでその位の年数で済んでいたわけです。
その辞職する時も、旧林野庁出身で中央とのパイプを持つ松形氏をいわば黒木氏が後継者に指名した形で知事にしたので、実際は黒木氏の息の掛かっていた政権がずっと続いていたと言っても過言ではありません。
(当然、その時の県職員出身の安藤氏もその流れを組んでいると見られるわけです)

この二人も、黒木氏に関しては土建絡み(特に高速道路)での黒い噂が飛び交ってましたし、松形氏もシーガイア絡みで結構胡散臭い噂が多々あったのですが、中央とのコネが功を奏したのか、結局追求は一切なく“無事”任期を終え、6期分の退職金(確か2億円以上だったかな?)をゴッソリともらって悠々自適の生活をしているとか。
こんなのを見ているとタイトルの「悪の栄えたためし無し!」ってのがスッゴク虚しく感じてしまうのですが…。

又、松形氏はシーガイアを建てる為の広大な土地を確保する為、昔から海岸沿いに生えていた塩害防止の為の松林(国有林)を何千本と切り倒して、一部県民の間では「松切りすけたか」と陰口を叩かれていたものです(^^;)。

福島や和歌山のような3期くらいであれだけ“癒着”していたわけですから、その倍もやっていれば当然一部業者との“癒着”はたやすく想像がつくわけで、それら「一部の連中のみが儲かる講造」今日の宮崎の衰退を招いた、とも言われています。

なんか現在の日本の縮図そのままですな(--;)。

そんなわけで、私は現在例えセクハラで捕まった事があるエロオヤジだろうと、そのまんま東氏が知事選に立候補するのを期待しているんです


友人達に色々と話を聞いてみると、他の地域では景気は結構回復しつつあるってのに、宮崎にはその“余波”は今の所殆ど来てません。
いい加減、ここらで本気になってそういった“悪循環”を断ち切らないと、一向に貧乏から脱出出来ず、県自体が“破産”して「民事再生法の適用」を申請しなくちゃいけなくなっちゃいそうですから。

ま、そうなったら皆イヤでも変わらなくちゃいけませんから、それはそれで良いのかもしれません。
何せ宮崎県人ってのは変化を極端に嫌う性質なので、それくらいの“カンフル剤”が無いと自ら変わる事はかなり難しいでしょうから。
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う~、シンドイ…

2006-11-17 23:31:45 | 雑記
え~、なんかここ数日ミョ~にカウンターが上がっているんですが、どこかで紹介でもされたのかな?


さて、現在私は頭や背中は痛いわ、熱はあるわで体がボロボロ状態です(--;)

事の起こりは昨日の朝。
朝飯食って「さあ、今日はちょっと忙しいぞ!」と気合いを入れて仕事を始めた途端、なぜか急に胃と腸がシクシクしだしたんです。
「おや?」と思ってトイレに行ってみても別段ウンチも出ないので「おかしいなあ?」と悩みながらも仕事をし出すと、今度は右脇腹の背中側がジワジワと痛くなってくるではありませんか

実はこの痛み、丁度11年前にも同じような痛みを経験した事があったので「もしや…」とは思っていたのですが、「まさか、ねえ…」とそのまま仕事をしようとしたのですが、痛みがドンドン増してきて、ついには立っている事も出来ない程に
その上、顔から血の気がサーッと引いてくるのが自分でも判るほどで、「これはヤバイ!」と、ちょっと横になってはみたのですが、それでも痛みはドンドン増していくばかり。
「これは確実にアレだ!」と思って、そのまま慌てて近所の医者に飛び込み、診察してもらったのですが、やっぱりアレでした。

アレとは…尿管結石!

いや、この痛さはシャレにならないんですって!
11年前に初めてなった時は、あまりの痛さに身動き一つ出来ず、倒れたままの体勢で脂汗流しながら固まってた位です
そのまま30分程したら少し痛みが引いたので、即救急車を呼んでそのまま救急病院に運んでもらいましたよ。
救急車の中で症状を聞いた救急隊員は「ああ、それは命には別状無いよ」と笑ってましたが(^-^;)。
そういえば救急車に乗ったのって生まれて初めてだったなぁ…乗心地悪かったけど。

で、医者曰く「当面は治療のしようもない」そうで、とりあえず沢山水を飲んでドンドンおしっこをして石が出るのを待つしかないそうで、結局痛み止めだけしかくれませんでした。
自分の同級生ながら、もうちっとちゃんと見てから判断しろよなぁ。
以前なった時はちゃんとレントゲン取って、石の大きさを確認して痛み止めと利尿剤くれたぞ!
ちなみにその時の石の大きさはほぼ“米粒大”でした。


確か11年前の時は大体一週間位で“出た”記憶が。
オシッコしてたら、“流れ”が一瞬途切れて、その後「チンチロリーン」って音がしたんだよなぁ…。

今回も早く出てくれないものですかねぇ。
いまだに脇腹背中付近(要は腎臓のある場所)がズキズキするし。
尚、昨日はあまりの痛さに数時間の間は七顚八倒してました ○| ̄|_

で、今日はそれに追い打ちを掛けるように風邪も引いてしまったようです(つД`)。

なんでやねん!

いやあ、ここ2~3日、どうも背中がゾクゾクっと寒気がするんで変だなぁ?とは思ってたんですよ。
今朝起きたら背中の痛みとは別に手足の関節に力は入らないし、頭は痛いし、熱っぽいしで、もう病気の総合商社や~!


と言うわけで、現在上記のようなボロボロ状態のまま、とりあえずこれを書いています。

さて、暖かくしてゆっくりと寝るとしますか…。
皆さんも体には気をつけてくださいねぇ。


そういえば今思い出したのですが、確か11年前に尿管結石になった時も夏の終わりに引いた風邪が長引いて体がボロボロになってた時になったんだっけ…。
これこそ正に泣きっ面に蜂ですな(--;)。
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ソニーは相変わらず態度がデカイ?

2006-11-14 02:07:31 | 趣味
いやあ、10日夜からの「PS3祭り」は凄かったですねぇ。
ネット上でもアチコチで速報が流れていたので、状況が手に取るように判りましたよ(^^;)。

でも秋葉原では購入する為に並んでいた連中の半数近くは(おそらく転売目的と思われる)中国人&転売屋に雇われたホームレスだったとか。
確かにホームレスならば普段と寝る場所が変わるだけですから本人達は問題は無いでしょうが、その周辺の人達はさぞかし臭かっただろうな…。

それを証明するかのように、11日には早速ヤフーオークションにPS3がゴロゴロと出品され、一時期は5000台近くもあったんだとか
YAHOOも珍しく仕事をして、当該出品の削除はしていたようですが、それでも出品者の数は減らないみたいでした。
そのオークションも「1円で落札する方法」なんかが紹介されまくってて、かなり妨害されているみたいですが、まあ、こういった転売屋がいなければ普通に買えるわけですから、多少はこういった「嫌がらせ」もありかな?っと。
ただ、こういった転売屋が大挙したおかげで「盛り上がっている」ように見えた、と言う話も。
更には「ソニーの演出説」まで出てましたが(^^;)


誰にも聞かれてませんが、実は私、かつてソニー信者でした!
学生時代からずっとベータのビデオデッキを使い続け、ソニーが初めてVHSを出した時も(中身は日立製と判っていても)速攻で買いましたし、オーディオ類も極力ソニーで固めていた時期がありました(^^;)。

でもソニーがベータを廃止する前後くらいから、デザインも性能も段々他社よりも悪くなってきて、それに伴い段々とソニーから“離れて”いってしまったものです。
同時期に「ソニーから技術者が逃げ出している」と言う裏情報を聞いた事も影響していたんでしょうけど…。
昔は「技術のソニー」と言われていたのに、会社創立メンバーが“引退”し始めた頃から“技術”よりも“販売”に重きを置くようになったみたいで、それに伴って技術者が“冷遇”されはじめたんだとか。
冷遇と言うか、それまで優遇されていたのが他社並になっただけなんでしょうけど、

でもその技術者が逃げ出した影響は段々と出ていたようで、それが昨今大問題となった「ソニー電池発火事件」に繋がったんだろうな、と私は思っています。
しかも「自社では原因が判らなかったので、外部に調査を依頼した」ってニュースを聞いた時は「もう、ソニーも駄目だな」と悲しくなりましたよ。

で、発売されたばかりのPS3にもその影響が出たようで、いきなり以下のような事が発生。

PS3、互換性に不具合のPS2ソフトが200タイトル

毎度のように問題部分を抜粋しますと、広報担当者曰く
「PSおよびPS2のソフトは8000~9000ある。問題があるのはその一部のソフト。音が聞こえない程度であれば、我慢すれば遊べるので問題ないと思う人もいるだろう。ハードの進化による非互換の問題は他社(のゲーム機メーカー)を含めて業界として知られていること。当初から互換率は100%ではないと考えていた。PS2の時はゲームプレイの進行に支障をきたすソフトの一覧を公表したが、PS3では(不具合の)症状に併せて遊んでもらうことができるようにするため、それら(各ソフトの不具合状況)を細かく書いていくスタンスを取っている」

いやあ、高飛車ですねぇ(^^)。

発売前にも久夛良木社長は「PS3は安すぎたかも」と言って「さすがに金持ちは庶民と感覚が違う」とヒンシュクを買ったものでしたが、今回の件でも発表時にはXBOX360が一部旧ソフトが動かない事を非難して「PS3はXBOXと違って完全互換だ」と言っていたのにこの有様ですからねぇ…。

まあ、かつてマイクロソフトもXBOXで一部ゲームディスクの端が擦れて削れてしまうのを「仕様」の一言ですませてしまって大ヒンシュクを買った事があるので、高飛車度では良い勝負かも?


で、そうやって他社が足の引っ張り合いをしている間に任天堂の独り勝ち・・・と。

任天堂のwiiも来月発売予定ですが、こちらは果たして今回のような「祭り」が発生するだろうか?
でもwiiのポジションってビミョ~だからなぁ…。

まあ、どちらにしても私は当分買う気はありませんが。
そもそも私は年に一回位しかゲームってしないんですよねえ。
最後に買ったPS2用ゲームは「サクラ大戦V」・・・・・・一年以上も前かよ!
しかも完全クリアしてないし…かつてのサクラに燃えまくった私はどこにいったんだろう ○| ̄|_

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時間の無駄

2006-11-12 03:10:25 | 雑記
土曜日に6時間ぶっ通しで放送されたフジテレビの「たけしの日本教育白書2006」見事なくらい拍子抜けでしたねぇ。

全部まともに見ていたわけではないのですが、視聴者からの意見を募集していた割にはそれを活用して議論を深めるわけでもなく、結局ちょっと紹介しただけで終わり。
ゲストメンバーの構成も教育問題を語るにしては今ひとつ意味不明な人選だったのですが(某宗教団体系が多かった気はしましたが)、結構大勢いた割には余り発言の場も与えられず、たまにゲスト同士の議論になりかけても爆笑問題の太田とかが遮ってしまって中途半端なまま終了。
そんな中、なぜか小川菜摘だけはやたらと発言の機会が多かったんですよねぇ…けど、元が元なので大した事は言ってませんでしたが(^^;)。


更に今回最大の目玉であった(ハズ)の石原慎太郎都知事と久米宏氏の登場後もメチャクチャでした。
久米宏はグダグダと無難な事しか言わないし、石原都知事の若干過激ながらも筋の通った発言に対して太田が食ってかかるけど、所詮は筋の通らない行き当たりばったりな意見なので大して相手にもされず、自分の立場が危うくなると適当なギャグ言ってごまかそうとするし。

ここ1~2年位の発言を見ていると、太田はどうも「自分は知識人だ」と勘違いしているようで。
確かに相手の言葉の切り返しとか見ていると頭は悪くないみたいなんですが、持論を展開しても途中でコロコロ言う事が変わるので、最終的に何が言いたいのか判らず、話の筋が全然通らないんですよね。
まあ、最近の左翼と言われている連中のパターンそのままではありますが(^^;)。

又、石原都知事vs久米宏も結構緊迫感あって面白かったんですが、ここでも太田がチャチャ入れてぶちこわし!
しかも、その後突然石原家三男が「サプライズゲスト」として登場して、その後は久米宏にはスポットが殆ど当たらず、石原家の子育ての話とかしょ~も無い話でうやむやのウチにゲスト対決は終了。

そして最後は司馬遼太郎の「ちょっといい話」で締めてそのままエンディング。
終わってみれば、イジメ問題に関しても、今回のテーマの「品格」についても深く考察する事は全く無し!

なんですか?このバラエティとも報道とも言えないような、どっちつかずの番組構成は?

6時間もかけてやった意味、全然無えよ!

今のマスコミにちょっとでも期待した私がバカだった… ○| ̄|_

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ネットはこわいのか?

2006-11-09 02:55:51 | 雑記
え~、トラックバック先で先日のwikipedia発「石田衣良style引用」の件で「あ~あ、こいつもガセネタに騙されてやんの」と軽~くバカにされているようですが(^^;)
確かにあのネタをアップする時、うっかり「真偽の程はともかく、こんなネタもありました」って批判をかわすのにとっ~ても便利な一文を事前に入れるのを忘れてました。
う~む、真偽の程を確かめるにはこの本を買ってみるしかないか。
でも変にプレミア付いてるから買う気が起こらないんですよ。

しかし、他の“メジャー”所ならともかく、こんな日に2~30人しか訪れない所の書き込みなんか良く探し当てたものだ…。

ま、それはおいといて

祝!

HP公開10年目突入!

ここのブログは開いてもうすぐ1年になるのですが、殆ど更新していないメインのHPを初めて開いてから丸9年経ったんです。
インターネット歴自体は今年で10年になるんですが、私が使用しているプロバイダのぷららは、他のプロバイダに比べて契約者用ホームページ開設が遅かったので1年程ズレがある、と言うわけでして。

しかし「十年一昔」と言いますが、早いものですなぁ。
ネット始めた時は30歳代だった私も既に40歳代か…当時はこの歳には結婚して、子供も…(以下誕生日と同じネタなので省略)

で、「開設記念ネタは何にしようかな?」と悩んでいたのですが、今回はトラックバック先にあった「こわいインターネット」ってタイトル見てちょっと思った事などを。


私は通信歴はそこそこ長く、92年頃にPCを手に入れて始めたパソコン通信からスタートしてます。

最初は当時会員数が№1だったNECのPC-VAN(現BIGLOBE)をやっていたのですが、余りにも「NEC偉い!」「PC98以外はパソコンじゃない」と書き込む輩が余りにも多いのに嫌気が差してNIFTY-SERVE(現@NIFTY)に移り、その後インターネットを始めるまでそちらをメインにしてました。

でもパソコン通信は今みたいにオンラインでの書き込みは原則不可だったし、私が通信初めて数年後に始まったNTTのテレホーダイ時間(午後11時~午前8時)になると繋がりにくくなったり、と今考えると結構不便なものでしたね。

アクセスするとそこには趣味や目的別に分けられているフォーラムと言うのがあって(今で言う掲示板みたいなもの)、各々自分の趣味にあった場所に書き込んだり、意見を交換し合ったりしたものでした。

私はそんなに多くのフォーラムは回ってはいなかったのですが、それでも平均して月に一度はどこかで「ケンカ」をしているのを見かけたものです。

正確には「ネット上の議論」なのですが、最初は確かに相手の主張や意見に対しての反論などが主だったのに、段々と相手の言葉の揚げ足取りが始まって、その内他の人まで議論に加わったりチャチャを入れるヤツが出てきたりして、最後の方は収拾が付かなくなって管理者が関連する書き込みを全削除するか、当事者を書き込み禁止にして終了、と言うのが大体のパターンでした。
(「文章で残る」ってのは善し悪しで、自分への反論とか批判とかを何回も読んでいると段々腹が立ってくるんですよねぇ)

ちなみに、こういったやりとりを沢山見た結果、私は「ネット上の議論は絶対に結論が出ない」と今でも思っています。

でも中には腹の虫が収まらないのか、その時の「ケンカ相手」が出没する他のフォーラムに出向いて、その相手の悪口を言いまくったり、ガセネタや個人情報を書き込んだり、意見にことごとく難癖を付けたりして嫌がらせをする輩も時々いたものです。

いわゆる「ネットストーカー」ってヤツです。

あまりにもしつこいので「ケンカ相手」が「このままでは他の人に迷惑を掛けるのでここの書き込みを辞めます」と言って撤退すると、その嫌がらせをしていた相手も「勝利宣言」をして自分も撤退していきました。

正直、あの当時は今みたいに繋ぎっぱなしではなかったので、こういった行為は読むのに電話料金が掛かるので本当に迷惑だったんですよ(^^;)

中には更にヒドイのがいて、相手の住所などを調べて直接嫌がらせに行っていたヤツもいたんだとか「リアルストーカー」ですな。


会員制のパソコン通信でさえこんな事が起こっていたんですから、不特定多数の人が利用しているインターネットでは情報の拡散の度合いは比較にならない位大きくなっている、と言っても過言ではありません。


これが「こわいインターネット」、つまりネットの闇の部分

でも世の中には何事も“光と影”“裏と表”が存在します。

マスコミなどはいまだにインターネットの情報氾濫ぶりを非難していますが、今の世の中、ネット無しでは存続できない位生活に浸透しているのは皆さんが一番ご存じでしょう。

例えば、帝国データバンクや東京商工リサーチなどの民間信用調査機関は調査依頼があった場合、まず依頼対象企業のホームページを見る事から始めるそうです
企業のHPを見ると判りますが、全て会社概要や役員構成などが書き込まれていますよね。
あれはそういった調査機関用でもあるんです。

逆にウチみたいな零細企業は別ですが、そこそこの規模の中小企業や大企業で自社紹介のHPすら開いていない様な会社はそれだけで「やる気が見られない」と見なされ評価が下がってしまうんだとか

又、最近は「本を読まなくなった」と良く言われますが、確かに紙の本は部数が減っていますが、ネットはいまだに文章がメインなので、こういった個人のブログや自分の知りたかった事を検索し、関連資料を読んだりする事は十分「本を読む」事に匹敵するのではないでしょうか?

更にネット通販なども、欲しい物を検索して見つけ、しかも時間を気にせずに簡単に購入する事が出来るので、自分の足で探し回ったりする時間も節約出来るわけです。
(まあ、探し回るのも楽しいと言えば楽しいのですが)

それに今までマスコミがあえて報道しなかった問題や、ひた隠しにしてきたような情報も比較的簡単に手に入るようになったのも大きな利点と言えるでしょう。

だからこそマスコミはネットを嫌うのでしょうが。

とまあ、こんな風に情報も何もかもが玉石混淆しているのですから、それら内容全ての虚実を見抜くのは不可能に近く、最終的には情報を掴んだ本人の判断次第。
だから、たまにはガセネタを掴まされる事もある、と(^^;)。

結局、長々と言い訳書いているだけですね。

しかし、そうやって考えると一番賢いのは「ただ読んでいるだけ」の人なのかもしれません。

でも人間って自分が知っている事や何かに対しての意見とかを他人に披露したくなりません?
私なんかそう言う気持ちもあってブログやっているのですが、そうすると、私はあんまり賢くないって事なのかな?
まあ、そもそも私は自分が賢いと思った事はあんまりありませんけど。

あ、でも社会人に成り立ての頃は「知識さえあれば営業なんて楽勝」と思いっきり勘違いしていて少々“天狗”になっていたのですが、いきなり鼻っ柱をポッキリと折られ、しかもトコトン踏みつけられて身も心もボロボロになって「俺は賢くないんだ」と思い知らされたものでした

でもこれも考えようによっては“光と闇”で、精神的にも柔軟な若い時だったからこそそういった仕打ちに耐えれたのであって、今の歳で同じ様な事されたらとてもじゃないけど神経が持たなかったでしょう

「若いウチの苦労は買ってでもしろ」と言う言葉がありますが、その意味が今になってようやく判った気がします。


あ~、なんか又話にまとまりがなくなってしまってますねぇ。
すいません、文才無いもので。
しかも実はこれ書き直しなんですよ。
昨日から色々書いていて、もう少しで終わる、って時に、ブラウザの不良で見事に全文消えてしまって…。
バックアップも取ってなかったので、もう泣きそうになりましたよ(つД`)

ま、何はともあれ、これからもこんな感じでとりとめも無い事をブツブツと書いていきすので、皆様、これからも宜しく御願い致します。


……それにしても、10年近くもこんな内容ばっかり飽きもせず良くも書いてきたものだ、と自分で感心したりして(^_^)
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講演会に行ってみました

2006-11-06 01:47:04 | 政治経済
先日、ある場所で「中山恭子首相補佐官の講演会がある。しかも無料」と言うのを偶然知り、のこのこと出かけて聴いて参りました。
しかし、会場内が殆どジジババばっかりだったのにはビックリしましたが…。
こんな生で聴けるチャンスをなぜ皆逃すかなぁ、勿体ない(--;)。


で、先に感想ですが「聴いて良かった!」の一言。
金払ってでも良い!と思うくらい聴く価値は十分ありました!

講演はほぼ1時間だったのですが、前半はウズベキスタン全権大使時代での話、後半は北朝鮮拉致問題について。

詳しく言うと、まず前半は氏の著書「ウズベキスタンの桜」に書かれている話も含め、戦争が終わったにも関わらず、ロシアが国際法違反を承知で日本人捕虜を解放せずにこの地に連行し、重労働をさせた事に関してのお話でした。

強制労働をされていたにも関わらず、彼の地で日本人は常に規律正しく、礼儀正しく、且つ真面目に仕事をこなし続け、わずか数年の間に道路・水路・水力発電所・巨大な貯水池、果ては劇場まで造り上げたのです
その誠実たる姿には現地のウズベキスタン人も感動し、彼らの偉業をいまだに子や孫にまで語り継いでくれているそうです。
特に劇場に関しては、建てて十数年後、現地で大地震があって大抵の建物は倒れてしまったのですが、この劇場だけは全くの無傷で、その事で改めて「日本人の技術はスゴイ!」と感激してくれたんだとか。

有名な話では、ウズベキスタンの人達がいつも働いてくれている日本人に、お礼の意味も含めて収容所に張り巡らされている鉄条網のすき間から果物などを差し入れておくと、数日後、同じ場所に木で作られたオモチャや道具などが置いてあったそうです。
その後も度々そういったやりとりがあり、ウズベキスタン人は「日本人と言うのはなんて礼儀正しくて器用なんだろう」と感動したんだとか。

彼らは今でも「この道は日本人が造ってくれたんだ」「この水路は日本人が全部手掘りで掘ったんだよ。彼らのおかげで私達は今でも水には困らないんだ」と我が事のように誇りにして語ってくれるそうです。

惜しくも過酷な労働に耐えられず現地で亡くなった方達の共同墓地もあるのですが、そこも現地の人達はキチンと整備し、今でもちゃんと管理してくれているんだそうです。
一時期旧ソ連から「墓地を潰して更地にせよ」と言われた事もあったそうですが、日本人を尊敬してくれている現地の人達が反対して実現しなかったのだとか。

又、中山恭子さんがモスクワまで言って連行された人達の名簿を調査をした所、大半が20歳前後の若者で、後は20歳代後半から30歳代位の歳の人達だったんだそうです。
現地で亡くなられた方々の遺族を捜そうともされたそうですが、さすがに50年以上経ってた為、殆どの人は見つからなかったとか。
わずか数人だけ、亡くなられた方の子供や兄弟が見つかったそうですが…。

なんかね、異国に連れて行かれても日本人らしく誠実に生き、帰国出来ずに死んでいった人達がいる、でも彼らのやった事は今でも現地に残り、現地の人達の心にしっかりと生きている、ってのを聴いてたら、自然と涙が出てきてしまって堪えるのに必死でしたよ!
会場でも所々目をぬぐったり、鼻をすする音が聞こえてたので、おそらく私みたいに泣いていた人がいたんでしょう。

ホラ、オイちゃん涙脆いから

又、ウズベキスタン人は日本人に姿形だけでなく心まで似ていて、「お年寄りは大切にする」「他人には優しく」「食べ物は皆で分け合う」「嘘を付かない」と言う、かつての日本人ならば守って当たり前の事を今でもキチンと守り続けているんだそうです。

何か、ものすご~く耳が痛かった(--;)。

特に耳が痛かったのが「外国人は『人に騙されるな』と教えるが、ウズベキスタン人は『人を騙すな』と教える」と言う部分。
そう、かつての日本人ならばそれが当たり前だったハズなのに、いつからそんな事を私達は忘れてしまったんでしょうねぇ…。

それからは桜を植える経緯についてもお話になりましたが、この辺はあまりにも長くなるので本で読んでください。
ただ、桜が育って花見が出来るようになるには数十年かかるので、現地の人達に「20○○(失念)年に花見をしましょう」と約束してこられたのですが、「ちょっと長く言い過ぎた。せめて2012年位にしておけば良かった」と言われたのには笑ってしまいましたが。


そして後半は北朝鮮の拉致問題の話です。
拉致問題に関しては、北朝鮮問題に関わるより以前、中山恭子さんはウズベキスタンにいた時、キルギス共和国でイスラム原理主義者による日本人拉致事件があったのですが、自ら行動して各方面に働きかけ見事に解決された、と言う事がありました。

おそらくその手腕を買われて北朝鮮拉致問題も担当するようになったのでしょうが、これは本当に大変だったみたいです。
“生きていた”5人を帰国させるのもそうでしたが、その後日本に一時帰国した5人を北朝鮮に帰国させるかどうかで政府内でもかなり意見が分かれたのですが、現首相の安倍晋三氏と協力して最終的には「政府決定として彼らを帰さない事にする」と結論を出させたんだとか。

「政府が国民を助けないでどうするんですか」

と言う言葉には本当に感動しました。
どっかの中越地方のババアや売国奴連中にトコトン聴かせてやりたいセリフですな!

又、曽我ひとみさんとジェンキンス氏を会わせるのもかなり大変だったそうです。
この辺も細かい話は端折りますが、夫妻の会見に選んだジャマイカのホテルのオーナーの奥さんが日本人だった為、ものすごい協力的だったおかげもあってジェンキンスさん達と北朝鮮工作員をうまく切り離す事が出来て、結果助ける事が出来たんだとか。
この辺も細かく話されてたのですが、本当にものすごい“攻防戦”だったようです。
なにせ、ホテルのロビーだけでなく、ホテル周辺も現地の北朝鮮工作員がグルッと囲んでいてかなり緊迫した状態が続いたそうですから。
正にその場で活躍していた人だからこそ語られる“真実”
語り口は非常に静かなのに、聴いているこちらまで思わず手に力が入ってしまう位の迫力のある話でした。

でもこの時、曽我ひとみさんがジェンキンスさんや娘さん達を説得するのにおそらく半年は掛かるだろう、と覚悟してたのですが、4日でジェンキンスさんが「日本に行く」と言った時はちょっとビックリしたそうです。
私が思うに、おそらくジェンキンスさんも北朝鮮には嫌気が差してたんでしょう。

後に、ジャマイカに来る前、小泉首相が北朝鮮にわざわざ“説得”に行った時、その場で「帰る」と返事をしなかったのは、「絶対に『帰る』とは言うな」と念を押された上、隣の部屋で小泉さんとの会話が全部盗聴されているのを知っていたので、迂闊な事が言えなかった、と告白してくれたそうです。


又、ジェンキンスさんの“帰国”が決まった時、中山さん達は「ついてきた北朝鮮の人達はどうするんだろう」と心配されたんだとか。
そりゃあ、そうでしょう。
工作員として完全に「任務失敗」しているわけですから、帰国しても良くて強制収容所送り、下手すりゃ死刑、と何らかの“罰”が待っているのは確実なわけですから。
実際、日本側が帰国する時には彼らはロビーでただうなだれていただけだったとか…まあ、所詮は“工作員”ですから、私には同情の余地は余りありませんでしたが。


とまあ、こんな感じで話されていたのですが、内容が内容だけに1時間がアッと言う間に過ぎてしまいました。

それにしてもこの方、見かけは小さい女性ですが、噂通り度胸と肝の座り方はかなりのものです
ダンナも「嫁さんの方が能力が上」と認めるわけです。

いやあ、こういった講演会って昔サクラで出て以来なのですが、とっても有意義な話を聴かせていただきました。
こんな話こそマスコミでもっと取り上げてもらいたいのですが・・・・・・まず無理でしょうなぁ(--;)。

そういえば毎日新聞が取材に来てたみたいですけど、また捏造しねえだろうな?
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反省知らぬ愚か者!

2006-11-04 03:02:26 | 雑記
まずは下の記事を読んでみてください!

福岡いじめ自殺:事件後も別の生徒に繰り返す 同グループ

(#゜Д゜)ゴルァ


怒髪天を衝く!
と言う言葉がありますが、本当に髪の毛が逆立ちそうな位怒りが後から後から沸いてきて止まりません!

10月25日に私は「イジメられた側は心の傷として残る位憶えていても、イジメた側は自分達がイジメをやっていると言う自覚すらないので、殆ど憶えていないか、「俺、昔アイツをイジメたんだよな(笑)」と軽い笑い話程度にしか感じていないんです。」と書いていたのですが、今回の件は正にその事をハッキリと証明したわけです。

それどころか、相手が死んだ直後から又同じような事をしていたとは…

テメエらは人間じゃねえ!

一部で「(いじめていた生徒にも)将来があるし、子供の人権を守る為にもあまり責めないで欲しい」と言っていた人達がいましたが、親や世間が庇いまくったその結果がこれですよ!

これはもはや単なる「いじめ」ではなく完全な犯罪です!

もはや「人権云々」と甘い事を言っている場合ではありません。
彼らには厳罰を処す事を是非とも希望します!

又、今回の福岡の件はどうも大人の事情も色々と絡んでいると言う話も出ています。
実際、小渕優子議員が調査に来た時にも福岡教育委員会は被害者宅の住所を教えようとしない等、色々と“妨害”して調査を素直に受け入れようとはしませんでした。

どうやら背景には、現在日本で“タブー”とされている事が絡んでいるとの噂ですが、今やそのタブーも段々と切り崩されつつあります。
今回の件も是非ともそのタブーにメスを入れて突き破ってもらいたい!

しかも、その死に関しても今ひとつ辻褄が合わない部分が出てきているみたいなので、尚更“真実”が判明して欲しいものです。

でないと、(私が言うのも変ですが)死んだ子もきっと浮かばれませんよ。


あ、そうそう。
これだけは言っておきたいんですが、例えどんなに苦しい事があっても

自殺だけは絶対にいけません!

昔ある坊さんに言われた事があるのですが、自殺と言うのは自らのワガママで命を断つのだから、最も罪が重いので、あの世に言っても絶対に楽は出来ないそうです

私もこれを聞いていたせいもあってか、どんなに苦しかった時でも自殺だけは考えた事はありませんでした。

でも、本当に苦しい時はどうすれば良いのかって?

そんな時は一旦その状況から逃げてみるのも一つの手ですよ(^^;)。
“逃げる”と言うと語弊がありそうですが、たとえ人から「弱虫」と言われようが、そんな状況の時は自ら思考の袋小路に陥っているので、どんなに考えても「始めに結論ありき」の考えしか出てこないので、考えるだけ無駄。

逃げる事で一旦その袋小路の状況からしばらく“脱出”してみて、冷静になった所で対処法を考えるんです。
ただし、逃げても後から絶対にツケは回ってきますが、それでも一旦冷静になっていれば意外と以前は困難だった状況に対処出来るようになっているものです。

ホラ、ある程度年取ると、良く「若い頃はなんでこんな事で悩んでたんだろうな」って思う事ありません?

つまりはそういう事ですよ!
(どういう事だ)


ちなみに別の解決方法として「ブチ切れて大暴れする」と言うのもあるのですが…こちらはあんまりオススメはしません。
デメリットの方が多いし、何よりも“爆発”した時は自分もスッキリするのですが、後から考えるとものすご~く恥ずかしくなると言う“ツケ”が回ってきますので…。
ただし、それをやった方が事態が好転する事もある、と言うのも又確かですが。

それにしても私って、一体どういう人生を送ってきたんでしょうねぇ。
それはヒミツと言う事で(^^;)
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