地場・旬・自給

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セルフビルド

2006-05-16 06:55:41 | 最小限の家
最小限の家作りの見学会が、中断している。申し訳ないことに私の責任だ。どうも作業に追われてしまい、時間が取れない状況が続いている。この時期農作業が多く、草刈など、やりきれないままだ。

今年は、竹薮の片づけを3箇所経験して、竹薮の事が少し分かってきた。最小限の家の敷地になる場所、元竹薮の整備が、いよいよ最終段階になった。今まで、丸10日かかった。傾斜地に、竹の葉が厚く積もり、竹が埋もれている。ここを竹を担いで、一日中歩くのだから、足がきつい。一日一回は、それは思い切って転ぶ。運がいいことに転んだところに、竹の切り株が無かった。昔は切り口は鎌のようなもので、鋭く切ってあったそうで、大怪我をしたそうだ。今はチェーンソウで切るから、その点だけは有り難い。山仕事の方が言われていた。

集落の方が、何をしているのか、何にするのか。心配そうに見に来る。どこで会っても良く聞かれる。私自身がまだ何をどうするかまでは分からないので、応えようがない。正直片付けだけで、先ずは畑にしようかと思うと相談すると。えらく感心される。畑を新たにやると言う事が、あまり信じがたい事のようだ。
私がやっている事が、あまり常識的でないらしく、不安をもたれてしまう。
それにしてもあの竹薮をよく片付けたと、これだけは褒めてもらえる。皆さん竹薮の片付けがいかに大変かを経験されているようだ。

いよいよ最終段階まで来た。100坪ほど竹薮は残す予定だ。そこまでは切ったのだが、その中の整理はまだ出来ていない。竹林は美しいと思う。あの美しい揃った感じにできればと思う。太い竹だけを残し、細いのは全部切ってしまうつもりだ。この作業は実は楽しみなのだ。ゆっくりと楽しみながらやりたくて、残してあるのだ。考えただけでも楽しみになる。

この竹薮も以前は篠竹が繁茂していたらしい。そこに真竹が入ってきて、優位になったようだ。枯れた篠竹が一面に倒れている。唯一細々と残っているのは青木だ。私は青木は嫌いだ。子供の頃から嫌いだった。あれの斑入りを庭木で使う人がいるが、信じがたい事だ。水を含んでいて、防火林としては役に立つそうだ。
篠竹も青木も、どこでも困る物だが、それを真竹は凌駕するのだから、真竹を凌駕する何かはないものか。

アメリカでは、厄介者のくずを、日本から持っていって、鉄道の土手補強に使い、今えらい困っているらしい。よく考えれば分かりそうな事を、目先の便利さに惹かれてしまい。安易に使う。これが後で大変な仇になる。こういうことは、多いいと思う。まず自然を充分に観察すること。これに尽きるだろう。外国から物を移すというのは、よほど気お付けないと、いけない。環境が変化した時に、どんな事が起こるか、極端に優位な植物になるかもしれない。

そろそろ、真竹の竹の子が顔を出し始めた。この竹の子を頑張って取ってしまえば、真竹は再生しないそうだ。1年たてば、トラックターなら耕せるぐらいにはなる。と言うが、ちょっと信じがたいぐらいの根の大きさだ。ともかく出てきた竹の子は、全部食べつくさないといけない。湯がいて冷凍したい。この冷凍庫も買いたい。余分な出費になるが、以前から必要だとは思っていたので、いい機会かもしれない。やっぱり塩漬けにすべきなのか。

セルフビルドは敷地の整備から。所がこの敷地の整備に現在、10日かかった。と言う事は1ヶ月で出来る、最小限の家としては、既に3分の1を使ってしまった。

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教育基本法

2006-05-15 06:17:49 | Peace Cafe
教育基本法の改定が、現実となってきた。16日から、国会特別委員会審議が始まる。

昨日、秦野の9条の会の発足集会で、小森陽一さんの講演を聞いてきた。冒頭この問題を、詳しく話された。以前から憲法改定と併せて行わないと、法的な整合性がとれないとは聞いていたが、その事が、具体的にはどういう言葉になるのか、指摘があった。

「我らは、先に、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようと決意を示した。」こうした言葉で、この法律は始まっている。つまり、日本が60年前の戦争で、アジアで2000万の人を殺してしまい。その懺悔の気持ちから、平和を希求する国になることを誓った。
ここはすっかりと省かれることになる。


その精神を日本国憲法で表現し、教育基本法で、そうした国民の育成を、誓った。
「われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成・・・・」と続いてゆく、この平和と言う言葉を、正義と言う言葉に、置き換える事を、改正と言う。

憲法も変え、教育基本法も変える。その変えようという一文字一文字に、その意味がある。平和を正義に変えることは、アメリカの行う正義の戦争の、スローガンどおりだ。正義と言う言葉は、自分の都合よく角度を変えられる。自らの利害から、正義を振りかざす事ができる。正義の名の下に、無かった戦争はないだろう。

愛国心を教育基本法に入れるかどうか。これが報道では一番中心に置かれている。これが政府案では「我が国と郷土を愛する、態度を養う。」を2条5項に加える事になる。愛する態度、だから、愛国心とは異なり問題がないか、「態度」の意味するところは、国旗を掲揚し、君が代を斉唱する、態度・行動を意味する。今東京都教育委員会がやっている事を、法的に裏付ける、と言う事だろう。

なぜ教育を問題にするのか。こちらがより重要なことだ。ふがいない若者、を何とかしなくてはならない。こういうことだろう。果たして教育の問題であろうか。社会構造に起因する事に思える。資本主義が行き詰ってきている。

私の行っている養鶏業から見てみる。大規模で、鶏を生き物としてみない世界だ。「命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。」2条4項に加える文案だ。しかし、いくら法律でこんな精神を唱えても、問題は競争の激化する養鶏業界で、生き物を虐待しなくては、競争に勝てない。こうした現実がより深刻化している事が、問題のもとなのだ。競争に勝つためには、人間らしい心を捨てたほうが有利である。と言うのが、競争社会の現実だ。

卵の輸入が、ついに始まった。鳥インフルエンザ問題以降である。このことは、競争の原理が、アジア全域に及び、心を捨てて、鶏を飼う事が、広がってきたと言う事だ。伝統的鶏飼いの文化を崩壊させたのだ。背景には経済援助とか、言う名の下に進出する大資本が必ずある。経済、科学の発展を楽観視、してはならない。人間性の豊かさに基づいた科学、経済ではないのだ。有利となれば、クローンでも遺伝子組み換えでも、やった者勝ちの仕組みだ。

教育に目を向けるのはいいとしても、経済社会の状況では、これから深刻な経済競争が起こる事になる。豊かになりたいと願う、当然の帰結だ。
アメリカが必死になって、軍事力に依存するのは、世界の経済競争が、簡単でなくなってきているからだ。エネルギー問題もある。アメリカの尻馬で、何とか競争を優位に展開して来た日本も、中国、韓国、インド、パキスタン。アジア全域の追い上げで、優位性はそう簡単でなくなっている。

今の若者の中に、ふがいない者がいるとしても、教育の問題ではないのだ。

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ツリーハウスと穴居生活

2006-05-14 06:04:03 | 最小限の家
赤色ヤケイは樹上生活なのか、茂みの中での暮らしなのか。資料では両方の記述があり、私としては自分の類推から、茂みの中ではないかと考えていた。その後東南アジアを何度も現地調査している、山科鳥類研究所の柿澤博士にうかがったところ、即座に樹上です。との事でした。しかし、私としては今でも茂みの方が捨てがたく、色々想像するところだ。つまり、鶏は巣は作らない。巣を作るのは卵を抱く時だけだろう。その時は間違いなく、地上の茂みの中だ。巣の作り方や、ヒヨコの状態からして、樹上は考えられない。とすると、抱卵時期だけ巣篭もりで藪の中。藪の中だから、わからない。

鶏が高いところに上るのはよく知っている。飛び上がるというより歩いて上る。子供の頃は、放し飼いだった鶏は、夜になるとはしごを上り、空中からつるされた鳥かごで寝る事になっていた。どの鶏も暗くなると、家の中に来て、そのままはしごを順番に上っていった。すると、はしごをはずしてしまう。多分猫が食べてしまうのを防いでいたのだと思う。

山北にいた頃も、黒チャボの放し飼いで、3年ほど生きていた鶏は樹上生活だった。斜面に斜めに延びた木を、ヨチヨチ登り見えないところまで上がってしまう。この鶏は人にも近づかないのだが、何故か家からも離れなかった。なんか少し弱ったようだな、と思ったときには見なくなった。野生は厳しい。

樹上が安全か、穴の中が安全か。海がすきか、山がすきか。どちらも好みで捨てがたい所だが。人間の場合は樹上に憧れて、穴の中に暮らすということか。縄文住居を以前作った。小田原で一番眺めのいい丘の上に、作った。最初はティピを作った。所が、あまりに風が強く、畳んだり、広げたりで、傘のような家だった。其の度に4人の作業班が必要と言うので招集が掛かり、あまりの迷惑で、縄文の家建設に挑むことになる。

いい齢をして少年探偵団のような活動ばかりしているわけだが、どうしても泊まりこめるような活動拠点が必要だったのだ。その顛末は又別の機会にして、
穴か木かだ。
ツリーハウスの魅力は、はしごを上げてしまえば、世界から隔絶する、事だろう。下界から独立して、世界を睥睨している感じだ。

最近、縄文の櫓跡が見つかったというが、こういうのはツリーハウスではない。ヨーロッパ人はかなり本格的なものを作ったようだ、メジチ家ではツリーハウスのコンクールを行ったというから、ダビンチの考える樹上家屋など見ものだ。南太平洋全域に樹上生活の先住民がいた。暑い地域だと、暑さと湿気から、ジャングルのもろもろから、ツリーハウスは実用かもしれない。
下からの風の心地よさで、高床が普通だから、樹上へはもう一息だ。

そもそも横穴に住んだのが、始まりで、竪穴住居に変わる。乾燥地域では縦穴を掘りそこから又横穴を掘る家もある。多くは崖に横穴を掘る。ペルシャ人といわれる菩提達磨がインドから中国にやってきて、面壁9年したというのは穴の中の壁と言う事になっている。「壁観」は達磨の宗旨の特徴で、壁となって観る。と言うのだから壁は大切な要素だ。穴の中の壁が信仰の対象という事は多々ある。絵が描いてあるのはおまけのような物で、大地と言うか、壁の奥に延々と続く、重厚な絶対世界への畏敬の念が根本だろう。

穴居生活の内省的世界。ツリーハウスの開放感。最小限の家はどんなものになるのだろうか。
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樹木と石

2006-05-13 05:52:02 | 自給
東洋では石というものに、全存在を見る思想がある。ヨーロッパにおける人間がそれに当る。
絵画を学ぼうとする時に、中国では一つの石を描き切れば全宇宙が描けると考え、石を描く絵画の学習法が出来上がる。石の凹みや、出っ張りを、山と見、海と見る。石を見立てる事で、ある意味自分の存在する、場を、対象化しようということなのだろう。

ヨーロッパでは、人間そのものが研究対象になる。人体を直接的に描く事で、全てを学ぼうと言う事だろう。これは、絵画に限らず、どの学問も人間学である。ルネッサンス、人間復古、以来ヒューマニズムというのが、特徴だろう。ダビンチが解剖まで行って、人間を描こうとする背景に、人間主義がる。

今の日本はヨーロッパ方式だ。少し前のヨーロッパ方式を学んでいる。今でも美術学校の入学試験は石膏デッサンなのだろうか。あんな物が、何かの役に立つと思っているのは、いまや世界でも日本人だけだろう。石が置いてあって、さあー描け。なんて試験じゃ、判断する能力がないだろう。絵描きと自称する人達が、いかに保守的で、進取の精神に乏しいかの好例だろう。

東洋では、これが石だと言う。西田哲学や、作庭記などを読むと、石と言うものが思想の根源にあることがよく分かる。
宝石などではなく、ごく普通の漬物石のようなものの所が面白い。 夢窓疎石は「禅の公案の形象化」という前代未聞の原理に従って、作庭を行った、と言う。悟りを視覚化しようと言うのだ。ここでは石がその中心にある。多分、悟りの感覚が、庭の空間の中に近い物を捉えたのだろう。
石の移ろわない所に、生きた変化する物より絶対性を置くには相応しいと考えたのだろう。苔むした凝った石ではなかったと思う。

石と言う、味も素っ気もないところが、すごい所だが、今の流行は石より樹木だろう。ネーティブ・アメリカンは、樹木を全ての存在の根源と感じるようだ。これは、当然イブのりんごの神話にあるように、ヨーロッパの神話時代も同様の母なる樹木信仰はある。日本でもご神木に見られるように、同じである。でも、インディアンじゃなく、ネーティブ・アメリカンの思想と言うと、流行で新しい装いを持つ。この感覚は苦手だが、古い者と思われるのが厭で、話はあわせているのが情けない所だ。

巨木信仰と言うのは、誰でも実感できる所だ。木の人と比べられない巨大な、生命の実感が、人間を圧倒している。樹林気功は樹木と一体化する気功だ。今田求仁生さん(先住民の杜基金・代表)が、山北で会を開いた時に参加したが、樹木信仰の一種だと思った。木の前で寝ていて、末期がんから生還したと言うのだ。この珍しい現象をどのように捉えるかで、科学でもあり、信仰でもあり、哲学でもある。

自分の樹と言うものがあるそうだ。思わず、抱きつきたくなるような樹の事らしい。子供の頃はきのぼりが遊びで、樹上の家は夢の一つだったが。今の子供は木にまとわりついて遊ぶようなことはあるのだろうか。あまり見ないようだが。
私の好きなのはケヤキの木だ。これは子供の頃から少しも変わらない。欠片でもケヤキは好きだ。かけらをいつも持っている信仰もある。いや、これは安心がある。何かの時に触る事で、落ち着く事ができる。お守りだろう。

ただ、ただ、意味も無く木を削る会、をミホさんがやった事がある。10種ぐらい木切れと、小刀が用意され、田んぼのあと地に筵を引いて、静かに木を削るだけ。好きな木を取るようにと言うので、一つの木切れを選ぶとそれは屋久杉だと言う。まさか杉とは、思えない感触で驚く。木も年齢で変貌する。1000年生きたものを削るという暴挙に、浸りながら、無為に削っていると、しゃじらしきものになった。それが厭で、慌てて、すくうあたりに穴を空けた。
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鳥インフルエンザ

2006-05-12 05:15:06 | 自然養鶏
茨城、埼玉両県の養鶏場で高病原性鳥インフルエンザの発生が確認された問題で、厚生労働省は11日、毒性の弱いH5N2型に感染していた可能性がある人が最終的に計93人に達したと発表した。

3つの疑問がある。
1つは、宇宙服のように完全防備した、県職員が何故、感染したのか。
2つは、違法ワクチンが原因との疑いは、その後どうなったのか。
3つは、世界でこの病気での感染数、死亡数が、中途半端だ。

農水省の家畜衛生部会 家きん疾病小委員会は、昨年12月以来開かれていないようだ。もう忘れてしまったのだろうか。

県職員はどんな作業にたずさわった人なのか。防御服は着ていたのか
違法ワクチン説以来、流れている噂に対し、対応しないでいいのか。
死亡者数の少なさはどこから来ているのか。鳥から人への感染なら、どのように感染したのか。どんな密度で、鶏と接触したのか。こうした調査はしているのだろうか。

私の推論では、このウイルスは、空気感染する。その点従来の風邪と同じと考えていい。人が介在する事もあると考えなければならない。この点、茨城県では対応を間違った。間違ったために起きた、2次感染が起きている。県職員が感染しているのだから、この人を通し、養鶏場から養鶏場に感染が広がった可能性はある。
発生が確認されてから、養鶏業者を集めて、説明会を開いている。農水の指示らしい。農水に確認したところ、正しい判断だと力説していた。説明会の中で、人から人へ感染した恐れはなかったのか。

一方、自然養鶏では発生がない。自然養鶏の中心地でもある、茨城でなぜ、自然養鶏では起きなかったのか。これは着目すべきだ。
従来から、トリインフルエンザは野鳥から感染する、ウインドレス鶏舎にしろ、このように指導されている。放し飼いはしては成らないとまでいわれている。結果は逆だったのだ。ケージ飼いでだけで起きている。想像以上に虚弱な状態のようだ。わずかな感染の危険も逃れる事ができない状態のようだ。野外毒から、遮断するウインドレスの発想は、結局病気になったら、淘汰してきたというに過ぎない。産卵率が下がれば、入れ替えの時期が来たに過ぎないのだ。大規模養鶏業の根源的な問題だ。

感染しても、発病させない。そして、免疫力を獲得してゆく。
ワクチンに対する私の考えは誤解されている。私がワクチンを使わないのは、必要ながないだけでなく、ワクチンのない鳥インフルエンザのような鶏病への対応策だ。ワクチンはない、ウインドレスでも感染は防げない。こうした時、中途半端な対応をしていても、結局は発病させるだけだ。私の鶏は、血液検査の結果、様々な抗体を持っている。これ以上は書けないが、自然免疫を獲得している。私は、免疫力は単独で、他の病気には影響がないとは考えていない。交差免疫という考えがある。新しい病気に対し、対応できる生き物と、対応できない生き物がいる。強健という事は、初めての病原菌との出会いに対して、対応力の巾が広いという事もある。

この自然免疫を獲得してゆく力は、基本として生き物には備わっている。これほど強毒化した鳥インフルエンザが流行したとしても、東南アジアに生息する、ヤケイが絶滅する事はない。自然はこうした事は繰り返してきたのだ。人間のなまじの、浅はかなワクチンなどという免疫の仕組みより、もうっと強力な抗体獲得法を本来備えている。これを強化し、生かしてゆくのは自然養鶏の基本だ。家畜を飼うというのは実は、その範囲でしかできない事なのだと思う。

その為には総合的な飼育法を行わなくてはダメだ。自家繁殖しなくてはダメだ。少数飼いでなければダメだ。放し飼いでなければダメだ。薬を使ってはダメだ。総合的なことだ。一部だけ取り出しても何の意味もないのだ。このことを肝に銘じて欲しい。全部がやれないなら、薬やワクチンに頼るしかないに決まっている。

それではお前のところでは、鳥インフルエンザに感染しないか。こう家畜保健所の職員は言った。感染するリスクは日本の養鶏場で一番低い。これだけは確かだ。と答えた。
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鶏種の作出

2006-05-11 04:46:14 | 自然養鶏
中川昭一農相は「少数の外国に(鶏の)原種を依存しているのはリスク要因になりかねない」と述べ、日本独自に優良品種の開発を進める意向を示した。
 採卵用、食肉用に日本で飼われている鶏の大半は、海外から輸入したヒナを育てて交配した子や孫。優良な鶏の原種は欧米企業数社が流出しないように押さえているため、日本は輸入を続けるしかない構造だ。05年の生きた鶏の輸入は約100万羽で、輸入先は英国が約37万5000羽(37%)でトップ。フランス、米国、ドイツ、オランダが続いている。

 ところが、欧州で鳥インフルエンザが広がり、フランス、オランダ、ドイツからの輸入が相次いで停止。4月29日には英国からの輸入もストップし、輸入の約8割が止まってしまった。

「発酵利用の自然養鶏」を書いた時、私は3つのことを予測として書いた。
1、ワクチンで対応できない鶏病の流行。
2、有機畜産の世界基準が出来るに従い、卵の輸入が始まる。
3、種鶏の輸入が出来なくなる時が来るので、独自品種の開発を急ぐ事。

私自身にも恐ろしい事だったが、三つともが予測どおりだった。そのいずれに対しても、これも予測どおり、国は何の対応もしなかった。出来なかった。私のこの予測を立てた、根本とした考えでは、この先、日本が迷走飛行に入ると言う事。だから、不時着法を提案する事を考えていた。

問題は独自品種の作出である。いよいよ、輸入できなくなってから、取り組むと言う事が可能なのかどうか。農水省が、本当に品種の作出を理解しているのかどうか、怪しい気がしてくる。今からでも、気付いた点は悪くないのだから、以前国がやっていた、レグホーンとロードを交配して作っていた、国産クロスとよばれていた桜卵の二の舞にならなければいいのだが。

昨日も、長く養鶏を群馬で取り組まれてきた、Oさんから電話があった。鶏が突然卵を産まなくなったという相談。病気ではないという。エサや、状態を一通り聞いてみて、不自然な事何もない。Oさんのようなベテランが、私に聞いてくるというのだから、通例の事でもない。春には90%産んでいたのが、突然、殆ど産まないと言うのだ。ここで、鶏種の事に思い当たる。輸入できなくなり、国内で自給したのだ。それで調子が狂った。同じ飼い方では、エサ食いも、サイクルも違うはずだ。

種鶏の輸入が止まり、鶏が変化してきているのだ。10年前、アメリカの世界戦略で、種の独占と言う事が盛んに言われていた。世界中から、有用、無用を問わず、種を集めていると言う話だ。当然動物にも及び、世界各国、種鶏の保存と言う事が行われたはずだ。
日本と言う国は全く特殊な国で、こうした基礎的な努力は、放棄している。私の知る限りでは、種鶏を集めていると言う話は聞いた事がない。そんな悠長な事に、目を向ける人が、国の機関にいるはずがない。
そうした事はやると、研究費を趣味に流用している。こうした苦情が出る。

この間、主に行政関係の鶏の作出といえば、肉用の何とか地鶏の作出である。それを地域おこしに使えるとか、地鶏と言えば有利販売できるとか。土台地鶏のナンたるかも、確定しないまま、こうした事を行ってきた。一応仕事だから何かしない訳にいかないので、やっていたのだろう。
鶏には品種の登録制度すらない。特許とも何の関係もない。こうした中で行っている事、事態が、おかしいのだ。行政が整えるのは、先ず、制度を整える事だろう。

問題はどうやって、日本独自の種鶏の作出を行うか。ここに目を向けたのが、あまりに遅かった。日本国内にいる鶏から作らなければならないことにある。
何とか、短期的に考えればそれなりの鶏は、私でも、可能だ。問題は、その永続性と、状況の変化に対応できる能力のある鳥ができるかに在る。
作出の能力のある研究者がいないと言う事もある。国がそうした基本的な研究者の努力を、拒否してきた。本来、こうした基礎研究は大学が行うのだろう。しかし、産学協同とかが叫ばれる割には、大学での基礎研究の意味が捉えられていない。
農業系の大学で、そうした保存がされているとも聞いていない。

企業はそれなりにはやっているらしい。農水が、企業から、種鶏を出させる事ができるのか。これもおかしなことではあるが、日本的に可能なのかもしれない。
作出で一番大切な事は、大きな目標の立て方である。どんな鶏種を作り出したいのかである。まともに出来ないとなると、クローンやら、遺伝子組み換えやら出てくるのか。これまた心配な事になる。

いずれにしても、鶏に興味がある私としては、これからどのような事が起こっていくのか。着目してゆきたい。


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海水について

2006-05-10 07:08:38 | 稲作
田んぼには海水を入れる。鶏のエサにも海水を加えている。
海の中には母がいる。そうだから、海が何かの源になるだろうと期待している。

海水は小田原漁港に貰いに行く。小田原市には、石橋漁港、米神漁港、江之浦漁港、4つの漁港がある。江の浦漁港が一番大きい。ここは中川一政が、絵を描いた場所だ。堤防の突端のところから対岸の、斜面を描いた。来る日も来る日も描いたそうだ。漁師の方が、突堤の杭と間違えたそうだ。

小田原漁港は陸地だったところを掘り下げた。漁港を作るにしては不思議な構造の港だ。どこでも海岸は土地が狭いから、普通は海に堤防を張り出して作るところだが、小田原は、どういうわけか陸地を掘って作った。何か小田原の特殊事情があるのだろうか。
漁港が市の管轄とは知らなかった。市の事務所に行って、海水を分けてもらっている。漁港には海水が出る太い管が、柱ごとに配置されている。海水を生簀に入れて、流しっぱなしにしている。海水を太いホースから強い圧力で噴射して、漁港の掃除をする。まぁ、いくらでもあるわけで、もったいないと言う事はない。しかし、以前海水をどう汲んだらいいか、思案した時には、車まで運ぶ事や、汲み上げるに都合のいい場所やら、ちょっと大変だと思っていた。

漁港の人達は勢いがあって、ちょっと怖いようだが、小田原人の気質はこの漁師気質だと思っている。宿場町的気質、城下町的気質。色々混在しているのだろうが、私の感触では漁師町気質である。ともかく解り易いところが、特徴で、よそ者にはこんなに暮らしやすい町はない。

海水の事だった。海水の事を考え出したのは、発酵のことからだ。発酵を調べてゆくと、塩との兼ね合いが多いい。糠漬け等の乳酸発酵を考えると塩を使う事が普通だ。しかし、この乳酸発酵と言うのが、実はよく分からない。最近良く強調されるのが、植物性。多分乳製品のヨーグルト菌等を動物性ということだろう。それで、乳酸菌は好気性の菌かというと、これも様々なようだ。
どうも乳酸菌と言う、分類を最初作ってから以降、この菌の研究が進んだのではないだろうか。だから、分類上は一くくりで、乳酸菌と呼ぶが、酵母菌と同列に考えると、誤解しやすい。

田んぼに播くのは先ず米糠だった。雑草の抑草にタイミングよく播くと効果がある。しかし、この効果は緩やかな物で、失敗する田んぼも多かった。場合によっては、この播いた米ぬかが腐敗してしまい。どぶのような異臭がすることもあった。
そこで、糠がよい発酵になるためには何が必要か、考えてみると塩がある。塩と糠の相性がいいのは、先例の示すところだ。そこで海水を田んぼに撒くことにした。

この時先ず心配したのは塩害の問題だ。海水1リットルに32グラムから35グラム。2反に500リットル播くとすると。1反当りの塩の量8.7キロと言う事に成る。1坪に30グラム。これが毎年続けた場合問題が出るのか。田んぼの場合水に溶けて流出してしまう量が多く、土に残留する事はないと予測した。土壌調査の結果、2年間海水を入れた経過では、顕著な変化は起こっていない。

土壌の発酵は明らかによい状態に変わった。これは、耕作の結果土壌が発酵型に変わってきたためなのか。海水のためか。あるいは複合的なのか。耕作技術の進歩に拠るのか今のところ定かではないが、収量の増加もあるので、海水の散布は続けてみる事にしている。

一方、その以前から海水利用を実験していたのが、養鶏の飼料である。これは好気発酵飼料に加えている。糠を中心に、発酵するので、発酵にいいと考えて、海水を加えた。効果として、発熱までの時間が早まった。発酵が安定した。
これも塩分量が、鶏にとってどうか心配なところだ。350羽の鶏の1週間分で、10リットルの海水を使う。魚のアラの状態量によっては使わない。1羽当り、1週間1グラムの塩分量になる。これは問題がない量だろう。むしろその程度は一般的な購入飼料では、添加されているはずだ。
この海水添加が、マイナスに成って言う事はないようだ。5年は入れていて、鶏の状態から、入れる事に問題がないことは明白だが、よい効果がどれくらい出ているのかは難しいところだ。
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水彩人研究会

2006-05-09 04:53:07 | 水彩画
水彩人の研究会が、5月22日23日24日と3日間、ある。
志賀高原の木戸池温泉ホテルで開催する。現在のところ、45名の参加である。こうした研究会を、水彩連盟での企画に始まり、25年ほど運営してきた。都内で行った場合、100名を超える場合もあったが、泊り込みで、写生地で行う場合、45名は平均的なものだ。年によっては、春、夏、秋と3回やった事もある。


木戸池での開催は多分10回は越えていると思う。木戸池は写生地として、大変優れている。秋の紅葉シーズンが多かったと思うが、春の新緑が一番よい季節だ。木々の葉が落ちて、見通しが利くので、他の季節には見えない場所が良く見通せる。勿論、春の色、芽吹きの色のすばらしさ、微妙さ、多様さ、これは例えようもないものだ。5月の連休まではスキー客でにぎわうそうで、5月後半でも、まだ残雪もある。風景を描くには、中々興味深い場所だ。

木戸池に行くと、必ず描く場所が、2箇所ある。田の原湿原と。石の湯の俯瞰だ。
田の原の面白いのは、構成の妙だ。自分の視線の高さを、自由に変えられると言う面白さ。標高1610m。佐久間象山がこの湿原で稲作 の研究をしたことが田の原湿原の由来。私としては、ここに先ず、惹かれてしまった。ここが、普通の場所ではないと思って描いていたら、佐久間象山の事実が出てきた。長野では、1000メートルを越える、田んぼがかなりある。本当に、1610の標高で、稲作が出来たのかどうか。

人の思いがこもった所に、何故か引き寄せられる。絵を描く目で、見る。と言う事は、視覚的にだけ見ているわけではない。分かり易く考えれば、写真のようにはまったく見ていない。見たいものだけを見ているし。見えていないものも見ている。佐久間象山の思いは見ているが、事物として、意味性のある何かを見ているわけではない。言葉にするのは困難さはあるが、この場にある自然の命、私の生命と呼応する何かを、見抜こうとして、見ている。

そうして見ている物を、画面の中に作り出すのが絵だと思う。再現しようとしても、視覚的に見えているわけではないのだから、創作する事になる。事物があるとしてもあるようなだけでそれは、色と、形に還元された、画面上での、絵の具に過ぎない。ここに、画面上に構成される、客観的な要素で、極めて観念的な、思想と言うような物を、表そうとする。
確実な真実として、見えていなければ、画面化は出来ないし、見えているものを再現しているわけでもない。

石の湯の俯瞰は廃園の眺めだ。作られた物が、崩壊してゆく、自然の中に戻ってゆく姿だ。人工物は風景を幾何学的に、区切る。人が掘って作った人工の水路は、いかに自然らしく見せたとしても、どこかおかしな物だ。これを、自然の力が、崩壊する事でなじませてゆく。そこに現れてくる、悲しみのような物が、実は自然の力の絶対性と、人間の無力さであるように感じられ、描きたい思いに引き込まれる。

いつか、日本全国で描いてきた場所をメモしておこうと思う。そうは多くないのだが、他の場所には変えがたいところだ。

志賀高原のような山深い場所が、古く、鎌倉時代といわれているが、どうして、開かれたのだろうか。温泉があるということがある。百姓で暮らしてみると、湯治場は不可欠だ。特に、古い時代では自然治癒として、温泉の意味は今より大きかったのだろう。温泉と言うと、お風呂と言う事になるが、これが風景を描いていると、至る所から力が、湧き出ている場所と言う事が分かる。地面に力があるというのだろうか。

ムーブマンがあるといったほうが、絵描きっぽくて、変な宗教家と間違えられないだろう。例えば、木々の樹相が温泉熱で、違っていたりする。草の様子が、その周辺だけがおかしかったりする。風景ばかり描いていると、そうした微妙な変化に敏感に成るのだろう。山の形も、当然地下のマグマの影響で他とは違う。だから、私が描く山は、火山ばかりだ。火山のムーブマンがすごいのは当然の事だ。
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養鶏な日

2006-05-08 05:23:56 | 自然養鶏
養鶏に専念する時間は毎日1時間と火曜日の全日となっている。
どんな日々なのか、書き留めておく。多分、1年もすると、少し変わっているのだろう。

私は朝が担当だ。夕方は内の奥さんが担当する。朝は、子供の頃から早起きで、年寄りに褒められる子供だった。年寄りに近くなった今は、4時が起床時間で、8時に寝てしまう。朝早いうちに鶏の事をやるのが一番。朝の仕事は鶏のエサ作りや餌やりの時間だ。

落ち着いて観察する事が、何より大切に思っている。2匹の犬を散歩しながら、1キロ離れている、養鶏場まで歩いてゆく。
養鶏場に近づいたら、先ず、鼻を利かす。ニオイの第一印象が大切だ。発酵の組み合わせで、出来ている養鶏なので、発酵臭のわずかな違いを嗅ぎわける事が、最初の仕事だ。ニオイはすぐ分からなくなるので、最初の一発を注意深くクンクンやる。いい匂いがすれば基本的には大丈夫、なんか厭なニオイがあれば、要注意。
最初と言えば、養鶏場に近づいていくときのもう一つの観察は、動物や鳥の逃げてゆくのがいないか。空のカラスや鷹。あるいは犬や猫だ。うろちょろしていれば、注意信号だ。

電気柵の通電の確認。を鍵を開けながらする。そう、番号の鍵なので、これも確認、私にはこれで誰かが着たかがわかる。良く人が来るのだ。
それから、おもむろに、まだ、作業にしない。のんびり鶏を眺める。ああいいものだと、順番に眺める。どう眺めるかもあるのだが、これは別の枠で、鶏の観察法でまとめてみたい。
鶏の目線で、時間を先ず過ごす。異変がないか。調子がいいか。フンの常態は必ず見る。手で持って手につかない、ニオイがしないフン。触りたくない様なフンならダメ。

鶏の動き、エサ箱の状態で、その日のエサの量、比率を決める。嫌気は体調管理、好気は卵の味、量。エサはリズムを付ける。足りない日と余るぐらいの日の波を付ける事。卵の産卵数の流れも把握の上、その日のエサ量を決める。
そこで、エサ作りに入る。エサは当然発酵熱とニオイの確認から。嫌気発酵はすっぱさの状態を見る。いい発酵の状態を食べてみて覚えておき、気になるところがあれば、食べてみる。家に見学に来て、食べてみるような人は見込みあり。

好気発酵は必ず手でつかんで温度、湿度をみる。この時、昨日の状態からの変化、明日の状態の予測。流れの補足が必要。自分の予測どおりの状態が作られているかを、確認。

エサは朝夕の2回ほぼ同量。1羽100グラムから、200グラムの間。攪拌機に、バケツで、各エサの量を数えながら入れ込み、良く混ぜて、又バケツに戻す。この時、夕方の分もバケツに入れて、保存。攪拌の結果全体では熱のないものになる。シットリぐらいの状態になる。これも、夕方には熱が出ていて、普通。

大切なエサやり。満遍なくばらまく。食べれない鶏がいないように。エサをやりながら、鶏の状態を良く観察。一番鶏の状態がわかるときだ。雄同士の騒ぎも状態の確認。おかしな奴がいたら、別飼いの小屋に移してやる。

水の確認、補充をする。これで毎日の朝の作業終了。

肝心な「養鶏な日」は火曜日だ。
この日一日は鶏の日。卵の配達。エサ集め。エサ集めは、オカラと魚アラとくず米、米ぬかが中心。エサの仕込み。見学者の対応。草の管理。小屋の直し。その他、ありとあらゆる鶏に関することをこの日に集中して行う。
金曜にもう一度卵の配達はあるが、殆ど全てを火曜でこなすことにしている。手伝いの人も、この日の午後に来てもらう。3人でフンの袋詰めから、草刈、切りのないほど仕事がいつもある。だから、やり切れると言う事はないのだが、緊急性のあるものから、こなしてゆくと言う状態である。

この何となく遣り残しの在る、状態を。不愉快に思わないで、受け入れる事。
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遺伝子組み換え作物

2006-05-07 04:07:09 | 環境関連
井上さんから遺伝子組み換え作物の、日本での広がりについて、調査があるのだが、菜の花の調査に協力してもらえないかと言う、要請があった。私が平塚の全農神奈川の研究所での稲の遺伝子組み換え野外実験に対し、強い反対行動をしたことがあるからだと思う。この時は、私なりにあらゆる角度から、反対行動をして、いったんの実験阻止が出来た。

日本のアブラナ科の類が、遺伝子組み換えの品種との自然交雑によって、既に汚染されてきている。と言われている。それで、私の栽培している自家採種の菜の花などを、調査してもらえないかと言う事だった。お断りした。
それは以前、有機農業研究会の機関紙『土と健康』に菜の花の栽培を止めよう。と言う、記事が掲載された事があるからだ。この会には以前私も入会していたが、今は退会した。理由は又別の機会に書きたいと思うが、この会は意思決定の仕組みが不明瞭なのだ。有機畜産の基準では、とんでもない事を農水省に要請文を出している。

菜の花の遺伝子組み換えの恐れがあるから、栽培を止めましょう。と言うのはいかにも、消費者好みの、小児病的意見だ。そんな単純なものではないと私は思っている。調査した結果どのような行動を取るか。このあたりに展望がないまま、調査だけするのは恐い事だ。

遺伝子組み換えは大問題だ。是非止めてもらいたい事だ。アメリカのモンサント社の、種苗及び農薬独占のシナリオだ。例えば、遺伝子組み換えトウモロコシを栽培いしている農家のとなりで、トウモロコシを作ったとする。それが風で、花粉が流れてきて、私のトウモロコシが汚染されてしまったとする。私が隣の農家を訴えたいのが普通だ。所が、私が訴えられる事になるのだ。交雑してしまったトウモロコシを自家採種して、播くととすると、当然、遺伝子が組みかえられている。それを、モンサント社が特許権の侵害であるとして、訴えてくるのだ。これが実際に裁判で私が負けているのだ。妙な物を作っておいて、ふざけた話だが、このやり方で世界の作物を牛耳ろうとしている。それは、同時に農薬類の専売体制も目指す事に成っている。

遺伝子組み換えの作物を食べたくない。正直、害があるかどうかは疑わしいと思っている。例えば、糖尿病のクスリのインスリンなど、大腸菌の遺伝子を組み替えて作ってもらっているのではなかったか。養鶏の資材にも、酵素添加飼料というのは遺伝子組み換え由来を疑った方がいい。酵素パワーの何とか、とか言う洗剤も遺伝子組み換えだ。組み変えした物を直接食べるのでなく、組み替えた物が生産した物を食べる場合は、歯止めがない。害があるか証明しろといわれたら、私には出来ない。出来ないが、私の食べたくない気持ちは、どう保障してくれるのだろう。こうやって、弱者が、アメリカの世界企業に押しつぶされてゆく構図が許せない。

そもそも、放射線を当てて作物の突然変異を起こして、新しい作物を作るような努力は馬鹿げていないのか。私の親類にこの研究者がいるのだが、自然界で起きている事を、再現して、突然変異の確率を高めているだけだと言っていた。花粉を冷蔵庫で保存して、交配するのはどうだろう。私の専門である、鶏で言えば、元は全て、赤色ヤケイ一種である。これを様々に交配してきて今の500種といわれる、鶏種があるのだが、人工授精はどうだろう。私は、今人間が行っている全ての交配に於いて、指針を作るべきだと思っている。その上で、人間に許される交配の限界を決めるべきだと思う。いまや人間のクローンすら作ろうとしている。

じゃ何故、菜の花の調査に協力しないのか。これは調査の結果、どうするのか分からないからだ。お前のところに菜の花は遺伝子組み換えだと分かったから、どうするというのか。止めろといわれるのだろう。止めてどうなるという見通しなのか。全く、その運動の方向が定められていないのなかで、農家にだけ負担させる結果になることが目に見えている。井上さんには申し訳なかったが、そうした調査には協力したくなかったのだ
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猫ネコ子猫

2006-05-06 05:55:04 | 環境関連
子猫が来て、3週間が経った。ネコは奥さんの担当で、私が、触ろうとすると、必ず手が汚いから、触ったら病気になる。と言うことに成っている。
ケイトラに子猫を隠したと言う、親猫も随分間抜けなやつだ。どういうものか、野良の親というのは、引越しが好きだ。子猫を口でぶら下げて、延々と引っ越す。目先の不安に駆られて、すぐ移動する。いつも危険に満ちているのだろう。

しかし、我が家のネコのように、外は危ないと言うので、家に閉じ込められているネコより、よほど野良は幸せ者だ。ネコは随分の間抜けから、天才と言えるようなやつまで、能力差の大きい生き物だ。当然、野良で生き貫けるやつは、選抜されている。我が家でも、野良出身の血統正しいやつがいるのだが、これは人をよく読む。子供に近寄る事などないが、ネコ好きの人が尋ねてくると、すぐ近寄って膝に乗る。

松本さんのケイトラに引っ越した野良は引越し途中だったのか、引越しが終わっていたのか、定かではないが、2匹の子猫と集荷場までドライブを楽しんでしまった。集荷場で、荷下ろしを始めたので、異変に気付き、子供を置いて一気に逃走してしてしまった。子猫の様子だと、生まれて、3,4日のところだ。飛び降りて、事の重大さに気付いたのだろう、辺りは見慣れぬ風景だ。一面の畑だ。子供どころでなかったのだろう。多分もとの住処を探して、行ったっきり戻らない。

この顛末が、私にとっては不幸にも、子猫にとっては幸運にも、家の奥さんに伝わってしまった。こうなったらもう居ても立ってもいられない。畑の下見をしているところに、電話が掛かって来て、家まで運んで来い。と言うわけだ。それから、4時間おきにネコミルクを1時間与える生活が始まる。電気ストーブも付けっぱなしだ。ストーブは使わない暮らしを標榜しているにも係らずだ。25度でないといけないそうだ。その上、下にはネコマットで、保温もしてある。私はもう驚かない。我が家のネコは、みんなすごい過保護なのだ。もう私が何を言っても、始まらないのは分かっているので、いつものように、ひたすら耐えるだけだ。

子猫は順調に育っている。又、これが、かわいいのだ。子猫だからと言って、かわいいとは限らないのだが、やはり拾われるように出来ている。昨日のお茶摘も気が気でなくて、参加も2の足だったのだが、もしかしたら、子猫の里親が見つかるかもしれないと言うので、パネルを作って、張り出すために、参加した。途中何度もネコのエサに帰らなければならないので、
これ以上余計な事は書かないほうがいい。1ヵ月半我が家に居るそうだ。3週間たったので、あと4週間の事だ。

我が家には既に4匹の猫が居る。金輪際ネコを増やさない。なんでも素直に言う事を聞くから、飼わせて欲しいと言う、ありえない約束をしたのが4匹目だ。
私が生き物嫌いなら、話は簡単なんだが、私は生き物は何でも飼って来た。蛇やトカゲ、かえるも飼った。昆虫から、魚類、植物、きりが無く育ててきた。金魚もランチュウを相当に飼育した。鶏の事があるので、ほかの事は控えたのだ。ペットとか、趣味とか言うのが、ちょっと体裁が悪い、様な気がしてしまうのだ。鶏も趣味で飼っていたのが、格好がつかないので、養鶏業になったようなものだ。

昔の、実業の友社だったかの出す趣味の本には、必ず、言い訳のように『趣味と実益を兼ねた万年青栽培』とか書いてあったものだ。不純と言うか、正直と言うか。実益になった人が居なかった事だけは確かだ。
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お茶摘

2006-05-05 05:13:07 | 自給
いよいよお茶摘みの日が到来した。お茶摘は自給の活動の中でも、最も分かりやすい活動だと思っている。どんな初心者にも出来て、買うものより、必ずおいしくて、しかも格安に成る。お茶摘が農業の窓口に成ればいいと思っている。

この日のために、2ヶ月間ヤキモキした。2ヶ月前は、今年は桜が早いので、お茶摘も早くなると言うのが大方の予測だった。農業普及所今は、農業技術センターに変名か。ここが、早くなると言うのがそもそもの始まりだった。私には、早くなると言う予測が、全く信じられなかった。桜の早くなったのは、冬に突然慣れない寒さに当ったせいだ。早いような要因は何もない。

花の咲くのと、木の芽が吹くのとは、その仕組みが違うのだ。花というのは時に、12月に桜が咲いてしまったりする、狂う物なのだ。そもそも、木の花は狂っても大きな問題がない。それで、簡単に気温に反応するのだろう。しかし、木の芽の方は違う。早く出てしまい霜にでも当り、枯れてしまえば、木としては生命に係る大惨事だ。稲の種の発芽も今年は遅いかと言うとこれが、例年通りなのだ。なぜ稲の種に寒さの影響がすくなかったのか。これもまた面白いが、話が離れるので、ともかく、花、種、芽では寒さの影響も違うと言う点が大切だ。

では、お茶の新芽がおそ霜にやられるので、茶畑にファーンが着いているのをご存知だろう。あれで、風力発電を同時にやろうかと言うやつのことだ。ファーンは無駄な投資か。これには2つの原因があると見ている。一つは化学肥料の影響。時期が来れば人間の都合で、大量の肥料を入れるのが、茶畑。地下水の窒素汚染の大きな要因となっている。お茶はそれは大量に肥料をぶち込む作物なのだ。この肥料のお陰で、今年はまだまだ寒いぞと、予測して、寝ている新芽を、叩き起こしてしまうのだ。
もう一つが、品種改良。とにかく味優先だ。お茶のような嗜好品はおいしくなければ話にならない。次々に改良してきて、野生的な能力は、すっかり萎えているのだ。どこの生まれかも忘れたような、地に足の着かない生き物に改良、否改悪されたのだ。

本来野生の植物は自然を予測する。寒い年はいつまでも寝ている能力が備わっている。おそ霜がありそうな年は、いくら温かくなっても反応しないで、寝ているのだ。これが自然農法で育てたお茶の能力だ。だから、私達の、育てる自然のお茶はおそ霜にやられないのだ。他所様がやられたおそ霜の年もファーンなしで、乗り越えてきたのだ。今年は多くの農家が、おそ霜でやられている。5月4日の段階で、まだ殆ど工場にお茶が入ってこないそうだ。明日は来るよ。と言っていたが、それほどでもないようだ。予測に反して、例年よりかなり遅いのだ。

そうだ、遅いのだ。これで2ヶ月ヤキモキしたのだ。始め、昨年と同じく、8,9を予測していた。それをどこで聞いても、それでは遅い。と盛んに言うので、軟弱に5,8日に変更したのだ。やはり、8,9日が正解だったのだ。13,14日がむしろ正解だ。私達のように、多くの人に連絡して、150人も繰り出してやるお茶摘は、1ヶ月以上前に、日程を決めて、通知を出さなければ成らないのだ。

今年はいいお茶に成ると思う。最高の状態で、まるで品表会に出すような、すごいお茶になるに違いない。この点、そんな事はない、それなりに成長した、茶葉でないと、しっかりした味は出ない。こう考える人もいる。しかし、今までの経験では、早いほどおいしいのだ。手摘みはどうもそうしたものだ。但し、お茶摘みの手間は、ちょっと大変だ。折角のお茶だから、おいしいのが飲めると思って、今日は頑張るぞ。
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水彩画とは、何なんだろう。

2006-05-04 07:26:44 | 水彩画
水彩画を始めたのは、20年前に山北に移ったころからだ。それでも最初の頃は、スケッチをしても、水彩で絵を描くということなど、考えもしなかった。外で、風景を書き留める為には、携帯が簡便で、便利だと言う事が始まりである。
絵は子供の頃から好きで、図工の時間には水彩で描いてはいた。児童画のコンクールなどにも出していたから、熱心だったのだろう。

さらに、たどれば、幼稚園の時は、クレヨンで描いていた。私は幼稚園に行った少数派の子供だった。
思ったように塗れず、はみ出てしまうので、それを人に見られるのが嫌で、かくして描いていた。幼稚園の先生が、どうしても見せろと言うので、必死に隠していた物を、無理やり剥がすように、強引に取り上げて見てしまった。海の上に船が浮かんでいて、空には太陽が、出ている絵だ。図柄を覚えているのは、そんな絵ばかり描いていたからだ。
すると先生はそれをやたら、褒めるのだ。私は、そんなはずがないのに馬鹿にされたと思い。先生が返してくれるや否や、空をまっ黒に塗った。何でそんな事をするのかと言うので、夜だからだと応えた。
私が手におえない子供だった証拠の一つだ。

小学生になり水彩画を描き始めた。これはもう滅茶苦茶な状態だったが、5年生の時に、転向してきた、松川さんと言われた女の子が、すばらしい、思いも拠らないうす塗りの水彩画を描いた。大人の描くような水彩画だった。しばらくは、その真似をしてみたが、手に終えない方法だと自覚して、今度は油絵のように盛り上げる方法に変えた。

中学に入ると、油絵の具を買ってもらった。色々事情があったのだが、油絵の具を持っているというのは特殊な事だった。これは具合いが良かった。乾かない事には困り、いつも服を絵の具だらけにしていた。私の盛り上げたいと言う願望に、油絵の具は、もってこいだった。不器用ではみ出るのが嫌だったのだが、少々はみ出てもかまわないと言う事で、当時はルオーが好きだった。中学の3年間が一番絵に熱中した時期だったと思う。

そのまま油絵が続き、アクリルに変わったのが、27の時である。フランスから戻った際、アクリルの変えようと考えたのだ。この機会で無ければ変えられないと思い。全ての画材を捨ててしまい。アクリル絵の具に変えた。新しい絵は新しい材料によって生まれる。と思いつめたのだ。

それから、10年ほど、アクリル絵の具で描く。その頃は、材料に対し鈍感で、質感が悪いとか、筆触が汚いとか、色が悪いとか。アクリル絵の具の問題点は、その内科学の力が、解消してくれるとうそぶいていたが、本当のところは、深くは感じていなかったからだ。

水彩で作品を描いてみようと思ったきっかけは、水彩連盟で会員になったということだ。さすが、水彩連盟の会員が水彩で絵を描いていないでは、話にならないと感じたのだ。水彩連盟に出す絵は、大きさが、100号ぐらいになる。縦、163センチだったかな。これを水彩絵の具で紙に描くということは、最初は戸惑いがあった。筆を変えてみたり色々してみたが、その内、慣れてしまった。材料が違うぐらいにしか考えていなかった。

どうも水彩画と言う物が、今まで無かったのではないか。と思い出したのは、それから10年は経ってからだ。水彩と言う不充分な材料ながら、何とか上手く絵画しています。まだそんな領域だと思うようになった。それは春日部洋先生と勉強会を続けてそう思うようになった。この勉強会のことは又別に書くとします。セザンヌの水彩画に惹かれていった。

セザンヌは水彩で描くときには、対象物の本質だけを、メモするように確かめている。物は本質だけでできていないと考えているらしく、油絵になると、本質を覆う複雑な様相を見せる。水彩ではもっとも大切な事だけを描こうとする。これを絵画と考えていたのか、メモだったのかも分からないが。ともかく、必要最小限の本質を司る要素で描くと言う事が、水彩画のあり方ではないかと、考えるようになる。

そうした視点で、今までの水彩画と言う物を見直すときに、随分間違えてきたと思うようになる。装飾物を必要以上に過多にすることで、材質の弱さを補おうとするもの。描写を細密にする事で、画面の維持をしようとするもの。水彩だから、水っぽく情緒的表現に向いていると言う勘違いから、文学的表現に傾斜するもの。水墨の伝統があるので、日本人に向いている材料と言う事で、水彩の誤解が広がる。

水彩と言う材料は、絵画材料の中で最高の材料だと思う。紙という優れた材料と出会い。これから水彩画でしか描けない絵画と言う物が、現れてくると考えている。

水彩画は、ともかくまだ現れていない。参考になるのはセザンヌの水彩画だ。
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竹薮と竹林

2006-05-03 05:53:22 | 自給
何故かインターネットが繋がらない。他の機能が問題ないので、ケーブルテレビの何かが不調なのか。こうなると何も出来ないのだから、便利と言うのは、随分不便な気分にさせられる物だ。

竹薮の片付けを続けている。竹薮は全部で500坪あるので、このうちの400坪を切り開くつもりだ。もう一息である。問題は切った竹の片付けの方で、これが、まだ山のようにある。真竹なので、5月末になると、竹の子が生えてくる。

ここでやっと繋がった。

竹の子が出てくる前に、片づけを終わっておきたい。それで出てきた竹の子を、全て取ってしまう計画でいる。今年竹の子を一切出さないで、一年間待つと、あの強い密集した根も、トラックターで耕運できるぐらいにはなるそうだ。

今年の孟宗竹の竹の子シーズンは3回、竹の子堀をやった。記憶では何度かはやっているのですが、せいぜい1、2本掘って見たと言うぐらいで、本格的にやったの初めてのことだった。これが結構面白かった。大変な作業だと言うのも分かったのだけれど、やりだすと止まらない面白さもあった。それで、3回目には竹の子堀専用の鍬を購入して、やった。

2回目の時、専用の道具を使うと、3倍の速度で掘れる事が分かったのだ。4,800円した。しかし、この後真竹のシーズンも残っているし、そうとう思い切って購入した。お店で置いてある最後の物だった。今頃遅れて買う人はいないだろう。
張り切って始めると、やはり道具だ、手に持ったとき少し重いな、と感じたのですが、この重さが調子よく竹の根を切り取ってしまう。弱点は付け根のぐらつきだろう。クサビをこまめに管理してやる事が大切なようだ。

3倍の速度で、多分1時間で10本は掘った。6分で1本か。真竹の方が急に楽しみになった。この真竹と孟宗竹の違いは、どこにあるのか。全く違うのだか、素人に分かる判別法はないか。この辺の人に聴いて判らない人はないのだが、全体の様子の違いで、一瞬で見分けているので、どこが具体的に違うのかと成ると、素人向きの判別法はない。そこで、先日田んぼで一緒に作業した、湿生花園の高橋さんに伺うと、節のところが2本の線にになっているのが孟宗竹だ。こう教えてくれた。これは分かりやすい。その時はそう思ったのだが、その後、2本ねぇー、2本が難しい。そのとき、植木屋さんのまごのりさんから教わったのが、孟宗竹の由来である。中国から入って、門外不出だった物が、江戸時代広がっていった、そうだ。全国至る所に今はあるのだが、竹が貴重だった、物が全て貴重だった時代の事だ。

真竹の竹薮を100坪ほど残す予定だ。それで美しく管理してみようと思う。坪1本としても、100本の竹の子も取れるはずだ。これを上手く保存すれば、一年食べられる。乾し竹の子もやってみたい。細工物には、真竹じゃなければいけない。大工さんが地鎮祭の四方に使うのも真竹だ。小田原で使う、正月飾りも真竹のはずだ。松飾りの3本立てる竹は真竹のはずが、多分孟宗の方が、見栄えがいいというので、最近は孟宗の方が多く見かけるようになってしまった。舶来を縁起物に平気で使うのが日本人だ。

真竹の方がおいしいと言う。味の事は、何でも難しいのだが、この辺の人は押しなべてそういう。今年はどちらもみっちり食べる事になるので、私なりに結論を出したいと思っている。最近分かったのは、同じ孟宗竹でも、竹林によって味が、特にあくが違うと言う事だ。よく管理された、肥沃な竹薮では、あくが少ないように思った。それだけでなく、以前栃木のお寺の竹の子は、よく管理されているのですが、あくが強かった。翌日には食べられないほどだった。土の違いもあるのではないだろうか。

竹薮は困った物だが、竹林は美しい。管理された竹林の見事さは、格別な物だ。以前、アメリカから環境会議で見えた方に、竹林を案内した。ビューティフルの連発であった。かぐや姫が、出てきて不思議がない、神秘的に美しい竹林だ。日本の自然の、管理された美しさの、象徴だと思う。
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憲法講演会

2006-05-02 05:42:42 | Peace Cafe
獨協大学の古関 彰一先生の憲法講演会で勉強させていただいた。毎年、第一マネジメントセンターと言うところが、憲法記念日にあわせて企画されているそうだ。なんと、38回目の開催である。この組織がどんな組織かは全く知らない。たまたま、街を歩いていて、ポスターを見かけて出かけた。
代表が勝俣さんと言われるが、どういう方かも判らない。挨拶で言われるには、社内の勉強会からスタートした。どこからも独立し、自由に勉強を続けてきた。定期的な勉強会があり、年一回の講演会になるらしい。

ナックビルの7階の会場で行われた。入場無料である。5分前にエレベーターを降りると、ごった返している。どうもかなりの人が、知り合いのようである。おかしな集会だったらどうしよう。チラット頭を掠める。参加の記名を行い、席に着こうとすると、既に200ぐらいの席は満席のようで、整理の方が前のほうが空いているからと言う事で行ってみると、一番前の席だった。ともかく、まだどんな話かも分からない状況で心配しながら、レジメを見ると。「憲法九条はなぜ制定されたか」と言う講演で、アメリカの押し付けで出来た、と言うことが書いてある。この先だから、変えるべきだという考えも良く聞くので、不安は残る。さらに読むと、だからと言って変えるべきではない、と言う方で、一安心。

古関先生は「新憲法の誕生」と言う本で、吉野作造賞を受賞されているそうだ。最近では、『「平和国家」日本の再検討』岩波書店。『憲法九条はなぜ制定されたか』などを出されている。30年の間、憲法がどうのようにして制定されたかを、極めて実証的に、資料に基づき調べてきたそうだ。それが、昭和天皇が死んでから、一級の資料が出てきて、かなり制定の真実が見えてきたそうだ。映画『日本国憲法』なども、これらの資料を制作の参考にしたのではないだろうか。

結論だけ記すと、
○憲法九条はマッカーサーの発想であり、その目的は昭和天皇の戦争責任を免責し、天皇制を存続することにあった。天皇、マッカーサーの会談は12回あり、その内容も公表されているそうだ。天皇は役に立つ、の発言あり。

○9条によって生じる安全保障問題は、沖縄を基地化することで、解決可能と考えた。ソビエトの拡張主義に対抗するため、強い軍事力を必要としたが、空軍中心の防衛で、充分対抗きると考え、沖縄にアジア防衛の拠点空軍基地を、作る事で、日本の非武装化と抱き合わせを考えていた。

○日本人は9条を天皇制、戦争責任、沖縄の基地化と関連付けて、認識してこなかった。

○9条は、日本が再び連合国やアジア諸国の脅威とならない証であり、国際社会で生きていくためのパスポートであった事を再認識したい。
日本が国際協力や経済活動で、海外に出た場合、有利に受け入れられたのは、日本の非武装であり、9条のお陰であった。

実に分かりやすい、しかも、学門的な専門性もあり、勉強になる講演会であった。水生昆虫の分類の専門家から、話を聞いているのと同質の、興味深さがあり、揺らがない事実が、実証的に導き出される事が、気持ちよかった。

「私は大切な事実だけを提出する。私が結論を言わないで考えて頂く事が、重要です」
素人の床屋談義とは、根本から違うと感じました。
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