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薦田さんの種牛

2010-07-17 04:09:10 | 自然養鶏
宮崎県高鍋町の種牛農家薦田さんが東国原知事の直接の願いを受けて、6頭の種牛の殺処分を受け入れた。何の罪もない、健康な種牛が法律の壁で殺処分される。哀れな話である。こういう命を粗末にする理不尽を、子供たちには聞かせられない。学校教育では国の正当性と命の大切さをどう天秤にかけるのか。国の主張の根拠は唯一口蹄疫対策特別措置法という法律である。どう考えても法律がおかしいだろう。法律を整備し直す必要がある。これが人間の命だったら、どう考えるか。大多数の人が許されないと考えるだろう。それが、家畜ということでこの理不尽な殺戮が行われる。健康で、問題のない、種牛がなぜ殺されなければならないか。根拠があるとすれば、清浄国の枠である。経済の問題だ。お金に命を変えることを、当然とする国。こんなものは勝手に日本が決めたものだ。汚染国を理由に輸入障壁を作ってきた。食料は貿易の対象にすべきでない。

東国原知事は態度を豹変させた。理由は、県の口蹄疫隠しが獣医の告発で、見えてきたことにある。宮崎県新富町の農家で6月25日に、口内に異常がある牛1頭が見つかった際、県が検査を実施しないまま殺処分していたことが、15日わかった。農水省が、現場にいた獣医師らに事情を聴いたところ、「口内にびらんのような症状があり、口蹄疫の可能性はあると感じた」と証言。一方、県は「赤い斑点など軽微な症状の牛が1頭だけで、口蹄疫ではないと判断した」と説明したという。写真撮影や検体の採取は行われず、農水省にも報告されなかった。 これこそ県の重大な過失。法律違反である。移動制限の解除に向けて、検査もせずに殺処分を急いだ。それ以外考えられない。この犯罪行為をなかったことに収める事をちらつかせ、種牛の殺処分受け入れを急いだと、こう考えるとつじつまが合う。

宮崎県も、国も何のために戦っているのだろう。お金のためだけなのか。家畜の命の尊さは、少しも省みていない。本当にこの病気と闘うなら、疑いのある牛の血液検査をしないなど、考えられない。どうせ殺すのだから、わかりはしないと、他にも調査せず、殺処分に回された牛がいたかもしれない。大切なことは、ウイルスの変異の遺伝子レベルの調査である。そのことから、ウイルスの拡散の地図が描ける可能性がある。材料は多いほどいい。その地図から、この病気の伝播の実態が見えてくるはずだ。そうすれば、次の流行を防ぐ道筋が見えてくる。ただただ殺処分を急いでも、次の流行には役立たない。必ずまた流行を繰り返す。口蹄疫ウイルスはさらに強力になって、牛と牛飼いを苦しめるにちがいない。経済動物として、殺処分を一番の安上がりと対処したところで、畜産の未来はより不安が募ることになるだけである。今の飼い方そのものに無理がある可能性が高い。

薦田さんは6頭の種牛を県に無償で提供し、今後の宮崎牛の育種に生かしてほしいと、申し出ている。経済でいわれているのではない。牛にかけてきたすべてが、理不尽に断ち切られることが耐え難いのだろう。72歳というから、生涯を宮崎牛の育成にかけてきたに違いない。大切な種牛である思い。かわいいという思い。たぶん、何人もの種牛の育成をしてきた方が、こうした悲しい思いをして殺処分を受け入れたのだろう。健康でも、殺さなければならないような方法以外ないとすれば、畜産は禁止したほうがいい。6頭を残すことでは、お上の面子が立たない。示しがつかない。命を粗末にすることは、お金のためなら許されると、国が法律で決めているのだ。こんな倫理の崩れたことがあるだろうか。そして、世の中の大勢は、仕方がないという空気である。
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