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石垣島の城(グスク) 大浜フルストバル城趾

2019-11-06 03:58:48 | 石垣島


 首里城が燃えてしまった。喪失感がある。私の沖縄というものの象徴であった首里城。それで石垣にあるグスクに行ってみようと思った。悲しい気持の中にいる。悲しい気持を収めるつもりで、大浜にある、石垣フルストバルグスクに行ってきた。オケヤアカハチの居城と言い伝えられているグスクである。

 これは石垣に残る観光資源の最高のものだ。なぜ復元が途中で終わっているのだろうか。ああ、もったいない。これが完成すれば、間違いなく石垣で1,2を争う観光名所になるであろう。

 オヤケアカハチは首里王朝と戦った、八重山の英雄である。生まれたのは波照間島と分かっている。その後、石垣島大浜に拠点を移し、石垣島を統括する王になる。首里王朝にたいして戦いを挑み、敗れる。於茂登岳の麓の泥田に隠れて、殺されたとされる。小浜島に逃げたと言う異聞もある。小浜島にはオヤケアカハチの森という場所がある。


 現在フルストバル遺跡は城壁を再建中である。国の遺跡指定はされ、国有地になっているのだが、いまだ石垣島まではグスクの整備の手が伸びていないようだ。石垣市としてはこの付近を石垣の歴史地区にする計画はあるようだ。博物館の移転なども計画の中にはあったらしい。あったというのは、計画はずいぶん前の話で、そのままに成り立ち消えたかのようである。

 フルストバルでは発掘調査により、武器類が出ない。そのためにここは集落跡であり、城趾ではないのではないかという、研究報告もある。この推理は城というものが軍事拠点という先入観念にとらわれている判断だろう。間違いなく城趾である。


 理由は沖縄のグスクはそもそも軍事拠点ではないのだ。フルストバルはいかにも地形的にグスクが作られる場所だ。沖縄本島や宮古などのグスク跡をほとんど歩いてみたが、こうした海の湾が見える、高台の場所にグスクが位置する。又御嶽を見える場所に作られ、その方向に向かう炉も切られている。

 沖縄の城というものは軍事的な要塞というよりも、平和外交の接待所的な役割が大きい。それは首里城も同様である。国としての文化的高さを示すという要素の方が大きい。戦わずして治めるための平和のグスクである。グスクは礼樂が奏でられた場所である。それは首里も、石垣も同じであろう。
 

 フルストバルグスクは必ず復元する必要がある。復元をすることで、石垣島の心のよりどころが生まれるはずである。平和の島、アジアの交流拠点にも、平和の象徴が必要である。これだけの文化遺産をこのままにしておくことはあまりにも惜しい。

 それは首里城が燃えてしまった事で痛感したことである。この場所に博物館を作る。そして、舞台を作る。八重山舞踊を演ずる。八重山の礼樂を示す場所にする。建物は堅牢であれば、簡素なもので充分だろう。


 宮良湾が見える。宮良川のマングローブ林も見える。景観も素晴らしい。周辺の樹木はできる限り伐採しなければならない。グスクを取り囲む城壁が海の方からも見えるようにする必要がある。広い空間をとり出す必要がある。グスクでは空間のパフォーマンスが重要だ。

 照明だけは充実させる必要がある。夜にはライトアップする。素晴らしいことになるに違いない。そして、時にはここでお祭りが行われる。そして礼樂を楽しむ。必ずや世界から注目される場所になるだろう。オケヤアカハチの歌劇を演ずることができれば素晴らしいだろう。


 この石垣の石は戦時中陸軍によって運び去られたそうだ。飛行場の爆撃で開いた穴を埋めるために使われたのだそうだ。多分樹木に覆われて何も見えなくなった時代もあるのだろう。だから、石垣の人の中にも記憶されていない場所なのかもしれない。

 世界から石垣島を訪ねてくれる人が増えている。それは海の美しさだけではない。石垣に流れている平和の空気である。こうした空気を演出することは極めて難しいことである。石垣島という地勢に負うところが大きいのだろう。その安寧の空気を形としてみせるのが、この石垣である。空間のパフォーマンスなのだと思う。



 現在広い空間が石垣の前に作られて芝が張られている。なぜかそこに樹木が植えられている。あとから植えられたものに見える。これは取り除く必要がある。もし植えるとしてもどうしても必要な数本で良い。

 海側の樹木はすべて切り払う必要がある。石垣の向こう側にある樹木はすべていらない。石垣が崩れないようにするための崖の補強工事は必要であろう。そして、崖の下から上る道は必要である。できれば昔の道を見つけて再現するのが良いだろう。


 金沢城跡もそうであった。大学であったころと今では上る道が異なる。自動車道を止めて歩いて上ることで、お城の迂回してのぼる道で、見えてくる空間がある。グスクにたどり着くまでの道は重要な意味を持つはずである。

 そして登り切った城趾には何もない広い空間が必要である。広場は必ずあったはずだ。それでも門というものは欲しい。どこにあったのだろうか。それにふさわしい場所に門だけは再現して貰いたいものだ。

 これは首里城が燃えてしまい、改めて感じたことである。私の石垣島の夢である。石垣島に象徴となる、フルストバルグスクを作ろうではないか。

 

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