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震災6年

2017-03-12 04:24:50 | 暮らし

散歩中のフクちゃん。6年前南相馬で飼い主と別れた。

あの日から6年が経つ。あの日から日本は変わった。日本人が変わったようなきがしている。つぎの災害に対する不安がこびりついている。6年前大震災による原発事故があった。福島から来た猫と鶏と犬がいる。鶏はもう1羽だけになった。猫の2匹は元気そのものだ。家にいる猫の中では最も野性的で、意外なところで出会ってびっくりすることがある。外で会うと、びっくりするほどなついてくる。ゴロゴロ言いながら、地面を転げまわっている笑ってみせる。家ではシラッとしているのに不思議な感じがする。先輩猫が5匹もいるところに入ったから、6年経った今でもまるで子猫である。セントバーナードは来た時が1年から1年半くらいと言われていたので、7歳から7歳半という事になる。相変らずいい犬をしている。全く困らせない犬だ。夏の暑い間はバテ気味で、食欲もなく、散歩すら嫌がっていたのだが、今は元気を取り戻している。大型犬は寿命が短いから、衰えも早いので心配している。

いつも静かだ。吠えることはめったにない。

あの時、南相馬のキングケンネルというところの犬らしいという事で、南相馬に行って訪ね歩いたのだが、ついにわからないかった。立ち入り禁止区域にあった犬舎という事で、何もわからない。保健所や市役所にも行っては見たが、犬どころではないという感じで、それ以上のことは出来なかった。飼い主さんに元気で家にいるからと伝えたかったのだが、それも出来なかった。2匹の猫は姉妹である。野生化した猫の子供と思われる。だからまだ6歳になっていない、保護団体に保護されて家に来た。鶏は避難する農家の方が、鶏を置いて行けないというので、私が貰う事になった。鶏は今一羽になってしまった。卵も産まなくなった。年月が経過したのだ。助けられたのは犬猫鶏ではなく私だった。あの得体のしれない不安だけは今も体の芯に残っている。あの日を境に、潮が変わった。方角が変わった。どこか気持ちが晴れない。外向きの気持ちにはなれない。それは年齢のこともあるのだとは思うが、日本の変わった日だという事も思う。

南相馬を思い出しているのか、どことなく寂しそう。

東京電力は音さたなしである。被害を受けたお茶に対する補償請求はした。にもかかわらず、無視されたままだ。東京電力に言わせれば、自分の書式で請求しないものには払えないという事らしい。とんでもない話だ。何で加害者のやり方に従わなければならないのだ。被害を調査して、被害に応じて補償することは、加害者の最低限の務めではないか。原発事故という、過去にない事故を起こしておきながら、自分の書式で被害を請求しないものには対応しないというのは、余りに理不尽ではないか。このところが私には納得がゆかない。私の被害は、曖昧なものではない、お茶が政府の命令で廃棄処分になったのである。すでに製茶の終わったお茶が200キロ程度廃棄されたのだ。そして除染の為に大変な作業を繰り返した。近所の農家さんはみんな補償金を貰った。私は個別に被害のあらましを書いて、その金額も出し提出した。それっきりである。もし、賠償金が貰えたら、福島の復興に使ってもらうように寄付したい。


社会的な人間ではありたくなくなった。文句があるなら東電の責任だ、という気分に変わった。自分勝手にやらしてもらって何の文句があるのか。と6年目に思っている。原発事故後1年間は絵を描けなかった。やっと描いた夜の海の絵を玄関にかけてある。あの時の気持ちを忘れないためだ。湿疹が繰り返し出ていた。ヨブ記を思い出した。今は治まった。不満と不安が薄らぐ事が唯一の治療法だった。そして、政府には40年過ぎの廃炉にすべき原子炉さえ再稼働しようという、恐ろしい神経の持ち主たちがいる。それを歓迎し、要求する地元自治体がある。私にはその地元の人の気持ちが最もつらい。人間というのはすさまじいものだと思う。あの原発事故にもへこたれないのだ。地元で暮らす人が原発を選ぶのだから、どうでもしてくれという気分に追い込まれる。原発を選んで、事故を起こした福島の地元自治体を、私は恨んでいる。悲しいことだが、恨んでいる。今原発を選択する地元自治体を憎んでいる。 

 

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2 コメント

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3,11 (yaeko)
2017-03-12 20:56:46
同じくあの日以来一日たりとも忘れることはできず心が晴れることはありません、事故一か月前山で暮らしていた野犬になりかかっていた犬を保護し、その一か月後に事故が起きました。まだ人間には慣れず野生動物の様な犬を連れての避難は大変でした。政府や東電に対する恨みや怒りは今ではまるで何事もなかったように暮らす無関心な人にも感じるようになりました
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どうにもならないつらさ (笹村 出)
2017-03-13 06:51:27
感想ありがとうございます。

昨夜、NHKの原発事故の調査報道がありました。
朝まで眠れないことは分かっていましたが、
胸が張り裂ける思いで、おなかが痛くなりながら、耐えて見ました。

原発は到底人間が対応できる範囲を超えている。
事故当時、原発の中で起きていることを把握ができない。

ついには把握できないまま、処理する人間が混沌を深めてゆく。
その結果深刻さを招く事故処理をしてしまう。

それでも吉田所長を英雄視させる動きがあった。

人間は原発を必要としていない。
原発を止められない人間の欲望、競争心。
日本人がもう駄目だと思うのは辛いことです。
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