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中国の民主主義の後退

2021-10-13 04:17:05 | Peace Cafe


 中国の国家発展改革委員会が公表した案によると、民間企業に新聞、通信社、出版、テレビ、ネットニュースなどの取材や編集を行うことを認めない。政治、経済、軍事、外交、重要な社会問題、文化、科学技術、衛生、教育、スポーツなどのほか、世論を導く実況中継も手掛けることも許さない。ニュースや世論に関わるフォーラムなどを開催してはいけないことも盛り込んだ。ーーー日経新聞

 中国は刻々と民主主義の否定を強めている。豊になるに従って、解放されて民主主義が前進して行くのでは無かったのか。独裁政治をせざる得ないのは、遅れている国として、先進諸国に急激に追いつかなければならないからでは無かったのか。

 どうして習近平政権は方向を誤ってしまったのか。次に次に問題が押し寄せてきて、独裁を強める意外に道が無いのか。それとも、独裁体制を続け散るから、次々に問題が起きてくるのか。確かに民主主義は経済競争には不向きではあるが、最後の人間の勝利は民主主義にある。

 報道を国家発信だけにしようと言うことは、それだけ民衆というものを恐れているからに違いない。真実が国民に伝わることを恐れるようになれば、独裁国家のかなり末期的な危険な状況である。大きな破綻が近いとしか思えない。瀬戸際の政策である。一体どうしたことなのだろうか。

 たぶん香港の弾圧を行ったことも、香港の問題と言うより、国内への見せしめなのだろう。そのように考えると、台湾の軍事併合も時間の問題かもしれない。現状台湾は中国に含まれたくないと、民主的な結論を出している。世界は早急に手を打つべきだ。日本は台湾移民を受け入るべきと考えている。このことは次の機会に書く。

 豊になると言うことを続けて行く上で、独裁体制はあくまで一次的なことだと見ていた。習近平政権の目指すところがもう一つ分からなくなった。中国人は日本人以上に自己確立された人々であるし、有能な人がいくらでもいる。こういう人々が、これほど歪んできた独裁体制を黙ってみている理由はどこにあるのだろうか。

 独裁政治によって解決するほか無いような様々な問題が中国にあることは確かだ。悪利用される民主主義の解決能力の弱さは日本では痛感する。例えば汚職を多くの人が苦々しく考えていて、それを撲滅しようとしている習近平政権を認めている。日本ではモリカケ問題でも結局うやむやである。岸田さんは検察が解決したと言っている。何も解決されていないことは誰でも知っているのに。

 あるいは中国経済がさらに発展するためには共同富裕のような、理念が必要と多くの人が認めるからなのか。これも中国だけのことでは無い。IT長者は1次産業の労働者の報酬とは天文学的な労働対価の差になる。新しい資本主義はそういうことをテーマにするのではなかったようだ。

 香港の民主主義が案外平穏に終わりを告げた。国民は恐怖心で動けなくなっているのだろうか。あるいはこれが必要なことだったと少なくとも、香港以外の中国人は感じているのだろうか。いままでの香港の在り方を問題ありとしていたのだろうか。

 ウイルグルの弾圧と言うことが言われる。実態は見えないことも多いのだが、イスラム勢力との対応が難しいと言うことのような気がする。今回のアフガニスタン問題でも中国はいつの間にか、タリバンと外交関係を成立させていた。

 天安門事件を無かったことにしてしまう事ができると言うことがどういうことなのだろうか。歴史というものがこうしてねつ造されていってかまわないものなのだろうか。何か中国人らしからぬ結果に感じる。現代に史記司馬遷はいないのか。中国人で無ければ分からない、緊張があるのだろうか。

 経済はどこかで頭打ちになる。その時に何かが起こると言うことになるのか。中国では不動産バブルの崩壊が起き始めている。中国の不動産価格は富裕層の投資に支えられて、20年前でさえ日本と同じような価格であった。普通の中国人の生活費から見れば、異常な高値である。

 実態価格と言うより、投資価格としてつり上がっている。つまりバブルである。お金を借りてまで不動産投資をして利益が出ていたのだ。ところがその辺が危うくなってきた。中国政府はこれから起こることを、どのように裁くのであろうか。

 中国恒大をきっかけとした中国不動産バブルの崩壊そして「中国経済崩壊」はある程度は起こるのだろうが、それをあえて起している習近平の意図するところはどこなのだろうか。中国のバブル崩壊は政府の調整がきく。その政府の調整を期待して不動産投資がエスカレートしてきた。

 そして、富裕層を苦々しく考える多数派の中国の人達が、共同富裕政策のある意味毛沢東主義者の習近平政権を支持している。これから格差是正に向かうかもしれない。そうした期待感があるから、習近平政権は独裁的ではあるが支持されているのかもしれない。

 日本でも格差社会が広がっている。アメリカでも同様である。行き過ぎた資本主義の競争主義への対応が、中国だけで無く世界中で問われているのだろう。新しい資本主義と言う岸田政権が格差社会の是正を目指すと口にしているが、本当に出来るとは誰も考えていない。

 バイデン政権は中間層の復活を主張するが、アメリカの極端な富の偏在が終わるとは誰も考えていない。その意味で独裁政権である中国の共同富裕政策は、もしかしたら実質経済を変えて行くのかもしれないと、少なくとも中国人は考えているのかもしれない。

 限界を迎えた資本主義の次の可能性はどこにあるのかは分からない。今のところ、能力主義の克服はどこの国でも見いだすことが出来ないままである。その意味で中国政府の国家資本主義の次のかたちに、中国の人達は期待しているのかもしれない。

 その意味で、新自由主義経済を引きずっている日本の経済政策の中で、中国の試みを笑っている場合では無いのだろう。日本は自由のある議会制民主主義の国である。国民の意思で新自由主義経済を選択してきた。

 その結果として、格差が広った。この状態を良しとしている、どうしようも無い状態にある。しかもその限界に達しているにもかかわらず、何ら道が見えないでいる。中国を批判して済むような場合では無いことは確かだ。

 
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