非国民通信

ノーモア・コイズミ

会社は友達付き合いの場ではありません

2012-05-10 23:03:40 | 雇用・経済

“5月病”は日本の文化!? 海外から見たニッポンの“病”事情(ハリウッドチャンネル)

 5月になるとやる気を失くす、いわゆる“5月病”。日本では一般に認知されているが、海外で同じような症状はあるのだろうか? また、日本の“5月病”は諸外国でどう捉えられているのか、外国人に質問してみた。

 大方の予想通り、「自分の国にも“5月病”が存在する」という外国人は皆無だった。

・「人それぞれ落ち込むことはあるけど、時期も理由も人それぞれ。みんな揃って5月病なんてことはない。日本人は共通病名をすぐつけたがるのが特徴だ」。(スリランカ:50代男性)

 

 4月に新卒が一斉に入社して、ちょうど一息つきたいところにまとまった連休があるという日本特有のスケジュールがあってこそ「5月病」というのは成り立つわけで、そうした事情の違いを無視して外国人に「5月病」を問うというのも随分と間が抜けた話です。まぁ何ですか、私のような転職の機会を窺う身からすれば5月病で新入社員が適度に脱落してくれないと困ったりします。新卒が採れるときは、どこの会社だって新卒を欲しがるもの、期の中途で誰かが辞めてくれないと、中途で新たに入り込むのは著しく困難ですから。もっとも中途で入社できる余地の大きい会社ほど、中途で辞めた人が多いことを意味する、すなわち辞めたくなるのも当たり前or成果が出ないと退職を強いられるブラック会社の可能性が高かったりするのですが。その辺はさておき、スリランカの50代男性からは「日本人は共通病名をすぐつけたがる」とたしなめられているようです。

 

友達との飲み会には行ける、海外旅行には行けるけど・・・会社には行けないという心の症状があるらしい(TOP BRAIN)

 これは4月29日(日)に放映されましたNHKスペシャルで私(代表 片桐)が知ったことです。こうした症状は20代~30代で急増しており、上場企業2200社に実施したアンケートの有効回答中、65%の会社にこうした症状の社員がいるという回答を得たそうです。

 特徴は症状は似ていても、原因不明、原因に共通性がなく、休職して復職しても再発を繰り返すそうです。このような社員の対応として就業規則に、「病気欠勤期間中に病気を治すことに専念しなければならない」という一文を盛り込んだ企業もあります。

 私の前職の同期も5年ほど前、一時期、休職しながらも、その最中にSNSで活き活きしていたことを目にしたことがあります。私はそのことを受け入れられずに、SNS上の友達になることはありませんでしたし、同じ会社の社員でないにも関わらず、むしろ不愉快に感じました。

 そうした休職社員の穴は残った社員が埋めなくてはならず、負担がかかります。「病気を治して、1日でも早く元気に復帰して欲しい」ことを願うからこそ、頑張れる訳で、治療専念していない姿を見れば、「俺達は会社を休んで遊ばせる為に働いてる訳じゃない」と今でも私は思います。このトピックスで取り上げたような症状を番組では「新型うつ」と呼び、番組には「職場を襲う"新型うつ"」という題名が付けられていました。

 

 さて、「日本人は共通病名をすぐつけたがる」という悪癖が端的に表れているものの一つとして、この「新型うつ」が挙げられるように思います。こんなくだらない言葉を作って喜んでいるような人こそ、大いに反省が求められると言えるでしょう。

 なお引用元の見出しにあるように「友達との飲み会には行ける、海外旅行には行けるけど/会社には行けないという」のが「新型うつ」の症状とされているわけです。う~ん、「○○が分からなかったらアスペルガー症候群の疑いが~」みたいな信憑性の微妙なテストもありますけれど、どうなんでしょうか、「友達との飲み会には行ける、海外旅行には行けるけど/会社には行けないという」ことを不思議に思ってしまう人がいるとしたら、その人は率直に言って、どこか抜けているとしか……

 バッティングマシーンの球は打てる、打撃投手の球は打てるけれど、公式戦で相手投手が投げてくる球は打てない、そういう野球選手はたくさんいます。まぁ、当たり前のことですよね。それを不思議だと思える人がいたら、その人の頭の中身の方が不思議です。そして友人との飲み会や旅行には行けても会社には行けないのもまた、当たり前のことでしょう。打ちやすいボールは打てても打ちにくいボールを打てないのは、別に本人が怠けているからでも八百長に荷担しているからでもありません。難しいボールが打てないのは平凡な打者にとって至って普通のことです。そしてプレッシャーのかからない行動はできても、プレッシャーのかかる場面では行動できなくなってしまうのも同様です。それぞれ難易度が違うのですから。

 より平明に言い換えるなら「簡単なことはできるのに、難しいことはできない」という状態を指して「新型うつ」と呼んでいるのではないでしょうか。ごく当たり前のことなのに「新型うつ」などと、あたかも珍現象であるかのごとく思い違いをしている人の方がむしろ、ちょっと病院で頭を診てもらった方がいいんじゃないかという気がしてきます。ちょっと精神的のバランスを崩した、というより脳という一種の臓器が機能不全に陥ったとき、簡単なことはできても、難しいことはできなくなる、どうしてこれが「新型」なのでしょうか。私など、それが「新型」に見える人の方が病んでいると言いたくもなります。ゆっくり歩くことはできても、速く走ることはできない、そういう人を指して「本当に足を怪我しているのか、怠けているだけではないのか」とか「これは新型の怪我である」などと言い出す人がいたとしたらどう思います?

 ただまぁ、「友達との飲み会」と「会社に行くこと」の違いを理解できない人もいるのかも知れません。私のように前者は簡単、後者は負担と感じる人間であれば、両者の難易度には雲泥の差があるように見えるのですけれど、そうでない人もいるはずです。選りすぐりの社畜であれば、会社に行くこととは息をすることと同じようなもので、気がつけば会社に足が向かっている、それが当たり前と何の疑問も感じないものなのでしょう。ましてや、近年のコミュニケーション能力偏重は、会社との関わりをビジネスライクなものから友人関係を擬したものに近づけているところもあるような気がしますし。

 何かと曖昧な「コミュニケーション能力」ですが、身もふたもない言い方をすれば「友達を作る能力」なのではないでしょうか。どこかの会社が、求職者のコミュニケーション能力を計るために友人の数を聞いてみる云々と述べていたのを見た記憶があります。要するに、応募者にコミュニケーション能力を要求する求人広告に書かれているのはこういうことなのです。


  も
    だ
      ち
        が
          ほ
            し
              い

 特定分野に限っては能力を発揮しても角があって付き合いづらい人間は避けたい、そうではなく自分たちと仲良くやっていける人、自分たちの気持ちを察して上手に合わせてくれる人、最も広範に求められているのは、こういう人なのでしょう。あくまで契約関係とビジネスライクに割り振った態度は職場で好まれないものです。会社で友達関係を築いてくれる人こそが好んで集められる、その結果として会社組織に適応した人=トモダチになっている側面もあるように思います。友達と遊ぶのは好きでも学校に行くのは嫌いな子供は、学校に友達がいない、少ないのかも知れません。逆に学校に友達が多い子供であれば、友達と遊ぶことと学校に行くことに差はないでしょう。だから友達と飲みに行くのも、会社に行くのも同列に見てしまう人というのは、会社=友達を作る場所になっている疑いがあります。会社をあくまで仕事の場所と捉えているのであれば、友達と飲みに行くのと会社に行くことの「難しさ」の違いは当然のこととして理解できるはずですから。

 

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7 コメント

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Unknown (takeshi)
2012-05-11 19:48:42
契約に基づく合理的な労使関係を望む自分としては本当に生きづらいです、この国は。
入社のころ (イチゴミルク)
2012-05-11 22:53:57
そういえば入社してすぐの研修で
他人紹介なんてやらされたなー。

他人が私に代わって私の自己紹介するなんて
すごく変な感じだったのを覚えています、
これもコミュニケーション能力というやつですかね。
Unknown (非国民通信管理人)
2012-05-11 23:42:50
>takeshiさん

 ある意味、合理性こそ日本の経済界で最も嫌われることですからね。ビジネスライクな付き合い方、関わり方では許されないわけです。

>イチゴミルクさん

 なんというか、研修じゃなくて親睦会のレクリエーションみたいな感じですね。でも、日本の「ともだちがほしい」会社では、友達関係を気づくこともまた会社に必要なこととして位置づけられているのかも知れません。
私も (Bill McCreary)
2012-05-12 16:32:31
この番組を録画したのですが、まだ見てはいません。

それにしても仕事と飲み会を並立してどうしようというんでしょうね(笑)。金をもらうのと払うのとでは違うのは当たり前じゃないですかね。
Unknown (非国民通信管理人)
2012-05-12 22:53:03
>Bill McCrearyさん

 その我々にとっては「当たり前」の違いを、理解できない人がいると言うことなんでしょうね。仕事も飲み会も、同じものに見えている人がいるのでしょう。
友達が欲しいなら隣人部に入ろう (GX)
2012-05-12 23:26:18
 私も母によく新しい職場へ行く度に「友達はできたのか」とよく聞かれます。まあ、私が人付き合いが苦手だから聞いてくるのでしょうが(といっても業務に支障をきたさない程度にはやっていますが、それこそビジネスライクな付き合いと取られるかも。)、その度に「友達作りに来ているんじゃないのに。」と思ってしまいます。私が仕事に行くのは金銭を得るため、さらに言うなら働きたくなったら働きたいけど、そいう生き方は許されないし、経歴に空白があると就職すら難しくなるからです。

 話は変わりまして、「友達との飲み会」と「会社に行くこと」の話ですが、両者の違いが判らない人はおそらく「力」があるかで判断しているのではないでしょうか。友達と遊びに行く気力や体力があるのに仕事に向けるそれらはないという。もっとも、これでも気の合う仲間と楽しく適当にやっていればいい遊びと辛く常に真剣に取り組まないといけない仕事とでは使うべき力に大きな違いがあるのですが、ただ単に「力」でひとくくりにしてしまっているのかもしれません。
Unknown (非国民通信管理人)
2012-05-13 14:13:59
>GXさん

 要は仕事に対する割り切り、「金銭を得るため」というのが許されなくなっているところがあるんですよね。金銭ではなく、自己実現だとか社会貢献だとか、そういう胡散臭い代物が罷り通るようになると会社とは人生になる、友達づきあいとも大差ないものになってしまうのかも知れません。

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