非国民通信

ノーモア・コイズミ

今はまだ平静だけど

2008-05-09 23:17:13 | ニュース

 ペットの医療過誤訴訟が急増している。最近では数百万円単位の賠償金が認められる事例も出始めた。医療過誤が続発する背景には、獣医師のスキル不足やチェック機能の形骸化といった業界固有の構造的問題が深く横たわっている。いまや「家族の一員」として遇されているペットをきちんとケアする体制整備は、遅々として進まない。獣医師たちは戦々恐々だ。

「検査なしで全身麻酔され、急性腎不全に陥った飼いネコが死んでしまった。病院を訴えたいので、弁護士を紹介してほしい」

「メスのハムスターを入院させたら、戻ってきたのはまったく別のオスだった。うちのハムスターは手術の失敗で殺されたに違いない」

 引用は冒頭部分だけに止めます。みなさま、ここから先の展開をどのようにご想像されますでしょうか? どこのメディアが書いた記事であるかなど、判断材料になるでしょうか。朝日新聞だったらこう来る、日経新聞だったらこう来る、そんなパターンもありますから。で、今回はダイヤモンド社の記事です。

 実のところ、この冒頭に続く記事はダイヤモンド社であるにもかかわらず内容はかなりまともなので、超展開を期待している人には肩すかしかも知れません。ペットの医療過誤訴訟が急増している、その背景を普通に解説しているだけです。普通の情報を頭に入れておきたい人はリンク先をどうぞ。
 ペット医療過誤訴訟が続出 知られざる動物病院の荒廃(ダイヤモンド・オンライン)

 引用元はペットの医療過誤訴訟を題材にしているわけですが、比較的マイナーなテーマです。マイナーなテーマであるが故に、そこに注がれる眼差しも至って落ち着いたものです。しかるに、もっとメジャーなテーマ、ホットなテーマだったら展開はどう変わったでしょうか? 例えばそう、ペットではなく人間だったら? ペットではなく、人間の医療過誤訴訟を巡る記事であったら、そこから先の展開は違っていたような気がするのです。

 人間の医療過誤訴訟が急増しているとして、その原因は? 例えば産経新聞でしたら、そこからモラルの崩壊に話を展開させるでしょうか。医療過誤訴訟の増加は、患者及び家族のモンスター化が原因だと、そう主張し始めたとしても何の違和感もありませんし、往々にしてそうした主張は読者の喝采を浴びたりもするものです。現に、医療過誤訴訟の原告側を訴訟ゴロと呼んで憚らない人もいるわけで、そうした声が多数派になる、ペットの医療過誤訴訟を巡っても多数派になる可能性は十分にあるはずです。

 ヒトにしろペットにしろ事故は起きるもので、過酷な勤務環境の中で無理を重ねている医療現場ばかりを責められませんが、とは言え医療過誤に遭遇した身内としては黙ってもいられないもの、それで訴訟にもなるのでしょう。ところが、こうした自ら何かを要求し訴え出る人を昨今は一括して「モンスター~」と呼んでいるわけです。それが親ならモンスター・ペアレンツだし、それが患者ならモンスター・ペイシェントですね。いずれこのペットの医療過誤訴訟の原告がモンスター~と呼ばれ、世間のバッシングを浴び、顧客重視のマスメディアがそれを煽る、そんな日が来ることでしょう。

 モンスター~と呼ばれないための方法論は2つほど頭に浮かぶのですが、一つだけご披露しましょう。それはすなわち、訴える内容を変えることです。補償を求めて訴えるのではなく、純粋に復讐を訴えること、相手を罰することを訴えることです。これを心がけていれば、本村洋氏のようにメディアと世論を味方につけることが出来ます。

 それがどれほど微々たるものであろうとも、受けた損害の償いには決して満たないとしても、金銭などの物質的な補償を受け取ってしまえば、たちまちの内に道徳的な非難に晒されます。初めから金銭が目的だったのだ、カネのために被害者をダシにした、○○にたかる訴訟ゴロだ、そうしてモンスターと呼ばれ断罪されるわけです。我々の社会は個人が私的な利益を得ることを決して許しません。

 一方で我々の社会は、他人を罰することに驚くほど寛大です。ある人が他人を罰せよと要求すれば、その人とは無関係な第三者が応援に駆けつけ、一緒に罰を要求することも珍しくありません。誰かにとってプラスになることは許容できないが、誰かを罰するためであれば協力を惜しまないのが我々の社会の道徳です。犯罪の減少に決して満足せず、刑罰の増大に邁進する国ですから。

 そんなわけで、医療過誤訴訟の原告にはいずれ決断が迫られます。ひたすら関係者の厳重な処罰を訴えて世の共感を味方につけていくか、それとも世間を敵に回してでも罰ではなく補償を求めていくか、です。私的な利益を決して許さないのが我々の道徳であり、罰することには賛成するが補償は渋るのが常です。そしてそれに背けばモンスター誕生、そうしてモンスターを駆逐した後に残るのは罰だけです。

 

 ←応援よろしくお願いします


コメント (5)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 料亭の客など残飯で十分 | トップ | 道徳による偽装 »
最新の画像もっと見る

5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
以前の記事に書こうと思っていたのですが・・・。 (ニュースコープ)
2008-05-09 23:45:24
「今の日本人は厳しさを失った。もっと怒るべきだ」などと言われますが、それが間違っていることは管理人さんも私も同じ考えだと思います。
思うに、その「怒り」の向く方向が問題だと思うのです。
相手が社会的地位のない少年や比較的末端の公務員、飲酒運転のドライバーだったりすると、皆「それっ!」とばかりに機銃掃射をかけますが、それが医師や学校、または大企業の経営陣になったりすると途端に矛先が鈍り始め、政府与党やアメリカ(米兵含む)が相手ともなると、もう…という感じです。

結局は自分が負けることのない、手痛いしっぺ返しを食らったりしないであろう相手にしか石を投げない卑怯さ…。外国でデモやストに立ち上がる人々との違いはこの辺にありそうです。
Unknown (非国民通信管理人)
2008-05-10 00:11:04
>ニュースコープさん

 そう、怒りを向ける矛先の変化が大きいですよね。自分達を抑えつけている相手に対して怒りを振り向けるのではなく、自分達より弱く反撃されるおそれのない相手に総攻撃をかけるわけです。格差の固定化とも言われますが、怒りの向かう先も常に上から下への一方向、これも格差の固定に一役買っているような気もしてきます。
明るい未来から遠ざかりたがる魂 (ノエルザブレイヴ)
2008-05-10 00:14:39
いつもながら皮肉が利いていて素晴らしいですが、今回は特に切れ味が鋭いですね。

こういった医療系の裁判では「お互いの立場を尊重する」「何が起こったか言い易い環境を作る」「原因、状況を明らかにする」「裁判に基づき適切な補償をする」「今後起こらないように事故をテキストにし、情報としてプールする」といったことが大事かと思っています。
しかるに、ひたすら関係者の厳重な処罰を訴えるのでは情報は集まらず真相は明らかにならず犠牲者は帰ってこず医学は進歩せず同じ事故が起こる可能性は減らず後に残るのは空しさだけ、ということで良くないと思うのです。

それにしても、突き詰めれば同じ原告であるはずなのに神にも悪魔にもなってしまうこの根拠は一体どこにあるのですかね…?ただ言える事は「原告」「被害者」の扱いはあまりに両極端ではないかということです。
Unknown (Bill McCreary)
2008-05-10 06:57:30
>補償を求めて訴えるのではなく、純粋に復讐を訴えること、相手を罰することを訴えることです。これを心がけていれば、本村洋氏のようにメディアと世論を味方につけることが出来ます。

本論からは外れますが、彼は「WILL」などという雑誌に手記を発表しています。そこにいたる事情を私は無論知るわけがありませんが、いろいろな意味で(実際にむちゃくちゃな最高裁からの差し戻し→死刑判決になってしまったわけで)「世界」のような雑誌でなく「Will」のような論外の雑誌に寄稿しちゃうという現実はとても残念ですね。拉致被害者家族が、極右の文化人達と仲がいいことと同じです。


Unknown (非国民通信管理人)
2008-05-10 21:23:38
>ノエルザブレイヴさん

 勧善懲悪の世界に生きている人が多いのでしょうかねぇ、トラブルは誰か「悪い奴」がいるから起こるのであって、その「悪い奴」を排除すれば解決するとか、そんな風に考えている人も多いのかも知れません。この排除の理論を世論と共有できるかどうかで原告と被告のどちらが「悪い奴」にされるかも変わってくるようなところもあるでしょうか、いずれにせよ解決からは遠ざかるばかりです。

>Bill McCrearyさん

 かの「WiLL」の寄稿者ともなりますと、私などはそれだけで胡散臭く思ってしまいますけれど。自分に靡いてくれる媒体ならば味方と言うことなんでしょうかねぇ。一方で拉致被害者家族会も似たところがあると言いますか、制裁を叫ぶばかりで問題解決への関心はまるでないように見えます。そしてこうした人たちだからこそ、政府や支持層、極右から好かれるのでしょうか……

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

ニュース」カテゴリの最新記事