Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

台詞が音楽を導く

2023-05-15 | 
一昨日楽劇について書いた。楽劇とは、嘗ての叙唱がアリアになってというようなオペラの発祥のモンテヴェルディなどの劇場形式から、管弦楽が絶えず鳴り芝居の説明をしていくもので、ヴァ―クナーのそれをリヒャルト・シュトラウスが推し進めたとされるものである。要するに雄弁な管弦楽が重要な役となる。それを演奏会形式で演奏するとどうなるか。大管弦楽団が奈落に隠されていないのでどうしても音量が上がって歌手はそれと戦わなければいけない。

楽劇の歴史で、ヴァ―クナーがバイロイトに蓋の被った奈落を作ったのはその為。その歌詞が如何に聴きとれるかが芸術的苦心の歴史で、先に述べたモンテヴェルディにおける何処で言葉が終わり音楽となるかのオペラの原点へと遡る。そうした芸術的な苦心への配慮無しでは腕を広げて姿を作るこっぱずかしいミュージカルを上演したりするのと何ら変わらない。抑々生の大楽団や合唱など大掛かりな舞台を作ってのその様な公演は経済的にも文化芸術的な意味合い無しには辻褄が合わない。

東京ではシュトラウスが最も先鋭的に作曲した「エレクトラ」が上演されて大絶賛されているが、そもそもドイツ語歌唱も儘ならない歌手が歌って、誰もその歌詞を聴きとれないようなところで例え先頃同楽劇の舞台で好評を博した指揮者が振ったとしても真面に演奏会形式で演奏されないことは周知の事実だった。
Was willst du? – ELEKTRA Strauss – Grand Théâtre de Genève ― ジョナサン・ノット指揮で評判の良かった昨年のジュネーヴでの公演から、演出に合わせてサウンドトラックの様に器用に振っている。


指揮者のノットは、そうした興行や企画に合わせてうける仕事をしてくる人物で、誰も分らないところで不誠実なことをするような人間はパフォーマーである以前に信用ならない。自分自身も英国人ということで何も分からない猿に教えてやろうというような大それた気持ちもない代わり、うければいいと頭脳明晰なのである。その芸風や人間性は最初に手に取ったリゲティのCD録音で直ぐに知れた。日本でうけ狙いのこけおどし公演をして賞賛されるのが目標なのだろう。

音楽劇場作品に関しても日本ではその受容にも限界があることは既に「影の無い女」の項で繰り返し述べているのだが、「エレクトラ」はそれ程難しい作品ではない。しかしこうしたオペラの歴史のイロハのところで、それを的確に批評できる専門家が存在しない。猶更歌詞を聴きとってというような人物は皆無である。

日本では駄目だと移住した私が、地元のマンハイムの劇場に素早く見切りをつけて、毎年ザルツブルクに通い、そしてミュンヘンにも通ったので分かる様に、音楽劇場のそうした全体像を把握するのはそれ程容易ではない。ミュンヘンが世界の頂点にあるのはそうした何代にも亘るような聴衆が存在して、その層がとても厚いことにもある。バーデンバーデンで幾らやってもその水準には至らない。

来年は復活祭で「エレクトラ」が上演される。どれほど管弦楽を抑えて演奏できるかにその腕が証明される。東京の交響楽団とは比較にならないほど闇鍋にならない大きな音の出るベルリナーフィルハーモニカーがしっかりと歌につけてくる。主役のシュテムメにとっては大き過ぎる劇場で彼女がどれほど明晰な歌を歌えるかでその作品の本質が明らかになってくる。



参照:
込み上げてくる苦み 2022-07-06 | 音
印象的な響き方のその時 2023-05-13 | 雑感

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