お気楽忍者のブログ 弐の巻

ミニカー収集/お魚採取/動植物フォト/行楽記・・・趣味のごった煮ブログ

解禁! 1年前の油日神社ロケ

2024年04月09日 20時00分00秒 | 忍の里 甲賀2

2023年5月4日

昨年のゴールデンウイークに訪れたこのブログではお馴染みの滋賀県甲賀市の油日神社。

油日神社は様々な映画やドラマのロケが行われてて、この時も映画ロケの情報を聞きつけたので行ってみました。ナント!上白石萌音ちゃんと京本大我くん(SixTONES)も来るらしいという情報もありました。

その時はまだ何のロケか明らかになっていなかったから、当時のブログ記事でも詳細は伏せてました。

4月4日、油日神社のホームページで、その時のロケがテレビ朝日プレミアムドラマ『霊験お初~震える岩~』(5/4放映予定)だったことがオープンになりました。

映画かと思ったら宮部みゆきさん原作のTVドラマだったんですね。

引用:油日神社 映画ロケの記録

4日はまだ撮影準備中のようで、参道や境内にお祭り?っぽいセットが組まれてました。

たまたま来たであろう観光客も物珍し気にセットを眺めてます。

油日神社にセットが組まれているのを見るのは、NHKの連ドラ『わろてんか』のロケの時以来です。その時は鈴木保奈美さんや松坂桃季さんが来てました。

団子屋さんの屋台

境内にはおみくじ授与所のセットも組まれてました。

招き猫の置物や反物の露店。

2023年5月5日

翌日は息子を誘って、再び油日神社を訪れましたが、ドラマ撮影中につき通行禁止で神社には近づけませんでした

楼門の前でエキストラの皆さんが説明を聞いているような様子がわずかに見えただけでした。。

当然、萌音ちゃんなんか見えるはずもなく・・・。

神社横のコミュニティセンターが役者さんやエキストラさん達の控室になっていたらしく、その控室に戻る役者さん or エキストラさん(?)の姿がありました。

萌音ちゃんは不思議な力を宿す主人公のお初役、大我くんはその相棒の与力を演じ、VFXを駆使した時代劇ホラーミステリードラマの『霊験お初~震える岩~』は5月4日放送予定。ちょっと興味津々でーす

公式HP:テレビ朝日プレミアムドラマ 宮部みゆき原作『霊験お初~震える岩~』

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鮎河千本桜ライトアップ

2024年04月09日 04時00分00秒 | 忍の里 甲賀2

4月8日 20:00

滋賀県甲賀市土山町の山の中、鮎河地区を流れるうぐい川に妻と夜桜を観に行って来ました。

例年の夜桜見物はまだ寒かったりしましたが、今年は暖かい。夜の8時でも18℃あって快適な夜桜観覧でした

うぐい川の両岸や近くの青土ダム湖畔周辺には多くの桜の木が立ち並び、俗に「鮎河千本桜」と呼ばれます。

但し、ライトアップが行われるのは、このうぐい川周囲だけです。

昨年はまだコロナ禍の余波でさくらまつりは中止になってしまいましたが、今年は開催されました。

でも、露店なんかはコロナ前に比べると少なくなっちゃいましたね。

最近は桜の名所としてガイドブックやネットでも取り上げられるようになった鮎河千本桜ですが、春休みの最終日だったからか、予想していたよりも人は少な目でした。

決して派手なライトアップではありませんが、光がほとんどない山の中だけに、闇夜に浮かび上がる桜が幻想的

甲賀も桜が満開になりましたが、昨日の昼過ぎからは無情の雨と風

花散らしの雨になってしまうのか、もう少し桜が楽しめるのか気になるところです。。

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徳本桜、今年はドンピシャ!

2024年04月06日 21時47分05秒 | 忍の里 甲賀2

 

4月6日 

浄土宗勝寶山 大福寺(滋賀県甲賀市甲賀町)

大福寺は、鎌倉時代にこの地域の地頭だった岩室家の古道場であったのが始まりで、元和年中(1615-1635年)に京の黒谷金戒光明寺の末寺となりました。

寛永19年(1642年)には、京都の浄土宗大本山の知恩寺第37代管長の阿心上人がこの地に本堂を建てて隠棲され、浄土宗の寺院となりました。

このお寺の境内いっぱいに枝を伸ばしている枝垂れ桜は、徳本桜(とくほんさくら)と呼ばれます。

昨年も記事に書きましたが、その時はかなり散ってしまった後でした。

写真を撮ってたら、犬の散歩をさせてたおっちゃんに、「前の土日が満開だったで」って言われたのを思い出します

今年はバッチリ!満開の時期に来ることができました

この枝垂れ桜は江戸時代の文化2年(1806年)に徳本上人がこの地に立ち寄った際、信者となった人たちの集まりである徳本講の世話人が植えたそうで、樹齢は200年を超えています。

年が明けてからは、息子の受験や引っ越しなんかで、バタバタしてるうちに4月になっちゃいましたが、ようやく少し落ち着いてきました。

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甲賀百人組ゆかりの唯称寺

2024年03月06日 21時39分01秒 | 忍の里 甲賀2

3月3日

滋賀県甲賀市水口町にある浄土宗三録山 唯称寺に立ち寄ってみました。何度が車で前を通ったことがあり、いつも気になっていたお寺さんですが、ようやく訪問することができました。

本堂

元々この地には二つの寺院(玉田寺、福勝寺)があり、康応元年(1389年)に無門和尚を開山とし、二つの寺院をひとつにまとめて唯稱寺(唯称寺)となりました。この場所に移ったのは貞享3年(1686年)ということです。

この唯称寺は2020年に日本遺産『忍びの里 伊賀・甲賀-リアル忍者を求めて-』の構成資産に追加されました。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの直前、伏見城で徳川方として戦い、多くの戦死者を出した甲賀衆(甲賀武士、甲賀忍者)。その後、伏見城の戦いで討死した甲賀衆の子弟から与力十人、同心百人を集めた甲賀百人組が幕府お抱えの鉄砲隊となりました。江戸の千駄ヶ谷に組屋敷、権田原に鉄砲場を拝領し、江戸城大手三門の警備を担当したそうです。また、大坂の陣でも高性能の大砲を鋳造して功績を上げました。

本堂改修記念の鬼瓦のモニュメント

迫力のある鬼瓦 社寺や古民家の屋根の飾り瓦を見るのが大好きです。

伏見籠城戦から 250 年目にあたる嘉永2年(1849年)に、甲賀百人組の与力、同心の代表者が訪れ、この唯称寺をはじめとする甲賀衆ゆかりの5つの寺院で、籠城戦で戦死した先祖の250回忌法要を幕府の援助を受けて行ったそうです。

浄土宗のお寺なので、比叡山に旅立つ宗祖 法然の幼少期(お名前は勢至丸)の像がありました。

法然ゆかりのイチョウ

勢至丸が岡山の実家から比叡山に出発される時、使っていた公孫樹(イチョウ)の杖を地面に挿したところ、後にそこから根が伸び大きなイチョウになったそうです(岡山県久米郡の誕生寺の逆木の公孫樹)。

昭和55年に五重相伝のお礼参りに行かれた唯称寺第二十二世安譽上人がそのイチョウの銀杏を持ち帰り、植えたのがこの大きなイチョウです。

境内の墓地には、甲賀百人組の与力だった山中福永をはじめ、山中組10士の墓もありました。

甲賀百人組の歴史は知らなかったので、とても興味深いお寺散策となりました

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忍者の里 甲賀(意匠編4)

2024年02月22日 21時07分58秒 | 忍の里 甲賀2

今日、2月22日は世間的には、「にゃん、にゃん、にゃん」で猫の日🐈

でも、管理人の地元 甲賀では、「にん・にん・にん」で、忍者の日なんです(笑)

朝日新聞DIGITALより(甲賀市職員、忍者姿に 忍者の日 [滋賀県]:朝日新聞デジタル (asahi.com))

甲賀市は隣接する三重県伊賀市とともに、2月22日を「忍者の日」として、観光PRなどに取り組んでます。

市役所でもこの日になると、1階受付の職員の皆さんは忍者装束で対応して下さるんですよ(爆)

それでは、地元の忍者の意匠紹介第4弾でーす。

甲賀流忍者参上 分身の術・・・の顔出しパネル

甲賀の老舗の和菓子屋さんのお菓子いろいろ

今日も忍の里 甲賀を紹介しました。

カテゴリ<忍の里 甲賀 2

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田村まつりの屋台巡り

2024年02月20日 22時11分42秒 | 忍の里 甲賀2

毎年2月17-19日に開催される滋賀県甲賀市の田村神社の厄除け大祭(田村まつり)に行ってきました。

本殿に上がる階段の矢のゲートは、主祭神の坂上田村麻呂が鈴鹿峠の悪鬼を退治した際、「これより後は、この矢の功徳を以て万民の災いを除く。この矢の落ちた地に私を祀りなさい」と言って矢を放ったという伝説に由来するようです。

本殿で参拝

御札の授与所が並ぶこの夜の参道が田村神社で一番好きな風景。

ではでは、お祭り屋台を巡りまーす

参拝前から気になってたあんこがたっぷり塗られた焼き団子を買いました🍡

「ただ今、卵2個入り大サービス中」に釣られて、お好み焼きもお買い上げ(笑)

ちいかわのお面が可愛い

今でもお面を買う子っているんでしょうか?

凄いなコレ! らせん状に切ったジャガイモを揚げたトルネードポテト!

湖国滋賀にふさわしい鮎の塩焼き🐟

すっかり夜になりました。

例年、田村まつりの期間中が一番寒い頃で、雪が降ることが多いのですが、今年は最終日に雨が降っただけで、雪が降ることはありませんでした。

おしまい

過去記事<田村神社で厄豆落とし

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田村まつりで厄豆落とし

2024年02月19日 20時00分00秒 | 忍の里 甲賀2

2月17日

かつて、鈴鹿の山中に巣くい、街道を行き来する旅人を喰らっていた蟹の化け物を退治した叡山浄土宗の祖でもある恵心僧都。

僧が真言を唱えると、蟹は甲羅を八つに割り、消えてしまいました。蟹の流した八つの血の固まりが飴になり、僧は「この八ツ割飴は厄除けに効果がある」と村人に授けたという言い伝えがあります。

今は蟹が坂飴として甲賀市土山町の名物にもなってます。

その鈴鹿峠の街道の入り口にあるのが田村神社

平安時代、嵯峨天皇の命で鈴鹿山脈の悪鬼を退治した征夷大将軍 坂上田村麻呂を祀る神社です。

田村麻呂の死後、疫病が発生した時に嵯峨天皇の勅命でここで厄除け大祈禱が行われたことから、今も厄除けの神として崇拝され、毎年2月17-19日に厄除け大祭(田村まつり)が開催されます。

夕刻、その田村まつりに妻と出掛けてきました。

管理人は5年ぶりの厄除け大祭、前に来たのはコロナ禍前の2019年でした。

参道に露店がたくさん並ぶ田村まつりでしたが、コロナ前より露店の数はやや少ない感じがしました。

地元でこういった人の賑わいを見ると嬉しくなりますね。コロナの間は露店が出ることもありませんでしたから。。

福豆授与所で福豆を買いました。

田村麻呂のお告げにより、境内を流れる御手洗川に架かる太鼓橋から豆を自分の年の数だけ流す事で厄が落ちる「厄豆落とし」も厄除け大祭の大事な神事です。

管理人も自分や家族の厄除けを願って、川に豆を落としてきました

つづく

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忍者の里 甲賀(意匠編3)

2024年01月29日 22時35分57秒 | 忍の里 甲賀2

もち製品を製造販売している地元の農事組合法人さん

さすがに忍者装束でもちはついてないでしょうが・・(笑)

琵琶湖は太古の昔、今の伊賀地方にあり、それが地殻変動によって甲賀地域を通り、今の場所に落ち着きました。

だから、甲賀は琵琶湖の底だった時代もあり、その名残りの粘土質の土壌がもち米の栽培に適してます。

それでは、地元の忍者の意匠紹介第3弾です。

公園のすべり台の上には銀色の手裏剣が付いてますね~。

奥義秘伝 忍者カレー🍛

図書館の看板も忍者!

調剤薬局さんの壁にもたくさんの忍者!

因みに、甲賀出身の有名人として、美容家の佐伯チズさん、東京パラ五輪パラトライアスロン銀メダリストの宇田秀生選手、ジャーナリストの鈴木エイト氏、小説家の姫野カオルコ氏などがおられます。

昔、姫野カオルコさんの著作が好きでよく読んでましたが、姫野さんの本にはよく「田舎が嫌だった」ということが出てくるから、どんな田舎やねん!と思ってましたが、まさか甲賀出身だとは思いませんでした

過去記事<忍者の里 甲賀(意匠編2)

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天台宗補陀落山 檜尾寺

2024年01月14日 12時44分03秒 | 忍の里 甲賀2

滋賀県甲賀市甲南町にある天台宗 補陀落山 檜尾寺(ふだらくせん ひのおじ)に参拝してきました。

大同元年(806年)、比叡山延暦寺の根本中堂建立のための良材を求めてこの地を訪れた伝教大師最澄は、この地に巣くう大蛇が尾を動かす度に火が出て樹木を焼き、人畜を害していることを知りました。最澄はこの大蛇を降伏退治し、直ちに千手観音像を自作・安置して、この火尾寺を創建されたと云われています。

本堂

仁寿3年(853年)に慈覚大師が師命により文徳天皇の勅を奉じ堂宇を再建。

この時、寺号の火を檜に改称して、院号 文殊院、寺号 檜尾寺となり、檜尾神社の別当寺として28院6坊を有する大寺であったと云われています。以後、数回の兵火に焼かれるも何度も再建され、安政年間(1854-1860年)に元空大和尚が現在の本堂を再建しました。

過去記事<檜尾神社の極彩色彫刻

檜尾寺は、近江西国三十三カ所第30番、甲賀西国三十三カ所第11番、近江湖南二十七名刹霊場、びわ湖百八霊場第84番となってます。

文殊院本坊の前にあった毘沙門天石像の苔蒸した感じが素敵ですね

この辺りには補陀落(ふだらく)を山号とするお寺が多いのですが、補陀落とは南の海の彼方にある観音菩薩が住まう浄土のことで、サンスクリット語の Potalaka(ポータラカ) を語源としているそうです。

檜尾寺と檜尾神社から400mほど離れたところにある真っ黒な短い鳥居。

おそらく昔は、ここまで参道が伸びていたんでしょう。

この黒鳥居は、根本の腐食が進んでしまい、上部のみが保存されていますが、一説には江戸時代初期の伝説の彫刻師 左甚五郎の作とも云われてます。

 

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檜尾神社の極彩色彫刻

2024年01月10日 21時04分57秒 | 忍の里 甲賀2

滋賀県甲賀市甲南町にある檜尾神社(ひのおじんじゃ)を訪れました。

この石段は、文正元年(1466年)にこの辺りを治めていた多喜土佐氏が寄進したという刻銘があるそうで、滋賀県内でもかなり古い貴重な紀年銘なんだそうです。

日本遺産「忍びの里 伊賀・甲賀」の構成資産にもなってるようですね。

社伝によると、天津彦彦碑瓊々杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)が降臨した地で、瓊々杵尊が青龍となり雲中に現れ、炎気の尾を垂れたため、初めは「火尾の大明神」として祀られました。しかし、火災がたびたび起きたことで、「火尾」を「檜尾」と改めたところ、火災が止むようになったと云います。以来、火災除けの神として信仰されています。

石段を上がったところにある拝殿がとてもいい雰囲気

滋賀県指定文化財の本殿は、平成29年(2017年)に解体修理が完了しました。

塗り直されているから、めっちゃ新しく見えますが、天正8年(1580年)に池田信輝(恒興)らによって改築され、宝永4年(1707年)に再建された古い社殿です。

軒唐破風に彫られたこれは鬼かな

織田家の重臣だった池田恒興らの池田家はこの付近の出身だったとされ、江戸時代に備前岡山藩や因幡鳥取藩を治めた両池田家は、先祖の氏神として、檜尾神社からお祓いを受けていたそうです。

根性悪そうな猿(笑)

可愛らしい唐獅子

極彩色の象の彫刻もイイ味出してます。

近世らしい極彩色の動植物の彫刻、意匠も見てると楽しいですね。

この後は、この檜尾神社の別当寺だった天台宗檜尾寺にも行ってみます

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三社参り2024 油日神社

2024年01月03日 20時00分00秒 | 忍の里 甲賀2

1月1日

油日神社(滋賀県甲賀市)

初詣の三社参りの最後はこのブログではお馴染みの油日神社。

油日神社の創祀年代は不明ですが、用明天皇あるいは天武天皇の時代の創建とも伝えられている他、聖徳太子が社殿を建立し、油日大明神を祀ったとの伝承もある由緒ある神社です。

その昔、甲賀武士団(甲賀忍者)の頭領たちが合議をしたとされる拝殿は、NHKのブラタモリ「甲賀・信楽」の回(2020年3月放送)でも取り上げられました。

また、油日神社は、中世の神社建築様式を残していることから、映画やドラマのロケにしょっちゅう使われてます。

昭和56年(1981年)に滋賀で開催された国民体育大会(びわこ国体)の炬火(きょか)がここで採火されたことを記念する碑。

びわこ国体の炬火は油日神社、伊吹山、延暦寺、竹生島で採火されたものをリレーで繋ぎ、滋賀県庁前でひとつにまとめられ、会場の大津皇子山陸上競技場に運ばれたそうです。

滋賀では、来年2025年に再び国民スポーツ大会、障害者スポーツ大会が開催されます。

社務所の窓には、ロケが行われた映画のポスターが並んでました。

大名倒産は2022年4月、るろうに剣心は2019年2月にここで撮影が行われました。

現在、放映中のNHKの朝ドラ「ブギウギ」のポスターが追加されてますね。

昨年9月に神社の西参道で撮影が行われたそうです。

6月にここで撮影していた東映の映画かドラマは未だ明らかになってません。。。

大鳥神社では厄除けお福梅、油日神社では黄金糖を頂くことができました。

黄金糖((株)黄金糖)や純露(UHA味覚糖)は子供の頃によく食べた飴だから、とても懐かしい味がしました。

過去記事<三社参り2024 大鳥神社・櫟野寺

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三社参り2024 大鳥神社・櫟野寺

2024年01月03日 03時00分00秒 | 忍の里 甲賀2

1月1日

大鳥神社(滋賀県甲賀市)

元日の午後、地元の3つの社寺を巡る三社参りに妻と行ってきました。

まずは地元の氏神様から参拝。

喪中ではありますが、四十九日を過ぎれば、故人は仏様になっているので、死の穢れは消え、神社にお参りしても良いということになってます。

これ、面白いなぁ~。ナイスアイデアですね

手水舎に杉の葉で作られた龍が飾られてました。

大鳥神社は平安時代の元慶6年(882年)に創建された古い神社で、その神宮寺であった天台宗の河合寺とともに栄えました。河合寺は36院もあって隆盛を誇り、鎌倉から室町時代には近江守護の六角氏の崇敬も厚かったそうです。

天台宗福生山 櫟野寺(滋賀県甲賀市)

櫟野寺(通称 いちいの観音)は、桓武天皇の延暦11年に比叡山の開祖 伝教大師最澄が根本中堂建設の材木を得るため甲賀の地を訪れた時、霊夢を感じてこの地の櫟の生樹に一刀三礼の下、仏像を彫刻安置されたことに始まります。

仁王門の金剛力士像は迫力満点、甲賀市の有形文化財に指定されています。

本堂

本尊で日本最大坐佛像の十一面観音菩薩像は33年に1度開帳される秘仏。次の開帳は2051年です。。

管理人も1度、拝観させて頂きましたが、慈愛に満ちた眼差しで、ふくよかなお顔立ちの素晴らしい観音様でした。

今年はもちろん「合格祈願」の蝋燭を奉納しました。それと、家内安全も

つづく

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忍者の里 甲賀(意匠編2)

2023年10月04日 16時00分00秒 | 忍の里 甲賀2

2004年、甲賀郡の五町(甲賀町、甲南町、水口町、土山町、信楽町)が合併してできた滋賀県南部に位置する甲賀市。

人口はおよそ90,000人で、名古屋と大阪のちょうど中間に位置し、国道1号線や新名神高速が市を貫いてます。

信楽焼の里も甲賀市の一部。

奈良時代、聖武天皇は紫香楽村(現 信楽町)に離宮を造営し、しばしば行幸しました。信楽の地に廬舎那仏像を建立するため、仏像の体骨柱が立てられましたが、山火事や天平地震などで計画は頓挫し、後に奈良東大寺の大仏として完成されることになりました。。

そして、甲賀と云えば忍者。街のあちこちに忍者の意匠があります。

家の前のマンホール蓋も忍者デザイン。

甲賀は「こうが」ではなく「こうか」と読みます。

民間企業の社名では甲賀(こうが)と読ませているところもありますが、自治体名や公共物では甲賀(こうか)が正しい読み方です。その由来は、古代にこの付近を治めた百済系豪族であった鹿深(かふか)氏にあるとされています。

幼稚園バスにも男の子忍者と女の子忍者が描かれていて可愛い

自販機にも忍者

忍法 減速の術!(爆)

 

過去記事<忍者の里 甲賀(意匠編1)

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甲賀郡中惣遺跡 矢川神社にて

2023年10月01日 18時00分00秒 | 忍の里 甲賀2

9月30日

息子を塾に送っていったついでに滋賀県甲賀市甲南町にある矢川神社に寄ってみました。

矢川神社境内は2009年に国史跡の甲賀郡中惣(こうかぐんちゅうそう)遺跡群に追加指定されました。

甲賀郡中惣とは近江への信長の侵攻に対抗するため甲賀武士が作った自治組織で、物事は合議で決められていました。

地元では甲賀武士たちの城跡や関連のある神社が甲賀郡中惣遺跡に指定されてます。

そして、矢川神社は日本遺産『忍びの里 伊賀・甲賀』の構成資産にもなっています。

甲賀武士(甲賀衆)とは普段は農業や行商に勤しみ、指令が下ると、戦場やその後方で工作活動を行った甲賀忍者のことですからね。

楼門は1482年に建造された古いものです。本来は二層の門だったそうですが、暴風で上階を失ってしまいました。

花手水はすっかり秋の装いで、曼珠沙華とイガ栗が飾られてました。

拝殿は新しいですね。

社伝によれば、創建は奈良時代の天平年間で、聖武天皇が今の信楽に紫香楽宮を造営された時とされています。平安時代の延喜式神名帳では近江国甲賀郡八座の筆頭に記載される由緒ある神社でした。

今の本殿は1755年に建てられたもの。

この境内で甲賀武士たちの合議が行われたんですね。

また、江戸後期の天保13年(1842年)には矢川神社に数万の農民が集まり、幕府の検地に反対して決起した「甲賀騒動」(天保一揆)が起こりました。

真紅のサルスベリが咲いてます。

漢字で書けば「百日紅」で、これは100日咲くという意味。10月中旬まで咲くそうですが、真夏の花のイメージが強いですね。

朝晩の気温も下がってきたので、曼珠沙華も満開になってきました

 

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天台宗嶺南寺の大観音

2023年09月27日 16時00分00秒 | 忍の里 甲賀2

9月23日

滋賀県甲賀市甲南町竜法師にある天満宮に行ってみました。

本殿神門

天喜3年(1055年)に安養院(現 嶺南寺)の僧が一社を建立し、菅原道真公の霊を祀って同寺院の守護神とし、地元の氏神として崇敬されたそうです。

本殿

臥牛像

牛の像のある神社はたくさんありますが、特に天満宮の御祭神 菅原道真公が牛と縁が深かったことから神の遣いとして信仰の対象となり、御神牛とも呼ばれてます。

菅原道真公と牛の関係は、道真公の生年が承和12年(845年)の乙丑(このとうし)の年生まれだったからとか、道真公が亡くなった時、遺体を乗せた牛車の牛が伏せて動かなくなり、そこを墓所としたという説もあるそうです。

本殿の左右の縁にはシーサーみたいなファンキーなお顔の狛犬が置かれていました。

後ろの虎の彫刻も素敵ですね~。

向拝の龍の彫刻の目が綺麗

小高い場所にあった天満宮から少し下ると天台宗 梅香山 安養院 嶺南寺がありました。

嶺南寺の案内看板には大観音と書かれているので、以前から気になってましたが、これがその大観音像です。

高さはどれくらいあるんだろう??

でも、その謂れはよく分かりませんでした。ネットで検索しても詳しい情報が出てきません

ここでも本堂ではお彼岸の法要が行われてるみたいでした。

嶺南寺は725年に聖武天皇の勅願により良弁によって開基された天台宗の寺院で、初めは安養院という名前でした。

本尊は木造地蔵菩薩坐像(国指定重要文化財)です。

この日は買い物ついでに地元の社寺を巡ってきました。

過去記事<徳川家ゆかりの臨済宗正福寺

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