お気楽忍者のブログ 弐の巻

ミニカー収集/お魚採取/動植物フォト/行楽記・・・趣味のごった煮ブログ

大阪城の周辺ウォーク(2)桃園→大阪砲兵工廠跡

2022年04月22日 13時00分00秒 | 行楽・旅行記4

4月20日

大阪城公園の北西側にある大阪城桃園に来ました。

おーっ、咲いてる咲いてる 梅やソメイヨシノは終わってしまいましたが、桃はまだ大丈夫でした。

過去記事<大阪城の周辺ウォーク(1)大阪城公園駅→梅林

梅林より規模は小さめですね。

一瞬、マンサクかと思いましたが、菊桃という品種だそうです。

こちらは赤花ばん桃。

源平桃という江戸時代に品種改良された桃。

ひとつの木に赤と白の花が咲いたり、ご覧のようにひとつの花に白と赤の花びらが入り混じったりするのが特徴です。

こちらは枝垂れ源平桃。

わずかな時間でしたが季節の花を満喫できました

桃園を後にして西に向かって歩くと。レンガ造りの建物に出くわしました。

旧大阪砲兵工廠化学分析場の跡です。

戦時中、大阪城の周辺には帝国陸軍第四師団が置かれ、明治期から国内最大規模の軍需工場 大阪砲兵工廠もありました。

大阪砲兵工廠化学分析場は兵器開発や化学実験が行われていた場所で、大阪空襲を免れ今もその姿を残す数少ない大阪砲兵工廠の遺構のひとつです。

石積みは元和6年(1620年)に三の丸の西の入り口として築かれた鉄筋門の跡。

門は明治維新後も残り、大阪砲兵工廠の正門として使われました。

明治天皇聖躅(せいちょく)砲兵工廠の碑がありました。

聖躅とは天皇が行幸で訪れた場所のことを言うそうですね。 

外堀の北西角にある乾櫓、奥には大阪府庁や大阪府警本部、NHK大阪、大阪歴史博物館、大阪国際がんセンター、大阪重粒子線センターが見えますね。

お堀にいたキンクロハジロ。

大きなコイやミシシッピアカミミガメも悠々と泳いでました。

この後は定期検査と診察を受けてから大阪城の周辺ウォークを再開します(笑)

つづく

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大阪城の周辺ウォーク(1)大阪城公園駅→梅林

2022年04月21日 13時00分00秒 | 行楽・旅行記4

4月20日

定期健診のため朝から大阪へ行って来ました。

今回も大阪城公園をぶらぶら散策しながら目的の場所へ向かいます。

JR大阪環状線 大阪城公園駅の構内にある大阪城のジオラマ。

壁には豊臣秀吉に因むレリーフが飾られてます。

滋賀の北部、賤ヶ岳で信長の亡き後、羽柴秀吉と柴田勝家が激突した賤ヶ岳合戦。

南蛮文化に醍醐の花見でしょうか?

駅前から望む大阪城天守閣。

この日の大阪の最高気温は25度と予想されてましたが、朝なのでまだ肌寒いですね。。

朝の大阪ビジネスパーク(OBP)

ハト除けのためか、トゲトゲの生えた街燈がちょっと面白かったな。

後ろはホテルニューオオタニです。

大阪城北側の商業エリア JO-TERRACEのローソン前に鎮座する大きな車輪。

大正時代に作られた8620形蒸気機関車の動輪です。

天守閣ではこんなテーマ展が開催されてるみたいですね。

さすがにソメイヨシノは終わってましたが、今は八重桜が綺麗でした🌸

八重桜の下を通って本丸の方へ向かいます。

青屋門を抜けると、内堀に出て、右へ行けば極楽橋を渡って本丸に至ります。

左へ行けば大阪城梅林があります。

花はとっくに終わってますが、左に折れて梅林の中を歩いてみました。

う~ん、やっぱり何にも咲いてないや。

と、ここで「桃園だったら咲いてるかも?」と思い、今来た道を戻って外堀沿いにある大阪城公園桃園に行ってみることにしました。

つづく

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2021 お気楽行楽記総集編 その11

2021年12月29日 17時00分00秒 | 行楽・旅行記4

2021年11月

ちょうど1か月前に訪れた大阪住之江区のベイエリアにあるインテックス大阪。

国際見本市会場として大きな展示ホールが6つあり、様々なイベントに利用されてます。

管理人にとっては10数年前の大阪モーターショー以来のインテックスでした。

ちょっと前までは自衛隊によるコロナワクチン大規模接種会場にも使われてましたね。

ベイヤード・カリオンなるベルギーの伝統的な野外楽器がありました。

この日はインテックス大阪の1、2号館で開催された『東方紅楼夢(とうほうこうろうむ)』という同人誌イベントに息子の付き添いでやって来ました。

コロナで閉塞していた世の中ですが、感染状況が落ち着いていることもあって、たくさんの人が来てました。

そりゃ、ガス抜きも必要だし、楽しい催しもないと若者はやってられないよね。

管理人は息子がイベントに参加してる間、大阪南港をブラブラ

今年初めて見た海に感激しちゃいました

アジア太平洋トレードセンター(ATC)裏のウミエール広場で。

イベントを終え、お次は大阪メトロ中央線で大阪港駅にやって来ました。

ジンベイザメのいる海遊館の最寄り駅なので、ホームの壁にもジンベイザメがプリントされてます。

天保山ハーバーヴィレッジの大観覧車。

レゴランド・ディスカバリーセンター大阪

海遊館

穏やかな陽気の中、海遊館の周囲ではたくさんの家族連れやカップルが初冬の休日を楽しんでました。

時間があれば久しぶりに海遊館に行ってみたいなと思いましたが、入場は60分待ちでした

天保山マーケットプレイスの1階にある『なにわ食いしんぼ横丁』は昭和テイストあふれる飲食街。

大阪の串カツが食べたいという息子のリクエストで串カツ屋さんに入りました。

コロナ下なのでソースの共用は無し、ボトル入りのソースになってたけどね。。

串カツのお次は大阪港を望むベンチでたこ焼き発祥の会津屋さんの元祖たこ焼きを頬張る息子。

生地に出汁や醤油の味が付いているから、ソースも掛かっていない、あっさりした味のたこ焼きでした。

お父さんは久しぶりに息子と出掛けることができて嬉しかった1日でした

12月に入ると仕事が忙しく、土日も家で仕事してたからどこにもお出掛けできずじまいでした

おしまい

過去記事<2021 お気楽行楽記総集編 その10

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2021 お気楽行楽記総集編 その10

2021年12月27日 13時00分00秒 | 行楽・旅行記4

2021年11月

11月に入り、各地から紅葉見頃の便りが届くようになりました。

仕事も忙しく、また父や義母の体調が思わしくないことから今年も紅葉を見に行く機会は無さそうです。

義母に代わり、妻と畑で里芋の掘り起こしをしたのもこの頃でした。

ちょっと小ぶりな里芋が多かったかな。。

神泉苑

そんな11月、マネージャースキルの試験を受けに訪れた京都で少しだけ紅葉を楽しむことができました。

写真は二条城の南にある神泉苑(京都市中京区御池通神泉苑町)です。

神泉苑(しんせんえん)は794年に桓武天皇によって平安京大内裏に接して造営された禁苑(天皇の庭園)で、中世にかけては東寺が管掌する雨乞いを行う霊場となります。

824年には西寺の守敏と東寺の空海がここで祈雨の法を競ったとも云われてます。

そして、江戸時代になると東寺真言宗の寺院となりました。

元祇園 梛神社(もとぎおん なぎじんじゃ)

社伝によると、貞観11年(869年)に京の都で疫病が流行り、播磨の国の広峰神社から牛頭天王を勧請して鎮疫祭を行った時、牛頭天王の分霊を乗せた神輿を梛(なぎ)の木の前に置いて祀ったことが社名の由来だそうです。

律宗大本山壬生寺

京都市中京区壬生梛ノ宮町にある律宗大本山壬生寺にやって来ました。

三井寺の僧 快賢が正暦2年(991年)に地蔵菩薩を本尊として五条坊門壬生(今の壬生寺の東方)の地に寺院を建立したのが始まりです。

律宗は戒律の研究と実践を行う仏教の一宗派で、日本には鑑真によってもたらされたことから、律宗の総本山は鑑真によって開基された奈良の唐招提寺になります。

新選組局長 近藤勇 胸像

幕末維新史が好きな管理人にとっては壬生寺は新選組ゆかりの寺として、以前から1度は訪れてみたいと思っていたお寺でした。

幕末の京都の治安維持のため、京都守護職 松平容保(会津藩主)の直轄組織だった新選組(壬生浪士)の屯所がこの壬生寺の北にある八木邸に置かれていました。

壬生寺の北隣にある御菓子処 京都鶴屋 鶴寿庵さん。

新選組屯所遺蹟 八木家邸宅

上洛する将軍警備の浪士組に応募した近藤勇をはじめとする試衛館の面々が宿所としたのが壬生村の郷士 八木家の邸宅でした。

浪士組が江戸に戻った後も近藤ら試衛館の7名、芹沢鴨(せりざわかも)ら水戸浪士6名は京都に残って、八木邸を屯所としました。これが後の新選組の興りです。

その八木家は今は和菓子屋さんを生業としていて、八木邸の公開もしています。

八木邸の門

ここから先は写真撮影禁止 

試衛館メンバーと水戸浪士メンバーの内ゲバで芹沢鴨らが暗殺された場所でもあり、斬り合いの時に柱に付いた刀傷や、逃げる芹沢が躓いたとされる文机などが今も残っていました。

京都国際マンガミュージアム

京都国際マンガミュージアムの裏には徳川幕府の金貨、銀貨の鋳造所だった金座、銀座跡地の碑がありました。

元離宮 二条城

京都市中京区の世界遺産 元離宮二条城(二条城)にやって来ました。

徳川家康の命で、天皇のいる京都の守護と上洛時の宿所として建設された二条城は慶長8年(1603年)に落成しました。

平日でしたが、修学旅行生や観光客がたくさん訪れてましたね。

国宝の二の丸御殿(御殿内は写真撮影禁止)

何と言っても歴史の教科書に載っていた徳川最後の将軍 慶喜によって政権を徳川幕府から朝廷に返還する大政奉還を宣言した大広間を見ることができて感激しました

二条城清流園の紅葉

今年は2月と11月に京都を訪れ、坂本龍馬や新選組、将軍慶喜など幕末維新をテーマに史蹟を巡ることができました

つづく

過去記事<2021 お気楽行楽記総集編 その10

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2021 お気楽行楽記総集編 その9

2021年12月25日 17時30分00秒 | 行楽・旅行記4

2021年10月

滋賀県に出されていた緊急事態宣言は9月末に解除され、コロナ新規感染者も減っていき、ようやく一息つける状況になりました。

写真は三重県伊賀市にある『伊賀の里 モクモク手づくりファーム』。

管理人たちはゲート前の農産物販売所に立ち寄っただけなので園内には入りませんでしたが、駐車場にはたくさんの車が並んでたので園内は観光客も多かったんでしょうね。

伊賀の農産物や伊賀豚をテーマにしたファームだけにこんな可愛いハロウィンに因んだブタさんの飾りがありました。

滋賀県草津市の史跡 草津宿本陣を訪れたのは10月でした。

天保14年(1843年)の『東海道宿村大概帳』によると東海道五十三次草津宿の宿内家数は586軒、うち本陣2軒、脇本陣2軒、旅籠72軒があったそうです。

草津宿本陣は日本に現存する本陣としては最大級の規模です。

緊急事態宣言解除を受けて、10月1日から見学が再開されました。

上段の間へ通じる畳廊下。

廊下には襖を建てることもできて、宿泊人数が多い時はこの廊下も部屋として利用されていたそうです。

上段の間

座敷部の最も奥にある一番格式の高い部屋で、一行の主客が休泊する部屋でした。

ここに宿泊したことが分かっている歴史上の有名人としては、忠臣蔵でお馴染みの浅野内匠頭や吉良上野介、新選組の土方歳三、斎藤一、藤堂平助、伊藤甲子太郎、会津藩主で京都守護代の松平容保、公武合体政策で徳川家茂に嫁いだ和宮親子内親王などなど。

2019年には新選組が宿泊した時の忘れ物の煙管(キセル)入れが残されてることが分かり、ローカルニュースでも話題になりました。身分が高い人が泊まる壱番間の忘れ物であったことから、もしかしたら新選組副長の土方歳三の物だったかも?と言われていて、歴史ロマンを掻き立てられる話題でした。

天井川だった草津川の流路切り替えによって廃川となったエリアを整備し、2017年にオープンした草津川跡地公園(第5区)。

この区間はde愛ひろばの愛称で呼ばれてます。

飲食店エリアやガーデンエリア、市民活動エリアなどがあって、昨年の滋賀観光客集客数ランキングでは第4位に輝きました。

コロナによる他の観光地の閉鎖や屋外施設であることがその理由なんじゃないかな。

2021年11月

6月に滋賀県甲賀市水口町の国道1号線沿いにオープンした『めっちゃおもろい動物園』に行ってみました。

かつて滋賀県守山市の商業施設ピエリ守山内にあっためっちゃさわれる動物園の後継施設です。

園内で飼育されている小型小動物や鳥類、爬虫類、両生類を間近に見たり、触れたりすることができる、子供には嬉しい施設ですね。

ハシビロコウもいます

地元の大鳥神社の菊花展と紅葉

秋も深まり紅葉のシーズンになりました。

世界的にはまだまだコロナ収束の気配がありませんが、日本ではかなり新規感染者の報告が減り、滋賀県でも感染者ゼロの日が多くなりました。

つづく

過去記事<2021 お気楽行楽記総集編 その8

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2021 お気楽行楽記総集編 その8

2021年12月22日 18時11分26秒 | 行楽・旅行記4

2021年9月

デルタ株の猛威で日本各地で緊急事態宣言が発出された今年の夏、我が滋賀県でも1日の新規感染者が200人を超える日が続きました。

管理人も8月のはじめにコロナワクチン2回目の接種を終え、発熱などの副反応はほとんど無くて済みました。

また、お盆からの秋雨前線の活発化で、9月の前半も雨の日が続きましたね。

街中のアンダーパスも御覧の通り冠水してました

水口岡山城跡

滋賀県甲賀市水口町にある標高282mの古城山(大岡山)にはかつて水口岡山城がありました。

ちょっとした時間を見つけて山の南西側の登山道をブラブラ散策しました。

頂上にある城跡まで登りたかったけど、大手道は草ボーボーだったため途中で断念。

コロナの影響で除草作業ができなかったんかな。。

ひばり野公園

滋賀県蒲生郡日野町にある地元ゆかりの武将 蒲生氏郷の像

氏郷は近江国六角氏の家臣、蒲生賢秀の三男として日野で生まれ、後に織田信長の家臣として武功を上げます。

初陣で功績を立てたあとに信長の娘冬姫を妻にし、日野に戻ったとされてますが、信長家臣団として各地を転戦する日々が続きました。

本能寺の変で信長が斃れると、安土城から信長の妻子を救って日野城で庇護し、明智光秀に対峙します。

豊臣秀吉の家臣になった後でも様々な戦で功績をあげ、会津73万石の領地を与えられ、徳川家康、毛利輝元に次ぐ大大名となりました。

日野の町で見つけた鬼滅の刃の炭治郎と禰豆子の飛び出し坊や(笑)

飛び出し坊やの世界まで進出してきた鬼滅ブーム恐るべしです。

2021年10月

古城山頂から見た水口町

9月に途中で断念した古城山でしたが、今度は北側の登山道からリベンジを果たせました。

天正13年(1585年)に豊臣秀吉が甲賀郡と蒲生郡の一部を支配させるために、家臣の中村一氏に命じて水口岡山城を築かせました。その後、1959年には豊臣五奉行のひとり、長束正家が5万石で水口岡山城に入りました。

関ケ原の戦いではもちろん豊臣方の西軍として参戦した長束正家でしたが、吉川広家の軍勢に囲まれて戦線を離脱し、水口岡山城に戻りましたが、池田輝政の命を受けた池田長吉の軍勢に取り囲まれます。

水口岡山城をなかなか落とせない池田長吉は正家に「兵卒の命と所領の安堵」を約束し、正家は開城に応じます。

しかし、それは池田の謀略で正家は捕縛されて自害、その首は京都三条河原に晒されました。

10月に定期健診のため半年ぶりに訪れた大阪。

大阪城の紅葉にはまだ早い時期でしたね。。

大阪城の南東にあるピースおおさか 大阪国際平和センター。

戦時中の大阪空襲を語り継ぐ平和ミュージアムです。

大阪城公園は戦時中、陸軍第四師団が置かれ、軍事工場もあったことから爆撃の標的になりました。

館内には戦前、戦中、戦後の大阪をテーマにした展示物や大阪空襲にかかわる展示を見ることができました(資料類の接写撮影は禁止)。

米軍の1トン爆弾(レプリカ)

終戦の前日には現大阪城公園にあった大阪陸軍造兵廠を狙ってB29 150機編隊による1トン爆弾700個の集中爆撃が行われ、隣接する京橋駅~森ノ宮駅も被害を受け、京橋駅では人々が避難していた片町線ホームに1トン爆弾が直撃し、1度に700~800人が犠牲になりました・・

平和の尊さをあたらめて感じることができる機会になりました。

つづく

過去記事<2021 お気楽行楽記総集編 その7

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2021 お気楽行楽記総集編 その6

2021年12月18日 18時00分00秒 | 行楽・旅行記4

2021年3月

2月末で近畿圏や東海圏の緊急事態宣言が解除されましたが、首都圏では延長が決定されました(3/21に解除)。

やっと一息付けた状況でしたが、わずか2か月後に第4波が到来するとは誰が想像できたでしょうか?

国内で初めて検疫でデルタ株が検出されたのはこの頃でした。

そんな中、我が家では息子も志望校に合格し、嬉しい春となりました

釣り仲間と訪れた琵琶湖。

皆さんとはほぼ1年ぶりの再会で楽しい時間を過ごすことができましたが、目的だったビワコホンモロコはまさかのボウズ。。

ここ10年くらい毎年モロコ釣りに来てますが、こんなことは初めてです

周りの釣り人に聞くと、「今年は全くダメだ」とのことでした。。

唯一釣れたのはコイだけでした。

2021年4月

定期健診のため半年ぶりに訪れた大阪。

ヨーロッパやインドではイギリス株(デルタ株)が猛威を振るい、大阪では重症者が病床数を超える勢いになり、独自に医療緊急事態宣言を発出。

2月末の緊急事態宣言解除が早すぎたのではないかと大阪の吉村知事は批判を受けました。

東京オリンピック開幕まで3か月を切った中、世論や政治の世界ではオリンピックの「開催」か「中止」かが話題になった時期でもありましたね。

大阪梅田の大丸梅田店で開催されていたプライム1スタジオのフィギュア販売。

プライム1スタジオはフィギュア、スタチューメーカーで、大迫力の大きなフィギュアがずら~っと並んでました。

いずれも10万円以上する精巧なフィギュアです。

GW前の4月25日、とうとう大阪、京都、兵庫、東京に緊急事態宣言がまたもや発出されました。

近畿圏では新規感染者に占めるデルタ株の割合が8割を超え、首都圏でも5割を超える水準に達しました。

結局、昨年に引き続き、今年のGWも巣ごもりするはめに・・・

2021年6月

どこに行くこともできす、5・6月は我慢の月でしたね。

庭仕事やジューンベリーのジャム作りに精を出した頃でした(笑)

5月に緊急事態宣言地域が拡大され、6月からは高齢者向け、一般向けコロナワクチン接種も本格化してきました。

ニュースはワクチン関係、オリンピックへの対応、変異株の感染拡大の話題ばかりになってしまいました。

2021年7月

6月17日に沖縄を除いて緊急事態宣言が解除されまん防に移行しました。

オリンピック開催に向けての無理やり感は否めませんでしたが、少しだけ平穏な日常が戻ってきた7月でした。

家族で外食できる機会も増えて嬉しかった頃でした。

そして7月23日、全国的にまた感染者が増加傾向にある中、東京オリンピックが開幕しました。

つづく

過去記事<2021 お気楽行楽記総集編 その5

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2021 お気楽行楽記総集編 その5

2021年12月15日 17時00分00秒 | 行楽・旅行記4

2021年2月

六道珍皇寺

臨済宗建仁寺派 大椿山 六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)にやってきました。

創建は延暦年間(782-805年)とされ、開基は奈良大安寺の住持で弘法大師の師にあたる慶俊とされています。

平安京の墓地だった鳥辺野に至る道だったことから、この周辺は六道の辻と云われていました。

そう、まさにここは現世と冥界の境(辻)と考えられていた場所でした。

迫力のある閻魔王像

そして、小野篁(おののたかむら)の像。

小野篁は平安時代初期、嵯峨天皇の朝廷に仕えた役人で、文武両道に優れた人物だったそうですが、かなり自由奔放な性格だったようで奇行も多かったとされてます。

また、小野篁は閻魔王宮の役人とも云われ、昼は朝廷役人、夜は閻魔庁で閻魔王の助手を務めていたという伝説があります。今で言う副業サラリーマンですね(笑)

小野篁の顔、管理人が知ってる人にめっちゃ似てて、思わず笑ってしまいました

本堂裏手の庭園には小野篁が冥界の閻魔庁へ出勤するのに使ったという井戸(冥土通いの井戸)がありました。

また、2011年には隣接する民有地(旧境内)で井戸が見つかり、伝説にある篁が冥界から帰ってくる時に使ったと云われる黄泉がえりの井戸ではないかと考えられてます。

六波羅蜜寺

西国三十三箇所十七番札所 真言宗智山派 補陀落山 六波羅蜜寺。

住宅街の中にあって、塀も鉄柵・・・

古刹であり有名な六波羅蜜寺のイメージとは随分違ってました

歴史の教科書にも載ってた空也上人立像はこの六波羅蜜寺にあったんですね。

踊り念仏で知られる空也が平安中期の天暦5年(951年)に造立した十一面観音を本尊とする道場に由来する寺院です。

空也は疫病が蔓延した当時の京都で、その観音像を車に乗せて引きながら歩き、念仏を唱え、病人に茶をふるまって多くの人を救ったと云われます。

空也上人、今のコロナ禍の世界も救ってください

五条大橋は牛若丸(源義経)と弁慶が出会った場所。

五条通(国道1号線)の中央分離帯にはこんなに可愛らしい牛若丸と弁慶の像がありました。

東本願寺

JR京都駅の北およそ500mのところにある真宗大谷派本山 真宗本廟(東本願寺)。

東本願寺は親鸞の亡き後に宗祖を慕う多くの門弟によって宗祖の遺骨を大谷(東山山麓)から吉水(円山公園付近)に移し、廟堂を建てて影像を安置したことに始まります。

それ以降、場所はあちこちに移り、戦国時代に大阪にあった頃は織田信長と対峙して敗れ、再び京都に移り、現在の地に落ち着いたのは慶長9年(1604年)だそうです。

JR京都駅前、京都タワーに着きました!

距離はおよそ8km、3時間半の行程で京都東山周辺をぶらぶら歩いて巡ってきました

つづく

過去記事<2021 お気楽行楽記総集編 その4

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2021 お気楽行楽記総集編 その4

2021年12月13日 18時00分00秒 | 行楽・旅行記4

2021年2月

霊山歴史館

維新の道の急な坂を登りきったところにある幕末維新の貴重な資料を収蔵・展示している霊山歴史館。

ここに来たのはおよそ30年前ぶりなので、今度はもっとじっくり資料を見たいと思いましたが、緊急事態宣言中につき休館でした・・残念

京都霊山護国神社

その隣にあるのが霊山護国神社(りょうぜんごこくじんじゃ)です。

1868年(慶応4年)、明治天皇が維新を目前に倒れた志士たちの御霊を奉祀するため京都東山の霊山に社を創建せよとの詔を発し、京都の公家や山口、高知、福井、鳥取、熊本などの諸藩がここに祠宇を建立したのが神社創建のはじまりでした。

坂本龍馬グッズが色々販売されてますね。

坂本龍馬(左)と中岡慎太郎(右)の墓

慶応3年(1863年)11月15日、宿にしていた河原町蛸薬師の醤油商 近江屋で中岡慎太郎と話をしていたところを、十津川郷士を名乗る男たち数人に襲われ、命を落としました。

龍馬が眺める先には京の都が広がります。

維新の道を引き返えすと、八坂の塔(法観寺)や京都タワーが見えました。

二年坂(二寧坂)

霊山護国神社の大鳥居の前を南に入ると、そこは二年坂(二寧坂)

京都を代表する観光名所で、石畳の道にお土産物店や飲食店が並ぶ清水寺に通じる参道です。

ジブリグッズを販売している「どんぐり共和国」。

まだ営業時間前なのか、コロナで休業してるのか分かりませんが、お店は開いてませんでした。

いい雰囲気の店構えですね。

平日の午前中でもあり、観光客はまばらで、開いていないお店も多くありました。

二年坂(二寧坂)は大同2年(807年)に道が整備されたことからこの名前になったという説や三年坂(産寧坂)の下に位置するから二年坂(二寧坂)になったという説などがあるそうです。

三年坂(産寧坂)

二年坂(二寧坂)の石段を上がると三年坂(産寧坂)に出ました。

北政所ねねが子宝祈願のため清水寺にお参りしたことから、産念が転じて三年坂(産寧坂)になったとも言われてます。

時間の関係で清水寺までは行かず、そのまま山を下りました。

東大路通に出る坂道からは八坂の塔(法観寺)を望むことができました。

つづく

過去記事<2021 お気楽行楽記総集編 その3

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2021 お気楽行楽記総集編 その3

2021年12月11日 17時30分00秒 | 行楽・旅行記4

2021年2月

ねねの道

2月に訪れた京都東山・・・

八坂神社の裏の円山公園を後にして、高台寺へ続く「ねねの道」を歩きました。

臨済宗建仁寺派高台寺塔頭 圓徳院

圓徳院にちょっとだけお邪魔しました。

秀吉の正室 北政所(ねね)が晩年を過ごした寺とされ、庭園が有名な圓徳院ですが、冬場だし、時間の都合もあるので庭園見物はしませんでした。

境内にカフェがあったり、変わった雰囲気のお寺でしたね。

豊臣秀吉の出世守り本尊の三面大黒天だけ拝んで外へ出ました。

大黒天、毘沙門天、弁財天の三天合体の尊像で、めちゃめちゃご利益ありそうでした(笑)

臨済宗建仁寺派 鷲峯山 高台寿聖禅寺

立ち寄る予定にはしていませんでしたが、せっかくねねゆかりの地に来たので、高台寿聖禅寺(高台寺)を足早に拝観しました。

写真は方丈庭園と勅使門

度重なる火災などで、高台寺には仏殿は再建されておらず、方丈が中心的な堂宇となってます。

高台寺は豊臣秀吉の正室、北政所が秀吉の冥福を祈るため建立した寺院であり、寺号は北政所が出家した後の院号である高台院に因んでいます。

釈迦如来を本尊とする禅宗寺院であるとともに、秀吉と北政所を祀る霊廟でもあります。

この開山堂には臨済宗の僧 三江紹益(さんこうじょえき)の像や北政所の兄 木下家定、その妻の雲照院の像が安置されてました(内部は写真撮影禁止)。

開山堂と霊屋(おたまや)を結ぶ屋根付きの臥龍廊。

廊を登った先の霊屋には秀吉と北政所の像が安置され、厨子や須弥壇や調度品に施された蒔絵は高台寺蒔絵として有名です。

北政所は自身の像の下 2mに葬られているそうです。

高台寺天満宮

さらに南へ進むと観光駐車場の横に高台寺天満宮がありました。

可愛い秀吉とねね(北政所)の触り仏があり、夫婦円満、恋愛成就のパワースポットとしてハート型の絵馬がたくさん奉納されてました

京都霊山護国神社の大鳥居

およそ30年ぶりに訪れました。

維新の道

この霊山護国神社の参道や神社と清水産寧坂を結ぶ道は維新の道と呼ばれています。

つづく

過去記事<2021 お気楽行楽記総集編 その2

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2021 お気楽行楽記総集編 その2

2021年12月09日 17時00分00秒 | 行楽・旅行記4

2021年2月

祇園先斗町

四条河原町の近江屋跡から祇園先斗町(ぽんとちょう)の入り口にやって来ました。

でも、緊急事態宣言中につきほとんどのお店はお休みのようで、通る人も居ません。。

八坂神社

平日とは言え、祇園さん(八坂神社)の楼門前に誰も居ないとは・・・

八坂神社は社伝によれば、斉明天皇2年(656年)に高句麗から来日した調進副使・伊利之使主(いりしおみ)の創建とされています。

昨年の秋、国の文化審議会の答申に基づき、本殿が国宝に指定されました。

ただ、この時は八坂神社が目的ではなく、裏の円山公園の奥を目指します。

円山公園

そう、この坂本龍馬と中岡慎太郎の像を見たかったんです。

台座を含めると高さ6mにもなる立派な像です。

高知桂浜の片手を懐手にしたお馴染みの龍馬像とは随分雰囲気が違いますね。

昭和11年に京都高知県人会が建てた銅像だそうで、太平洋戦争当時に1度撤去されてしまったそうですが、昭和37年に再建されました。

幕末の志士、坂本龍馬は今もここから京都市街地を眺めています。

芭蕉堂

円山公園から南に下ると、芭蕉堂がありました。

江戸時代中期、俳聖松尾芭蕉をしのぶため、加賀の俳人 高桑闌更が芭蕉にゆかりのあるこの地に営んだことに始まります。

"戸を開けてご自由にお入り下さい"と書かれてましたが、戸に鍵がかかっていて入ることは叶いませんでした。。

とても風情のある道。

大谷祖廟

大谷祖廟の前を通って、今も龍馬が眠る場所に向かいます。

祇園閣

写真は浄土宗系寺院の大雲院に建つ祇園閣。

天正15年(1587年)に正親町天皇の勅命で織田信長の子、信忠の菩提を弔うために創建されました。

ねねの道

この道は豊臣秀吉の正室 北政所(ねね)が出家し、秀吉の菩提を弔うために建てた高台寺に通じる道であることから、「ねねの道」と呼ばれています。

御陵衛士屯所跡

御陵衛士屯所跡の碑がありました。

熱烈な勤王主義者で新撰組隊士だった伊東甲子太郎がその思想の違いから、近藤勇や土方歳三と袂を分かち、同志14名とともに御陵衛士に任命され、この場所を拠点に活動しました。

幕末維新史が大好きだから、この思わぬ出会いは嬉しかったですね~

つづく

過去記事<2021 お気楽行楽記総集編 その1

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2021 お気楽行楽記総集編 その1

2021年12月07日 17時00分00秒 | 行楽・旅行記4

2021年1月

確か前日の大晦日は雪でしたが、2021年の元日は御覧のような冬晴れとなりました。

2020年12月31日のコロナ新規感染者は全国で4,520人で過去最多を記録していました。

昨年に続きコロナに始まりコロナで終わりそうな今年もあと少し、年末恒例の『お気楽行楽記総集編』始めます!

大鳥神社

天台宗 福生山 櫟野寺

油日神社

正月元日は地元の3つの社寺を巡る三社参りでスタート、無業息災(コロナの終息)と学業成就(息子の受験合格)をお願いしました。

1月7日には首都圏1都3県に緊急事態宣言が発出され、1月13日には近畿2府1県、東海2県、福岡、栃木にも緊急事態宣言が出され、今年もまたコロナに翻弄されることとなりました。

法華宗大本山 本能寺

1月下旬はビジネススキル試験のため久しぶりに京都を訪れました。

その帰りに立ち寄った法華宗大本山 本能寺。

現在の境内は信長が光秀に討ち取られた当時の本能寺より東へ500mほどの場所に移転しています。

本堂の裏手にある信長の墓所 織田信長公御廟所。

鴨川に架かる御池大橋から

天気の良い土曜日でしたが、緊急事態宣言中のためか、街中は人も少な目でした。

2021年2月

三条大橋

2月上旬は息子の受験の付き添いで、試験を受けてる間に再び京都の街をブラブラと散策してきました。

先斗町歌舞練場

5月に行われる芸舞妓さんたちによる『鴨川をどり』で有名な先斗町歌舞練場は三条大橋のすぐそばにあります。

出雲阿国像

四条大橋東詰にある出雲阿国の像

慶長8年(1603年)、出雲阿国はこの四条河原で先鋭的な伊達男風の扮装でかぶきおどりを披露し、都人から絶大なる喝采を浴びたそうです。

歌舞伎の元祖と云われる出雲阿国ですが、江戸期に入ると幕府は風紀を乱すとして女歌舞伎を禁止したことで、男性が女形を演じる歌舞伎の形態に変わっていきました。

近江屋跡

四条大橋から北西の四条河原町にある坂本龍馬・中岡慎太郎 遭難之地

幕末に活躍した海援隊の坂本龍馬と陸援隊の中岡慎太郎が何者かによって襲われ、暗殺された近江屋があった場所です。

だいぶ前はパチンコ屋だった気がしますが、今はかっぱ寿司になってました

つづく

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京都写ん歩 二条城 清流園の紅葉

2021年12月06日 17時00分00秒 | 行楽・旅行記4

11月24日

 京都府京都市中京区にある元離宮二条城の北中仕切門。

ここから昭和40年に作庭された庭園 清流園に入ります。

清流園は京の豪商 角倉家の屋敷跡から庭石や樹木などを移設して造られた和洋折衷庭園です。

写真の建物は角倉了以屋敷から移築した数寄屋と表千家から寄贈された茶室を合わせた和楽庵(わらくあん)で普段は来園者のために喫茶店として利用されてます。

寒い日だったから、メニューの看板に書かれたぜんざいの文字に心惹かれるものがありました(笑)

和楽庵前の庭園

緑の中に見え隠れしている赤いモミジがいいアクセントの景観になってますね

香雲亭(こううんてい)

普段は内部公開されていないので、南側から外観を眺めるだけですが、期間限定で食事の提供があったり、結婚式場として使われることもあるそうです。

園内の遊歩道のモミジが綺麗に色付いてました

重要文化財の北大手門

かつて、この門を出たところに京都所司代があったそうです。

徳川幕府が朝廷や西日本支配のため京に置いた行政機関ですね。

長屋門・土蔵の前の銀杏の黄色い絨毯も綺麗でした

二条城障壁画展示収蔵庫前では『京の名産品展』が行われてました。

二の丸御殿内の部屋の障壁画は実はレプリカで、本物はこの収蔵庫に収められており、年に4回ほど公開されてます。

お店の名前だけは聞いたことがあるような京都の有名店のブースがずら~っと並んでました。

大休憩所

中にはお土産物売り場や休憩スペース、喫茶スペースなどが入ってます。

二条城に因んだフィギュアのガチャガチャがあったけど、故障中でした

JR京都駅まで歩いて帰ろうかなと思ってましたが、さすがに疲れたから、すぐそばの二条城駅から地下鉄に乗って帰路に着きました。

コロナでこれまで閉塞した日々を送っていましたが、久しぶりにガス抜きできた京都での1日でした

おしまい

過去記事<京都写ん歩 二条城天守閣跡から望む

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京都写ん歩 二条城天守閣跡から望む

2021年12月05日 17時05分36秒 | 行楽・旅行記4

11月24日

京都中京区の元離宮二条城の本丸御殿と庭園。

でも、この時 本丸御殿は改修中で見ることはできませんでした

最初の写真は工事現場の衝立に貼られたポスターから拝借しました(笑)

本丸御殿は2023年まで改修工事で、2024年からは二の丸御殿の改修が始まる予定になってます。

天守閣跡

二条城にはかつて伏見城から移された五重六階の天守閣がありましたが、寛延3年(1750年)に落雷で焼失してしまいました。

本丸御殿はこれまで3代将軍家光、15代将軍慶喜によって建てられましたが、現存する御殿は明治26年(1893年)に京都御所の北東部にあった桂宮御殿を移築したものになります。

天守閣跡からは内堀沿いの綺麗な紅葉を眺めることができました。

本丸から西橋を渡ったところにあった移築された旧二条城の石垣遺構。

旧二条城は二条御所とも呼ばれ、織田信長が室町幕府最後の将軍 足利義昭の居城として建設したものです。

内堀の北西角に建つ重要文化財の土蔵(西北米蔵)。

北中仕切門をくぐると、京の豪商 角倉家の屋敷跡から庭石、樹木を移築し、昭和40年に作庭された清流園に入ります。

つづく

過去記事<京都写ん歩 二条城 二の丸庭園

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京都写ん歩 二条城 二の丸庭園

2021年12月04日 16時54分32秒 | 行楽・旅行記4

11月24日

元離宮二条城 二の丸御殿の見学を終えました(御殿内撮影禁止)。

慶応3年(1867年)、徳川15代将軍 慶喜が大政奉還を宣言した二の丸御殿の大広間にはあの日本史の教科書にも載っていた有名な絵と同じように将軍や武士の人形が置かれ、大政奉還の様子が再現されてました。

いや~、幕末維新史好きにはたまらんもんがありました

さて、見学順路は特別名勝の二の丸庭園へ

二の丸庭園は池の中央に蓬莱島、左右に鶴亀の島を配した書院造庭園です。

寛永3年(1626年)、後水尾天皇の行幸のために作事奉行で庭園造りの名手、小堀遠州のもとで改修されました。

二の丸御殿の大広間や黒書院、行幸御殿の3方向から庭が鑑賞できるように工夫されてます。

しかし、15代将軍慶喜の上洛時には樹木はほとんどなく、池は枯渇して荒廃していたそうです。

大政奉還後に所管が朝廷や宮内省に代わってから改修、植栽が進み、今の姿の原型が出来上がりました。

小学生の修学旅行でしょうか。

先生が熱心に先ほど見た「大政奉還」の説明を子どもたちにしているのが微笑ましかったですね

うちの息子は昨年、コロナで修学旅行も中止になっちゃいましたから。。

東橋を渡って、本丸櫓門を抜けて本丸エリアに入ります。

ここに来ると、二条城が城だったことがよく分かる造りになってますね。

ただ、残念だったのは重要文化財の本丸御殿が改修中でその姿を見ることができませんでした。。

天守閣跡へ登る石段。

本丸の南西隅にはかつて伏見城から移築された五重六層の天守閣があったそうですが、寛延3年(1750年)の落雷で焼失し、その後再建されることはありませんでした。

つづく

過去記事<京都写ん歩 世界遺産 二条城へ

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