ここがどこか、すぐにわかる方は相当の熊本城通だろう。真ん中に見える桜の木の枝ぶりに特徴がある。
ここは、未申櫓(ひつじさるやぐら)の下から、奉行丸の石垣と空堀の間を西大手門や二の丸広場に向かう坂道である。熊本地震により奉行丸西側の石垣と続塀が崩落し、現在まだ通行禁止となっている。毎年、桜の季節には坂道を薄桃色に彩り、観光客の目を楽しませていたところで、僕も熊本城内で最も好きな風景だった。
実はこの坂道、古い地図には描かれていない。いつ頃、道として整備されたのだろうか。古い文献によると、古城方面から慶宅坂を登って来た人は、未申櫓の下辺りで左折し、今の二の丸駐車場の入口のところから二の丸へ入っていたらしい。
いずれにせよ、この坂道が開通し、再び満開の桜を見られる日は来るのだろうか。
※慶宅坂
朝鮮役の後、加藤清正がつれ帰った高麗人、李慶宅に与えた邸がこの附近にあったところから慶宅坂の名がついた。