3週間前の話で恐縮ですが、藤崎宮に朔日詣りをした後、久しぶりに子飼商店街を歩いてみたくなりました。午前中だったからか人通りもあまりありませんでした。廃業した店や廃屋も散見されました。僕らが子供の頃の活気溢れたさざめきはもうないのでしょうか。ここは昭和の薫りただよう街としてメディアでもよく取り上げられますが、かつては松雲院通りと呼ばれた通りでした。その名の由来は今も残る松雲院という臨済宗の大きなお寺があったからです。松雲院は細川家の重臣だった松井家の墓所としても知られています。この通りの途中に南に入る小路がありますが、かつての細川刑部邸への入口です。刑部邸が熊本城三の丸に移築された後にはマンションが建っています。明治時代、そんな通りを人力車に乗ったラフカディオ・ハーンや夏目漱石らが毎日、五高(今の熊大)へ向かいました。ここは歴史豊かな通りなのですね。
買い物客や大学生らが通る子飼商店街
午前中だからか人通りも少ない
賑わう時間帯はこんな感じ(10年ほど前の様子)
商店街から南に入る小路がかつての細川刑部邸への入口
通り名の由来になった松雲院
買い物客や大学生らが通る子飼商店街
午前中だからか人通りも少ない
賑わう時間帯はこんな感じ(10年ほど前の様子)
商店街から南に入る小路がかつての細川刑部邸への入口
通り名の由来になった松雲院
子飼商店街出身の水前寺清子が歌う「三百六十五歩のマーチ」
まだ、大きくは変わっていないのですね。
あの大地震にも壊されなかったのが、凄いなと感じました。
外部の民間グループや学生らも子飼商店街の活性化に取り組んでいるようですが、はたして実効性があって継続可能な策が打ち出せるかどうか課題は多いと思います。
アーケードのない商店街って郷愁を誘いますね。
第一、スーパーマーケットばかりが発展した今日、個人商店が立ち行かなくなったと思ってましたが、こうして頑張っている子飼商店街もあるんですね!
詳しくは知りませんが、廃業していない個人商店は、ほとんどスーパーマーケットにいろんな形で吸収されて行ったとばかり思っていました。
ただ明石市の魚の棚商店街は、明石駅のすぐ側ですけど生き残っていますね。
↓
https://www.hyogo-tourism.jp/spot/0300
>かつての細川刑部邸への入口です。刑部邸が熊本城三の丸に移築された後にはマンションが建っています。
やはり、開発の手もすぐそこまで来ているわけですか。
>そんな通りを人力車に乗ったラフカディオ・ハーンや夏目漱石らが毎日、五高(今の熊大)へ向かいました。
へ~っ、そんなことを現代の若者は知っているのでしょうか?
ありゃりゃ、水前寺清子さんは水前寺公園と重ねてイメージしていました(汗)
水前寺清子こと林田 民子さんは、もう78歳なんですね。
今、ウイキペデイアを斜め読みしましたが、デビューするまではいろいろあったんですね。
若い時苦労した人ほど力強く人生を生き抜くものですね。
有難うございました。