徒然(とぜん)なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話の書き綴り

春の宴 〜 植木をどり 〜

2012-05-18 22:08:54 | 音楽芸能
 熊本城本丸御殿の「春の宴」もいよいよ終盤。今夜は「植木をどり」ということで、植木町を拠点に活躍する民謡三味線の本條秀美さんと秀美社中をフィーチャーしたプログラムだった。僕の今夜の注目は「肥後の女」と「田原坂 花音頭」。いずれも本條秀美さんの作品で、多分、本丸御殿では初披露と思われる。春の宵に“秀美節”が冴え、ザ・わらべの踊りが粋な風情を醸し出した。
 この二つの唄が作られた経緯については下の「熊本市WEB」ページをご覧あれ。

     ▼熊本市WEB

 ▼肥後の女


 ▼田原坂 花音頭
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ドナ・サマー 〜 情熱物語 〜

2012-05-18 08:11:24 | 音楽芸能

 2009年12月11日、ノルウェーのオスロで開かれたノーベル平和賞コンサートにおいて大トリを務め、会場の大喝采を浴びるドナ・サマーさん。若い頃に比べると随分貫禄がついたがその声量はさすがだ。歌うはもちろん「She Works Hard For The Money 『情熱物語』(1983年)」。
 この歌は僕にとって80年代の想い出を象徴する歌のひとつだ。80年代のうち7年間は東京勤務で、バブリーな時代の始まりだった。もっともその頃はバブルなんて言葉もなかったが、飲み会の締めは必ず六本木のディスコに繰り出すのがおきまりだった。そしていつ行っても必ずかかるのがこのドナ・サマーの歌。僕にとっては40代に入る前後で仕事でも一番力を発揮していた時代だったかもしれない。ドナ・サマーもほぼ同じ世代だったから余計訃報に接すると寂しさを感じる。合掌。
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花も花なれ人も人なれ

2012-05-17 17:12:56 | 熊本
「散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ」(細川ガラシャ辞世の句)

 5月26日(土)にKKT開局30周年記念特別番組として「花も花なれ人も人なれ 〜細川ガラシャの真実〜」が放送される。細川家十八代当主・細川護煕氏夫人の細川佳代子さんが、細川ガラシャゆかりの地や遺品を辿りながら、その実像に迫っていくというドキュメンタリーのようだ。ナレーターは昨年のNHK大河ドラマ「江 〜姫たちの戦国〜」で細川ガラシャを演じた女優のミムラ。6月2日(土)にはBS日テレで全国放送されるようだ。京都ではガラシャゆかりの府下7市町が「ガラシャプロジェクト」なるものを進めているというし、立田山の泰勝寺跡にある細川家の御廟を訪れる観光客の多くがガラシャ廟が目的のようだ。ひょっとしたらプチ・ブームが来るかもしれない。

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早野義章って!?

2012-05-16 22:19:44 | 熊本
 毎週日曜夜7時日テレ放送の「ザ!鉄腕!DASH!!」はTOKIOのメンバーが色んなことにチャレンジする企画が面白く、好きな番組の一つだ。その中で3年前からスタートした「DASH海岸」は、東京湾内の工業地帯にある入り江を借りて渚の再生に挑むという企画。先週の放送では3年目になるアサクサノリの養殖の成果が放送されたが、なんとか板海苔もできたようだ。
 ところで、今日本で生産される海苔の40%は有明海で採れた海苔だそうだ。海苔の養殖は江戸時代から始まったが、気象条件などに左右されやすく産業としてはなかなか成立しなかった。この海苔の養殖を産業として確立させ、「海苔養殖の父」と呼ばれているのが早野義章(はやのぎしょう)である。早野は現在の玉名市大浜町に文久2年(1862)に生まれた。彼が生まれた頃の大浜町は「高瀬米」積出しの外港として栄えていたが、明治時代に入り、鉄道が海運にとって代わると衰退の一途を辿った。若くして地元大浜町で教職に就いた早野は貧窮にあえぐ教え子たちの姿を見るに見かね、32歳の時、校長職を辞し、私財を投げうって海苔の養殖に取り組む。以来、日夜研究に没頭する一方、県の水産試験場支場誘致や海苔水産組合の設立なども行なっている。そして彼の苦労は大正時代に入ってようやく実を結び、安定した海苔養殖に成功した。そしてその技術は有明海全体へ、さらに他の地方へと広まったのである。
 僕の母の実家は大浜町で、かつては海苔の養殖もやっていたので冬場に海へ一緒について行ったこともある。冷たくてきつくてとてもつらい仕事だったことを今でも想い出す。

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海達公子日記(1)

2012-05-15 20:26:47 | 文芸


 海達公子が幼い頃から書き始めた日記が残されている。規工川祐輔先生の著書の中にも一部が紹介されているが、中でも北原白秋や輿田準一との交流をうかがい知る部分はとても興味深い。その中からいくつかご紹介したい。
 この昭和5年5月25日の日記は彼女が高瀬高等女学校2年の時で、この2週間前に矢部川駅(今の瀬高駅)で柳川へ帰省する北原白秋を父と一緒に出迎えている。その後、柳川で行われた白秋会などにも出席、白秋から「私の弟子」と言われている。父の松一とは少し齟齬を生じ始めていたと思われる時期で、この年の夏、松一は借金苦から朝鮮に出奔する。
 この日は日曜日で高瀬(今の玉名市)で白秋の講演会が行なわれるので、荒尾の自宅から高瀬の女学校へ出かけ、時間をつぶしたようだ。走る練習をするつもりだったが誰も走らないので、レコードを聴いたり、卓球をしたりして過ごしている。講演会では白秋は喉を痛めていたようで、当時、東京の白秋の家で書生をしていた輿田準一から父への伝言を託っている。内容は講演会の後、白秋は母親の実家がある南関へ行くので来ないかという誘いと、30日に白秋が東京へ帰るので矢部川駅へ見送りに来るようにという二点だ。公子が荒尾への帰りに乗る汽車で父が熊本から高瀬(今の玉名駅)に着き、その時に伝言を伝えたようだ。
注1)輿田準一・・・福岡県瀬高町出身の児童文学者・詩人。公子の父松一とは「赤い鳥」への投稿を通じて長い付き合いがある。公子にも大きな影響を与え、また北原白秋との橋渡しもした人物。
注2)矢野さん・・・旧荒尾市立第二小学校の校門前にある文房具店。海達家とは家族ぐるみの付き合いがあった。
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友との別れ・・・

2012-05-14 18:29:47 | 水球
 昨日は高校時代のチームメイトF君の四十九日だった。葬儀には参列できなかったので山の上にある公園墓地での納骨に、他のチームメイトらとともに立ち会った。
 僕にはどうしても忘れることのできないF君との想い出がある。それは高校3年の時のインターハイ決勝の朝のことだ。かつて数々の国際大会が行われた大阪扇町プールが試合会場だったが、僕らはそのプールへ朝練に行った。ゲーム形式の練習の最中、僕が不用意に腕を動かした瞬間、マークについていたF君の顔面に僕の肘が当った。F君のまぶたが切れ鮮血が流れた。傷はかなり深かった。F君はキャプテンでディフェンスの要でもあった。大事な試合前のキャプテンの負傷にメンバー全員のショックは大きかった。たまたま応援に来ていた医師の先輩の応急処置で何とか試合には出られることになった。しかし、僕らのモラールは明らかに落ちた。案の定、試合は優勢といわれていた僕らが負けた。もちろん負けた原因はそれだけではないが、僕は自分の不用意さを悔いた。しかし、F君はもちろん、他の誰もそのことは一切口にしなかった。あの日から49年の歳月が流れた。お坊さんの読経を聴きながらじっとそんなことを考えていた。彼とあの日のことを笑って語り合うことも今生ではもうない。
※写真は今朝、雨に打たれながら咲いていたマツリカの花。昨年、中学時代の友人にもらったもの。クリックすると大きなサイズで見られます。
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今日の話は昨日の続き・・・

2012-05-13 18:08:00 | 音楽芸能
 昨夜の熊本城本丸御殿での「春の宴 阿蘇をどり」は、ぶっ通し1時間半いつにも増して演目数が多かったが、撮影した映像のうち、とりあえず3曲選んでアップした。ブログにはこの3曲を埋め込んだだけでコメントも書かず仕舞いだったので今日はその続き。
 この3曲をまず選んだのには理由がある。ザ・わらべ&こわらべの演目をジャンル分けすると、長唄、端唄・俗曲、民謡などに分けられる。そのそれぞれのジャンルから1曲ずつ選んだ。
▼藤音頭
 歌舞伎舞踊の代表的な演目の一つである「長唄 藤娘」は「Wisteria Maiden」という英語名で欧米でも人気がある。4年前、熊本城本丸御殿落成記念イベントの一つとして熊本城二の丸公園で行われた「坂東玉三郎特別舞踊公演」でも演じられ、その時初めて生で見た「藤娘」に酔いしれたものだ。ザ・わらべの最終到達目標はこれを演じることではないかと僕は勝手に思っている。今回、くるみちゃんが踊った「藤音頭」は、その「藤娘」の一連の踊りの中の一部だが、近い将来、本格的に「藤娘」を踊るための中村花誠先生の布石ではないかと睨んでいる。
▼桃太郎
 このような端唄をコミカルに踊るのは、ザ・わらべの最も得意とするジャンルでもある。あやのちゃんとかえちゃんのコンビが踊る端唄は他にもいろいろあるが、この「桃太郎」はもう随分前から二人で踊っていて昨夜は久しぶりに見た。幼い頃は可愛らしさで楽しませてくれたものだが、もう二人ともすっかり成長し、いつの間にか「粋な姐さん」の踊りに変わっていた。
▼阿蘇の恋歌
 「阿蘇をどり」ということで、阿蘇の民謡と言えば、最初に思い浮かぶのはやはりこの「阿蘇の恋歌」。最近、進境著しいこわらべのあかねちゃんとゆりあちゃん。こわらべの阿蘇チーム頑張れ!


藤音頭


桃太郎


阿蘇の恋歌
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熊本城本丸御殿・春の宴 〜 阿蘇をどり 〜

2012-05-12 22:42:49 | 音楽芸能
▼藤音頭

藤の花房色よく長く
可愛いがろとて酒買うて 飲ませたら
うちの男松に からんでしめて
てもさても 十返りという名のにくや
かへるという忌み言葉
はなものいわぬ ためしでも
しらぬそぶりは ならのきょう
松にすがるも すきずき
松をまとうも すきずき
好いて好かれて
はなれぬ仲は ときわぎの たち帰えらで
きみとわれとか おゝ嬉し おゝうれし


▼桃太郎

昔々 お爺さんとお婆さんがあったとさ アーキタコリャ
お爺さんは山へ芝刈りに お婆さんは川へ洗濯に アーキタコリャ
大きな桃が流れ来る その桃たらいへ打ち込んで アーキタコリャ
お婆さんは我が家へ戻らるる 桃の中からご誕生 アーキタコリャ
ちょちちょち あわわあわわ かいぐりかいぐり とっとの目 アーキタコリャ
これもし これもし桃太郎さん あなたのお腰は何であろ アーキタコリャ
日本一の黍団子 一つ下さいお供する アーキタコリャ
犬と雉とを供に連れ 行列揃えて帆を立てる アレワイサノサ
アーコリャコリャ コレワイサノサ 殿さんお馬で おいらは後の草履取り
アーコリャコリャ さしずめ奴はお槍持ち アーキタコリャ
轡の音がリンガラリン リンガラリン
難なく島へ漕ぎ渡る 宝の数々奪い取り アーキタコリャ
我が日の本へ戻らるる 治まる御代こそめでたけれ


▼阿蘇の恋歌

阿蘇は朝霧 夕べは夜霧よ
裾野八里を小唄で行けば
浮世 浮世暮らしも ささおつなもの

燃ゆる想いか お山の煙はよ
今日もなびくよ あの娘の里へ
里は 里は湯煙 ささ 湯の香りハイハイ

青馬の小鈴で 峠をこえりゃよ
濃いか情けか 心がぬれる
ぬれる手綱に ささ火が招く
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失われゆく言葉 〜 方言の運命は?〜

2012-05-11 20:10:14 | 熊本
 今日の夕方のNHKのローカルニュース番組「クマロク!」で「ウチナーグチ(沖縄の方言)」を沖縄の若い人たちが使えなくなり、消えつつある現状をリポートしていた。この大きな原因となったのが昭和47年(1972)に沖縄が日本に返還されるにあたり、教育の場で方言が禁止されたことだという。方言が消えつつあるのはどこの地方でも大なり小なりある話だが、そこで思い出したのがわが熊本でもかつて方言を禁止する教育が行われたことだ。今年、34年ぶりに男子生徒が入学したことで話題となった熊本県立第一高等学校は、明治36年に高等女学校として開校した。同校の百年史によれば明治43年6月に方言を矯正する訓示が下されたという記録が載っている。内容は下表のとおりだが、他校でも程度の差こそあれ同様の教育が行われたようだ。この時代は欧米列強に対抗すべく近代化教育を推し進めていた頃なのでその一環だったのだろうが、今日見てみると滑稽な感じが拭えない。そんな世相を風刺したのか、ちょうどその頃流行ったのが「ハイカラ節」だったそうだ。それはさておき、やっぱり方言には地方の歴史と風俗が込められていると思うので、なんとか残していくような努力をしたいものだ。

▼明治後期の女学校の様子を描いた風俗画


▼明治43年 方言矯正の訓示内容


▼明治時代の終わり頃流行した「ハイカラ節」を元唄とする「熊本自転車節」
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藤田嗣治 〜 乳白色の裸婦の秘密 〜

2012-05-10 10:39:47 | 美術
 今から90年前、フランス・パリで絶賛を浴びた日本人画家レオナール・フジタこと藤田嗣治(ふじたつぐはる、1886-1968)。彼が国際舞台で成功したのは「寝室の裸婦 キキ」をはじめとする裸婦像の、半透明の“乳白色の肌”が人々を魅了したからだといわれる。昨夜のBSプレミアム「極上美の饗宴」では、現代のカメラマンが写真技術を駆使してその“乳白色の肌”の再現にチャレンジした。また藤田が終生秘密にしたという乳白色の技法を洋画家によって再現しながらその秘密を探っていた。
 番組を見ながら、熊大附属小のOBでもある藤田が寄贈したという絵を見に、母を伴って熊大附属小の校長室を訪れた時のことを思い出していた。熊本県立美術館に展示されている「バイオリンを持つ子供」やブリヂストン美術館の何点かの藤田の作品はホンモノを見たことがあるが、機会があれば「寝室の裸婦 キキ」などの裸婦像もホンモノを見てみたいものだ。


「寝室の裸婦 キキ」


熊大附属小に寄贈された墨で描いた「女性像」
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笠智衆さんの生誕寺をたずねて

2012-05-09 20:57:56 | 熊本
 今日は午後から母を伴って玉名市天水町の「海月山・来照寺」を訪問した。ここは名優・笠智衆さんの生家。実はこのブログを通じてメールのやり取りを始めたSさんの姪御さんがこの寺の坊守さんだという不思議なご縁があった。Sさんに連絡をとっていただき、ご住職と坊守さんに懇切な応待をしていただいた。90歳になる母は命の保養になったと感激しきりだった。坊守さんに生前の笠智衆さんのエピソードを聴かせていただいたが、笠智衆さんのお人柄を偲ばせる面白いお話があった。それは亡くなる少し前、「おじいさん 笠智衆写真集」の撮影のため、この生家、来照寺へ帰って来られた時の話。余計な気を使わせまいと何の連絡もせず来照寺へ帰って来た笠さん。ところが、たまたまこの日はご家族全員お出かけで家にも本堂にも入れない。しかたなくガラス戸が締め切られたままの本堂の縁側で撮影をすませたそうだ。それを聞いて写真集を見直してみると、たしかにお寺の縁側で着物姿でくつろいではいるものの、うしろのガラス戸は締め切られたままというなんとも不自然な写真。笠さんの映画そのまんま、あとから笑いがこみ上げてきた。


東に一、二、三の岳、西に有明海を望む眺望絶景の地


立派な本堂に坊守さんの書による山号額がかかる。


境内のあちこちにある映画看板はすべて檀家や笠智衆ファンの寄贈によるものという。


ついでに近くの尾田の丸池水源で湧水を汲んで帰った。
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野林祐実と土井杏南の差はどこに・・・

2012-05-08 17:14:48 | スポーツ一般
 中学時代からともに注目され、ライバルと言われた野林祐実(九州学院高2年)と土井杏南(埼玉栄高2年)。現在、二人の間には大きな差がついている。先日行われた織田記念陸上の100mで11秒50の日本高校新を出した土井に対し、野林は12秒を切るのがやっと。高校に進んでからは中学3年の時、千葉国体で出した11秒73という自己ベストをいまだにクリアできていない。先日の織田記念陸上の予選1組で二人は偶然か作為的か隣り合わせのレーンで走った。結果は土井の11秒53に対して野林は11秒95、その差0秒42、距離にして4m。これが現在の二人の力の差である。この差はもう縮まらないのだろうか。いや僕はけっしてそうは思わない。僕は昨年、野林が高校に進学してからの熊本でのレースをほとんど見てきた。しかし、いつも野林の圧勝で終わり、彼女の弱点が今一つ見えなかった。今回の織田記念の映像を見て、ひと言で言って「出足」が弱いことがハッキリわかった。スタートしてから10mくらいまでの足の運びが歩幅も小さく土井や福島に比べるといかにも弱々しいというか、自信なげに見えるのだ。トップスピードに乗ってからの足の軌道や着地の瞬間の膝の角度などが土井らとは違うように見えるが、これがスピードにどう影響しているのかは専門家ではないのでわからない。とにかく50mで既に4m近い差をつけられ、その差を挽回できないままレースが終わっている。この「出足」さえ強化すれば、土井に対抗できる力は十分にあると思う。ある意味、強化ポイントが明確になっている分、対策は講じやすいとも言える。そんなことは本人はもちろんコーチも十分ご承知だと思うが、まぁ、あせらずじっくりと強化して行ってほしいものだ。



▼小学6年生の時の野林と土井の対決

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湧水と茶畑

2012-05-07 19:29:46 | 熊本
 昨日は連休最終日、先月24日に岳間渓谷の湧水から汲んできた水も底をついたので、以前一度立ち寄ったことのある西原村の塩井社水源へ水汲みに行った。岳間の時の反省を踏まえて、タンクを3つ、ペットボトルを10数本積んで行った。連休最終日とあってさすがに行楽客もそれほど多くなく、スムーズなドライブだった。前回来たのは、この集落の一番奥にある「文化創造館 風流(かざる)」で行なわれた岡林立哉さんの馬頭琴&ホーミーライブを聴きに行った時だから、もう3年前になる。さっそく試飲した。冷たく味も良し。岳間よりだいぶ近いのでこれから度々来ることになりそうだ。ここまで来たついでに茶摘みの時期が近付いている茶畑を見たくなって吉無田高原まで足を延ばした。いつ見ても見事な茶畑が広がっていた。熊本でもこんな風景がわりと近場で見られるのは嬉しい。吉無田水源の表示が目についたので行ってみた。こちらは結構大勢の家族連れが水汲みに来ていた。


塩井社の鳥居をくぐって水汲み場へ。


暑いくらいの天気に湧水池で子供たちが水遊びをしていた。


吉無田高原に広がる茶畑
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北川愛菜、野林へ二度目の挑戦!

2012-05-06 18:09:03 | スポーツ一般
 今日、熊本市水前寺競技場で行われた「熊本レディース陸上大会」。僕の注目は100mで熊本では無敵の野林祐実(九州学院)に二度目の挑戦をする北川愛菜(熊大附中)の走りだ。先月の熊本県陸上選手権で初めて対戦した時は、野林が12秒14で優勝。北川は12秒75で3位とまだ相当の実力差があると感じた。しかし今日のレースは野林が県選手権と全く同タイムの12秒14で優勝したのに対し、北川は12秒71で2位とわずかながら差を詰めた。先日、広島で行われた織田記念陸上で今シーズンベストの11秒95で走ったものの、ライバルの土井杏南(埼玉栄高)には大きく水をあけられた野林の挽回と、未知の能力を秘めた北川が今後どこまで野林に迫っていくかますます楽しみになった。

▼100m決勝


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俗曲「品川甚句」の世界

2012-05-05 21:44:42 | 音楽芸能
 藤本喜代則さんと喜代則社中の軽快な唄と三味線、そしてザ・わらべのコミカルな踊り。どことなく「おてもやん」を連想する乗りの良い三味線の調子。よく意味がわからないが、言葉遊びのような歌詞。起源などを調べてみたが、江戸時代それも幕末、品川宿で生まれた俗曲であることは間違いないようだ。品川宿と言えば思い出すのは傑作時代劇コメディ「幕末太陽伝」だ。この唄を聴いていると、まさにあの「幕末太陽伝」の世界が甦る。またこの「幕末太陽伝」の中で心中事件を起こす貸本屋金造を演じた名優・小沢昭一さんは「小沢昭一の小沢昭一的こころ」という1973年から続くラジオ番組でパーソナリティを務めているが、この「品川甚句」を含むCDも出している。面白いのは「・・・ちょる」という長州ことばと思われる歌詞。品川宿には映画にも出てくるように高杉晋作や久坂玄瑞ら長州の攘夷派の志士たちが逗留していたといわれているから、やはり長州人が歌い始めたのかもしれない。またじっくりと調べてみたい。

小窓あくれば 品川沖よ
鴨八百羽 小鴨が八百羽
入船八百艘 荷船が八百艘
帆柱八百本 あるよ あるよ
朝来て昼来て晩に来て
来てこんとは いつわりな
来たしょうこにゃ 目が一寸だれちょる
酒飲んだ だれよとだれとが
違がちょる ハッハッ違ちょる違ちょる
切株 土手背負って
恋ちょろ ちょろね
船は出て行く煙は残る
残る煙が アイタタタタ
しゃくのたね


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