須原一秀 『自死という生き方』(双葉新書)を読む。
2006年4月に自死した哲学者・須原一秀氏が残した本。
「もともと明るくて陽気な人間が、非常にサバサバした気持ちで、
平常心のまま、暗さの陰も異常性も無く、
つまり人生を肯定したまま、しかも非常に分かりやすい理由によって、
決行される自死」(55頁)について証明するための、
「一つの哲学的プロジェクト」として須原氏は自死を決行しました。
須原氏はタイトルを
『新葉隠 死の積極的受容と消極的受容』
としていましたが、出版の際に改題されています。
たしかに、改題しない方が須原氏の論旨が明快に表現できた、
はずです。
改題するにしても、死に対する考察なので、
『自死という生き方』ではなく『自死という死に方』が
適切ではないかと思います。
ともあれ、須原氏の問いに対して、
自らの考えをまとめねばならない、との思いに駆られます。
少なくとも、プラトンの『パイドン』や
クセノポンの『ソクラテスの思い出』を読み返そう、
という気になりました。
そして『葉隠』も。
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