年を重ねただけでは人は老いず、止まらぬ探究心・人生への喜びと興味・希望ある限り人の若さは失われる事はないだろう。




以前(2006.11.20柿)にこのブログでも紹介しましたが、ともさんの家に植えて17~18年になる富有柿の木が1本ありまして、今年は柿の成年か思いのほか沢山の実を付けました。昨年は実になる前にへた虫(害虫)にやられて収穫が0と散々でしたから、今年は6月1回、8月2回と消毒をして秋に備えたことも効いたようです



柿料理のレシピによると、柿にはビタミンK、ビタミンB1、ビタミンB2,、カロチン、タイニン、ミネラルなどがあり「柿が赤くなれば、医者が青くなる」とのことわざがある程栄養価が高いとか、また「二日酔いには柿」の訳はビタミンCとタイニンが血液中のアルコール分を体外へ排出して、豊富なカリュウムの利尿作用のお陰とか・・・

豊作の柿は1本の木で500個くらい実をつけて、いかに柿好きの細君と言えど二人ではとても食べきれず、ご近所はもとより、近くの知り合いや大阪の孫達のところまで送ったが、処理しきれない柿が沢山残ちゃったので、前回のいちじくジャムに続き柿ジャムへの挑戦だよ

ともさんは柿の取り入れと、インターネットからレシピを取り出しただけで、ジャム作りは細君の担当だよ、ただし重要な味見役はもちろんともさんだ

 
柿を良く洗って4つ切りにして芯と皮と種を取り除きます

 
フードプロセッサーでかき回しペースト状にする、鍋で30分ほど弱火でかき混ぜながら煮込みます、この時正味量の1/3程度のお砂糖とレモン汁を適当に加えます、とろみがついた頃に火からおろし、ひと晩おくと柿から出るペクチンでますますとろみが増します


予め沸騰したお湯で良く消毒をしたビンに詰めて出来上がりです

出来た柿ジャムは初めての作品にしてはとても美味しく、ともさん好みの味に仕上がりましたね、味見ご希望の方は連絡して下さい

チャーさん、ジャムのビンに貼るラベルはどうしてつくるのですか?

コメント ( 4 ) | Trackback ( )




南紀ドライブの第三弾は‘瀞峡’だよ、熊野交通の瀞峡紹介パンフによると
「紀伊山地のやまふところ、杉や檜のうっそうたる原生林の谷をぬって、エメラルドグリーンの流れが大きくカーブを描いている。その名も‘瀞峡’切立つ断崖・奇岩が両岸に迫り、碧緑の水は、あるときはとろりと淀んだ深淵となり、またある時はは明るく澄んだ浅瀬となって千変万化しながら太古の昔へといざなう」
お天気もよく空気も澄んで、今回のドライブでは一番の景勝地だった



熊野本宮大社から険しい山道を経て、瀞峡中流地点の小川口からウォータージェット船に乗り込み、ドイツのライン川下りを思わせる素晴らしい眺めを満喫出来ました



ウォータージェット船は普通の船と違って、スクリューなどはなく、水を勢いよく噴出しながら進むジェット船だ、船の下から取り入れる水を水面に叩きつけながら時速40kのスピードで疾走するんだよ
ジェット船の屋根は自動で開閉する構造になっていて、瀞峡めぐりのハイライトにあたる、下瀞~上瀞では屋根を開けて開放感あふれる船旅を味わうことが出来ましたね



北山川の中流域に位置する瀞峡は、上瀞、下瀞に分けられていて景観が美しいことで、吉野熊野国立公園の主要なスポットの一つなんだって



コメント ( 2 ) | Trackback ( )






南紀ドライブのパート2は「熊野古道」だ
京の都から真南に位置する熊野は、京を出て淀川を下り海岸沿いに南下して、田辺からいくつもの峠を越えて熊野を目指したルートがあって、今最も注目されているのが‘中辺路ルート’だって

単なるネィチャーウォークや健康ウォークでもない・・・ 1000年も前から続く祈りの道で、今もそこには手を合わせる遺物が古道沿線に点在していて田舎の生活や文化をも体験することが可能なんだ

他のルートでは高野から熊野へと続く「小辺路」、吉野から続く修験道「大峯奥駈道」、伊勢からの「伊勢道」などがあり、熊野本宮はすべての参詣者が目指した結びの地なんだ
訪れて初めて熊野古道は一つの道ではないことがわかりました

熊野古道


先のブログで紹介の速玉大社の境内に「熊野御幸」について説明した立札があったので、抜粋で分かり易く紹介すると

中世、宇多上皇の西暦907年から玄輝門院の西暦1303年までの396年間に上皇、女院、親王を合わせて23方140回に及ぶ皇室の参詣がありこれを「熊野御幸」と言う
熊野御幸には、陰陽師に日時を占わせ斉館で心身の精進を数日間行ってのち出発になる、白河法皇の御幸には総人数814人、1日の食料16石2斗8升、傳馬185匹、と「中右記」に書かれている

御幸の道順は京都→住吉→和泉→紀伊半島海岸沿いに南下→田辺→中辺路→本宮→熊野川を下って当大社へ参拝→那智山→雲取→本宮で、往路を逆行して帰京するまでにおよそ20数日間に及ぶ難行苦行の旅であったと

熊野御幸によって熊野信仰は公卿、武士、庶民の間に流行して、熊野水軍を持つ熊野三山の忠誠心を助長し、京と熊野との文化交流が盛んになり、熊野懐紙や幾多の歌が詠まれた

コメント ( 4 ) | Trackback ( )