仁左衛門日記

The Diary of Nizaemon

チェンジリング

2018年04月20日 | ムービー
『チェンジリング(原題Changeling)』(2008年/クリント・イーストウッド監督/アメリカ)を見た。
物語は、「ロサンゼルス。パシフィック電話会社で交換手の主任をしているクリスティン・コリンズ(アンジェリーナ・ジョリー)は、息子ウォルターと二人で暮らしている。1928年3月10日、休日出勤を余儀なくされた彼女が仕事を終えて帰宅するとウォルターの姿がない。何の手がかりもないまま時間だけが過ぎていった。そして7月20日、職場に"お子さんが無事見つかりました"と、ロサンゼルス市警少年課のジョーンズ警部(ジェフリー・ドノバン)がやって来て・・・」という内容。
帰宅直後から暗くなるまで探し続けてもいっこうに見当たらないので、警察に電話をかけたクリスティンだが、「子供の行方不明は24時間経過しないと捜査員を送れない。99%は翌朝までに帰ってくるので、今は何も出来ない」と言われてしまう。
グスタブ・ブリーグレブ牧師(ジョン・マルコヴィッチ)のロサンゼルス市警批判は辛辣だった。
「このロッキー山脈の西側で最も暴力的でかつ腐敗した無能な警察にまともな仕事が出来るとは私には到底期待できません」などとラジオ放送で流されてしまっては、ジェームズ・E・デーヴィス警察本部長(コルム・フィオール)もそりゃあ面白くは思わないだろう。
(^_^;)
とはいえ、そう言われても仕方がないようだ。
見つかりましたと引き渡された子供は、なんと別人だったのだ。
母親が自分の子供じゃないと言っているのに「あなたは気が動転してる。この年頃の子供の成長は早いんです」と言い、「この子は行く所がないんですよ」とまで言うジョーンズ警部。
精神科のタール医師をクリスティン宅に行かせ、自分の本当の子供より身長が約3インチ低いと言っても「あり得ないことじゃない」と、取り合わず、近所に「自分の子供も分からない無責任な母親だ」とデマを流すのだから、警察というよりまるでマフィアのようなものだ。
そして、これはアメリカで実際に起きた事件だというのが怖い。
ジョーンズ警部によってクリスティンは拘束され、精神病院に収監されてしまう。
アメリカで弁護士制度が極端までに発達した理由が分かるような気がする物語だった。

センチメンタル・アドベンチャー

2017年07月31日 | ムービー
『センチメンタル・アドベンチャー(原題Honkytonk Man)』(1982年/クリント・イーストウッド監督)を見た。
物語は、「歌手のレッド・ストーバル(クリント・イーストウッド)は、オーディションを受けるためにテネシー州ナッシュビルに向かっていたが、途中で旅費がなくなり、砂嵐の日に姉エミー(ヴァーナ・ブルーム)の嫁ぎ先の農家に転がり込んだ。その砂嵐で、エミーの夫・ヴァージル(マット・クラーク)の畑は作物が全滅。心機一転、カリフォルニア州に移住しようと考えたが、彼等の息子ホイット(カイル・イーストウッド)は叔父であるレッドに憧れ、故郷に帰りたいと願う祖父(ジョン・マッキンタイア)共々、レッドと一緒にナッシュビルに向かうことになるのだが・・・」という内容。
レッドは酒浸りで蛇行運転の連続なので、子供で無免許だというのにホイットに運転させる。
当然警官に止められるのだが、その後のレッドの運転があまりに危険なものだから、再度呼び止められて、危ないからその子に運転させろと言われる始末。
鶏泥棒の容疑で捕らえられた時は、テレビで見た西部劇を真似して脱獄させてしまうのだから、3人の旅は無茶苦茶だ。
(^_^;)
途中で出会った歌手志望のマーリーン(アレクサ・ケニン)は、ナッシュビルまでの同行を願ったが、面倒なことを嫌うレッドは了承しない。
しかし、彼女もホイットに助けられることになるのだから、この物語のキーマンであり、陰の主役はやはりホイットだ。
ホイットを演じたカイル・イーストウッド(1968年~)は、クリント・イーストウッド(1930年~)の実子なのだそうで、父の監督作品では映画音楽を担当することもあるようだ。
また、俳優ということではないようだが、『マディソン郡の橋』(1995年/クリント・イーストウッド監督/アメリカ)等、何度か映画出演をして、本作ではなかなか良い役を貰っている。
(^_^)

ブロンコ・ビリー

2017年07月19日 | ムービー
『ブロンコ・ビリー(原題Bronco Billy)』(1980年/クリント・イーストウッド監督/アメリカ)を見た。
物語は、「各地を転々とし、昔ながらの"ワイルド・ウエスト・ショー"を興行しているブロンコ・ビリー(クリント・イーストウッド)。容姿も気質もカウボーイさながらで、情に厚く、一座のドク・リンチ(スキャットマン・クローザース)、レフティ(ビル・マッキーニー)、レオナード(サム・ボトムズ)、ビッグ・イーグル(ダン・ヴァディス)、ランニング・ウォーター(シエラ・ペシャー)からの信頼も厚く、巡業先では子供達に大人気だ。一方、ニューヨークの裕福な家庭に生まれ育った勝気な女性アントワネット・リリー(ソンドラ・ロック)は、30歳までに結婚しなければ父の遺産を相続できなくなるため、愛してもいないジョン・アーリントン(ジェフリー・ルイス)と結婚するのだが、旅先でジョンに何もかも持ち去られて一文無しになってしまう。電話をかけるお金もなく、偶然居合わせたブロンコ・ビリーに小銭を借りることになるのだが・・・」という内容。
様々な地域のお祭り会場などで、サーカスのような大きなテントを張って興行を打つ"ブロンコビーリー一座"の出し物は、馬を使った曲芸や、投げ縄を使った曲芸、拳銃やナイフで的を射たり、ガラガラ蛇を使った見世物。
物語の舞台である1970年代アメリカでは随分と珍しくなった興行内容のようで、日本で言うところの旅回りの人情芝居一座といったところなのではないかと思った。
自分の死亡記事が新聞のトップに掲載されたことから帰りずらくなってしまったリリーは、アシスタントとして一座に加わるのだが、彼女が参加して以降悪いことばかりが続いたものだから、疫病神と言われる。
まぁ、あの高慢さでは誰ともうまくはやっていけないだろうと思える、そんな感じの人だ。
(^_^;)
それでもやがては仲間に受け入れてもらえるよう努力し始めるのだから、表面上はがさつに見えても実は優しいというブロンコ・ビリーの影響は大きかったわけだ。
とはいえ、列車強盗のエピソードはさすがに誰か止めろよと思った。
(^。^)

ピンク・キャデラック

2017年04月27日 | ムービー
『ピンク・キャデラック(原題Pink Cadillac)』(1989年/バディ・バン・ホーン監督/アメリカ)を見た。
物語は、「前科者の夫ロイ(ティモシー・カーハート)とその仲間のとばっちりで、ニセ札所持の容疑をきせられ逮捕されたルー・アン・マクグィン(バーナデット・ピータース)は、彼等からの保釈金支払いの申し出を断り、業者から借りたのだが、それを踏み倒し、夫のピンクキャディラックで逃走した。賞金稼ぎトム・ノワック(クリント・イーストウッド)は、気が乗らなかったものの依頼によって彼女の追跡を開始。ネバダ州リノのカジノで見つけ出したのだが、クルマの中にさらに隠されていた大金4万ドルはニセ金ではなく、本物のドル札だった。それは夫が所属している狂信的な白人主義組織"純血団(バース・ライト)"が武器購入資金としてマネーロンダリングしたもので、取引のためにと生後8か月の娘を誘拐されたルーは・・・」という内容。
「夫のクルマに手を出すとろくなことが起きない」というような台詞が複数回出てきたのだが、そう言われているものなのだろうか。
彼女に関わってピンクキャディラックを運転することになってしまったノワックに降りかかったトラブルは、命の危険さえもある大きなトラブルだったもは確かだ。
その逆にルーは、ろくなことにならないというより、ノワックが絡んでくれたことで、助かったといえるだろう。
夫は組織側の言いなりなので、一人で安全に赤ん坊を取り返すだなんてことは到底不可能だ。
4万ドルをニセ札と思い込んでいたルーは、お金をドンドン使いまくろうとするのだが、ノワックに本物だと指摘された途端、思い切って使うことができなくなってしまう。
もともと彼女はカジノで勝ってニセ札を本物に変えようとしていただけだから、それほどビビることはないと思ったのだが、やはり普段持ちなれない大金を前にすると、メンタルが崩壊してしまうものなのだろうか。
(^_^;)
賞金稼ぎだなんて何ともアウトローな職業だが、長年かけて作られたクリント・イーストウッドのイメージにはピッタリの役柄なのかもしれない。

ステイ・フレンズ

2016年11月12日 | ムービー
『ステイ・フレンズ(原題Friends with Benefits)』(2011年/ウィル・グラック監督/アメリカ)を見た。
物語は、「ニューヨーカーのジェイミー・レリス(ミラ・クニス)は、ヘッドハンティングのエージェント。次の仕事は、ロサンゼルスで活躍する敏腕アート・ディレクターのディラン・ハーパー(ジャスティン・ティンバーレイク)をスカウトすることだ。ニューヨークに招待されたディランは、彼女の説得により転職を決め、ニューヨークへと移り住む。互いに恋愛感情を持ち合わない2人は仲の良い友達関係になったのだが・・・」という内容。
ジョージ・クルーニーって、クールに生きたいアメリカ人の理想の姿なの!?」と聞きたくなるくらいに、会話に名前が出てくるのだが、本人は出演していない。
彼はクリント・イーストウッド同様(!?)、アメリカ人の誰もが知っているアメリカ人ということなのだろうか。
(^_^;)
ディランがGQに転職する際の契約書は1年契約らしかったが、1年というのは長期契約に属するらしい。
アメリカ人の労働契約というのは基本的にもっと短いものなのか!?
「長期契約を結ぶのは初めて!?」と聞くジェイミーに「携帯電話は2年契約で失敗した」と答えるディランの台詞は面白かった。
(^_^)
また、ここぞという時にまんまるな目で下から見上げるジェイミーに「子犬の目はよせ!!」と言うディラン。
「ばれたか」と答えるジェイミーだったが、彼女はやはりただものではない。
百戦錬磨という言葉が似合ってしまう女性のようだ。
あまりに調子よく振る舞っている、いつでもハイテンションの人間を見ていると腹が立ってくるが、ジェイミーはぎりぎりセーフのライン上といったところだろうか。
(^。^)
恋愛なし、感情なし、甘い言葉厳禁を条件にしたセックス・フレンドからスタートという、今までなかった感じのラブコメのような気がしたが、好景気で高揚している現在のアメリカのちょっとしたバブルの時代の作品なのだろうと思う。
おそらく数年以内にはこれを模した日本映画が作られるのではないだろうか。

父親たちの星条旗

2016年10月23日 | ムービー
『父親たちの星条旗(原題Flags of Our Fathers)』(2006年/クリント・イーストウッド監督/アメリカ)を見た。
物語は、「第2次世界大戦の最中、太平洋戦線で日本本土へと迫るアメリカ軍は、1945年2月19日に硫黄島へ上陸した。硫黄島は東京の南約1,080kmに位置する占領地ではない従来からの日本の領土。ここを制圧することにより日本本土への戦略爆撃が可能になるのだが、日本軍の抵抗は激しい。2月23日、予想に反しまだ完全制圧には至っていなかったが、摺鉢山の頂上に星条旗が立てられた。旗を立てる様子を撮影した写真が全国紙の第一面を飾り、それを見たアメリカ中の国民が熱狂した。旗を掲げている6人の兵士達は英雄に祭り上げられ、激しい戦闘を生き残っていたジョン・ブラッドリー(ドク/ライアン・フィリップ)、アイラ・ヘイズ(アダム・ビーチ)、レイニー・ギャグノン(ジェシー・ブラッドフォード)の3人は本国への帰還を許される。しかし、祖国へ戻った3人は政府の戦時国債キャンペーンに担ぎ出され・・・」という内容。
これは、硫黄島での戦いを日米双方の視点から描く"硫黄島プロジェクト"のアメリカ側視点の作品で、物語に登場するドクの子息であるジェームズ・ブラッドリーのノンフィクション『硫黄島の星条旗(原題 Flags of Our Fathers)』(ジェームズ・ブラッドリー/ロン・パワーズ共著)が原作となっている。
過酷な状況下で死に直面する軍人達が描かれていた日本側視点の作品『硫黄島からの手紙(原題Letters from Iwo Jima)』(2006年/クリント・イーストウッド監督/アメリカ)に対し、本作は戦争を生き残った軍人達が描かれているのだが、戦地に戻ることを願うアイラ・ヘイズなど、登場人物が抱える切なさについては日米一緒であるようにも思えた。
硫黄島で日本軍と交戦する場面では、砲弾や銃弾が飛び交う中で味方の誤射によって死んでしまったり、闇に紛れて銃剣で襲い掛かってくる兵士と格闘する等の生々しい描写もあったが、本国での戦時国債を募集するパーティーの場面は華やかで、食料品の配給だなんてどこの話?といった感じだ。
ただ、ヨーロッパ戦線での対ドイツ戦も同時進行しているアメリカの懐具合はかなり厳しくなってきていたようで、英雄に仕立て上げた3人を連れ、戦時国債キャンペーンの全国ツアーに出るのは財務省のバド・ガーバー(ジョン・スラッテリー)にとって重要な仕事だったようだ。
「燃料がなくて飛行機が飛ばないかもしれん。石油も金塊で買うほどだ。140億ドルが集まらんと月末に終戦を迎えることになる。日本の要求をのんで引き揚げるしかない」という台詞があったりもしたが、この1枚の写真が戦争の終わり方に何らかの影響を与えたのかもしれない。
さて、共同通信によると、「アメリカ海兵隊は2016年8月25日までに、摺鉢山で星条旗を最初に立てたとして公式文書に記録されていたアメリカ兵6人の内2人が別人だったとの調査結果を発表した」という。
その詳細はノンフィクションの原作を基にしている本作品を見れば分かるのだが、この事情は少々複雑で、劇中、「ランチの度に掲揚していたのか?」と皮肉る台詞もあったほどだ。
(^_^;)
登場人物はほとんど皆が短髪で、軍服も同じだし、見分けがつかなくて分かりにくいところもあったのだが、なかなか面白い作品だった。

ジャージー・ボーイズ

2016年06月16日 | ムービー
『ジャージー・ボーイズ(原題Jersey Boys)』(2014年/クリント・イーストウッド監督/アメリカ)を見た。
物語は、「1951年。アメリカ合衆国ニュージャージー州ベルヴィルは、犯罪が多発する貧しい地域だった。まるでチンピラのような底辺の暮らしぶりのバンドマン、トミー・デヴィート(ビンセント・ピアッツァ)は、美しいファルセットを響かせるフランキー・カステルチオ(のちにフランキー・ヴァリと改名/ジョン・ロイド・ヤング)をバンドのメンバーに加える。彼の美声は、地元マフィアのボス、ジップ・デカルロ(クリストファー・ウォーケン)がサポートを約束するほどの素晴らしさだったものの、バンドはなかなか売れなかった。バンドは何度も名前を変えながら活動をしていたが、豊かな才能を持つソングライター、ボブ・ゴーディオ(エリック・バーゲン)を新メンバーに加える。そして、ボーカルのフランキー、キーボードのボブ、ベースのニック・マッシ(マイケル・ロメンダ)、ギターのトミーの4人は、1960年に"ザ・フォー・シーズンズ"と名前を変えて再スタート。バックグラウンド・ヴォーカルとして様々なグループと共に活動するようになった。1962年、アルバム"Sherry & 11 Others" を発表し、収録曲♪Sherry♪は、初めてチャート入りしたばかりか、チャート第1位を獲得した。その後も数々のヒット曲を発表し続けた彼らは・・・」という内容。
これは、1960年代に世界規模で活躍した4人組バンドである"ザ・フォー・シーズンズ"を題材としたブロードウェイミュージカル(2005年初上演)を映画化したもの。
ミュージカルは世界7か国ほどで上演されたほか、アメリカの演劇界で最も権威ある賞といわれる"トニー賞"で、2006年にミュージカル作品賞を含む4部門を受賞しているというので、これは面白くないはずがない映画作品である。
最終的に大成功したバンドとはいえ無名時代は随分と苦労したようで、ボウリング場での演奏の仕事を貰えなかったのはさすがにこたえたらしい。
引き上げる際の駐車場でさっそく新しいバンド名に変更したのだが、消えかけたネオンサインから"ザ・フォー・シーズンズ"というバンド名を決めたエピソードは面白かった。
また、作曲担当のボブ・ゴーディオは、1958年にはビルボードチャート第2位を記録した♪Short Shorts♪を作曲した人だそうで、この曲は今でも深夜のテレビ番組『タモリ倶楽部』を見れば毎週耳にすることができる傑作だ。
(^_^)

偲ぶ会

2016年03月31日 | 映画サークル
ましけ映画サークル3月例会(2016年3月8日)の終了後、本年1月に急逝された当映画サークルのメンバー、故守○典之氏を偲び、"偲ぶ会"を開催した。
例会後、元陣屋からマルジュウ井とうに会場を移動したのだが、ここのマスターは昨年の同時期、守○氏と同じ病院に入院していたこともあって、忘年会(2015年12月1日)の際にも体調や顔色のことを心配していたし、この日も随分と悔しそうに思い出話をされていた。
さて、公的資料がほとんど存在しない"ましけ映画サークル"なので、正確にいつから活動をしていたのかが定かではないのだが、平成12年度総会資料を見ると、会員名簿No,1の欄には守○氏の名前があった。
仕事柄、氏の元には話題の映画作品の地方上映等について情報が集まってきたのだろうし、また、当時は小林政広監督が増毛町をロケ地とした映画を数本撮影していたこともあり、それらのプレミア上映会開催もあって映画好きを自称する人達が集まってきたのだろう。
残念ながら初期の数年間の記録はマッタクないのだが、『仁左衛門日記』に記述がある例会の守○企画を拾っていくと、
●2005(平成17)年
【2月】『デイ・アフター・トゥモロー(原題The Day After Tomorrow )』(2004年/ローランド・エメリッヒ監督/アメリカ)
【6月】『Ray/レイ(原題Ray)』(2004年/テイラー・ハックフォード監督/アメリカ)
【11月】『ミリオンダラー・ベイビー(原題Million Dollar Baby)』(2004年/クリント・イーストウッド監督/アメリカ)
●2006(平成18)年
【3月】『ショーシャンクの空に(原題The Shawshank Redemption)』(1994年/フランク・ダラボン監督/アメリカ)
【5月】『ヒトラー~最期の12日間(原題Der Untergang)』(2004年/オリヴァー・ヒルシュビーゲル監督/ドイツ)
【9月】『ヴェニスの商人(THE MERCHANT OF VENICE)』(2004年/マイケル・ラドフォード監督/アメリカ・イタリア・ルクセンブルグ・イギリス)
●2007(平成19)年
【4月】『ザ・センチネル~陰謀の星条旗(原題The Sentinel)』(2006年/クラーク・ジョンソン監督/アメリカ)
●2008(平成20)年
【2月】『ホテル・ルワンダ(原題Hotel Rwanda)』(2004年/テリー・ジョージ監督/イギリス・イタリア・南アフリカ)
【7月】『サラエボの花(原題Grbavica)』(2006年/ヤスミラ・ジュバニッチ監督/ボスニア・ヘルツェゴヴィナ)
●2009(平成21)年
【1月】『バンテージポイント(原題Vantage Point)』(2008年/ピート・トラヴィス監督/アメリカ)
【6月】『最高の人生の見つけ方(原題The Bucket List)』(2007年/ロブ・ライナー監督/アメリカ)
【12月】『運命を分けたザイル(原題Touching the Void)』(2003年/ケヴィン・マクドナルド監督/イギリス)
●2010(平成22)年
【4月】『グラン・トリノ(原題Gran Torino)』(2008年/クリント・イーストウッド監督/アメリカ)
【12月】『サブウェイ123 激突(原題The Taking of Pelham123)』(2009年/トニー・スコット監督/アメリカ)
●2011(平成23)年
【6月】『アンストッパブル(原題Unstoppable)』(2010年/トニー・スコット監督/アメリカ)
●2012(平成24)年
【1月】『バトル・オブ・シリコンバレー(原題Pirates of Silicon Valley)』(1999年/マ-ティン・バ-ク監督/アメリカ)
【7月】『スリーデイズ(原題The Next Three Days)』(2008年/ポール・ハギス監督/アメリカ)
【9月】『グレート・ディベーター/栄光の教室(原題The Great Debaters)』(2007年/デンゼル・ワシントン監督)
●2013(平成25)年
【1月】『みえない雲(原題Die Wolke)』(2006年/グレゴール・シュニッツラー監督/ドイツ)
【9月】『デンジャラス・ラン(原題Safe House)』(2012年/ダニエル・エスピノーサ監督/アメリカ・南アフリカ共和国)
●2014(平成26)年
【1月】『推理作家ポー 最期の5日間(原題The Raven)』(2012年/ジェームズ・マクティーグ監督/アメリカ)
【7月】『ザ・イースト(原題The East)』(2013年/ザル・バトマングリッジ監督/アメリカ)
【12月】『ジャッキー・コーガン(原題Killing Them Softly)』(2012年/アンドリュー・ドミニク監督/アメリカ)
●2015(平成27)年
【11月】『THE GREY 凍える太陽(原題The Grey)』(2012年/ジョー・カーナハン監督/アメリカ)
といった作品で、『デイ・アフター・トゥモロー』は2005年の第1回仁左衛門賞、『ショーシャンクの空に』は2006年の第2回仁左衛門賞を受賞し、『グラン・トリノ』は2010年仁左衛門特別賞を受賞している。
守○企画はハリウッドの大作を取り上げることが多く、仁左衛門企画と比べてハズレがなかった。
見逃していた名作や話題作で楽しませてくれたのが守○企画だった。
映画サークル例会の時に守○氏が座っていたうしろのあの席は、これからも指定席だ。
あらためて、守○典之氏のご冥福をお祈りいたします。
いずれ、また会おう。

戦略大作戦

2014年02月17日 | ムービー
『戦略大作戦(原題Kelly's Heroes)』(1970年/ブライアン・G・ハットン監督)を見た。
物語は、「1944年9月。ノルマンディー上陸作戦を成功させ、敵の陣地深く攻め込んだ連合国軍だが、実質的にビッグジョー曹長(テリー・サバラス)が率いる先鋒のメイトランド中隊は、偵察を任務としていたことから手柄をいつも後塵に譲り渡していた。友軍の誤爆が炸裂する中、捕虜にしたドイツ軍将校から(確か)時価1400万ドル相当の金塊の存在を聞き出したケリー2等兵(クリント・イーストウッド)は、偶然与えられた3日間の休暇を利用して密かに金塊強奪作戦を立案し、その手筈を整えるのだが・・・」という内容。
オットボール軍曹(ドナルド・サザーランド)が指揮するM4戦車の砲弾など物ともしないタイガー戦車が銀行を守っているし、連合国軍側が制空権を握っているとはいえ、その味方の飛行機に撃ちまくられるのだから、敵どころか味方の意表を突く前代未聞の大胆な作戦とはいえそう上手くは行かない。
(^_^)
まったくナンセンスな話の連続で充分楽しめるのだが、静かな夜に突然ひゅるひゅるひゅる・・・と音がして爆撃が始まる場面や、地雷原に踏み込んでしまった場面、躊躇無く銃撃してドイツ兵をどんどん殺していく場面などはやはり戦争映画であることを意識させる。
また、主人公ケリー2等兵が降格になった理由がやはり味方を誤爆したことにあるようで、連合国軍側が相当この"誤爆"に悩まされていたらしいエピソードも描かれている。
『荒野の用心棒(原題A Fistful of Dollars)』(1964年/セルジオ・レオーネ監督)で人気を博したクリント・イーストウッドが主演とあって、西部劇を髣髴とさせる演出もあったりするのも楽しい。
最近の戦争映画といえば、お涙頂戴ものかエセ反戦映画のようなものしかないように思えるので、これは古い映画ながらも何だか新鮮に映ったのだった。

ヒアアフター

2011年03月02日 | ムービー
ユナイテッド・シネマ札幌で、『ヒアアフター(原題Hereafter)』(2010年/クリント・イーストウッド監督/アメリカ)を見た。
物語は、「フランスのテレビ局でキャスターを務めるジャーナリストのマリー・ルノ(セシル・ドゥ・フランス)は、バカンス中の東南アジアで津波に呑まれ臨死体験をした。サンフランシスコで霊能力者として活動していたアメリカ人ジョージ(マット・デイモン)は死者との対話に疲れ、工場で働いていた。イギリス人の少年マーカス(ジョージ・マクラレン)は双子の兄ジェイソン(フランキー・マクラレン)を亡くし、1年以上経っても1人でいることが寂しくて仕方がなかった。この全く無縁の3人が、ある日・・・」という内容。
縁もゆかりもない人間達がある日偶然ひとつの場所に吸い寄せられるように集まり、出会い、人生の転機を迎えるというパターンは近年の映画の流行なのか!?
これは最近公開されているいろいろな映画で随分見受けられるパターンだと思う。
"ツイッター"ではないが、無縁社会といわれるこの現代社会で人々は何らかの"つながり"を求めている。
そういった大衆の欲望を満たせる製作者がエンタメ業界の勝者として各映画賞を受賞する。
最近脚光を浴びているのは、その辺りにいち早く気がついた人達なのだろうな。
ただ、この作品で描かれているのは、『ラブ・アクチュアリー』(2003年/リチャード・カーティス監督/アメリカ・イギリス)のように、ただ友達の友達つながりということではなく、つながる人の価値観や趣味・志向が一致することが前提とされている。
それ故にジョージは実兄ビリー(ジェイ・モア)とのつながりを自ら断ち切っているくらいだ。
ちなみに、マット・デイモンはいつの間にか普通のおっさんになっていて、初めのうちは本人だと気が付かなかった。
(^_^;)

仁左衛門特別賞 / 2010年

2010年12月29日 | 映画サークル
【ましけ映画サークル2010仁左衛門賞】は、小○企画の『画家と庭師とカンパーニュ(原題Dialogue avec mon jardinier)』(2007年/ジャン・ベッケル監督/フランス)に決定したのだが、残念ながら受賞を逃してしまった『グラン・トリノ(原題Gran Torino)』(2008年/クリント・イーストウッド監督/アメリカ)も素晴らしい作品だった。
そこで、今年は特別に【2010仁左衛門特別賞】である"親子のスノーマン"を『グラン・トリノ』(守○企画)に贈呈したい。
"特別賞"は、6年の歴史を誇る仁左衛門賞では初めてのことであるし、今後も連発はないだろうと思うので、それだけ素晴らしい作品だったことの証明なのである。
(^_^)
おめでとう!!クリント・イーストウッド監督!!
もう映画主演はしないとのことなので、スクリーン上でジィちゃんぶりを拝めないのは残念だが、これからも素晴らしい作品を監督していってもらいたいものである。

仁左衛門賞 / 2010年

2010年12月28日 | 映画サークル
9月の仁左衛門初骨折&初手術が影響し、随分と例会の開催が流れてしまった2010年の"ましけ映画サークル"だったが、今年の予定は12月1日の例会&忘年会をもってすべて終了した。
そして本日は、おまちかね(?)恒例の【仁左衛門賞/2010年】の発表なのである。
(^_^)
今年の例会で取り上げた映画は、
【1月/仁左衛門企画】『鬼平犯科帳/劇場版』(1995年/小野田嘉幹監督)
【2月/長○見企画】『ビリィ・ザ・キッドの新しい夜明け』(1986年/山川直人監督)
【3月/小○企画】『画家と庭師とカンパーニュ(原題Dialogue avec mon jardinier)』(2007年/ジャン・ベッケル監督/フランス)
【4月/守○企画】『グラン・トリノ(原題Gran Torino)』(2008年/クリント・イーストウッド監督/アメリカ)
【5月/忠○企画】『レスラー(原題The Wrestler)』(2008年/ダーレン・アロノフスキー監督/アメリカ)
【6月/仁左衛門企画】『ニュースの天才(原題Shattered Glass)』(2003年/ビリー・レイ監督/アメリカ)
【7月/小○企画】『ターミネーター4(原題Terminator Salvation)』(2009年/マックG監督/アメリカ)
【8月/中止】
【9月/中止】
【10月/中止】
【11月/長○見企画】『偽造(原題FALLING THROUGH)』(1999年/コリン・バックシー監督/アメリカ)
【12月/守○企画】『サブウェイ123 激突(原題The Taking of Pelham123)』(2009年/トニー・スコット監督/アメリカ)
の9作品。
第1次選考の結果、同賞へのノミネート作品は『画家と庭師とカンパーニュ』(小○企画)、『グラン・トリノ』(守○企画)、『レスラー』(忠○企画)の3作品となった。
そして、この中から、小○企画の『画家と庭師とカンパーニュ(原題Dialogue avec mon jardinier)』(2007年/ジャン・ベッケル監督/フランス)に、栄えある(!?)【ましけ映画サークル・仁左衛門賞/2010年】の"灰色のモアイ像"を贈呈するものである。
おめでとう!!ジャン・ベッケル監督!!
これからも心にしみる大人の映画を撮り続けてほしい。
(^_^)
ちなみに、これまでの【ましけ映画サークル仁左衛門賞】受賞作品は、
2005年】『デイ・アフター・トゥモロー』(2004年/ローランド・エメリッヒ監督/アメリカ)=守○企画、
2006年】『ショーシャンクの空に』(1994年/フランク・ダラボン監督/アメリカ)=守○企画、
2007年】『トム・ヤム・クン!』(2005年/プラッチャヤ・ピンゲーオ監督/タイ)=小○企画、
2008年】『地獄のモーテル』(1980年/ケヴィン・コナー監督/アメリカ)=忠○企画、
2009年】『アイアンマン』(2008年/ジョン・ファヴロー監督/アメリカ)=長○見企画
となり、"仁左衛門企画"は未だに受賞がないのである・・・。
(^_^;)

マディソン郡の橋

2010年11月01日 | ムービー
『マディソン郡の橋(原題The Bridges of Madison County)』(1995年/クリント・イーストウッド監督/アメリカ)を見た。
物語は、「1989年、アメリカ・アイオワ州。フランチェスカ・ジョンソン(メリル・ストリープ)が亡くなり、マイケル(ヴィクター・スレザック)と妹のキャロリン(アニー・コーリー)が、遺言と母名義の貸金庫を譲り受けた。遺言は、"遺体は火葬にしてローズマンブリッジから撒くこと"。そして、貸金庫の中には見たことがないスナップ写真、メモ、ロバート・キンケイド(クリント・イーストウッド)という人からの手紙等と鍵が入っていた。2人はその鍵を使って遺品を入れてあるケースを開け、収められていた4冊のノートを読み始めるのだが・・・」という内容。
母親が書き遺した自分達へのノートを、尻込みして読もうとしないマイケルに、妹のキャロリンがいう台詞。
「兄さんの頭の中にはまだピーターパンがいるの?」
これは面白かった。
また、フランチェスカとロバートの会話の中では、初めはロバートからの話に聞き入るフランチェスカの姿が多く描かれて、実際に彼も「君は経験が少ないが・・・」というような台詞も言っていた。
しかし、自分の夢を追いながらも少しばかり弱音を吐くロバートに、「自分でその気にならなくちゃ。自分に自信をもつの」と、そのうちにアドバイスをするようにもなる。
ナショナルジオグラフィック社のカメラマンとして世界中を駆け巡り、経験豊富なロバートとはいえ片田舎の農家の主婦に励まされる。
やはり男より女の方が肝が据わっているというわけだ。
(^o^)

グラン・トリノ

2010年04月14日 | 映画サークル
本日(2010年4月14日)午後6時30分からのましけ映画サークル4月例会は、守〇企画『グラン・トリノ(原題Gran Torino)』(2008年/クリント・イーストウッド監督/アメリカ)だった。
物語は、「50年間フォード社で働いていたウォルト・コワルスキー(クリント・イーストウッド)は頑固者。息子達が日本車に乗るのが気に入らないし、近所から白人達が姿を消してアジア系の住民が増えてもデトロイトを離れなかった。妻の葬式の日、モン族(ベトナム、ラオス辺り)のロー家が隣に越して来た。数日後、不良グループにそそのかされた少年タオ・ロー(ビー・ヴァン)が大事なグラン・トリノを盗み出そうとガレージに忍び込んできたが・・・」という内容。
最初の場面は葬式の日で、コワルスキー家の玄関には星条旗が立っていた。
「アメリカ人は葬式の日に国旗を立てるのか」と少し不思議に思ったのだが、実はこのウォルトという男は、アフリカ系やアジア系のアメリカ人をアメリカ人とは認めていないようで、自分こそがアメリカであるという主張をするためか、いつも玄関に星条旗を立てているらしかった。
(^_^;)
初めはまったく偏屈な爺さんにしか見えなかったものの、町で偶然見かけたスー・ロー(アーニー・ハー)を助けてあげるなど、段々と実は真っ正直な人間であることが判ってくる。
2010年のましけ映画サークルはまだ4回目だというのに、"2010年仁左衛門賞"の有力候補作品が出てきてしまった。
そう思えるほどに、なかなか良い作品なのだった。
(^_^)

硫黄島からの手紙

2009年11月05日 | ムービー
『硫黄島からの手紙(原題Letters from Iwo Jima)』(2006年/クリント・イーストウッド監督/アメリカ)を見た。
物語は、「昭和19(1944)年6月、栗林忠道陸軍中将(渡辺謙)が硫黄島守備隊指揮官として就任した。戦前、アメリカに駐在した経験を持つ栗林は、すでに制空権・制海権を失い充分な補給も期待できない同島守備隊には勝ち目が無いことを予想し、"島の一日でも遅い陥落は本土防衛のために意味があり、自決・無意味な突撃をせず、最後まで徹底抗戦する"と考えて海岸での防御計画を見直し、洞窟と坑道からなる広範囲な地下陣地を構築した。そして、昭和20(1945)年2月、ついにアメリカ軍は・・・」という内容。
第2次世界大戦末期、硫黄島で実際にあった戦闘を日本側とアメリカ側双方の視点から描くという企画で制作された二つの映画の片方で、これはアメリカ映画でありながらも全編日本語が使われている。
パン職人だった西郷昇陸軍一等兵(二宮和也)に召集令状が渡された時、役人に同行していた割烹着姿の婦人の「そんなご時世じゃないんです」という台詞があったのだが、この場面を見ていてふと思い出したのが、病床の昭和天皇について日々報道されていた昭和63(1988)年の暮れのこと。
その頃はあらゆるイベントでの過度な"自粛"ムードが蔓延していた時期で、タレントの小堺一機氏が某テレビ局のロードショー番組で、「今、お笑いがピンチなんです」等と映画の解説をしたものだから、確かその放送回を最後に氏の姿を番組で見かけることが無くなった。
きっと誰か偉い人が言ったのだろう。
「そんなご時世じゃないんです」と。
また、守備隊の命令系統がすでに崩壊し、組織だった戦闘が出来なくなってしまった頃、死亡した捕虜サムが所持していた手紙を西竹一陸軍中佐(伊原剛志)が手に取り、疲弊した兵隊達に読んで聞かせるという場面は切なかった。
それは母親が息子に宛てて書いたものだったが、当時の日本人が文字にすることなど叶わなかったと思われる内容だったからだ。
さて、アメリカ側からの視点で硫黄島での戦闘を描いたのは、『父親たちの星条旗(原題Flags of Our Fathers)』(2006年/クリント・イーストウッド監督/アメリカ)である。
機会があれば見てみよう。