仁左衛門日記

The Diary of Nizaemon

硫黄島からの手紙

2009年11月05日 | ムービー
『硫黄島からの手紙(原題Letters from Iwo Jima)』(2006年/クリント・イーストウッド監督/アメリカ)を見た。
物語は、「昭和19(1944)年6月、栗林忠道陸軍中将(渡辺謙)が硫黄島守備隊指揮官として就任した。戦前、アメリカに駐在した経験を持つ栗林は、すでに制空権・制海権を失い充分な補給も期待できない同島守備隊には勝ち目が無いことを予想し、"島の一日でも遅い陥落は本土防衛のために意味があり、自決・無意味な突撃をせず、最後まで徹底抗戦する"と考えて海岸での防御計画を見直し、洞窟と坑道からなる広範囲な地下陣地を構築した。そして、昭和20(1945)年2月、ついにアメリカ軍は・・・」という内容。
第2次世界大戦末期、硫黄島で実際にあった戦闘を日本側とアメリカ側双方の視点から描くという企画で制作された二つの映画の片方で、これはアメリカ映画でありながらも全編日本語が使われている。
パン職人だった西郷昇陸軍一等兵(二宮和也)に召集令状が渡された時、役人に同行していた割烹着姿の婦人の「そんなご時世じゃないんです」という台詞があったのだが、この場面を見ていてふと思い出したのが、病床の昭和天皇について日々報道されていた昭和63(1988)年の暮れのこと。
その頃はあらゆるイベントでの過度な"自粛"ムードが蔓延していた時期で、タレントの小堺一機氏が某テレビ局のロードショー番組で、「今、お笑いがピンチなんです」等と映画の解説をしたものだから、確かその放送回を最後に氏の姿を番組で見かけることが無くなった。
きっと誰か偉い人が言ったのだろう。
「そんなご時世じゃないんです」と。
また、守備隊の命令系統がすでに崩壊し、組織だった戦闘が出来なくなってしまった頃、死亡した捕虜サムが所持していた手紙を西竹一陸軍中佐(伊原剛志)が手に取り、疲弊した兵隊達に読んで聞かせるという場面は切なかった。
それは母親が息子に宛てて書いたものだったが、当時の日本人が文字にすることなど叶わなかったと思われる内容だったからだ。
さて、アメリカ側からの視点で硫黄島での戦闘を描いたのは、『父親たちの星条旗(原題Flags of Our Fathers)』(2006年/クリント・イーストウッド監督/アメリカ)である。
機会があれば見てみよう。