仁左衛門日記

The Diary of Nizaemon

超高速 ! 参勤交代

2016年04月26日 | ムービー
『超高速!参勤交代』(2014年/本木克英監督)を見た。
物語は、「享保20(1735)年。磐城国(いわきのくに)湯長谷藩の4代目藩主・内藤政醇(ないとうまさあつ/佐々木蔵之介)は、1年間の江戸での勤めを終えて帰国したばかりだったが、江戸幕府老中・松平信祝(まつだいらのぶとき/陣内孝則)により、"5日以内の再度の参勤交代"を命じられる。通常でも8日の日程を要するうえ、湯長谷藩は徳川将軍へ沢庵を献上するほどに逼迫した財政状況であったため、到底実行不可能な要求なのであったが政醇はこれを受入れざるを得ず、家老・相馬兼嗣(そうまかねつぐ/西村雅彦)に解決策を求めた。家臣随一の智恵者であるとされる兼嗣は、"少人数で山中を走り抜け、幕府の役人の監視がある宿場のみ日雇い中間(ちゅうげん)を揃えて大名行列を組む"という提案をし、政醇もこれを了承。かつては東国一と言われた抜け忍・雲隠段蔵(くもがくれだんぞう/伊原剛志)を山中の案内役に雇い、総勢8人で江戸に向けて出発したのだが・・・」という物語。
いかに無理難題であったとしても、一小藩が幕府の命令に逆らうことなど到底出来なかったのだろう。
相手は、豊臣家をも滅ぼしてしまった徳川家である。
決定前であれば何とかなったのかもしれないが、一度決定してしまった事項が覆るはずもなく、逆らえばお取り潰しの沙汰が待ってるだけだ。
湯長谷藩の藩主・内藤政醇は何ともざっくばらんな性格の持ち主なのか、馴染みのない人間ともすぐに打ち解けてしまうようで、それは、自国の百姓はもちろん、自ら売り込んできた胡散臭い抜け忍・段蔵には褒美として家宝の短刀を渡してしまったり、途中の宿場で出会った飯盛女・お咲(深田恭子)には幼少時の境遇を重ね合わせて助けたりもする。
どうやら、「情けは人のためならず」というのがこの物語のテーマのひとつなようで、分かりやすい物語なだけにそれなりに楽しめたのではあるが、何度か出てくる"ワイヤーアクション"を使った場面がショボ過ぎて、その辺りには幾分ガッカリしたのだった。
(^_^;)

硫黄島からの手紙

2009年11月05日 | ムービー
『硫黄島からの手紙(原題Letters from Iwo Jima)』(2006年/クリント・イーストウッド監督/アメリカ)を見た。
物語は、「昭和19(1944)年6月、栗林忠道陸軍中将(渡辺謙)が硫黄島守備隊指揮官として就任した。戦前、アメリカに駐在した経験を持つ栗林は、すでに制空権・制海権を失い充分な補給も期待できない同島守備隊には勝ち目が無いことを予想し、"島の一日でも遅い陥落は本土防衛のために意味があり、自決・無意味な突撃をせず、最後まで徹底抗戦する"と考えて海岸での防御計画を見直し、洞窟と坑道からなる広範囲な地下陣地を構築した。そして、昭和20(1945)年2月、ついにアメリカ軍は・・・」という内容。
第2次世界大戦末期、硫黄島で実際にあった戦闘を日本側とアメリカ側双方の視点から描くという企画で制作された二つの映画の片方で、これはアメリカ映画でありながらも全編日本語が使われている。
パン職人だった西郷昇陸軍一等兵(二宮和也)に召集令状が渡された時、役人に同行していた割烹着姿の婦人の「そんなご時世じゃないんです」という台詞があったのだが、この場面を見ていてふと思い出したのが、病床の昭和天皇について日々報道されていた昭和63(1988)年の暮れのこと。
その頃はあらゆるイベントでの過度な"自粛"ムードが蔓延していた時期で、タレントの小堺一機氏が某テレビ局のロードショー番組で、「今、お笑いがピンチなんです」等と映画の解説をしたものだから、確かその放送回を最後に氏の姿を番組で見かけることが無くなった。
きっと誰か偉い人が言ったのだろう。
「そんなご時世じゃないんです」と。
また、守備隊の命令系統がすでに崩壊し、組織だった戦闘が出来なくなってしまった頃、死亡した捕虜サムが所持していた手紙を西竹一陸軍中佐(伊原剛志)が手に取り、疲弊した兵隊達に読んで聞かせるという場面は切なかった。
それは母親が息子に宛てて書いたものだったが、当時の日本人が文字にすることなど叶わなかったと思われる内容だったからだ。
さて、アメリカ側からの視点で硫黄島での戦闘を描いたのは、『父親たちの星条旗(原題Flags of Our Fathers)』(2006年/クリント・イーストウッド監督/アメリカ)である。
機会があれば見てみよう。