ましけ映画サークル7月例会(2008年7月29日)は、守〇企画『サラエボの花(原題Grbavica)』(2006年/ヤスミラ・ジュバニッチ監督/ボスニア・ヘルツェゴヴィナ)だった。
物語は、「内戦が終わって10年余り経ったボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都サラエボ。娘サラ(ルナ・ミヨヴィッチ)を1人で育てているエスマ(ミリャナ・カラノヴィッチ)は、修学旅行の費用200ユーロの用意も出来ないほどに生活が困窮していた。何とかバーでの仕事を得て深夜に働くことになったエスマだったが、まだ12歳のサラは寂しさからか性格が荒れていく」という内容。
人の心も経済も未だに国内戦争から立ち直れていない社会が舞台なだけにテーマが重い。
この日は全員が事前情報を何も持たないままに見始め、たぶん皆、(何語を話しているのか等)訳が解らないまま見続けていたのだろうと思う。
冒頭、親子でじゃれ合っているシーンがあったのだが、ちょっかいを出した母親の方がいいかげんにしろとばかりに娘を押しのける。
時間の経過と共にそれなりの事情は解ってきたのだが、背景等すべてについて、「あぁそういうことだったのねん」と概ね理解できたのは、本編のあとに"劇場予告編"(日本語版)を見た時だった。
この予告編は「これ見たら本編見なくても充分じゃん」と思えるほどに良く出来た内容(?)で、これを見ていなければ、この夜は布団に入ってからもずっと「あれってどういうことだったんだろう?」等と悶々としていたに違いない。
ベルリン国際映画祭では、金熊賞・エキュメニカル賞・平和映画賞という各賞を受賞しているほどに評価が高いようだが、長く平和が続いている現代の日本ではやや受け入れられにくい映画ではないだろうか。
さて、8月例会は仁左衛門企画の順番が回ってきた。
お盆が過ぎてからの日程だが、やはり忠〇企画のようなおどろおどろしい映画がタイムリーか。
(^。^)
物語は、「内戦が終わって10年余り経ったボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都サラエボ。娘サラ(ルナ・ミヨヴィッチ)を1人で育てているエスマ(ミリャナ・カラノヴィッチ)は、修学旅行の費用200ユーロの用意も出来ないほどに生活が困窮していた。何とかバーでの仕事を得て深夜に働くことになったエスマだったが、まだ12歳のサラは寂しさからか性格が荒れていく」という内容。
人の心も経済も未だに国内戦争から立ち直れていない社会が舞台なだけにテーマが重い。
この日は全員が事前情報を何も持たないままに見始め、たぶん皆、(何語を話しているのか等)訳が解らないまま見続けていたのだろうと思う。
冒頭、親子でじゃれ合っているシーンがあったのだが、ちょっかいを出した母親の方がいいかげんにしろとばかりに娘を押しのける。
時間の経過と共にそれなりの事情は解ってきたのだが、背景等すべてについて、「あぁそういうことだったのねん」と概ね理解できたのは、本編のあとに"劇場予告編"(日本語版)を見た時だった。
この予告編は「これ見たら本編見なくても充分じゃん」と思えるほどに良く出来た内容(?)で、これを見ていなければ、この夜は布団に入ってからもずっと「あれってどういうことだったんだろう?」等と悶々としていたに違いない。
ベルリン国際映画祭では、金熊賞・エキュメニカル賞・平和映画賞という各賞を受賞しているほどに評価が高いようだが、長く平和が続いている現代の日本ではやや受け入れられにくい映画ではないだろうか。
さて、8月例会は仁左衛門企画の順番が回ってきた。
お盆が過ぎてからの日程だが、やはり忠〇企画のようなおどろおどろしい映画がタイムリーか。
(^。^)