読書な日々

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『ファウスト』

2016年10月16日 | 舞台芸術
『ファウスト』(グノー、関西二期会)

シャルル・グノーのオペラ『ファウスト』を観てきた。内容はゲーテの小説で有名なやつだ。老学者のファウストがメフィストフェレスに魂を売って「若さ」を取り戻し、グレートヒェンに恋して妊娠させるが、グレートヒェンはファウストに捨てられ嬰児殺しで投獄されて狂気し、ファウストは最後に悪魔に魂を奪われる寸前で救済されるという話だ。

しかしこのオペラ(1869年)にパリ・オペラ座で初演されてから、フランスでは3000回の上演を数えるという人気のオペラだが、私にはなんとも話の流れが分からないオペラだという印象ばかりが残った。

第一幕で、三つの大きな箱型のセットが置かれており、字幕には「ファウストの保護室」と書いてある。一つ目にファウストがいる。精神病院を思わせる。二つ目はガラス張りになっており、メフィストフェレスの部屋のよう(悪魔の世界をイメージしている)。3つめはファウストの部屋と同じ精神病院を思わせる病室でマルグリートがいる。たぶんマルグリートは最後にこうなるという姿を予告的に見せているつもりだろうが、そんな姿の彼女にファウストが一目惚れをするのも変だ。そもそもメフィストフェレスと悪魔の契約にサインする前は爺さんであるはずのファウストが若いから若さが欲しいという叫びがまったくリアリティーを持たない。完全に演出の間違いだと思う。

舞台美術が上にも書いたように、大きな箱型のセットを回転させて、抽象的な舞台美術として使ったり、部屋のように使ったりするのは、場面転換を容易にするための工夫なのだろうが、場面の違いにメリハリがつかないので、場面の華やかさから一転して悲惨な場面になるというような変化がまったく感じられず、例えば第三幕で冒頭でマルグリートが糸を紡ぎながらファウストに捨てられた思いを歌った後、ジベールに慰められて教会に祈りにでかけてそこでメフィストフェレスに出会い、地獄に引きずり込まれそうになるという場面がまったく恐ろしいものとして見えてこないし、感じられない。完全に演出の悪さだと思う。

いろんな演出がオペラにはありうるが、この作品に関してはリアリティーのある舞台美術を使うことが要請されると思う。なぜなら話自体が現実と夢想の間を行き来しているような内容であり、その違いを見せつけることで、幻想と現実のメリハリがつくと思うからだ。例えば第四幕でファウストが魔女の宴に参加する。それがまるで魔女の宴のように見えない。衣装のせいだ。どうして魔女が白いドレスを着ているのか理解できない。ファウストが嬰児殺しで投獄されて発狂しているマルグリートを連れ出そうとする。ここでも最初からマルグリートが舞台にいるので、ドッキリ観がまったくない。

上さんと一緒でなかったら4時間のオペラ、途中で帰っていたに違いない。初めてフランス語オペラを見て思った。モーツァルトって偉大だ。

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