もっちゃんの探歩三昧

歴史探訪や仏像鑑賞、友人との交友をタイムリーに投稿します

松本異聞

2020年11月29日 | Weblog

今回の鉄印、城印の旅も此処松本で終わりです。

 

折角なので、信州信濃の新蕎麦を食して旅の思い出にと、裏通りに来てみたが…
松本駅前なのに、何故か昼飲み・立ち飲みの看板がずらりで戸惑います。

 

新蕎麦!の看板を見つけたので、思い切ってその中の1軒に入りました。
名前もこの通りで、味の期待は出来ないと諦めつつ席に座ります。

 

「キノコと蕎麦定食」なるものを注文しました。
ふざけた店名から、まったく期待していなかったが、キノコの煮物も天ぷらも絶品でした!

恐れ入りました! 旅の終わりに良いものを頂きました。
御馳走様!

 

美味しいお昼のお陰で、帰りの車中木曽路の紅葉も心に沁みました。

和利館:わりかんのおふざけと食べ物の味は、反比例していました。

 

車中からの中央アルプスが、今シリーズの締めとなりました。

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松本城Ⅱ

2020年11月27日 | 御城印

コロナ禍で間合いを取るためか少し待たされた後、場内へ案内された。

 

5重6階の平城だが、標高はこの通り…
お侍い様達、さぞかし寒かったことでしょう。

 

低層階内部は、この通り柱が林立してとても手狭な感じ…
上層階の重量を多くの柱で支えているのだろう。
通し柱があると聞いていたが、どれかは聞き忘れた。

 

城内にこれと言った展示物はなく、目立ったのはこれくらい。
何処かの破風に付けられていた、「蕪懸魚」と「六葉紋」。

 

渡り櫓の鬼板にはなぜか五七桐紋が?

 

3重には四方に、千鳥破風と唐破風は設えてある。
内部にはそれぞれに、破風の間がある。

 

狭い階段の開口部と手摺、多くの人の手に触れたため表面はツルツルである。
竹の部分は、近年補足されたものだろう。

 

最上階は屋根までが高く明るい。
野物材の組み物が露出しており、普請の様子が良く分かる。

 

珍しいものを見付けた。
全国の国宝に数多くお目に掛かったが、この書を見るのは初めて。

 

華頭窓が設えられたこの部屋は「詰丸」か?

 

天守に連結された「月見櫓」は窓が広く、とても開放的。
幾度となく、月見の宴が開かれたことだろう。

 

月見櫓脇には、内堀へ出られる船着き場がある。

 

国宝松本城の御城印である。

 

蛇足ながら…
本丸展示場にあった「広島城の写真」、このアングルからどのようにして撮影したのだろうか?

広島城の下見板も漆塗りであったと言う説があるが、松本城の漆塀を見た後では、この状態はあまりにみすぼらしい。

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松本城

2020年11月26日 | 御城印

国宝松本城、現存天守12城の中で1~2の輝きを放つ!

 

本丸に向かう登城道に歴代城主名入りの「ぼんぼり」が並んでいる。
一つを選べと言われれば、迷うことなく「笹竜胆紋の石川数正」だ。

 

生い立ち、行動になぞの多いと言われる石川数正、妙に気になる武将の一人だ!

 

さすが国宝であり、松本市の金看板でもあるだけあって、登城道から天守がバッチリ!

 

チョット感心しない色使いで見難いが、松本城の縄張りが詳細に描かれている。

 

内堀を挟んで天守を臨み、背景を取り込んだつもりだが山が写っていない。

この角度から見ると望楼型から層塔型への、移行期に建てられた天守だとわかる。
すなわち2重目までが望楼型で、3~5重が層塔型の外観をよく現わしているようだ。

 

本丸御殿の入り口は高麗門。

 

入り口脇の城塀の支えは、漆塗りの柱をそのまま土中に埋め込み。
お濠に向かってほぼ等間隔で、狭間が穿ってある。

 

本丸御殿が残っていないのは残念であるが、場内はよく整備されていて気持ちが良い。

5重6階の天守を挟んで右が乾櫓、左が付・月見櫓である。

 

折しも紅葉の真っ盛り、紅葉の紅、銀杏の黄、下見板の黒を楽しむ。

 

この石積は「打ち込み接ぎ」かな?
石垣上部に張り出した開口部分は石落とし。

 

間近で見る下見板は、1ケ月前に塗り替えが終わったばかりで、光り輝いている。

 

背景は日本の屋根ともいえる北アルプスだ!

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姨捨(おばすて)

2020年11月25日 | Weblog

姨捨とおどろおどろしい名前で過去には暗い話があったようだが、現在では日本3大車窓風景の1つに数えられ、スイッチバックも見られるこの駅は、鉄道マニアとっては垂涎の聖地だろう。

 

今回は自らのチョンボで落ち込んでいたが、美しい車窓風景で何とか元気を取り戻せそう。

 

日本3大車窓風景が展望できる場所に列車は差し掛かっています。

 

前回は夜景を堪能したのだが、今回は待望の昼間の来訪が実現したのです。

 

そうこうする内に列車は姨捨駅構内に入ってきた。
標高550メートルに位置するこの駅は、スイッチバックでも有名な駅です。

 

一旦行き止まりまで行った後、進行方駅向を替えて姥捨駅のホームへ向かいます。

 

運転手は反対側に席を乗り換えることなく、バックで列車を走らせる。
乗客を乗せたままバックで走行するのは珍しいです。

 

12分程度の停車時間にホームに降り立ち、新鮮な空気と善光寺平の絶景をカメラに収める。

 

交代要員?の運転手さんと共に、左端に映るスリムな男はオイラです。

 

スイッチバック駅であることを示す駅名表示、これは分かりやすくて良いですね!
今回は稲荷山方面から姥捨駅に到着、冠着方面へ出発していきます。

 

薄日の指してきた善光寺平とお別れの時が来ました。
次は何時来られるかな?

 

姨捨駅ともお別れです。

 

左側の線路に突き当たった列車がバックして姨捨駅に停車。
高低差を克服して右側の線路に移りました。

すっかり機嫌を取り直して鉄道旅を満喫しています。

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懺悔のしなの鉄道

2020年11月24日 | Weblog

横川⇔軽井沢間は、今では鉄道が途切れバスで結ばれる。
鉄道ファンにとってとても残念な区間となった。

 

日本を代表する避暑地軽井沢も、初冬を迎えて人出もなく閑散としている。

 

ひときわ目立つ紅葉だが、軽井沢駅前もこの通り人影無し。

 

新幹線駅に隠れるようにひっそりとした、しなの鉄道軽井沢駅。
新幹線にあらずんば鉄道にあらず?

 

JR信越本線時代の列車をそのまま引き継いだ?と思われる。
しなの鉄道の快速列車「篠ノ井行」。

 

当初の計画通り、日程表に記した通り、小諸までの乗車券を求めたまでは良かったが…
乗車して車掌のアナウンスを聞いた途端、この快速列車で篠ノ井駅まで行けば、その後の行動に余裕ができると思い直し、篠ノ井まで直行することにした。

 

篠ノ井までなら乗車時間も長いので、落ち着いて車窓の景色を堪能する。

 

篠ノ井駅には、当初予定の列車より30分程早く着いた。
JRへの乗り継ぎもうまくいくので、このままいけば松本には1時間も早く到着する。

 

篠ノ井線に乗り継いで程なく雨が降り出した。

ここで初めて当初の計画、小諸で下車する意味に気が付いた。
万事休す。
しなの鉄道の鉄印は、小諸駅で貰わなければ、ならなかったのである。

取り返しの出来ない大ポカを演じてしまった。

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鉄道沿線の楽しみ

2020年11月22日 | Weblog

鉄印を求めての旅だが、今回は途中日程変更もあって沿線を楽しむ余裕もあった。

 

東武鉄道下今市駅では乗り継ぎの合間を縫って、日光街道の杉並木を見てみよう。

 

日光例幣使街道の杉並木、手入れは十分とは言えないものの、これだけ残されているのは見事。

 

鬱蒼とた森のよう、街道の並木とは思えない迫力。

 

今市の街中にこの看板は心が和む、酔心は広島の銘酒ですぞ!
遠く広島からやってきましたとごあいさつ。

 

両毛線から信越本線へ乗り継ぎのため、高崎で1泊
このホテル、ロビーが10階にあった。このように高い場所にあるのは珍しいでしょ?

 

そして早朝から軽井沢方面に向かって、信越本線に乗り込む。

 

広大な関東平野を走る鉄道旅が続いていた眼に、この岩峰はとても新鮮に映る。

 

そして軽井沢に向かう難所横川。
昔の旅人は碓氷峠越えを前に腹ごしらえはこちらで済ます。

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無残なや鬼怒川温泉

2020年11月21日 | Weblog

鬼怒川の渓流に沿う野岩鉄道だが、途中東武鉄道沿線には無残な光景が展開される。

 

紅葉も盛りな鬼怒川の光景。
水あくまでも青く紅葉に映える。

 

大型の旅館が立ち並び、一大温泉街がそこにはある。
今日もそこには、お客様を迎える華やかな賑わいもあった。

 

しかし続く車窓には、目を覆いたくなる無残な光景が飛び込んでくる。

 

特に鬼怒川右岸に廃業した温泉旅館が多くみられる。
息を止めてから幾年経過したのだろう?

 

戦争で破壊されたかと見まがう惨状はどこまでも続く。

 

細々と営業している旅館も階を限定しているのか、あかりの灯る階は限定されている。

 

何処までも続く悪夢のよう、思わずため息が出る。
取り壊しすらされずに放置され、哀れをもよおすとはこのことだろう。

 

どうか早く立ち直って、かつての賑わいが訪れますように…

首都圏近郷の温泉地でも、想像を絶する苦境が襲っているのでしょう。

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野岩鉄道

2020年11月19日 | 鉄印帳

野岩鉄道:「やがんてつどう」と言うのが正しい読み、初めて知った。
勝手に「のいわてつどう」と発していたが、恥ずかしい。

 

とにかく乗るのが難しい路線、と言うか近くて遠いのが野岩鉄道。
両毛線栃木駅⇒東武鉄道下今市駅(乗換)⇒新藤原駅⇒野岩鉄道⇒会津鉄道⇒会津若松となる。
会津からも栃木からも、直線距離はたいしてないのに、やたら時間がかかる。

 

東武鉄道下今市駅から、野岩鉄道を経由して、会津鉄道の会津田島駅行列車に乗る。
3社を跨いで運行される普通列車と言うことになる。

 

鉄印帳へ記帳のため、野岩鉄道の始発新藤原駅で一旦下車する。

 

鬼怒川沿いにあるので気づき難いが、結構標高が高いのだ。

 

野岩鉄道の鉄印です。
仲良く会津鉄道と繋がっています。

前回は会津側から攻めようと思ったのだが、時間の関係で断念した。
記帳の日付けで、オイラの無念さがわかるでしょう?

 

野岩鉄道と全く関係はありませんが、両毛線で見た広島の公告。

旅は5日目、ちょっぴり里心が付いたころ、これは沁みました。

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真岡鉄道

2020年11月18日 | 鉄印帳

真岡鉄道を訪ねた。「もおか」と発音するようだ。

 

水戸線下館駅で真岡鉄道へ乗り継ぐ。
真昼間の時間帯だが、真岡鉄道の改札はこの通り、そのまま通過して列車に乗り込む。

 

茂木駅まで全17駅、終着は「もてぎ」である。

 

地平線が見えるかと思うほどの関東平野を、ディーゼル列車は轟音を響かせ快走する。

 

「まおか」ではなく「もおか」であることが確認出来た。

 

真岡駅舎はそのまんまSLである。

 

正面から見てもこの通り、デザインは徹底している。

 

JRから移管された当時そのままだろう、広大な構内は三セクとは思われない規模。

 

プラットホームの表示もSLが存在感を示す。
何処まで行っても、SL一点張りの真岡鉄道である。

 

平野の先に聳える双耳峰、筑波山に違いあるまい。

 

真岡鉄道の鉄印である。

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鹿島臨海鉄道

2020年11月16日 | 鉄印帳

鹿島臨海鉄道に乗車するのは3度目。

 

朝一番に運行していない、小嶺鉄道のトロッコ便に乗車しようとした日程の組間違いがたたり、鹿島神宮駅での乗車時間は夜も更けてから…

 

改めて案内板を確認するも、特に気になる駅名も見当たらず。
鉄印記帳駅である「大洗駅」の営業時間を運転手に確認した処、発車時点で閉まっていることが判明。

 

がっくりと肩を落とし、明日以降の行程修正を考える意欲もわかず。
今回の旅では、行く先々でこの券のお世話になった。
暗い車内で使途をぼんやり考える。

 

翌朝気を取り直して、改めて鉄印記帳のためだけに、水戸駅から大洗駅まで乗車。
眩しい朝日に照らされて、己のふがいなさが情けない。

 

駅舎内でも鉄印帳のアピールに余念がない。
三セクは生き残りのため、ありとあらゆる手段を講じている。

 

水戸へ引き返す大洗駅の階段に、開業35周年が誇らしげに…

鹿島臨海鉄道はこの表示が得意なようで、過去にも鹿島神宮駅でお目に掛かったことがある。

 

田園地帯を高架が貫き、茨城県の県庁所在地:水戸へ向かってまっしぐら。
県庁所在地が始発の三セクも珍しくないか?

 

二日がかりで手にした鹿島臨海鉄道の鉄印です。

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いすみ鉄道

2020年11月15日 | 鉄印帳

伊豆で日頃の疲れを癒し、大山詣りであまねく功徳をおよぼし、鉄印の旅に繋ぐ。

 

内房線五井から外房線大原へと、三セク「小嶺鉄道」と「いすみ鉄道」を乗り継いで、房総半島を横断するつもりだったが、オイラのポカによって思わぬ展開になった。

 

内房線五井から「小嶺鉄道」で上総中野駅まで行き、「いすみ鉄道」により、外房線大原駅へ抜ける予定だったが、乗車予定の小嶺鉄道の便が運休で、慌てて予定変更、外房線へ向かい大原駅から「いすみ鉄道に」乗車する。

 

予想通り古びた車両に、少し派手目の塗装と言う、三セクらしい1両編成。

 

 

特に難読駅名などはなく、目に付いたのはこの看板。
やっと読むことが出来る駅名は「にったの」。
哀れをもよおすとしか言いようがない。

 

「いすみ鉄道」の名誉のために、ちゃんとした表示板もある。

 

それにしてもローカル色豊かと言うか、一貫性がないと言うか、いろんな奴が登場する。

 

途中目立ったものと言えば、こんな場所にも出雲信仰が根付いていた。
「流石スサノオ」か?

 

鉄印記帳のために下車した大多喜駅。
大多喜城の大手門の復元版があった。

 

徳川四天王の一人、本多平八郎忠勝が大多喜の初代城主だったとか…

 

珍道中の末に獲得した、いすみ鉄道の鉄印だ。

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大山詣り

2020年11月13日 | 歴史探歩

大山(おおやま)、噂に聞いてはいたが、訪ねるのは今回が初めてです。

 

山容がまさに神の山で、信仰を集めるのさもありなん!

江戸庶民の信仰:大山詣り(大山講)として大いに賑わい、今日まで続いているという。
階段状の参詣道を登り始めて、金毘羅さんの相模版かなと感じました。

 

参詣道の左右には宿坊や土産物屋が並んで、お客に盛んに声が掛かります。
さすがに駕籠かき(参詣者を駕籠で運ぶ)はいませんでした。

 

20分ほど坂道を喘いで、ケーブルカー駅に到着。
信仰心薄き観光客は便利な乗り物を利用します。
もちろん我々も…

 

深い森を分けて登山道が続いています。
この日も数多く登山装備の参詣者を見掛けました。

 

ケーブルカー終点「阿夫利神社駅」で降りて階段を登れば、ほどなく阿夫利神社です。
大山祇神、高龗神(たかおかみ)、大雷神の三神が祀られています。

 

江戸の時代から続く庶民信仰地と言われますが、鳥居や社、玉垣など、すべて新しく時代を感ずるものはありませんでした。

水に関する神が祀られており、農耕者が参詣するのは当然ですが、江戸庶民は旅感覚でのお参りだったのでしょう。

 

やはり参詣道をすべて徒歩でお参りしないと、有難みを感じないのかな?

 

この日は日頃の行いを褒めてくれたのか、この通り快晴でした。

 

紅葉はもう少し先のようですが、それなりの風情です。

 

さぁ~下山しましょう。名物の豆腐料理が待っています。

此処の豆腐料理は結構ボリュームがあって、豆腐3点と茶そばで小食のオイラは満腹になりました。

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アンダリゾート伊豆高原

2020年11月12日 | Weblog

今回の旅の初めは、異国情緒あふれるリゾートホテルで一泊

 

伊豆にある目的地に向かう新幹線からの富士山です。
11月6日でしたが山頂にちょっぴりの雪、もう少し絵葉書風を期待しましたがハズレ。

 

伊豆半島を楽しみながら辿り着いたのが目的地、アンダリゾート伊豆高原。
ジャングルの中に異国情緒あふれる建物がありました。

 

ホテルらしからぬ玄関、バリ島をモチーフにしたリゾートホテル。

 

バリで信仰されるカエルがデザインされているとか。

 

此処にも異国の神様がバリ島の知識を伝えてくれます。

 

部屋からの眺めはこの通り、バックに相模湾が拡がりますがこの日は生憎霞んでいます。

 

庭園内も「カエル」一色でした。

バリ島には行ったこともなく特に興味はありませんが、ここでは楽しい夜が待っていました。
入館と同時にすべての飲み物が飲み放題、夕食後にはナイトクラブ、日本人好みの温泉と至れり尽くせりでした。

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備中松山城Ⅳ

2020年11月05日 | 御城印

本当に見る者を惹きつけて止まないお城です。

 

天守内に入ってみました。
予想通り天井は葺かれておらず、野物材と荒い加工の柱が剥き出しの天守でした。

 

上層へ上がる階段は本当に急勾配、年寄りは手摺に縋ってやっとの思いで登ります。
ただちょっと設計ミスか、階段上り口は柱が邪魔して幅がとても狭いです。

 

唐破風の物と思われる廃材が展示してありました。
木材を曲げて? 唐破風のカーブを作り出しているようです。
すごいですね!

 

天守からの北西部の眺望は、雑木に遮られて臨めませんでした。
せめて目下を流れる、高梁川は見たかったです。

 

本丸東側、写真中央手前の妻屋根部分が東御門、その左手は深い谷となっています。
また、左手に見える通路と本丸は、10メートル近い高低差があります。

 

破風の間に近づいて見上げればこの景色、何を落とされるか恐怖以外何物でもありません。

 

この方がサンジュウロウ殿様、貫禄十分で微動だにしませんでした。
メタボかな?
城主のサンジュウロウに別れを告げて下城しました。

 

本当に苦労して築かれた石垣にも、最後の別れを告げました。

 

現存12天守に一つっであり、日本3大山城で唯一天守を持つ、備中松山城の御城印です。

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備中松山城Ⅲ

2020年11月05日 | 御城印

鏡石と思しき巨岩(このお城にしては…)が積まれた石垣を、巻いて上がれば天守が眼前に現れる。

 

横長、縦長、角型と様々な石を無造作に積んである。
野面積と言うのかな?

 

二の丸から本丸を見る。
五の平櫓が入り口の階段上にせり出し、巨大な石落としが覆い被さる構造。
本丸南御門は此処からは、櫓で死角になっている。

 

本丸からの天守、自然の岩盤上に建てられているのがわかる。
ここでも山容に合わせて漆喰塀が築かれている。
唐破風の間にも石落としが…

 

本丸を仕切る石垣は直線的に鋭く立ち上がり、上部に塀が築かれ敵を寄せ付けない。
この上に広い本丸があるとは想像できない?

 

本丸内は意外に広く、ここでも塀に狭間が穿ってある。

 

本丸の基礎に正面から近づくと、岩盤の上に丁寧に築かれた石垣が眼前に…

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