もっちゃんの探歩三昧

歴史探訪や仏像鑑賞、友人との交友をタイムリーに投稿します

徳島城22

2022年07月29日 | 御城印

徳島市内中心部に城跡は残る。

 

JR徳島駅から指呼の位置にあり、市民の散歩など憩いの場となっているようだ。

 

石垣は、四国で多く見られる青みがかった石を無造作に積み上げた感じ。

 

北に助任川、南に寺島川、東に堀を配して、標高60メートルの城山に築かれた。
蜂須賀家14代、280年続いた25万石の城郭である。

 

建物は廃藩置県によって取り壊され、平成元年に再建された「鷲の門」があるのみ。
重厚な薬医門である。

 

城跡一帯は公園として整備され、親水テラスの様な場所もある。

 

都会の中心に位置するこの場所にも、この通り鴨たちが水に戯れる。

 

城郭が築かれた城山は、全山が岩で成り立っており、石垣用の石は容易に手に入ったのだろう。

 

鬱蒼とした城山と見えるが、近づくと白鷺の巣屈となっており近寄り難かった。

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大塚国際美術館

2022年07月28日 | Weblog

チョット我が家にアクシデントがあって、しばしオイラは一人暮らしやむなしの事態に立ち入った。
家事三昧?の合間を縫って久し振りにブログの更新、大事ではないのでご安心を・・・

 

大塚国際美術館初めてではないが、いつ訪問しても感想はえらいものをこしらえたもんだの一言。
山を繰り抜いて建屋を立てているのだろうか? 入り口に立っても全容は分からない。

 

長~い登りのエスカレーターを利用して展示場へ向かう。
アプローチには四国霊場を開いた、お馴染み空海の像が迎えてくれる。

 

安藤広重の富岳36景もあるし。

 

菱川師宣の「見返り美人図」もあって大和心をくすぐられたが、日本所縁の作品はここまで。

 

これから先は中学校の教科書で知った、海外名作のオンパレード。
ボッテチェリのビーナス誕生。

 

レオナルド・ダ・ビンチの最後の晩餐。

 

ヘェルメールの青いターバンの少女。

 

ゴッホのひまわり。

 

フワンソワ・ミレーの落ち穂拾い。

陶板で原寸大に再現された作品なので、すべて写真撮影はOK!
小中学生などの教育用に最適ではないかな?

 

レオナルド・ダ・ビンチのモナリザも眼前に・・・

原寸大の名画が次々と眼前に現れるので、興奮しながらカメラに収めたが、モナリザの本物を見たことがある同行者から「全く本物とは違う」の一言を聞いて、愕然と打ちひしがれてしまうオイラでした。

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出雲大社22

2022年07月13日 | 歴史探歩

出雲の地に足を踏み入れたなら、「大社」にお参りしなくっちゃ。

 

その前に定番ながら「出雲そば」で腹ごしらえ。
行列するの好きじゃないんだけど、ここでは仕方なし。

 

ベタながら、巨大なこの注連縄にも敬意を表して参拝。

 

拝殿前は相変わらず参拝客でいっぱい。
皆の衆、縁結びの神様に何用あり?

 

そして拝殿前にある、創建時?の宇豆柱(棟持柱)。
巨木を3本束ねて、直径3メートルを超える柱としたらしい?

 

発掘された柱の一部が、出雲博物館に展示されている。

日本の建物の大きさの順位は、「雲太一 和二 京三」=出雲大社一、大和大仏殿二、京都大極殿三と言われた。

 

出雲大社の社殿を一回りすると、西側には摂社:素戔嗚神社。
ミニ出雲大社の造り。

 

そして本殿に祀られる「大国主命」は、拝殿に正対せず西向きに鎮座されているので、西側から再度願い事。

 

出雲の大社にしてこの「大日章旗」ありかな。

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出雲 浮浪山鰐淵寺

2022年07月11日 | 歴史探歩

何年前になるか? 紅葉の名所として訪ねた記憶があるが、改めて参詣することにした。
6世紀、推古天皇の御世に開かれた古刹、出雲大社の別当寺だった時期もあると。

 

駐車場に置かれたこの看板、根本堂まで20分の登りとある。
ちょっと逡巡するが、気合を入れて清流に沿って坂道を上る。

 

鰐淵寺と言う名前の謂れは、開山:智春上人が滝の淵で修行中、誤って仏具を落としたところ、鰐(サメ)が拾って届けてくれたことから、命名されたと言う。
今年は空梅雨(短い梅雨)で、とても鰐が泳げるような水量は、この流れに想像できない。

ワニ(サメ)は中国地方の山間地域では、今でも食用に供されることがある。


浮浪山と山号にもなっている、浮浪滝の水は眼病に効くとされ、智春上人は時の帝:推古天皇の眼病治癒の為、この地で修行したと伝わる。

そう言えば、出雲地方には眼病治癒に霊験あらたかな、一畑薬師もすぐ近くに存在する。

仁王門から、この苔むした108段の階段を上ると、根本堂に達する。

 

なんとも珍しい燈籠。
台座は亀扶だし、笠は破風のデザイン、上部には風空輪もある。

 

天台宗の古刹なので根本堂。ご本尊は薬師如来。
杮葺、唐破風向背、5間社の堂々たる造り。

 

掲額の周囲には、古い納め札が数多く残されている。

 

横から見た根本堂、平成の修理では、朱塗りの部分:軒から上が大改修されたことが分かる。

 

根本堂の脇には、流造りの鐘楼。

 

そして、平安時代:寿永年間の鋳造と言われ、全国的にも限りなく古い鐘が吊るされている。

 

天台宗最初の末寺と称される鰐淵寺、ご本尊は病気平癒の仏である薬師如来で根本堂に鎮座。

こちらは宝形造りの釈迦堂。

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荒神谷史跡公園

2022年07月09日 | 歴史探歩

お隣の県とは言えコロナ禍に遠慮して、山陰地へは久し振りの旅。

 

何時もは風情も何もない市街地のホテルが宿だが、今回少しは奮発して温泉宿。

 

勾玉作りで有名な温泉地で、曲水の庭が自慢のお宿を選んだ。

 

庭の一角には竜門瀑が掛かり、鯉魚が今にも龍に変わらんとする光景が。
今更立身出世に何の関わりもござんせんが、やはりこの姿を見ると覇気が蘇る気がする。

 

近くにある荒神谷遺跡を訪ねる。

農道開発時に見掛けた一片の土器片が、調査の結果須恵器と判明し、近くの山を発掘した処、大量の銅剣・銅鐸・銅矛が発掘された。

 

大量の銅剣が見つかった斜面が綺麗に整備され、歴史愛好家を待っている。

 

358本の銅剣が並べて置かれた発掘時の様子。
日本全国で見つかった銅剣の総数が300本余り、此処島根県の荒神谷1か所でこれを超えてしまった、まさに驚きの一大発見だった。

 

さらに隣の斜面からは、銅鐸6個と銅矛16本も出土した。

こうして一大青銅器の発掘場所として、荒神谷遺跡公園は整備された。

 

出土品は島根県立古代出雲歴史博物館に展示されている。

358本の銅剣が並ぶと壮観。

 

銅矛や須恵器なども隣に展示されている。

 

復元されたレプリカ。

 

銅鐸は楽器と説明されている。

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松江 月照寺

2022年07月08日 | 歴史探歩

松江城天守に別れを告げて、三代藩主松平家の菩提寺へと向かう。

 

お寺の名前は月照寺。
現在は、松江藩主の菩提寺と言うより、あじさい寺として有名なのだと言う。

訪れた日も、駐車場に出入りする車の整理に、寺の皆さんは汗を流しておられた。

 

松江藩は関ヶ原合戦の後、勲功によって浜松城主だった「堀尾吉晴」親子が初代藩主として入る。
堀尾氏2代、京極氏1代、松平氏10代が藩政を担った。

月照寺は、松江松平氏初代直政が、生母のために建立したお寺。

 

立派な向唐門から境内に足を踏み入れる。
唐門正面の突き当りにあるのが、初代松平直政の廟所。

 

神仏習合の倣いか廟所の前に鳥居が建ち、その先に玉垣に囲われた、変わり型の五輪塔が置かれている。

 

そして松江の殿様と言えば、真っ先に思い浮かぶのは「不昧公」。
財政難にあえいでいた藩財政を建て直し、茶の湯文化を広めた中興の祖である。
松江松平家「第7代松平治郷」の廟所、額内の文字は大圓庵(だいえんあん)と書かれている。
松平治郷(はるさと)⇒不昧(ふまい:号)⇒大圓庵治郷(だいえんあんはるさと:戒名)

 

不昧公の廟所の陰にひっそりと咲くあじさい。

 

初代藩主松平直政の生母:月照院の供養塔。
彼女の為に建立された禅宗寺院だったと言う。

 

松平家歴代藩主の墓はすべて前に鳥居が建ち、玉垣に囲まれた五輪塔の形である。

 

6代藩主:松平宗衍(むねのぶ)公の廟所内にある亀扶。
7代:治郷公が6代の供養の為建立したと言われているが、松江松平家は従四位下であるから、本来この形(亀扶)の供養碑は建てられないはず。

現在は「大亀(おおがめ)」と呼称され、「頭を撫でると賢くなる」と、当たり障りのない謂れが伝えられている。

 

月照寺入り口にはもう一つ、大きな碑が建てられていた。
松平治郷公のお抱え力士:雷電為右衛門の石碑。

力士としての生涯成績は、258試合して僅か10敗だったそうな。
大相撲の歴史において、最強の力士と言われている。

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松江城Ⅱ

2022年07月07日 | 歴史探歩

平成27年になって、現存天守と確認され国宝に指定された松江城。

 

天守を支える打ち込み接ぎの石垣。
平城であり石垣も低いので、防御性は低いのか。

 

天守内に井戸があり、塩蔵も設えてある。
お隣:鳥取城攻め時の、豊臣秀吉による悲惨な兵糧攻めの悲劇を知っており、これに備えたか。

 

柱はご覧の様に、細い材木を数本束ねた合成柱が主に使われている。
細い木を鎹で繋ぎ、さらに数本を纏めて鋼帯で結束している。
出雲大社の大柱を範としているかな?

 

何カ所かある破風の間は隠し部屋になってはいない。
この部分の柱は一本木が使われているが、この場所は後世修復したものか。

 

建築時の棟木が発見されたことで現存天守と判明し、国宝に指定された。

 

築城主である堀尾氏の紋:分銅紋が刻印された石。

 

お濠巡りの遊覧船に乗って、名船頭の堀端巡りと松江城の解説を聞く。
築城時の松江藩は財政難で、広い範囲で石垣な築けなかった。
それゆえに天守をお濠が囲んでいるが石垣部分は少なく、大半はこのような広葉樹の森となっている。

 

熱帯地方のジャングルに突っ込むように、遊覧船は林に突っ込んで行く。

 

お濠は住宅地に面した場所も多く、案内の拡声器の声が「やかましい」と苦情を言う住民も多いとか。
途中何回か、説明を集団しながら船は進む。

しかし住宅に繋がる岸辺には、綺麗な草花などが植えられ遠来の客をもてなしてくれる。
人それぞれですね。

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松江城

2022年07月03日 | 歴史探歩

一ケ月以上早く、夏本番を迎えた感のある令和4年、特に東北・関東方面で6月の暑さは異常。

 

そんな中、久しぶりにお隣は島根県にある松江城を訪ねる。
現存天守が残り、国宝指定されている5名城の一つでもある。
二の丸を囲む石垣は細かい石を丹念に加工し、びっしり積み重ねてあり壮観。

 

馬溜りと称される場所から大手門跡を臨む。
大手門の奥は、広々とした二の丸下段跡。

 

さすが24万石だけに、二の丸(下段)も相当な規模を誇る。

 

二の丸から本丸方向を臨めば、樹木の陰に天守が垣間見えた。
築城したのは、元浜松城主だった堀尾氏。

 

二の丸下段から、二の丸上段を仰ぎ見るとこの感じ。
隅櫓に設けられた、石落としが不気味。

 

本丸へと向かう石段は勾配が緩く、幅も均等に積み上げてある。

本丸の石垣は大小の石を使い分けた、打ち込み接ぎ。

 

国宝松江城天守、望楼型・下見板張りで、黒漆仕上げ。
別名千鳥城と称される。
入母屋破風と千鳥破風のみで、装飾性の高い唐破風は設えていない。

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ノーザンホースパーク

2022年07月01日 | Weblog

バタ臭いネーミングがピッタリの西洋風公園。
こちらは人間たちの憩いの場。

 

優雅な別荘地かゴルフ場の雰囲気を持つ公園が「ノーザンホースパーク」。
職業柄、否、観光ボランティア柄、日本庭園にばかり目が行くけれど、洋風公園も良いものだね。

 

北海道なら何処でも見られる白樺も、結構映えるね。

 

園内の流れも所謂、言うところの「クリーク」風だし。

 

木道も雰囲気作りに一役買っている。

 

花々も辺り一面の感じで、自然に溶け込んでいる。

 

花々の名前は全く知らないけれど、そんなことはどうでも良いね。

 

植生ではなく、自然の風情。

 

本当はこのような、さりげない庭作りは難しいのかもしれない。

 

子供たちの車列が、元気の良い掛け声とともに、園内を思いっきり駆け回っている。

オイラの北海道気まゝ旅はこれで大団円です。

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