もっちゃんの探歩三昧

歴史探訪や仏像鑑賞、友人との交友をタイムリーに投稿します

風早物部王国Ⅴ

2018年08月11日 | 歴史探歩

物部氏が衰退した後、伊予の国を統治したのが、平安時代末期に台頭した河野氏。

 

河野氏統治の中心に残る善応寺、京都五山4位:東福寺を模して建てられた。
河野氏発祥の地の碑。

 

北条の地に夥しい塔頭が建てられ勢力を誇示した。
現在のご住職は東福寺ではなく、京都五山別格1位:南禅寺から派遣されている。
当時の想像図である。

 

好成山善応寺の山門、残念ながら往時の面影はない?

 

臨済宗東福寺派に属すので、本尊は釈迦如来、脇侍は向かって左が普賢菩薩、右が文殊菩薩である。
現ご住職が入山されてすぐ、痛んでいた三尊を京都に送り修復した。

 

本堂は江戸時代の再建のため錣葺とし、徳川幕府のお触れに従っている。

 

京都から赴任された、現ご住職の悲願であった八角堂。
檜材をふんだんに使い、三重の垂木が屋根を支える重厚なもの。

 

河野氏の家紋「隅切八角三筋紋」、この紋に因んでご住職はどうしても八角堂を建立したかったようだ。
風早の地には、現在も河野一族の結束が固く守られている?

 

河野氏のお墓、ひっそりと墓石のみが残されていたが、現ご住職が垣を巡らし整備した。
秀吉の時代に攻め滅ぼされたことから、世を憚って墓は放置されたいた様だ。

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風早物部王国Ⅳ

2018年08月09日 | 歴史探歩

伊予風早に根差した物部氏の足跡、製鉄にまつわる神は様々。
明見さま、星神さま、星の宮、目魯止神社(まるとじんじゃ)など、いろいろの名で祀られている

 

目魯止神社(まるとじんじゃ)を訪ねたのに、そこにあった標識は素鵞社(すさのおしゃ)
地域住民はタタラの神様(物部信仰)ではなく、八幡信仰なのか?

 

本殿は鬱蒼とした森に隠れるように建っている。まさにタタラの神様に相応しい場所。

 

此処に祀られた「天の目一ツ命」とは何者だろうか。片目の神様(片目を失った神)らしい。
製鉄の時、炉の炎を片目でジッと見つめ続けたため、ついに片方の視力を失った人を祀る?

 

目魯止神社を守っている集落の1軒のお宅の前に、夥しい数の五輪塔が祀られている。
中央に形の変わった塔に目が行った。キリシタン灯籠ではないかな?
物部王国にも隠れキリシタンが…

 

参道から見ればこの姿、中央の燈籠はそれほど目立たない。

 

今一つ気づいたのは、この地方の明見神社すべてこの表記、日蓮宗ゆかりの妙見ではない。
やはり隕鉄に繋がる星の神様信仰なのです。

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風早物部王国Ⅲ

2018年08月08日 | 歴史探歩

製鉄技術を持つ渡来人の物部氏が住み着いた風早の地、我々は製鉄遺跡を求めて彷徨う。

 

空から降り落ちる隕石に、金属が含まれていることを知った古代人。
それゆえに彼らは、星の神様を祀り信仰した。
この明見神社もしかり、標柱が鉄錆で赤茶けている?まさか!

 

「ふいご」の無い時代、古代人は自然の風が強い地域に製鉄炉を作った。
風早の地は文字通り、川が流れて、砂鉄が取れ、強風が吹く場所であったに相違ない。

 

北極星を崇める明見神社だが、風早の地では何故か出雲型の注連縄が掛けられている。

 

タタラ製鉄の面影はどこにもなく、拝殿は地域の皆さんの集会所。

 

豊富な材木が獲れる場所だけあって、建屋を支える野物材はとても立派。

 

近くの「庄薬師さん」に国重文の仏堂が2体残されていた。
木芯乾漆の立像だが、相当傷みが激しい。

 

ご住職は菩薩とのみ言われたが、薬師さんがご本尊なら日光か月光菩薩ではないか?
さらにご住職は「壊れた仏像は拝む価値がない」と言われたが、本当にそうだろうか?

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風早物部王国Ⅱ

2018年08月07日 | 歴史探歩

物部氏の氏神様が祀られた「国津比古命神社」とその妃を祭る「櫛玉比売神社」社殿が両方とも、前方後円墳の上に建立されているのは驚きである。

 

物部氏の後、平安後期にこの地に台頭してきた河野氏の、海上要塞があった鹿島へ渡る。
300mほど沖合、周囲1.5キロの小島である。

 

北条出身の作家:早坂曉と懇意だった渥美清は再々この島に滞在したらしい。
これが渥美清の俳句を刻んだ碑。
因みにお遍路の季語は春ですよ エヘン!

 

右側の尖った山がご神体のおわす高良山、手前が花火見学用の席。
オイラたちはこの「かぶりつき」で優雅に花火鑑賞。

 

茨城にある鹿島本宮にもある、地震を鎮める?要石。

 

鹿島神宮のシンボル神鹿、生きた鹿も他頭数飼育されている?

 

鹿島の二見ガ浦(夫婦岩)ナント子連れに見えるが…

 

此処にも訳が分からぬ、若者向けのスポットが設えてあった。 

 

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風早物部王国

2018年08月04日 | 歴史探歩

日本各地に点在する物部氏の足跡、渡来人であり、タタラ製鉄の技術を持つ集団と言われる。

 

大海原を席巻し日本各地に存在をを残す物部氏。
風早の地では物部氏の氏神:饒速日尊(にぎはやひのみこと)を祭る、国津比古神社を訪ねる。

 

八脚の随身門は別の場所あった某寺の山門を移築したもの。
出雲風の注連縄だが掛け方が変わっているし、随身側にも掛けられているのが珍しい。

 

随身の特徴は相対的に「のっぺら」しており、渡来人の風貌に見えてしまう。

 

烏帽子を冠し、杓を持っているので随身と分かるが、なんとなく仏像風。
物部氏が渡来人と言われていることから、どうしてもこのように見えてしまう。

 

物部氏の血を引く宮司さんは、風早火事祭り(かざはやひのことまつり)や神事について、詳しく説明してくれました。

 

祭礼が終わってご神体を本殿に収めた後、その年の神輿を壊してしまう。
稲の収穫と同じで毎年新しい神輿で、その年の祭礼を行う。(毎年実りがありますように…)

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風早海祭り

2018年08月02日 | Weblog

松山市北条地区の海祭り花火を特等席で観覧する。

 

まずは腹ごしらえ、北条きっての料亭でごちそうを戴く。
花火会場と指呼の場所にあるので、ゆったりと至福の時間を過ごす。

 

花火見物席も指定席どころか、ビップ対応席が確保されているというリッチさ!
何せ椅子はもちろんのこと、テーブルまで用意されており、周りの雑踏とは隔絶された特等席。

 

目の前に絢爛豪華な火の玉が炸裂します。

 

いつも感じることですが、花火の写真はどんなに綺麗にと思っても肉眼にはかないません。

 

此処、北条の花火は開始から終了までの40分間、息もつかせぬ連射です。
提供者も花火の講釈も一切なし、ひたすら続けて打ち上がります。

 

目の前の大輪に感動し、テーブルに置かれたグラスを傾け、必死にシャッターを切ります。

 

あっという間に宴は大団円を迎えました。

明日から「風早物部王国」の跡を、酷暑に負けず巡ります。

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