奈良県に点在する御陵を巡る道すがら、出会った出来事を綴ってみました。
JR大阪駅ホームに描かれた、奈良行快速列車の乗り場案内です。
田舎者、且つ相当な年寄りのオイラには、とても分かりやすい表示で気に入っています。
斉明天皇陵へ向かう道すがら、目に入ったこの札は何なのでしょうか。
帰宅してから調べてみたところ、月行司=がちぎょうじと読むようで、他に月行事や月行持と表記されることもあるようです。
町内会や商工組合で月交代で事務を担当する役目のようです。
神武天皇陵へ向かう今井町にはこの標識がありました。
はせ=初瀬を経由して伊勢に繋がる、伊勢街道の案内標識でした。
お伊勢参り、奈良からは遠い道のりですが、この場所に案内があるということは、昔から伊勢詣では盛んだったのでしょうね。
第二十六代欽明天皇陵の脇に、吉備姫王(きびつひめのおおきみ)の墓があり、その一画にこの猿石なるものが4体置かれています。
この方は欽明天皇の孫であり、三十五代皇極・三十七代斉明天皇と三十六代孝徳天皇の母ですが、その名の通り吉備の血筋にあたるのでしょうか。
そして猿石が置かれているのは、大和では吉備を蔑む風潮があったのかと、勘ぐってしまいますがどうでしょうか。
第四十一代持統天皇陵近くに、極彩色の壁画が発見された高松塚古墳はあります。
1972年発見の第一報が報じられ、世間は騒然となりました。
有名な北の守り「玄武」の復元画像です。
さらに西の守りは「白虎」、これは実在する動物でしょう。
東の守りは「青龍」で、いずれの像もその姿が良く残されています。
四神対応なので、南の守りである「朱雀」も在る筈ですが写真がありません。
撮り忘れたかと慌てましたが、盗掘穴が南面で壊されていたため、朱雀は残っていなかったのでした。
それにしても盗掘犯の所業は、許しがたいものですね。
天井面に残されていたのは星宿図、星座の中の星座である北斗七星ならオイラでも知っています。
そして高松塚古墳と言えば貴婦人群像図でしょう。
高松塚古墳資料館は復元図とは言え写真OKなので、考古学門外漢でも何か親しみが湧いてきます。
最後は奈良市内を走る近鉄電車のラッピングを紹介しましょう。
所謂「ド派手」と言えるものでした。
車内、つり革迄この有様です。
ちょっとやり過ぎと言うか、センスに首をかしげたくなりますが・・・