もっちゃんの探歩三昧

歴史探訪や仏像鑑賞、友人との交友をタイムリーに投稿します

桂浜

2022年05月20日 | Weblog

高知観光、もう一方の名所は桂浜。

 

高知市内から路線バスに揺られて30分強、よさこい節にも歌われた名所を訪ねたが・・・

 

記憶は定かではないが、20年近く前訪ねた時は「むつくい虫」の被害究明に、躍起となっていた印象が強い。
駐車場周辺を中心に、土産物店など随分にぎわっていた印象だったが、今回開店しているお店は1軒もなかった。
ウィークデーだったとはいえ、コロナ禍を差し引いても、この凋落ぶりは如何なものか?

 

空港の名前にも冠せられた「坂本龍馬」像。

竜馬像と同じ立ち位置で見られる展望台は、坂本龍馬の家紋を染め抜いた、幕で覆われたいた。
中心に桔梗紋があることから、坂本龍馬は明智の血筋なる節があるのだとか?

今や「明智光秀」の方が注目を浴びいると言うことかな?

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高知城22ーⅣ

2022年05月19日 | 歴史探歩

時間をたっぷりとって、しかもガイド付き、歴史探歩はこうでなくっちゃ・・・

 

本丸御殿を巡りながら、目と鼻の先に城塀が迫る。
支えの添え柱は、往時の定石である掘っ建て柱。
根元は防蝕されているようだが、やはり痛みが進んでいた。

 

御殿から眺めるお庭も簡素なもの。

 

藩主接見の間は一段高い御上段造り。
向かって右側に「床の間」、左側に「違い棚」を配した「逆勝手造り」である。
さらに左手仕切りの奥には、伴侍の詰め所が併設されている。

 

侍詰め所は4畳間程、左手が御上段の間である。

 

接見の間から見える城塀には切込みが施され、市中が見渡せる構造になっている。

 

天守最上階から東西多聞櫓、廊下門、詰門を俯瞰する。
狭い土地に併せて防御性を考えながら、苦心した配置となっている。

 

天守最上部のみならず、破風にも鯱鉾が配されている。
最上部の鯱鉾は瓦製らしいが、破風の物は青銅製で緑青が浮いていた。
軽量化を図っているのかな?

 

搦手側の黒鉄門、犬走の幅に併せて小振りだが随所に鉄板を張って強化していた。

 

犬走から見上げると、大きな石落としが供えられ、忍び返しも張り巡らされている。

 

高知城の御城紋。

因みに高知の名前の由来は・・・鏡川と江ノ口川に挟まれた「川内」にあったためと説明された。

川内(かわうち) ⇒ 河内(かわうち⇒こうち) ⇒ 高知(こうち)だとさ!

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高知城22―Ⅲ

2022年05月18日 | 歴史探歩

高知城は5回目の登城と思うが、ガイドの案内を聞くのはは2回目。

 

本丸へ渡る橋廊下(詰門)から下を覗くとこの光景。
小規模のお城ではあるが、堅固な防御を配しているのがわかる。

 

橋廊下と本丸を隔てる「廊下門」。
櫓部分が地上階で、通過する門はさながら「埋み門」の形だ。

 

廊下門を挟んで「西多聞櫓」と同規模の「東多聞櫓」が付随している。
多聞櫓とは名ばかりで極小規模である。

 

4重6階の天守と本丸御殿は連結されている。

現存の本丸御殿は此処と「川越城」に残るのみで貴重。

 

天守の破風には鯱鉾や家紋入りの鬼板。
最上階の高覧には、漆塗りの擬宝珠を設えている。
結構お洒落に作られているが、山内一豊の前任地:掛川城を模したと言われている。

 

本丸御殿の釘隠し、多く見られる六葉紋ではないが何紋と言うのだろう?。

 

欄間の透かし彫りは、土佐沖太平洋の波頭をデザインしたと言う。

 

明治維新まで現存した三の丸の透かし彫り。
三の丸御殿が残されていたらと思うと・・・残念至極。

 

駕籠が展示されていたが・・・
豪華な造りではないが、青銅製の屋根と簾の透かし柄は初めて見た。

今回のガイドさん、饒舌ではないがポイントをしっかり押さえた解説で見事!

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高知城22ーⅡ

2022年05月16日 | 歴史探歩

追手門をくぐり、三の丸方面に歩を進める。

 

追手門を過ぎてゆるい階段を上った処に、「杉の段」と呼ばれる広場がある。牽いた
呼称の通り、周囲を杉に囲まれた曲輪だ。

この場所に、高知城を築城した山内一豊の妻千代が、馬を牽いた銅像がある。
地元の方が近づいてきて、この場所が絶好の撮影場所だと熱心に進めるので、仕方なく収めた1枚。

 

三の丸に上がると、進行方向正面にこの門が見えてくる。

 

漆塗りの下見板張りの詰門だ。
正面右寄りに入り口が設えてあるが、反対側にある出口は左寄りで、筋違いに配している。
血気盛んに攻め寄せる、敵軍の勢いを削ぐための工夫である。

 

三の丸の城壁にも、場違いとも思える巨大な石樋が突き出している。
どうやって排水しているのだろう?

 

発掘された排水施設見て驚いたのは、排水溝が暗渠構造になっていることだ。

染み入った水を自然に排水するのではなく、石棺の技術を応用した排水溝を埋設していた。
太平洋から吹き寄せる南風は大量の湿気を含んでおり、降る雨の激しさは想像を絶するものだろう。

 

暗渠の出口、排水溝上部に薄い石蓋が被せられているのが分かる。
排水溝と言うより、上水道と思えるほどの規模である。

 

広大な三の丸、この場所に明治政府から廃城令が出る前は三の丸御殿があった。

 

三の丸か臨む天守の雄姿。
「入母屋破風」「唐破風」「千鳥破風」が巧みに配されている。

 

さらに進んで二の丸へ・・・
二の丸御殿には藩主が住んでいたと言われ、「数寄屋櫓」「家具櫓」など生活臭が感じられる名の櫓跡が残っている。

 

二の丸から本丸を臨む。
写真左手に見えるのが先に説明した「詰門」の2階部分で橋廊下と呼ばれていた。

左手側から詰門を突破して突き進むと先に櫓はなく、右手側の崖に出て目標を失ってしまうという構造。

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高知城22

2022年05月15日 | 歴史探歩

コロナ禍も一服と勝手に思い込んで、近場四国の名城を旅する。
10年ぶりくらいかな? 高知城を訪れるのは・・・

 

高知と言えばあまりにも有名なこの橋。
折からの春雨にしっとりと濡れて、情緒いや増すの感あり。
「日本三代がっかり」などと、けなす御仁も居るがそれなりの存在感ありです。

 

前夜はテレビ番組で知った、郷土料理とお酒がゆっくり楽しめる「ひろめ市場」で楽しむ。
何と朝10時から開店しているそうで、有閑・昼飲み派には羨ましい限りの場所だ。
因みに我が街:広島には、こんな楽しい飲み処はありません。

 

『あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の  ながながし夜を  ひとりかも寝む』
高知城登城の途次見掛けた極彩色の「尾長鳥」、すぐに柿本人麻呂の一首が浮かんだ。
意味は、この尾長鳥の長い尾のように、秋の夜長をわたし一人で、過ごさなければならないのか。

 

そうこうするうちに、高知城天守と本丸御殿が遠望できる場所に着いた。
この名城でもご多聞にもれず、周囲の近代的建造物を避けるのは至難の業。

 

門前の枡形から臨む大手門は、24万石に相応しい堂々たる構えである。
櫓門形式で、有事には二階部分に鎧武者が待機する。

 

うずたかく積まれた石垣の中にある石樋がすぐ眼に留まる。
おいらの記憶では、日本百名城中最大の排水口だと思う。
この規模の石樋がなんと、16カ処も現存していると言う。

 

石垣は天然石を積み上げた野面積。
ボランティアガイドの解説によれば、近江の穴太石工集団の手になると言う。

 

三の丸から臨む高知城の雄姿。

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土佐くろしお鉄道

2022年05月12日 | 鉄印帳

ゴールデンウィークなる最大の連休明け、久々に鉄印の旅に出掛ける。

 

JR岡山駅から高知行の「特急南風」に乗り換え、土佐くろしお鉄道の後免駅へ向かう。

 

JR四国の看板特急は子供向けの「あんぱんまん列車」。
この日は大人ばかりが乗客で、アンパンマンの車内おしゃべりも、ちょっと場違い感あり。

 

山谷が深い四国山地を抜ければ「ごめん! ゴメン!」駅。
何にを謝ってるの? のツッコミが思い浮かぶが漢字の表記は後免である。
何も謝ってはいない。

 

土佐くろしお鉄道:後免⇔奈半利線の始発は、土讃線:後免駅と同じホームから発車する。

 

多度津方面から走ってきた特急南風号が左側車線から・・・
そして後免駅始発の土佐くろしお鉄道は、右側の車線に入り奈半利駅まで

土佐くろしお鉄道の車両も、JR四国の車両と区別がつかない落ち着いた彩色。
なんとも「第三セクター」らしくない鉄道である。

高知県を走行するJR四国の列車も電化されていないのですべてディーゼルカー、そのため見分けがつき難いのだろう?

 

サンセクらしい、奇抜な路線案内図も見られなかった。

 

安芸駅は駅舎=市場となっており、乗降客以外の人でそれなりの賑わい。
此処は三菱財閥の創始者:岩崎弥太郎の出生地らしい。

それにしても安芸の地名は、広島地方をさす安芸と同じ、関連があるのかな?

 

第三セクターからJR線に乗り入れる、快速列車も走っている。
通学生や地域の方の利用も多い。
JRのままで運行を続けられなかったのだろうか? とても残念な気がする。

 

土佐くろしお鉄道の鉄印、駅改札院の方が日付を記入してくれました。

土佐くろしお鉄道はほぼ全線高架になっており、太平洋の眺望は素晴らしかった。

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エヒメアヤメ22

2022年05月01日 | 山野草

今年もエヒメアヤメの開花が、何処からとなく聞こえてきました。

 

またこの時期になったのだ! 本当に1年過ぎるのはあっという間です。

 

出掛けたいと気は焦るのですが、スケジュールと天候がかみ合わず、ちょっと時期遅れとなってしまいました。

 

自生している株の1/15程度に花が付いています。
半日陰で残念ですが、絵にしてみると結構いい感じ!

 

分結した株に多くの花が咲いています。

実は昨年までとは異なる場所に来ています。最盛期はさぞかし圧巻だったのではないでしょうか?

 

お日様の移動を待って、陽光の元に輝く彩を納めました。

 

鹿による食害防止のため、全ての株に防護ネットが施されています。

保護・管理されているお宅の奥様が、オイラのために防護ネットを外して、撮影を許可してくださいました。
「ありがとう」月並みな言葉しかお返しできませんでした。

 

たった一株、つぼみを持ったヤツが・・・

 

先祖代々の立派なお墓の脇にも咲いています。

 

背景の薄い緑色の金具が、鹿除けの防護ネットです。

 

よく整備された明るい傾斜地に、エヒメアヤメは息づいているのです。

来年こそは、必ず最盛期に訪れたいと思いました。

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