もっちゃんの探歩三昧

歴史探訪や仏像鑑賞、友人との交友をタイムリーに投稿します

西国4番札所槇尾山施福寺

2013年12月24日 | 西国33観音霊場

 年末も押し詰まった12/19日、西国4番札所:施福寺を参詣。
公共交通機関と徒歩で参る旅、もっとも行き難い寺が最後に残った。
 広島からだと新幹線⇒山陽線⇒阪和線⇒南海高野線⇒泉北高速鉄道⇒南海バスと乗り継ぎ、此処から片道徒歩70分である。

 

 山号の通り槇尾山の頂上近くにお寺はあるので、南海バス槇尾中学前から歩く事40分、
やっと山門が見えてきた。
 小雨模様の為視界が悪い。

 

 山門を潜ってからが一仕事、様々な階段道が行く手を遮る。

 

 雨に濡れた自然石の急な階段道は滑りやすい。
重ね着を一枚、又一枚と脱いで体温調節をしながらひたすら登る。

 

 喘ぐ事70分、やっと本堂前にたどり着く。
本堂は5間四方寄棟造りで、妻入りとなっている。

 

 信者の奉納したお札が、そこかしこに一杯張ってある。
此処4番札所で33観音の結願である。納経時、結願の朱印を併せてもらう。

 

 西国三十三観音霊場詣りは平成23年7月1番札所:青岸渡寺から始めた。
結願寺は33番札所としたかったが、遠隔地からの参詣故日程ままならず、4番札所:施福寺が結願寺となった。
 平成25年12月まで2年5カ月での結願である。

 公共交通機関と徒歩での結願を目指したが、途中12番:正法寺、14番:三井寺、21番:穴太寺は、大阪在住の先輩に車で御世話になりました。

 これで四国八十八カ寺、秩父三十四観音、西国三十三観音、中国三十三観音を参詣した。
残るは坂東三十三観音だが…

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西国11番札所上醍醐寺Ⅳ

2013年10月24日 | 西国33観音霊場

観音堂へのお参りは済んだので一安心、ゆっくりと伽藍を拝見する。

 

 狭い山頂部に建てられた堂は御多分にもれず懸造、重厚な雰囲気である。

 

 薬師堂に隣り合うように建てられたのは如意輪堂、豊臣秀頼によって再建されたとある。
 やはり醍醐寺は、秀吉によるビッグイベント:醍醐の花見に因んで、豊臣一色である。
 徳川家の憎悪がここまで及ばなかったのは、真言宗の力なのかな?

 

 開山堂は柱も細く、装飾も地味で、質素な造り。

 

 山科の古刹:上醍醐寺から望む京の都、曇天の為ぼんやりとしているが、肉眼でははっきりと展望出来た。

 

 参詣を終えた下り道は余裕が出来たか、こんなものにも目がいく。
 「がんばれ!ひこばえ」やがてお山一の大木になる日を夢見て…

 

 参道脇の"滑ら滝"

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西国11番札所上醍醐寺Ⅲ

2013年10月22日 | 西国33観音霊場

昨日掲載した中間地点?と思しき所から、参道は更に急勾配となり、ほとんどが階段道。
「古来稀なり」に達したオイラの心臓はバクツキ、足先が階段で躓きそうになる。

 

 息を整えつつ、女々しく、通り過ぎた急坂を振り返る。
 苦しいけれど、この先には御利益が待っているのだから…と、心に言い聞かせて先へ進む。

 

 苦闘60分、やっと上醍醐寺境内に到着、女人堂で教えて戴いた“醍醐水”が眼前に…
 無愛想なこのお寺にしてはめずらしく、この水は必ず飲むようにと、親切に女人堂で教えて戴いた。
 この奥上部に、目指す“上醍醐寺准胝堂”がある。いやあったのだ。

 

 2008年火災で焼失してしまった、上醍醐寺准胝堂跡。
 焼失後は下醍醐寺で納経を行っているが、やはり此処まで登ってから納経すべきだと思う。
 更地となったお堂前で般若心経を唱えた。

 

上醍醐寺准胝堂跡から更に上に、多くの堂塔伽藍が残されている。
更に山道を15分登れとの案内標識。国宝・重文の案内にしてはブリキ板に描かれた粗末なもの。
もう少し神経を使えばよさそうなものだが、このお寺は本当に愛想が無い。

 

 

 国宝の薬師堂だが、狭い場所に建てられているため、全体を収めることが出来ない。
 超ワイドレンズに、丈高の脚立でも持参しない限り、全貌は収められないな。
 あの登り坂を梯子持参なんて、とても考えられない。

 

 更に足を延ばして五大堂を参拝する

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西国11番札所上醍醐寺Ⅱ

2013年10月21日 | 西国33観音霊場

折しも日本列島は台風26号が襲来、後で知ったが伊豆大島で大被害が発生。
そんな日に准胝観音堂の焼跡を訪ねるオイラ。

 

 下醍醐寺の最奥にある女人堂、やはり真言密教寺院なので、此処から奥は女人禁制か?
 此処の社務所で、上醍醐寺への入山許可とも言うべき参詣料:600円を支払う。

 

 入り口に台風で参道が荒れているから注意の立て札、今台風26号が関東方面を襲っているが、
  此処には早くも
注意書きが…
 いや、これは早とちり、良く見ると台風18号と書かれている。

 

 参道は快適なハイキングコースだ! 大雨の後でも綺麗な水が流れている。

 

 此処にも立派な丁石が設置されていた。まだ2丁目だよ!

 

 参道には荒れた場所があり、歩行注意だ。
 木のおかれた処は亀裂が走り危険。右端を慎重に歩く。

 

 40分ほど喘いだ場所に置かれた道路標識。ほぼ中間点になるのかな?
 でも良く見ると、准胝観音堂とすべきなのに準胝観音堂となっている。

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西国11番札所上醍醐寺

2013年10月20日 | 西国33観音霊場

西国33観音霊場詣りも終幕が近づいてきた。
本当は今回で結願の予定でいたが、台風26号の余波で、列車ダイヤに乱れがあり、施福寺が残った。

 

 山陽新幹線、東海道線、京都地下鉄東西線と乗り継いで、下醍醐寺を目指す。
 様々なアクシデントがあって、やっと正午前醍醐寺門前にたどり着いた。

 

本来の西国観音霊場札所は、此処から1時間以上山を登った“上醍醐寺准胝観音堂”にあった。
しかし准胝観音堂が火災にあったため、現在は此処“下醍醐寺観音堂”で納経する。
これはあくまでお寺側の都合なので、あえて山上にあった、准胝観音堂跡まで登ることにした。

 

 仁王門に醍醐寺参詣の受付(料金所)があるので、准胝観音堂までの道を確認する。
 受付嬢(婆)は、オイラの頭から足先まで一瞥後「納経時間は16時30分までだよ」と告げる。
 お前さんの脚で、時間までにお参りを済ますことが出来るか?と云っているのだ。

 

 「冗談じゃないよ!まだ12時40分だぜ」と颯爽と境内を通り抜け、上醍醐寺を目指す。

 

 程なく、上醍醐寺道の標識にとりついた。
 此処から“准胝観音堂”まで、1時間強の道のりだと表示されていた。

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西国31番札所長命寺

2012年11月30日 | 西国33観音霊場

 階段道が長い事から、難所の一つに数えられている“長命寺”に登った。

 

 バスを降りると目前に、この光景が現れる。「本堂まで808段」
 何程の事やあらん?

 

 808段の中ほどに奇妙な格好の、門あるいは鳥居?
 説明版が無いのでよく判らないが、それより手前の石段を見て!このガタガタぶりは半端じゃないです。

 

 駐車場からの参詣道と合流した後は、石段も整備されているし、手すりも設置されている。
 境内入り口にある門も変わっていて、正面から見ると“冠木門”だが、裏から見ると高麗門風だ。
 門の形が、何処までも風変わりなお寺である。

 

 此処までの旅で紅葉の素晴らしさは満喫した。
 このような中途半端な色付きに興味を感ずる。人間とは何処まで我儘なのだろう。

 

 本堂裏に異様な石があった。命名は“六処権現影向石(ろくしょごんげんようこうせき)”となっている。
  解説には「当山開闢(かいびゃく)武内宿禰が祀る」となっている。
 武内宿禰(たけのうちのすくね)は三百歳の長寿をまっとうした男だ、さもありなん。したがって長命寺なのかな?

 

 武内宿禰が眺めた琵琶湖を眼下にして考えた。あの門とも鳥居とも見えるのは何?

 

 武内宿禰と神功皇后の子供が応神天皇という話もあるようですが…

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西国32番札所観音正寺

2012年11月29日 | 西国33観音霊場

 大阪在住のN先輩のお陰で前日、正法寺、三井寺、穴太寺と効率よく参拝できました。
 年初に癌を宣告された時には、もはやお目にかかることも出来ないかと観念しましたが、楽しい時間を共有できました。
 本当にありがとうございました。

 さぁてと!夏、暑さに負けて参拝を見送っていた、難所の二カ寺に挑戦します。時は11/17日です。

 これが32番札所:観音正寺の登り口、まさにこれから登山の始まりです。
 3年前は城巡りで観音寺城に、表参道:大手口(安土側)から登りました。 観音正寺=観音寺城です。
  今回は裏参道=搦手口からの参拝です。

 

 息を弾ませながら、階段道をひたすら山門目指して登ります。

 

 結構脇道もありますので、標識確認を怠りなく進んでいきます。
 神社側から登ってきましたので、既に中間点は過ぎています。

 

 山中にこのような看板を見つけましたので、パチリ!
 年中探歩三昧のオイラ、くすぐったいような、うれしいような、複雑な気持ちです。

 

 バス停から歩くことおよそ1時間、露座の仁王が出迎えてくれました。
 山門が無いお寺ということですね。
 本堂も真新しいもので、建屋には見るべきところはありません?

 

 本堂から眼前に広がる、蒲生野の景色を堪能しました。
 これから観音寺城跡に寄って帰ります。

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西国21番札所穴太寺

2012年11月28日 | 西国33観音霊場

 大阪在住N先輩の操る国産高級車の助手席で、降りしきる雨をぼんやり眺めている。
 先輩の御厚意によって、亀岡市郊外にある、穴太寺(あなおうじ)へ向かっている。
 それにしても日本語の読みは難しい。バス停は同じく標記で穴太寺(あなおじ)と読ませ、地名は穴太(あのう)と云う
 
しい
 穴太寺の涼麗な奥様から教えて戴いた。

 

 田圃の囲まれた小集落の中にある何の変哲もないお寺。山門から本堂を望む定番のショット。
 でもそこには、得も言われぬ佇まいがひろがっていた。

 

 大イチョウの根によって持ち上げられ、傾いてしまった練塀。
 前出の奥様は、あえてこの光景を見て帰ってと云われた。

 

 多宝塔を叩き突ける雨、境内の樹木にもほとんど手が加えられていない。

 

 自然の恵みを一杯に浴びて…文字通り紅葉である。

 

 こちら黄葉は少し盛りを過ぎてしまっている。敷きつめられた落葉で風情をどうぞ!

 

 自然な姿がなんとも優雅、どんな庭師も及ばないのでは…

 

 こちらはめずらしい、黄色のもみじが懸崖に…

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西国12番札所正法寺・14番札所三井寺

2012年11月27日 | 西国33観音霊場

 11/16日昼食後、落合郷土史会員の皆さんと別れ、単独で大津市の宿に入る。
 在職時最も信頼できた上司のNさんと、一献交わしたくて同宿する。
 旧交を温めた後は西国観音霊場詣りを再開、Nさんも紅葉の撮影がてら同行して下さった。

 

 公共交通機関を下車後、6キロの山道歩行があることから、夏の参詣を見送りこの時期に先送りしていた難所の寺。
 はしなくも今回、先輩が車で同行して下さることとなり、この問題はあっけなく解決。
 本音は「ほっとしたが半分、ちょっと残念が半分、でも単なる強がりかな?」

 

 毎月17日は「観音供養祭」で、石山寺駅からシャットルバスが山頂まで出る日。
 これに乗るつもりだったが、先輩が前日お寺に問い合わせた処、早朝のマイカー参詣OKとのこと、ラッキー!
 ところが当日山頂駐車場前で、マイカー乗り入れ禁止と告げられる。

 観音供養祭の準備が整った早朝の“正法寺本堂” オイラが納経を済ませた直後、満員のシャットルバスから参詣客が
  殺到した。危機一髪!

 

 駐車場の係員に事情を話して参詣許可をもらった我々は、湧き上がる雲を撮影に挑戦したが…
 山上にあるお寺ということが分かっていただければ…

 

 ついで雨の中14番札所:三井寺(園城寺)へ、大きなお寺だが何となく散漫な感じ。
 寺男?の応接もぶっきらぼうで印象悪し。

 

 広大な境内の奥まった場所に、入母屋造りに裳越付きの観音堂があった。

 

 最も目を引いたのがこの場所、駐車場の一画にある“みやげ物店”の周囲の紅葉。
 雨に打たれて風情があったが、いかんせん看板類が邪魔で…

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西国13番札所石山寺

2012年09月11日 | 西国33観音霊場

今夏、青春18きっぷを使っての西国観音霊場巡りは、この石山寺で最後にした。
滋賀県で最も古い木造建屋が残る当寺は、さすがにしっとりと落ち着いた雰囲気で気にいった。
でも本当のところは暑さにバテ気味の身体が音を上げていて、バス停から近いこのお寺は本当に助かった。
そのせいではないかな?

 門前には瀬田川が滔々と流れる絶好のロケーション、山門も古びていてドッシリ!
 仁王像前に金網が無く、本当にすっきりしている。

 

 本堂に続く参道脇にも緑が一杯、涼しげな木陰がうれしい。

 

 最初に目に入る建物が多宝塔。周囲に現代風の構造物が見当たらず、平安時代がそのまま残されている感じ…
 やたらと石像などを飾り立てるお寺が目に着く中、清掃が行き届き余計なものが無いのはとても新鮮。

 

 石山寺、寺名の由来と云われる“硅灰石”が境内至る所に見られる。
 本堂もこの石の上に建立されている。

 

 桧皮葺、寄棟造の本堂内に組み込まれた“源氏の間”。正面に華頭窓を配し唐破風が飾られている。
 此処であの紫式部が『源氏物語』を書き進めたと云われている。

 

 本堂に連結して建てられている礼拝堂。地形を巧みに利用して“懸造り”となっている。
 境内一面とっても静かだ!

 

 帰り際、振りかえれば竜門瀑が流れ落ち、苔むした鯉魚も…

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西国30番札所宝厳寺

2012年09月10日 | 西国33観音霊場

8/28日3度目となる竹生島訪問、台風14号の余波か波が荒い。
琵琶湖観光船は、波が30センチを超えると運行停止となるらしい。理由は琵琶湖周辺の船着き場は水深が浅いため、喫水の浅い川船が使用されているためらしい。

 竹生島の船着き場、結構大きな船だが御覧の波程度で欠航も心配されるようだ。
 早く長浜港に着船できることを祈るばかり。

 

 船着き場から石段を上っていざ!境内へ。
 緑深い懐に抱かれた荘厳な雰囲気だが、裏山に回ると森は一面“川鵜”のフンだらけで、環境破壊が心配されている。

 

これぞ神仏習合のお手本か?手前の鳥居には“竹生島神社”の掲額。
 奥側の鳥居には“厳金山”と宝厳寺の山号が掲示されている。(遠く緑色に見える二の鳥居の額)

 

 国宝:宝厳寺唐門と奥に続く観音堂。手前にある手摺りのオレンジ色がなんとも不釣り合い。
 京都の豊国廟から移築された唐門の重厚さを台無しにしている。

 

 正面から見る国宝唐門。此処でも左側に繋がる石段の手摺りがオレンジ色に塗られている。
 センスが悪いでは済まされない。早急に改善してほしい。

 

 観音堂と都久夫島神社を結ぶ“船廊下”。豊臣秀吉の朝鮮征伐の際造られた“御座船”を流用しているのだとか?
 この幅では、船はたちどころに沈没しそう。もっと幅が広かったのだろう

1回目は湖西の今津から、2回目は国宝彦根城のある彦根から渡り、3回目は秀吉初の居城長浜からと三様の宝厳寺訪問。
やはり今回も手摺りの彩色に違和感が残った。 

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西国29番札所松尾寺

2012年09月09日 | 西国33観音霊場

JR小浜線に松尾寺駅があります。当然松尾寺の門前にあるかと思いきや、なんと歩いて50分程も離れているのです。

 

  

 このお寺の御本尊は“馬頭観音”。西国霊場では珍しいです。

 

 宝形造りに裳階の付いた良くある形の本堂、屋根は銅板の覆いが被せられています。

 

 正面向背部分には、彫り物がこれでもかと彫られています。

 

 鰐口が3っつ下げられています。参拝客が多いのでしょうか?

 

 重厚な山門、付随する塀が無いので一層重みが感じられます。

 

 境内には何本かの多羅様の木があり、お寺の方が数枚切り取って私に下さいました。
 この葉に50円切手を貼って、親しいお友達に手紙を書いたのですが…
 とんでもないチョンボをしてしまいました。

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西国28番札所成相寺

2012年09月08日 | 西国33観音霊場

西国札所参りの途次立ち寄った“天橋立”の照会が長くなってしまった。
8/27日湖北にあり、広島からは交通の便から考えると、33の札所中、もっとも行き難いお寺であろう。

 成相寺参道に立ちはだかるように建立された元伊勢神社。
神明鳥居があって、その奥に伊勢内宮に相当する、御本殿が鎮座している。

 

 本殿入り口脇に一対の狛犬があり、鎌倉時代の作品で国重文だと云う。
狛犬は文化財としての価値が乏しいのか、国重文指定の物などめったにお目にかかることはない。
必見である!

 

 やっとのこと、28番札所所成相寺参道にたどり着く。
天橋立駅からだと、観光船⇒ケーブルカー⇒バスと乗り継ぎが必要だ。
 この寺本殿の屋根は、桧皮に銅板覆いが掛けられているため美しい姿は隠されているが、桧皮葺きの鐘楼は絶品。

 

 組み物も凄いが圧巻はこの木鼻、手前に向って獏?、90度交差して像が彫られている。
木鼻の動物は何かと結構論争になるが、2頭並べて彫られれば分かりやすい。

 

 そして成相寺自慢の一品はこれ、左甚五郎作“真向の龍”
おどろおどろしいものではなく、むし「かわい~い」と云う感じす。

 

 参拝を終えて山門に戻る道すがら、次に参詣予定の“松尾寺(まつのおじ)方面を遠望する。

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西国22番札所総持寺

2012年08月20日 | 西国33観音霊場

今回二泊三日の巡礼では、10カ寺で打ち終わりのつもりでいたが、最終日あまりに順調に廻れたので、欲を出してもう1カ寺追加した。

 

 此処総持寺の山門、どうと云うことはない楼門だが、参道を遮るようなこの塀はいただけない。
信者を寄せ付けないような雰囲気は如何なものか。

 

 山門の仁王像、鳥除けの金網が掛かっていないので、とても身近に感じられる。

 

 1400年代に鋳造された古鐘だが、参詣者に『どうぞ お撞きください』と云っている。
感謝しながら一撞きさせていただく。

 

 総持寺の御本尊は“子育て観音”。 境内に観音様のお姿が…

 

 妻降りが付けられた本堂。

夏の青春18切符の旅は西国観音霊場詣り、この後8月末にもう1度西国観音霊場詣りに出掛けます。

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西国18番頂法寺・19番札所行願寺

2012年08月19日 | 西国33観音霊場

 六波羅蜜寺を打った後、効率良く?参拝するため、18番と19番を逆打ちすることにした。
偶然だと思うが19番行願寺は革堂、18番頂法寺は六角堂の別名の方が通りが良いらしい。

 結構工程には苦労するんです。

 

 「鴨の河原の水枯れて~」の祇園小唄とは異なるが、8/11日朝の鴨川。
平安の都を、年寄り遍路がトボトボと歩きます。

 

 京都寺町通りの一画にひっそり佇む札所:革堂行願寺。
参詣を終えて納経を済ませたところで、寺の若い女性が声を掛けてくれた。「18番さんのお参りはお済ですか」
 四国88か所詣りでは納経所に、必ずと云って良いほど次の札所案内地図が用意されているし、道順を親切に教えてくれる。
西国33観音廻りで、道順を心配してくれたお寺は初めて…感激する。

 

 この場所に“囲碁本因坊戦”命名の由来となった塔頭:本因坊があったのかな?
革堂の女性が教えてくれた18番:六角堂への道順は…
『寺町通りを下ると直ぐに広い道:御池通りに出ます。そこを横切って3本目の通りが六角通りです。右に曲がって7本目の通りを過ぎた右手の、白い塀の建物が六角堂さんです。』

 

 案内してくれた通り無事、ビルに押しつぶされそうになっている、六角堂の白い塀を見つけることが出来ました。

 

 これが本堂ですが、境内が狭くて、どうしても全容を捉えることができません。

 

 16羅漢さんも苦心の配置です。

 

何気なく張り紙に書かれていたのは、「隣の展望エレベータから六角堂が見えます」
展望台が無いので、昇降中のエレベータからパチリ!
複雑な屋根構造ですが、中央の六角が、かろうじて捉えられています。

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