今日は、観光ボランティア仲間の案内で被爆樹木巡り。
広島平和記念公園内にある「被爆あおぎり」前が出発点。
芽吹いたばかりの新芽が、朝日にきらめいている。
この位置からの姿は、とても被爆樹木とは思えない。
爆心地から1,300m離れた、旧広島逓信局の庭で被爆したが、翌年春には新芽が出て、広島市民を勇気づけたと伝わる。
中央幹の中心を縦に伸びる亀裂は、爆心方向側の焼け焦げた樹皮を、長年かけて自力で修復しようとしたあとで痛々しい。
中段に巨大なこぶ状の塊があるが、これは被爆によって発生した、古い細菌の影響と考えられている。
こうしてアップで観察すると不気味だ。
被爆あおぎりの隣に植えられている「インドハマユウ」は、爆心地から2,200m離れた、旧広島女子商業高等学校で被爆した。被爆後焼け焦げた球根から、新芽が出ているのを見つけた元日本兵が、鎌倉に持ち帰り育てた株を、昭和44年に現在の場所に移植したもの。
広島市青少年センター西側河岸のシダレヤナギ、爆心地から370mの位置にあり、現存被爆樹木では最も爆心地に近い。
原爆により幹が折れたが、根元から生えた新芽が成長し、現在の姿になった。
感心なことに、聴講生皆が熱心にメモを取っている。
平均年齢〇〇歳なのに、勉学心旺盛だ。
添木やロープで懸命に養生されているが、幹が枯れる心配があるので、本来なら剪定される途中枝もそのまま残していると解説された。
こども文化科学館東側のシダレヤナギ、旧陸軍練兵場にシダレヤナギの並木があり、その数本が原爆を受けたが生き残った。その内の1本を移植したもの。
旧練兵場にあったことから、爆心地から450mの位置にあったと推定される。
県立体育館の脇を通って、毛利輝元の手になる広島城の内堀脇に出た。
新緑に囲まれた広島城も新鮮である。
広島城内堀の東北角にあるクスノキ、爆心地方向(南西)に傾いている。
写真右手側の枝が茂っていないのは、近くにあった陸軍幼年学校の火災により焼け焦げたもの。
木のすぐ脇を園路が通っていたが、人が根を踏みつけて樹勢が弱るのを防ぐため、園路を湾曲させて木を保護していると言う。
それにしても大木なので、もっと広く緩衝地帯を取ってあげたい気がする。
広島城本丸内大本営前のクロガネモチ、被爆した3本が生き残ったが、その後の造園工事で植え替えが行われ、被爆時とは向きが変わっている。(庭師のミス?)
爆風によって、ガラスの破片や小石が叩きつけられ、木肌が傷だらけになったため成長が鈍化している。
広島城中御門脇のマルバヤナギ、爆心地から740mの位置にある。被爆の影響で幹が空洞になっているが、かろうじて生き残っている。
数年前、空洞に詰め物を施して、縄で縛るなどの養生を行っているが、一長一短であり苦渋の決断。
空洞に詰め物をして、周囲を縄でぐるぐる巻きにした痛々しい姿。
被爆樹木としてヤナギとクスノキ類が多く残っているが、両方とも木としての生命力が強いので、一般的な寿命が長い。
広島城二の丸お堀端の被爆ユーカリ、原爆によって黒焦げになった写真も残されているが、それにめげず生き残った。
その後1971年の台風で幹が途中から折れたが、芽を吹き返し成長を続けている。
広島の地に、何故ユーカリが植えられたのかは定かではない。
広島市が認定している被爆樹木は161本、概ね爆心地から半径2キロ圏内に残されている。
被爆樹木の特徴は、爆心地側に傾いているものが多い。
その方向の枝が少なく、根の張りが弱いのが原因として考えられている。
キャプションは、「一般社団法人広島市観光ボランティアガイド協会」初谷さんの説明を基に、アレンジしたものです。