「たけはら「に続いて、翌日は福山市「鞆の浦」へ友を案内したのですが、これが全くの期待外れ、二泊三日の最終日にちょっと落ち込みました。
「鞆の浦の街歩き」を、地元のガイドさんに詳しく案内してもらおうと思ったのですが、この方話自慢なのか前口上がやたらと長く、おまけに鞆の浦とは直接関係のない福山城の話などをだらだらと・・・
声も良く通り、知識もそれなりにあるのですが、肝心な鞆の浦の話が一向に始まらず、一同あきれて白けていました。
やっと始まった対潮楼でも、前住職の名調子は無理にしても、それなりの説明はとちょっぴり期待したのですが・・・
それでも、「日東第一形勝=日出ずる東の国、第一の景勝」はいつ眺めても素晴らしいです。
朝鮮通信使の感慨を表した言葉で、朝鮮半島の東にあり輝く国は、すなわち日本のことです。
形勝は景勝の誤りかと思いますが、このようにも書きますかね?
本堂の蟇股、少しやりすぎの感もありますが、対潮楼のものらしくてよいかな?
前口上に時間を取られて「鞆の街歩き」は大端折りで、駆け抜けました。
ガイドの基本である時間配分に問題がありました。
耐食用の焼き板塀も随分傷んでいます。
竹原市でも見かけた茅の輪、鞆の浦でも多くの家庭に吊るされていました。
安芸と備後では、それなりに風習も異なるようで、広島県も結構広いですね。
広島から福山まで移動時間短縮も考えて、新幹線こだまを久し振りに利用しました。
こだま=がら空きのイメージでしたが全く違っていました。
日本最速の500系車両が、今ではJR西日本区間だけで、こだまに使われていました。
意外と乗客が多く、空席を求めて、とうとう1号車迄きてしまいました。
そこで見たのがこの光景、最前部(運転席後部)に模擬の運転席が設えてあります。
女性運転手がスタンバイしていました。
今にも料理が始まるような雰囲気ですが大丈夫かな?
運転を開始すると間もなく、列車は時速300キロに到達していました。
JR西日本もやるね!
子供だましと言うなかれ、束の間の楽しみですが、大人も満足です。
「たけはら」の名ガイドに心を打たれ、「鞆の浦」の独りよがりのガイドに落胆し、ちょっとした新幹線のサービスにはしゃぐ、老人たちの旅も色々あって楽しいです。