もっちゃんの探歩三昧

歴史探訪や仏像鑑賞、友人との交友をタイムリーに投稿します

くま川鉄道 Ⅲ

2023年10月25日 | 鉄印帳

鉄印帳収集の最終コーナー、くま川鉄道のあさぎり駅を列車は出発した。

 

最初は「東免田駅」に停車、東免田駅があるのであれば、当然免田駅があるはずだ。
これは前にも述べた通りで町村合併により、免田町があさぎり町と町名が変更になったため、併せて駅名も「あさぎり」駅と変更されたのだろう。

 

平坦な田園地帯を走行するのだが、場所によっては立木が今にも行く手を塞がんばかり。
民家か鉄道会社か、どちらのの所有物。

 

さらに次の「公立病院前」駅は田んぼのど真ん中にあり、公立病院と思しき建物は遥か彼方に見えた。
病院通いのお客様もなく、列車は淡々と先へ進む。

 

線路脇に彼岸花、刈入れ前の稲穂、野菜つくりの温床、酪農用の飼料が一帯に広がる長閑な田園風景。

 

しばらくすると、ちょっと人家の集積した場所に停車した。
多良木駅だが、ここでも乗降客の影はなし。

 

多良木駅改札の横に、近くの恵比寿神社の「出前おみくじ箱」が設置されていた。
九州内陸のど真ん中、海からは限りなく遠いが大きな鯛を抱えたえびす様。
こりゃぁ相当なご利益があるじゃろう。

 

さらに進んで「東多良木駅」、風雪に耐える傷んだ駅舎が痛々しい。

 

そして途中乗車のお客様がいた。
新鶴羽駅は終点一駅前の停車場、地域の学生さんの利用を見て、なんだかほっと一息。

 

そして終点「湯前駅」、左側はコンクリート作りの一般的なフォームがある。
右側には向かいの材木店の提供か?ウッドデッキの広場がある。
背景は雄大な九州の背骨が控える。

 

国鉄湯前線時代は多くの乗降客があったのだろう。
古い駅舎が立派な体を持て余しているよう。

くま川鉄道の終着駅、湯前駅前のロータリーがお出迎えです。

 

令和2年8月、山口県の「錦川鉄道」を皮切りに始めた鉄印帳の旅。
令和5年9月、熊本県の「くま川鉄道」で、全40社の路線を踏破し結願。

次は何を目指そうか、御陵印かな?

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

くま川鉄道 Ⅱ

2023年10月24日 | 鉄印帳

鉄印帳の導入アイディアは、くま川鉄道の発案らしい。
その元祖の路線が集中豪雨の惨禍で、不通区間の復旧が遅れているのは皮肉。

 

あさぎり駅ホームに出てみれば、「田園シンフォニー」と命名された車両がスタンバイ。
深紅の車体に「田園シンフォニー」のロゴ、垢抜けたデザインが好もしい。

 

こちらは白(クリーム色)地に同じく「田園シンフォニー」。
球磨丘陵をさわやかに駆け抜けるイメージだとか・・・

 

シックな青色に、ヘッドマークはト音記号が記されている。

 

ベージュ、青、赤、白、茶と五色の車両が運行され、春、夏、秋、白秋、冬を表しているようだ。
茶とベージュの車両は、残念ながらお眼にかかれなかった。

 

車内は木製のロングシート、乗客は往復で7人だったと思う。
遠征客はオイラ一人、他の方は地元の方とお見受けした。

 

車内の仕切りを兼ねたショウケースには、地元の特産品が飾られている。
木材は地元の「球磨ヒノキ」が使われている。

 

シンプルな運転席、比較的新しい気動車が運行されている。
少なくとも、日頃オイラがお世話になっているJR芸備線の気動車より、はるかに新しいと思う。

 

運転席横から正面の視界が広がるのは、鉄オタにとっては何よりの喜び。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

くま川鉄道

2023年10月23日 | 鉄印帳

令和2年8月、山口県を走る「錦川鉄道」から始まった鉄印取得の旅、ついに最後は熊本県を走る「くま川鉄道」で有終の美を飾ることになった。
北は北海道から南は九州まで、地方に分布する全40本の第三セクター鉄道に乗車する、愉快な鉄印の旅も大団円を迎えた。

 

2020年の集中豪雨被害により、くま川鉄道の人吉温泉⇔肥後西村間は現在も不通、代替バスも変則的な運行で利用者を悩ます。
さらにJR肥薩線八代⇔吉松間も不通のため、くま川鉄道起点の人吉迄の鉄道利用も叶わず、やむなく今回はレンタカー利用で、くま川鉄道途中駅の「あさぎり駅」へ向かう。

 

あさぎり駅前広場にある鉄道開業60年の記念碑。
昭和59年の建立と記されているので、今年は通算100年になるのかな?

 

目指した「あさぎり駅」は比較的新しい駅舎で、綺麗に清掃もされている。

 

しかし待合室内に飾られているこの絵は如何なものか?
せっかく子供たちの力作なのだから、もう少し展示方法を考えてあげられないものかな。

 

発車時刻まで少し余裕があったので周囲を散策。
改めてくま川鉄道「あさぎり駅」を外から眺めたのがこの姿。
行政関連の事務所と同居なので立派だが、くま川鉄道社員は数人か?

 

「あさぎり」と平仮名表示なので新しい呼称ではないかと思ったが、次の駅が「東免田」なので、ふっと思い当ることがあった。
免田事件:忌まわしい冤罪事件が頭に浮かんだ。免田⇒あさぎりに変更されたのだな。
免田町⇒あさぎり町へと町名も変更されている。

 

球磨盆地をPRする看板だが、表示が剥げ掛かっているのではなく布製のため透き通ってしまいとても見難い。

 

全14駅間24キロほどの路線だが、人吉温泉⇔肥後西村間は現在不通。
肥後西村⇔あさぎり間は、適当な時間に運航便がないため今回は乗車を断念。
あさぎり⇔湯前間を往復乗車した。

 

退避場所=簡易整備場も屋根が付いている。
線路端の彼岸花も風情があるね。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南阿蘇鉄道 異聞

2023年10月16日 | 鉄印帳

南阿蘇鉄道旅の終わりに、思いがけないご褒美をもらった。

南阿蘇鉄道の復路、高森駅から立野駅まで戻ったところ、豊肥本線ホームには時ならぬ人だかりが出来ていた。
何も知らないオイラは、三脚を据えて構えている「撮り鉄」と思しき仁に、恐る恐る訪ねてみると、なんとこのホームにSLが入線するとのこと。

 

ほどなくして警笛が鳴り響いて、モクモクと煙を吐いたSLが喘ぎつつ、こちらに向かってやってきた。

係員が何度静止しても聞く耳を持たない輩は、ホームから乗り出して決死の撮影を続けていた。

 

でも何故? 豊肥本線にSLが運行されているの? 聞いていませんけど・・・
鼻に取り付けられた「列車マーク」にも「人吉」と描かれている。

 

車体にも謎かけのような記号で「ひとよし」と表記されていた。

 

そして決定的な表示が確認できた。

なんでも肥薩線 八代⇔人吉間は先の豪雨のよって線路が寸断され、復興の目途が立っていないようだ。それで休日のこの日、豊肥本線の立野駅にやってきたのだと言う。

さしずめこの日は「SL南阿蘇」に変身かな

 

SL人吉の乗客、撮り鉄、見学客が入り混じって、立野駅ホームはごった返していた。

 

後部には後押し役の気動車が連結されていた。
こちらに、興味を示す人はほとんどいない。

 

ピッカピカに磨かれた本体、あまりにまぶしくて「ピンボケ」になってしまった。

 

立野駅舎からホームを臨むとこんな感じになる。

 

最後に今ひとたび、雄姿を瞼に焼き付ける。

 

歓迎用の小旗を戴いて帰った。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南阿蘇鉄道 Ⅳ

2023年10月15日 | 鉄印帳

南阿蘇鉄道は世界最大級の外輪山を眺めながら走る第三セクター
開放的な沿線風景が連なっている。

 

阿蘇五岳の中で最も特徴的な「根子岳」の雄姿。
独立峰に近い山容で、この造形美は素晴らしい。
どんな作者でも創造できまい。

 

根子岳に並んで阿蘇五岳最高峰の「高岳」
こちらは根子岳とは、うって変わってなだらかな山容。

さらに左手にあるのが「中岳」
特徴のない形からか名前も凡庸、もう少し気の利いた名称がほしい?

 

こちらは「烏帽子岳」その名の通り、尖った頂上が際立つ。
立野駅周辺では、一段と特徴的な烏帽子が俯瞰出来るようだが、あいにく雲が掛かって・・・

杵島岳は烏帽子の背後に位置するようで、南阿蘇鉄道沿線では捉えることが難しい。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南阿蘇鉄道 Ⅲ

2023年10月14日 | 鉄印帳

再開南阿蘇鉄道は駅舎の建替えや改装に加えて、車両も新しいものが多くとても綺麗だ。

 

2023年全面復興を記念して運行を開始した「サニー号トレイン」
人気アニメのワンピースとコラボレーションし、車両外部はもとより内装もこれでもかのワンピースぶり。

 

長らく看板列車で今なお人気健在なトロッコ列車「ゆうすげ号」

 

そして今回訪れた二日間の間、走行する姿は見られなかった「MTー3001号」
1998年の熊本国体に合わせ、宝くじの助成金で製造された車両。
阿蘇五岳の「高岳」「中岳」「烏帽子岳」の雄姿を遠望できる。(右側の三座で立木の上部に高岳、列車車庫の上部が中岳、電柱の中間に烏帽子岳)

 

そして運行再開を機に新調された「MTー4000型気動車」
実質的に南阿蘇鉄道のエース。

 

なんと言ってもハイカラ斬新なデザインが目を引く。
インバウンドの外国人旅行客に対応する多言語化や、JR線への乗り入れも可能な新鋭車である。
窓も広く、阿蘇外輪山の雄大な景色が堪能できる。

 

新幹線や特急列車かとみ間違うような洒落たロゴマーク。
阿蘇五岳と外輪山に、南阿蘇鉄道全10駅をデザイン化したもの・・・

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南阿蘇鉄道 Ⅱ

2023年10月09日 | 鉄印帳

復興開通したばかりの南阿蘇鉄道、多くの駅舎が改築されており、鉄路の復旧と併せて大変な苦労があったと思うが、地元の方々はとにかく明るい。

 

線路側から望む立野駅、まっくろくろすけで落ち着いた雰囲気。
ホームから改札口へ向かう通路は、豊肥本線を跨がないと行けないのは仕方ないか!

 

道路側から望むと駅舎は一変、木地むき出しの平屋建て。
この日も駅舎前の、名物饅頭店はひっきりなしにお客が出入りしていた。

 

こちらの運賃表も真新しい。
第三セクターとしては安価な料金設定に思う。

 

立野駅を起点に全10駅すべてが阿蘇外輪山内にあり、絶好の景色が車窓を流れる。

 

古き良き時代の名残を残す長陽駅、ワンピースの影は薄かった。

 

阿蘇下田城駅、お城風仕立てとかで、石垣、下見板張り、漆喰塗り込め壁で装う。
当列車の運転手さん、ウイークデーでも満員の社内の乗客にお礼を述べたり、沿線景色の案内、駅舎の見所など、運転しながらのガイドが秀逸だった。

 

長い駅名で有名だった「南阿蘇 水の生まれる里 白水高原」駅、14文字だが。
平仮名では「みなみあそ みずのうまれるさと はくすいこうげん」で22文字。
相当なものだが、近年都会にやたら長い駅名(わざと長くしているとしか思えない駅名が多い)が増えたので興覚めだね。

 

駅名が長いだけではなく、駅舎も瀟洒なものだ。

 

「ワンピース」読者でないと理解できない中松駅。
「秘密基地ゴン」が別名らしい?
イベントを開催していない時は閑散としている。

 

九州に多いキリシタン教会をかたどった阿蘇白川駅。
ステンドグラスが嵌っていればなぁ。

 

白川水源駅では消防団が、祝いの垂れ幕を寄贈したのか?

 

何の変哲もない「見晴台駅」。
運転手兼ガイドの説明では、キリン午後の紅茶のCMの舞台になったとしか・・・
本当は阿蘇五岳の秀峰:烏帽子岳が見晴らせる場所だとか。

 

終着の高森駅に控えているのは、フランキーだとか。
ワンピースでは船大工だそうだが、南阿蘇鉄道では高森駅再建の責任者を務めた。

 

帰路も立野駅のホームはお客様で一杯。
南阿蘇手集いの前途は明るいかな。

立野駅ホームの立派な案内板。
もっともこれはJR豊肥本線立野駅のものでした。

 

南阿蘇鉄道の鉄印ゲット。

これで未取得の鉄印は「くまがわ鉄道」一社のみとなった。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南阿蘇鉄道

2023年10月05日 | 鉄印帳

鉄印収集の旅もようやく最終章、九州中央部の南阿蘇鉄道を目指す。

 

熊本駅で九州新幹線から豊肥本線へ乗り換え、この線に乗車するのは2009年3月「日本100名城」巡りの時以来14年ぶりだ。
豊肥本線と言う名称だが、熊本⇔大分を直行で結ぶ普通列車は皆無、僅かに特急列車が上下線とも3本運行するのみ。普通列車はこの行先表示にある「宮地駅」で、熊本側と大分側に分断されている。

 

今回は熊本から立野駅迄、宮地より熊本よりの駅なので、乗り換えなしで到着。
この駅も地震の影響で損傷したのだろう?
真新しい駅舎に代わっている。

 

熊本地震で橋脚が落下し、大打撃を受けた南阿蘇鉄道だが、足掛け7年ぶりで全線開通となった。
西の起点となる立野駅にも、沿線住民の喜びがあふれているようだ。

 

当日私たちを迎えてくれたのがこの列車、アニメのキャラクターで満艦飾状態。
この時何を表現しているか皆目わからなかった。

 

座席の背もたれもこの状態で、落ち着きのないこと甚だしい。
実は、このキャラクターたちが人気アニメ「ワンピース」の、主役達だとは、家に帰って調べてやっと理解できた。
時代遅れの爺にはちょっと違和感がある車内装飾。

 

それでもアニメキャラクターから少し目を逸らせば、こんなしっとり感も備えている。
超人気アニメ「ワンピース」の関係者並びにファンの皆様ごめんなさい。

 

南阿蘇鉄道立野駅を発車すると間もなく、いきなりこの光景が眼前に現れた。
一級河川白川に建設中の「立野ダム」で、令和5年中に完成予定だと紹介された。
JR沿線に隣接したダムは、あちこちダムカードを求めて旅するオイラだが初めてだ。

 

列車から眼下を流れる白川の清流を臨む。

 

山肌を突き抜くように姿を現す滝もある。
絶景の地に建設される立野ダム、景観だけは壊さないように願いたい。

 

反対側の車窓に目を転ずれば、こちらも深い谷間に架設された自動車道の橋脚が見える。
やはり熊本地震で落下した橋を、新しい場所に架け替えたものだ。

こうして熊本市と阿蘇地方を結ぶ、鉄路も自動車道路もめでたく復興した。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

阿佐海岸鉄道外伝

2023年07月13日 | 鉄印帳

世界初のDMVが運行される街:海陽町の売りはコレ方?

 

道の駅宍喰の傍らに著名人の碑があった。
ゴルフで一世を風靡した尾崎将司のものだ。
宍喰町(現海陽町)出身で不世出のプロゴルファーだ。(もっとも世界には羽ばたかなかったが)

 

尾崎将司、建夫、直道の3兄弟のメモリアルコーナー。
しかしながら将司の物ばかりで、建夫、直道の物は1点も無い。

 

もう一人、宍喰町出身の著名人は、プロ野球阪急ブレーブスの上田利治監督だ。
速球派下手投げの山田、技巧派下手投げの足立、剛速球の山口などを擁して、阪急の黄金時代を築いた監督だ。
梶本、米田も在籍しており、玄人受けのする球団だった。

 

道の駅にもこの看板があったが、地元民はどのくらい活用しているのだろうか。
オイラが乗車した往復2便では、地元客は僅かに1人だった。

 

地域の足としては路線バスの方が便利らしく、こちらは多くの方が利用している。

 

宿の部屋から臨む国道55号線は、四国88カ所詣りの遍路道でもある。
オイラの思考は遥か昔、2004年(平成16)へ遡る。
オイラは実に2006年、2011年と、合計3回四国遍路を歩いている。

 

遍路道脇に残る多角経営の、宿兼食堂。
2004年当時は、確かに営業していたはずだが、もはや廃業しているのは間違いない。
寂しい限り。

 

この街では、少し遍路道から脇にそれた旅籠にお世話になったことを思い出し、訪ねてみた。
こちらは今も現役で旅館を営んでいた。
なんだか、他人事ながらホット安堵する。

 

四国のバス停はこのような、長椅子を備えた大型な建物が結構多い。
これは、一夜の宿を求める遍路が休めるようにとの配慮から、このような形にしているとのこと。
最小限で雨・風を防ぎ、横になれるよう手摺の無い長椅子の形式になっいる。

 

さらに、畳める縁台と突き上げ雨戸を備えた、商店の跡も残っていた。

 

歩き遍路で一番気に掛かるのがトイレ。
コンビニがほとんど無かった、2004年当時の四国では、鉄道の駅に随分とお世話になったものだ。

 

地元の皆さんのDMV:阿佐海岸鉄道の利用状況を心配しながら、帰途につく。
牟岐線の車両にも、大々的にアピールされているが・・・

 

貴重なお土産がこれだ。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

阿佐海岸鉄道Ⅲ

2023年07月09日 | 鉄印帳

撮り鉄としては兎に角、鉄道部分の撮影は難関。

 

車内のバカデカい運賃表示版、なにせ全部で7駅しかないもんね。

 

駅名表示版はすべて、この色、この形。
阿佐海岸一の売り、サーフィンボードを象っているのだ。

 

海部駅には2020年まで運行していた、従来の列車が展示(放置)されていた。
だって、見学することは出来ないのだから・・・

 

列車部分は、阿波海南⇔海部⇔宍喰⇔甲浦(かんのうら)間のみ。
甲浦は高知県だ。

 

阿波海南駅で列車に変身したDMVは、バスに戻るため甲浦駅で再びモードチェンジ。
此処でも僅かな期待を持っていたが、モードチェンジは見学出来ず。

 

列車では想像できないような急坂を降って、一般道路に合流する。

 

ちょっと珍しい海の駅、「海の駅東洋町」停留所。
海水浴シーズン幕開け直後とあって、チラホラと海水浴客が見えた。

 

阿佐海岸鉄道全線。
道の駅宍喰温泉⇔海の駅東洋町⇔甲浦間はバス、甲浦⇔宍喰⇔海部⇔阿波海南間は列車、阿波海南⇔海南文化村間はバス。
DMV化して、バス部分の路線延長を計ったのだろうが、地元のお客様は僅か一人だった。

 

列車モードで走行中のDMV。
前輪部分が高く、やや前が持ち上がった格好で走行する。

 

後部の車輪の前にタイヤがあり、これがレールに動力を伝達して走る。
細いレールの上を、幅の広いタイヤで走行するので、タイヤのダメージが多そうで心配。

 

この赤色車両には坂本龍馬が描かれており、僅かに足を踏み入れる高知県に配慮したかな?
この車両は名付けて「阿佐維新号」だそうだ。

そしてもう一台、実際走行する場面は見られなかった。
青色にペイントされたのは、地元観光の目玉の「サーフィン号」
赤・青・緑のトリオで元気に運行中、阿佐海岸鉄道頑張れ!

 

阿佐海岸鉄道の鉄印だ。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

阿佐海岸鉄道Ⅱ

2023年07月07日 | 鉄印帳

阿佐海岸と言う地名があるのか知らないが、この地の観光資源はサーフィンと遍路文化かな。

 

JR牟岐線阿波海南駅から先も、鉄道レールは繋がっていた。
2020年8月、阿波海南駅から海部駅間が運行廃止となった。
廃止と同時にD・M・V(デュアル・モード・ビーグル)が運行するはずだったが、車両の開発が遅れて、運行開始は2021年12月にずれ込んだ。

 

世界初を謳う幟旗、もっと派手にアピールしているかと思ったが、ちょっと拍子抜けの感あり。
乗る前から、万年少年の夢は急激にしぼんでいく。

 

阿波海南駅前のモードチェンジゾーン(道路走行モードから列車走行モードに切り替える場所)
駅前広場に新たな線路を引き込んで、在来の線路へ合流させる仕組み。

 

この地味な立て看板が、世界初の乗り物の乗車場所表示。
これ以外に案内はなく、本当にバス(列車)来るのか心配になる。
だって、駅員など誰もいない無人駅だから・・・

 

時刻表をよく見てみると、3段階に分かれている。
青色表示が月・木・金、緑色表示が火・水、赤色表示が土・日である。
交通網が発達していない地域なので乗り遅れたら大変、間違いのないよう確認が必要だ。

 

阿佐海岸鉄道、阿波海南駅前風景。
世界初の乗り物運行中の表示など何処にもない。

 

やってきましたDMV車両、バスモードで阿波海南駅に到着。
グリーンのボディにオレンジの模様は、徳島の特産品「スダチ」の表示。
敢えて会社では「スダチ号」と称してはいないようだ。

オイラはスダチ大好き! ほとんど1年中切らすことなく愛用している。

 

後ろからも入念に観察するが、どう見ても只のマイクロバスにしか見えない。

 

客室内もこの通り、マイクロバスそのものだ。

 

コクピットはなんだか複雑な様相を見せる。

この後、バスから列車へモードチェンジが行われたが、乗客にその様子は公開されなかった。
一番楽しみにしていたのに残念、変身時間はわずか30秒ほどで終わった。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

阿佐海岸鉄道

2023年07月06日 | 鉄印帳

阿佐海岸鉄道と聞いて即、何県を走っている路線か分かる人はまれではないか。

 

どんより曇って、けだるい風情の瀬戸内海を列車で渡る。
線状降水帯の通過が心配される徳島県への旅。

 

山陽新幹線「さくら」から、岡山で瀬戸大橋線「マリンライナー」に乗り換え、高松では高徳線「うずしお」に乗り換え、徳島まで二度の乗り換えがある。
それにしても鳴門行ではないのに「うずしお」って列車名は、ちょっと違和感。

 

高松駅を発車して間無しにこの看板。
源平合戦、屋島古戦場跡を案内している。
昭和ムード満載で懐かしい。

 

続いて、この駅は四国八十八カ所巡り、1番札所霊山寺最寄り駅。
平成18年、一回目の歩き遍路で降り立ったのが、昨日のことのように思い出される。

 

徳島でさらに牟岐線に乗り換えて、阿波海南駅まで行く。
徳島⇔阿波海南間は一日6便しかない。
徳島県南部への旅は、結構陸の孤島感ありありだ。

 

徳島駅から28番目が終点の阿波海南駅だ。
因みに料金表最後の「海部駅」は既に廃線で繋がっていない。
海部駅は現在「阿佐海岸鉄道」の駅として存在する。

 

この表示通り、JR四国牟岐線の終点は阿波海南駅。

 

さぁ~、お目当ての阿佐海岸鉄道の乗り場へ急ぐ。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

智頭急行

2023年04月04日 | 鉄印帳

鉄印帳の旅も終盤戦に入った。

 

兵庫県上郡駅から岡山県を経由して、鳥取県智頭駅まで…
前回も乗車したのだが、不覚にも鉄印帳不携帯で、押印出来なかった。
鉄印帳が始まってから2度目の乗車。

 

上郡駅に待機していたのはこの列車だったが・・・

 

実際に乗ったのはJR西日本が智頭線を経由して運行する、京都⇔鳥取(倉吉)間の特急はくと号。

それでも乗車券は、智頭急行区間を別途購入して乗車。

 

地味な装飾で、ディスプレイも控えめな車両。

 

ホームの駅名表示も、これぞ第三セクターの風がふんぷん。

 

智頭急行の鉄印。

 

このカードも一緒にくれました。

鉄印帳の旅も残すところ、あと三線となった。
昨夏、DMV  で運行を再開した「阿佐海岸鉄道」、熊本地震で一部運航休止中の「南阿蘇鉄道」と「くま川鉄道」

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

伊勢鉄道

2022年12月05日 | 鉄印帳

名古屋駅から関西本線に乗ってアプローチ。

鳥取和牛とズワイガニの、でっかい看板が目立ちますが、此処は鳥取駅ではありません。
肩身狭くなっていますが、左側の小さな看板をよく見ると名古屋名物:みそかつです。
名古屋駅のコンコースを鳥取名産が占拠していました。

 

第三セクター「伊勢鉄道」、鉄旅の時もわかり難い鉄道だなぁと思っていた路線。
名古屋駅から関西本線に乗り込み、伊勢鉄道起点の河原田駅を目指します。

 

これが伊勢鉄道の起点である河原田駅。
伊勢鉄道を通って、津、松阪方面の列車もありますが、JRの列車の為乗り換えます。

 

本当に駅があるの?と思われるような地下道を潜ります。
前に乗客らしい人がいますので、この道で大丈夫でしょう。

 

ホームがありました。伊勢鉄道の列車がすでに入線しています。
数人の乗客は全員旅人風、地元のお客様らしい人は見かけません。

 

駅には路線図がありませんので列車内で撮影しましたが、失敗でした。

河原田⇒鈴鹿⇒玉垣⇒すずかサーキット稲生⇒徳田⇒中瀬古⇒伊勢上野⇒河芸⇒東一身田⇒津の10駅

 

沿線の売りは唯一無二、F1が爆走する「鈴鹿サーキット」です。

 

鈴鹿駅のお飾りもこの程度。

 

それでもJRの快速や特急が走るので、ほとんどの区間が高架でした。

 

鈴鹿駅前の案内板、これはいただけません、植木が邪魔して役目を果たしていません。

 

なんとも得体の知れない「伊勢鉄道」でした。

鉄印もこの通り、怪しげなものでした。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北越急行

2022年11月26日 | 鉄印帳

続いては新潟県の海岸線と山側を繋ぐ役割を持つ、北越急行にアタック。

 

奥州の懐深くから新潟へは、もっと簡単に行けそうなものだが意外に不便だ。
山形新幹線から東北新幹線と乗り継いでで大宮まで戻り、あらためて上越新幹線で越後湯沢へ向かう。
大宮駅で懐かしいものを発見、現在も使われているなら嬉しかったが、どうもそうではないようだ。

 

乗換駅の越後湯沢駅周辺では異様な光景が待っていた。
駅直近にスキーゲレンデがあることは知っていたが、スキーリフトの合間に巨大なマンションやホテルが林立している。
そして目を背けたくなるような、高層建築物の廃墟もそこかしこに散見される。
栄枯盛衰、どちらが真の姿なのだろうか?

 

越後湯沢駅から洒落たデザインの越後急行乗り換える。

 

実際の北越急行は、六日町駅⇔犀潟(さいがた)駅間12駅だが、多くの便が越後湯沢駅⇔直江津駅まで運行しており、海岸線と内陸部を繋ぐ役割を果たしている。

 

愛称は「ほくほく線」、多くの乗客が利用し、収益もホクホクなら良いのだが・・・

 

沿線は山どこまでも青く、豊かなコメどころが果てしなく続いている。

 

水清く滔々と流れる信濃川、流域に豊かな実りをもたらしているのだ。

 

間もなく到来する豪雪に備えて、準備はおさおさ怠りなし。
樹木、仏像などありとあらゆるものに、雪除けが施されていた。

 

すごい! 真夏の夜空を彩る主役が此処にひっそりと出番を待っている。

 

此処にもあった。
北越急行十日町駅と併設された十日町市役所。
この地は、十日町市になるんだね。

 

その場で手書きされた鉄印、梵字で北越急行だそうだ。
手書きの鉄印から、まつ子先生に書いて頂いた、秋田県の「由利高原鉄道」を思い出した。

やっぱり書置きしたものより、手書きの鉄印はありがたみが違う。
感謝!

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする