鉄印帳収集の最終コーナー、くま川鉄道のあさぎり駅を列車は出発した。
最初は「東免田駅」に停車、東免田駅があるのであれば、当然免田駅があるはずだ。
これは前にも述べた通りで町村合併により、免田町があさぎり町と町名が変更になったため、併せて駅名も「あさぎり」駅と変更されたのだろう。
平坦な田園地帯を走行するのだが、場所によっては立木が今にも行く手を塞がんばかり。
民家か鉄道会社か、どちらのの所有物。
さらに次の「公立病院前」駅は田んぼのど真ん中にあり、公立病院と思しき建物は遥か彼方に見えた。
病院通いのお客様もなく、列車は淡々と先へ進む。
線路脇に彼岸花、刈入れ前の稲穂、野菜つくりの温床、酪農用の飼料が一帯に広がる長閑な田園風景。
しばらくすると、ちょっと人家の集積した場所に停車した。
多良木駅だが、ここでも乗降客の影はなし。
多良木駅改札の横に、近くの恵比寿神社の「出前おみくじ箱」が設置されていた。
九州内陸のど真ん中、海からは限りなく遠いが大きな鯛を抱えたえびす様。
こりゃぁ相当なご利益があるじゃろう。
さらに進んで「東多良木駅」、風雪に耐える傷んだ駅舎が痛々しい。
そして途中乗車のお客様がいた。
新鶴羽駅は終点一駅前の停車場、地域の学生さんの利用を見て、なんだかほっと一息。
そして終点「湯前駅」、左側はコンクリート作りの一般的なフォームがある。
右側には向かいの材木店の提供か?ウッドデッキの広場がある。
背景は雄大な九州の背骨が控える。
国鉄湯前線時代は多くの乗降客があったのだろう。
古い駅舎が立派な体を持て余しているよう。
くま川鉄道の終着駅、湯前駅前のロータリーがお出迎えです。
令和2年8月、山口県の「錦川鉄道」を皮切りに始めた鉄印帳の旅。
令和5年9月、熊本県の「くま川鉄道」で、全40社の路線を踏破し結願。
次は何を目指そうか、御陵印かな?