消費税は上げたいようです、どぜう首相は。「財務省の言いなりだ」とは批判する側の常套句ですが、税収が足りないんだから増税するってのはわかり易いって言えばわかり易いですわね。税収に倍する支出を繰り返して行けば赤字の膨れ上がるはこれ子供でもわかる理屈ですから。だから支出を削ろうとやったのが小泉さんだったわけでした。プライマリーバランスの是正!と横文字好きの竹中さんがよく叫んでました。成功したのか失敗したのか。格差社会を作りあげた、労働者の切り捨てを助長した、規制緩和が日本の産業構造を壊したという評価が強いですか。きっとこういう時の批判者の比較対象は一億総中流と呼ばれた、総貧乏から脱却できて行った右肩上がりのあの時代でしょう。でもあの時代は一億総貧乏が出発点だったんですね、この違いは甚大浩大です。働け働けという掛け声に多くの人が従った、それはそれ以外の選択肢や情報がなかったからという切り方ができましょう。そして教育の成果です、私達の親の世代と私達の受けた教育は全く違いましょう、私達の子たちが受けたものも私達のものとは違う筈です、曰く公意識を剥がし取ってペラペラの個人主義を高位に置く教育。自分の好きにしたらいいのだという間違った「自由」の蔓延。公平平等教育の偏狭ぶり。坂の上の雲ではないですが、国民が皆で働けた、見返りの実感があった時代です。それは、くどいですが、情報が限られていて、お上(この意識が日本人は強いと言われてますが、情報を与えなければそうなるわけですね。封建時代の士農工商制度も統治の一方策であったわけです、お前はグジャグジャ言わずに親の仕事を継げばいいのだ決めつける。それ以外に選択肢がないという仕組みです。お前は俺の言うことを聞いておけばいいんだという大前提です)に従うという教育を受けていた人達ばかりだったからです。今の世の中、そうはいきません。だから昔と、一億総中流時代と比べるは無茶です、二度とあんな時代は来ません。資本主義が成熟する過程で、規制で守られながら一時的に繁栄を見た社会主義社会であったわけですから。国営企業が厳として存在し(国鉄、郵便局、電電公社、塩の専売等々)、規制で守られながら民間大企業が伸びて行く、その下に下請け中小企業がぶら下がる、曰く護送船団方式。マルクス史観を援用するつもりはありませんが、資本主義の成熟過程としての必然だったのだろうと思えますし、壊れるべくして壊れた(風船のように)のでしょう。そこでやっと小泉さんの登場だったわけですが、5年でも道筋がつけられなかったことでした。で、支出は削り切れぬし、山と積み上がった借金を何とか返しにかかるべく、税収を増やしましょうという話です。が、何と言っても現在の日本は長きに亘る不景気です、大デフレ状態です。内需内需と言ってますが、給料が上がらないから消費の意欲が湧きませんわ。金が世間に(を)回ってないんですね、止まってる。金は天下の回りもの、です。給料もらってあれこれ買ってどんどん金が回っていく、それが好景気です、経済学の基本なんでしょう?給料上がらない所へ持ってきて税金ふやしてさらに毟り取る。またまた品物が売れない、安売りするしかない、安売りできない町の商店街が潰れて行く、企業も儲からない、すると給料に跳ね返るの悪循環、いわゆるデフレスパイラル。90年代を失われた10年なんて呼びますが、もう20年経ってるんですよ、デフレ状態が、不景気が。どうなんでしょうねぇ。この時期に増税ってのは正しい選択なんでしょうか。素人考えでも違うんじゃないかと思いますがね。いかがですか。
ブータン国王がえらく人気です。あのホスト顔が受けているのか、奥さんの楚々さが好印象なのか。いや、あの振舞いなり国の経済成長より国民の幸福度を優先しているという特異さ(あまりに日本と違うからです)が日本人の優越感をくすぐってるんですね。そういうやりかたもあるんでしょうねぇ、という上から目線です。で、例によってマスコミが大絶賛します。こんな美味しい話題はないですよ、TPPじゃデフレじゃで苦しんでいる日本を他人事のように小馬鹿にできる格好の画材です。幸福度なんて今の日本人に一番遠い感覚でしょうからね。貧しくても幸せなのよね、と懐手で頷いてます、多くの日本人は。昔の道徳の本に出てくるような話です、誰にも否定できない批判できない、光り輝くお手本話です。そして偽善の塊のマスコミは手放しです。雨の金閣寺参詣場面、住職に傘を差し掛ける場面を何度も流して、ブータンの人達は皆優しいんだと専門家がしたり顔で言い、この国王の気遣いを褒めてます。おいおい、あれだけ雨が降っていて、傘を係員がとっぱらったら、傍にいる者なら普通は傘をさしかけましょうに。他の元首国王はどんなに横柄傲慢なんじゃい?相手を濡れるがままにしているほうがおかしいだろうし、そっちの方が大問題になります、そのくらいのことはこの辺りの人間は十分心得てますよ、TVカメラの向こう側を。ま、余程の奴(バカとか気の利かぬとか危ないとか)じゃなければ普通にやるであろう行為をあれだけ褒めてもらえるは、この国王様の仁徳なのではありましょう。このお二人に何の咎もありませんが、しかしこのマスコミのベタベタの偽善にはほとほと嫌気がさします。ですよね。
ブータン国王がえらく人気です。あのホスト顔が受けているのか、奥さんの楚々さが好印象なのか。いや、あの振舞いなり国の経済成長より国民の幸福度を優先しているという特異さ(あまりに日本と違うからです)が日本人の優越感をくすぐってるんですね。そういうやりかたもあるんでしょうねぇ、という上から目線です。で、例によってマスコミが大絶賛します。こんな美味しい話題はないですよ、TPPじゃデフレじゃで苦しんでいる日本を他人事のように小馬鹿にできる格好の画材です。幸福度なんて今の日本人に一番遠い感覚でしょうからね。貧しくても幸せなのよね、と懐手で頷いてます、多くの日本人は。昔の道徳の本に出てくるような話です、誰にも否定できない批判できない、光り輝くお手本話です。そして偽善の塊のマスコミは手放しです。雨の金閣寺参詣場面、住職に傘を差し掛ける場面を何度も流して、ブータンの人達は皆優しいんだと専門家がしたり顔で言い、この国王の気遣いを褒めてます。おいおい、あれだけ雨が降っていて、傘を係員がとっぱらったら、傍にいる者なら普通は傘をさしかけましょうに。他の元首国王はどんなに横柄傲慢なんじゃい?相手を濡れるがままにしているほうがおかしいだろうし、そっちの方が大問題になります、そのくらいのことはこの辺りの人間は十分心得てますよ、TVカメラの向こう側を。ま、余程の奴(バカとか気の利かぬとか危ないとか)じゃなければ普通にやるであろう行為をあれだけ褒めてもらえるは、この国王様の仁徳なのではありましょう。このお二人に何の咎もありませんが、しかしこのマスコミのベタベタの偽善にはほとほと嫌気がさします。ですよね。