柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

惹句

2011-11-04 08:19:24 | Weblog
脱原発なのか脱原発依存なのか。レトリカルに対置し易いこのキャッチフレーズだけで話が終わっている、思考停止しているのが現状でしょう。その先どうするのかとか、今をどう凌ぐのかとかの論議が閑却されています。マスコミも飽きてきてる。日本人は忘れっぽい民族だとはよく言われることですが(そうやって(忘れて)いちいち拘泥せずに次に向かって来たのだとか色々言い訳もあるのでしょうが)、マスコミが飽きっぽい、政治家達が言い続けない、言葉を発しないことが原因でしょうね。もちろん彼らも日本人ですからそういう性質でいいわけです、国民を越える政治家は出ないのですから。でも、この性癖の欠点は歴史上明らかなのです、きちんと反省しない、ズルズルで済ませてしまう、その時はその場にいる者達がすっかりいなくなる(辞任なり更迭なりで)けれど次にその地位に居並ぶ連中もまた同じことを繰り返す。月刊誌WiLLの今月号で田原総一朗が寄稿してます、珍しく真っ当な論をぶってます。大体にして、このきつく右寄りの雑誌にこの人の文が載ること自体が面白いことですが、十分に「正論」です。脱原発論者のイデオロギーを突きます。原発事故は人類に操作制御することが不可能だから起きたのだという主張は正しいのかと言います。こういう論はよく聞きますね。ヒステリックな叫び声に聞こえることが多いです。目に見えない、臭いもない、処理もできない、そんなものを扱うことが間違ってるという説です。でもそういう所こそ今後の技術進歩で何とかなる事じゃないんですかね。ロボット使うとか、色や匂いをつける技術とか。彼らの言う心配こそは技術で何とかなるんだろうと思うことでした。田原さん、日曜のTVから降りて久しく、当地のような鄙では顔を見る機会がうんと減りましたが、いいこと言ってますよ。是非ご一読を。知識の整理にも役立ちますよ。
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする