柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

贔屓

2017-08-20 10:52:50 | Weblog
甲子園佳境です。昔から準々決勝が一番面白いと言いますね、一日4試合あること、強いチーム同士の対戦であることが理由です。日程の余裕のあるなしで決まるのかもしれませんが、準々決勝を二日に分けてたことありませんでしたか。選手の疲労、特に投手の連投を避ける目的ですもちろん。今回は一日4試合、今日です、楽しんで見てます。随所に甲子園らしさが出て、昔からのファンはこれが醍醐味なのです。準々決勝の時点で一大会本塁打数が大会記録を越えて、一試合に満塁本塁打が二本も出るなど「らしくない」点も多いのですが、伝統は引き継がれます。まず判官贔屓。観客だけでなく実況(NHK)も十分に傾きます。大差で負けてるチームの攻勢に大きな拍手が湧く、やっとの一点に大歓声が送られる。負けたチームの一礼に勝者に負けぬ拍手が起こる。この空気が好きで私たちは見ているのです。雰囲気というかこれが甲子園の(あなたの学校の運動会などでも同じことですが)お決まり事ではあるのですが、敗者を讃えるとかそんな大仰ではなく、負けるな!という思い。そして大差で負けてるチームが最終回に送り出してくる控え選手達。地方大会でも立ったことのない打席に立つ彼らの心中は察するに余りあります。甲子園を経験してこい、と監督の温情なのです、彼らも晴れがましく思い出て行くのでしょうが、多くは三振です。とても切なくなります。運動部の実力差は残酷です、レギュラーと控えの差はとても大きいのです、それを一番知ってるのは補欠の当人達。多くの者は自分が出て行っても代わりをできぬことを知っている(だから試合に出られないのです)。あそこで出て行って三振して終わる事の情けなさはさぞや辛かろうと思うのです。周りが温情と見ているから余計に、です。いえ、私が勝手にそう思っているだけです、私が野球ではなかったですが運動部でそういう立場にいた時の思いがまざまざと蘇るわけでした。レギュラー達がいて、ベンチ入りするできないの差が次にあって、あの厳しい較差が運動部なのです、学生スポーツの残酷さです、皆その場にいなければならぬ厳しさ。ファールボールを追いかける、別個の帽子をかぶり別のいでたちのボールボーイがそれぞれのチームの野球部員だと知った時はへぇ可哀想にと思ったものですが、実際はあの役も彼らには嬉しいことなのだそうです。そこまで外野のオヤジが口を挟むことではありません。が、だから普段に湧かない涙もあふれてくるのです。純粋だからどうこうではなく(今時の高校生が、違うでしょう?)、判官贔屓という思いに見ている者全員が包まれる、これを見たいのですね昔からのファンは。もう一つは信じられないような逆転劇や昨日大阪桐蔭が涙を呑んだ、ええ?のプレー。今は四方八方からカメラが見てますから審判も大変です、裁量なんてのが通用しません。高校野球にはさずがにまだビデオ判定はないのでしょうが、あれだけ「監視」されてると・・。でも高校野球とそれ以外の野球の違いですね。もちろん勝ち負けなんです、どのチームも全国制覇が目標と平気で言から。でも実力差は歴然たるもの、勝つべきチームが勝ち上がる。田舎の子然としたチームが少なくなってきたから余計に判官贔屓は昂じて行きます、それが見ている者達の銘々の故郷意識、同郷意識をなお一層刺激する。こういうのをプチナショナリズムなんて呼んで排除する向きがいますが、どうにも根なし草指向には閉口しますわ。甲子園の魅力は堂々と判官贔屓できることと同郷意識の再認識です。大分明豊が常連の天理に負けそうです。夏は過ぎて行きます。
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