宮崎県、裏金がずるずるずるずる見つかってます。小役人達のしそうなことと言えばそれだけのことですが、文房具代などをちょろまかして他のモノを買うなんてまったくケチな根性。知事が1月就任時に裏金はありませんか?と控えめに下からなめ上げるような目つきで訓示を垂れる場面が全国に放映されましたからね、5月になって一つばれたら芋蔓のように自己申告が相次いでいるという、典型的な「みんなで渡れば怖くない」押し並び横並び至上の役人体質。宮崎だけじゃないことは十分分かっています。役人がそういう体質じゃないと、他の業務に支障を来すであろうこともわかります。私が(あなたが)役人であってもきっと同じことをしていたでしょう、それも十分に予想されることです。でも、この腹立たしさは何ですかね。自分と役人とを差別して考えているという証拠ですが、どっちを上にして考えているんでしょうね。
毎日新聞に、どこかの大学教授が現在の診療体制に必要な医師数を調べて(アンケート採っただけですよ、自分の足で調べたんじゃないんです)、それと現在の医師数とを比べたら4万人足りなかったという記事です。それをこう言います、常勤医だけで現在の診療体制を維持するには4万人足りない、日本は大幅な医師不足状態を放置してきていると。ったく、学者馬鹿が。あれだけ医学部を増やして医者をどんどん増やしてきた今までの経緯はどうなったんですか、結果粗製濫造の誹りを受けている状況はどうなったんですかね。大病院から医者が逃げているだけです。常勤医だけで、なんて前提自体が間違っています。どんな僻地の病院も常勤医で賄わなければならないという必然がそもそもありません、そういう前提が間違っています。現に今までは、大学病院が医者の供給源としてちゃんと機能して、僻地の医療はちゃんと保たれていたんです。どうして総数の問題にすり替えますかね。医者は余っているんですよ。周りを見てご覧なさい、開業医の多いこと多いこと。わかってやってますからねこの連中は、狡いというか悪質というか。総数の問題ではありません、分配の問題です。4万人足りないのではありません、日本の医療行政が全国きめ細やかに医療を届けている証拠です。分配間違えなんです。どうしてそこをグサッと刺さないですかねぇ。
毎日新聞に、どこかの大学教授が現在の診療体制に必要な医師数を調べて(アンケート採っただけですよ、自分の足で調べたんじゃないんです)、それと現在の医師数とを比べたら4万人足りなかったという記事です。それをこう言います、常勤医だけで現在の診療体制を維持するには4万人足りない、日本は大幅な医師不足状態を放置してきていると。ったく、学者馬鹿が。あれだけ医学部を増やして医者をどんどん増やしてきた今までの経緯はどうなったんですか、結果粗製濫造の誹りを受けている状況はどうなったんですかね。大病院から医者が逃げているだけです。常勤医だけで、なんて前提自体が間違っています。どんな僻地の病院も常勤医で賄わなければならないという必然がそもそもありません、そういう前提が間違っています。現に今までは、大学病院が医者の供給源としてちゃんと機能して、僻地の医療はちゃんと保たれていたんです。どうして総数の問題にすり替えますかね。医者は余っているんですよ。周りを見てご覧なさい、開業医の多いこと多いこと。わかってやってますからねこの連中は、狡いというか悪質というか。総数の問題ではありません、分配の問題です。4万人足りないのではありません、日本の医療行政が全国きめ細やかに医療を届けている証拠です。分配間違えなんです。どうしてそこをグサッと刺さないですかねぇ。
医師の意識がPONRを越えると「access、cost、quallity」三条件の成立は不可能になります。日本の医師数は厚生労働省がいかに強弁しようがaccessを充足させる数は物理的に存在しません。存在しないにも関わらず、これまでなんとかカバーしてきた幻想を、国も、厚生労働省も、国民も未だに抱き続けています。過去の奇跡の原動力を修復不能なまでに破壊しておきながらそれを求めます。これが現状かと考えます。
http://d.hatena.ne.jp/Yosyan/20070605
「新小児科医のつぶやき」から一部引用です。このブログの他のコンテンツも良くお読みになり、今我々患者側が置かれている現状とこれから降りかかるだろう事について、深く考察してください。残念ながら現状認識が甘いと思います。
分配がうまくいっていません。その通りです。
ところで古来、記録に残っているどの飢饉でも、人口に対する食べ物の総量が、決定的に不足したことは一度もありません。
江戸時代の大飢饉の際、東北では餓死者が続出しましたが、三都では人々は飽食し、米は酒の醸造に廻されました。分配をうまくすれば不作はあっても飢饉は起きずにすんだのです(上杉鷹山は早くからそれを気づき、自領に餓死者を出しませんでした)。
戦中戦後の食糧難も、実質は流通機構の壊滅による分配難でありました。
さて、総数では確かに足りている医師を、どうやって上手に分配しましょうかね。モノではない人、ですよ。住居も家庭も現在の仕事もある人を、ですよ。
まあ毛沢東とかポルポトとか、似たような実験はありましたけどね。
ところで「書き散らし」なら「お目汚し」でなければ平仄はあいませぬよ。
医療崩壊でよく言われるフレーズですが、すでに崩壊をくい止めることは出来なくなったという意味です。ずいぶん前から医師たちはネットで警告を出していました。が、誰も気に留めなかったのですがね。1年前までなら何とかなったかもしれないのですが…
奴隷医療礼賛洗脳教育システム とは、新研修医制度が出来る前までの医師教育システムを指しています。
まず、医師数ですが、元々医師は足りていなかったのです。毎年毎年4万人程度は医師数が足りなかったのです。
ですから、医師たちは教育の段階から大学医学部の医局に所属することを前提に、連続当直当たり前、激務をこなし・技量を磨く、医療の職人たることを教え込まれてきました。
ちなみに、当直とは、朝8時半から翌晩の8時までほとんど寝ないで治療・手術・処置する36時間勤務のことを言います。医師たちには時間外手当は付いていないことが多かったようです。
10年ほど前までは、40代のベテランともなると過酷な当直勤務も月に4回あるかないかで、30代までの激務は若干緩和されていたようです。まぁ、手術ともなると深夜まで病院に留まることも頻繁だったでしょうから、激務だったでしょうけれど。
研修医や若手の医師たちは、指導医である上の医師たちから非常に厳しく現場で指導を受けながら、「これが医師の当たり前の姿」と叩き込まれていたのです。そういえば過労死の認定を裁判で勝ち取った研修医の遺族の方もみえましたね。
そして、多くの医師たちは、家庭を顧みる暇などなく「今俺が倒れたらこの患者さん達を誰が診るんだ!」という思いに突き動かされながら、患者さん達の感謝の言葉を励みに働いていたのです。
もちろん、当時ですら現状認識の出来ない厚生省や行政に対しての不満は沢山抱えていたでしょうが、それ以上に「今俺が倒れたら…」という思いが増さっていたのだと思われます。
まだ当時は今ほど夜間の救急外来をコンビニのように使う患者さんはいなかったようですから、まぁなんとか保ったのでしょう。今の30代後半~40代以上の医師たちは、そういう意識を持ち続けていたのです。
しかし、日本の医師たちは全体的に見て、かな~り頑張って医療現場に立っているのです。この事実を忘れないでください。
さて、私は医師数が昔から4万人程度少なかったのだといいました。そして、-4万人ということ・「俺が診なければ…」といった医師の思いを、厚生省・厚生労働省は前提として、今の医療制度の財源面をも組み立てていたように思います。
安いコストで、フリーアクセスで、クオリティーも高めて…… これはいったい誰が頑張ったから出来たのでしょう。アメリカでは貧乏人はまともに医療にありつけなかったり、限られた治療法しか受けられない… それに比べたら日本に生まれて、日本人は幸せだったのです。
さて、人の意識というものは時代によって変化していきます。ここ数年、人々の意識は変わってきました。街に出るとギスギスした感じを受けるようになりました。そしてこれは、医療現場にも起きてきました。
医療の発展により、専門性も高くなりました。つまり、たとえば内科の中にも色々な専門分野が出来てきたのです。
ということは、内科だけでも専門分野が幾つも出来てきたわけですから、医師の数も専門分野の増えた分だけ必要になってきたのです。
医師の総数は限られていますから、各専門の医師数は少なくなります。夜間の当直にまで、各科の専門医を配置できるわけなどありません。そして、大抵の病院では、昔ながらに当直医は1人か2人しか置けなかったのです。人が足りないから。
そして、国民もそれをダイレクトに専門医の元に集まるという形で歓迎しました。開業医を経ず、いきなり基幹病院に集まるようになったのです。そして、それは夜間の救急指定病院にも起きました。「専門医を出せ!」と、大勢の患者が押し寄せてきたのです。
そして国民は、医療に期待しているがためにその裏返してして、医療が自分を裏切ったと感じたとき、手酷く叩くことをするようになりました。やって当たり前、感謝などもってのほかと。
人間誰しも自分の能力の限界ギリギリで何年も毎日毎日働き続けることは出来ません。自分の置かれている立場に疑問を保つようになります。
そして、36時間連続勤務の当直が、それまでこなしてきた勤務実態が、守られて当たり前の労働基準法に完全に違反していること、国も行政も、国民も、医師が労働基準法無視で働いて当たり前だと思っている現実、これに気づいてしまったのです。
「俺らのやっている事って、まるで奴隷じゃないか」
「国も行政も国民も、医師は奴隷でイイと思っているんだな」と。
それが一人や2人ではなく、日本全国の医師に広がりはじめてきたのです。
訴訟・刑事訴追・医師叩き、医師たちの心意気を潰すに申し分ないだけ揃ってきました。
全国の医師たちは、それでも「俺が倒れたら…」という思いを捨てきれず、今それでも何とかならないかと模索したり、あきらめたり、やけになったりしているのです。
平仄違いの不細工、指摘されるまで気づいていませんでした。何か思いがあってああ書いたのかもしれないのですが、忘れました。いずれ不具合には違いありません。自戒の意味を込めて訂正せずに置きます。有難うございました。
どんな職業につかれた方でも、いい仕事ができる方はもちろん「使命感」をもって仕事に臨んでいらっしゃるとは思いますが、「先生」と呼ばれる方は特にその姿勢で仕事に取り組んでいただきたい。学校の先生もそうです。人の命や教育に関わる人は「寝んでも」やって欲しい。自分の命をかけてやって欲しい。それができないのなら、お医者さんや学校の先生にはならないで欲しい。
患者や生徒の奴隷になる必要はありません。
きちんとした姿勢で患者や生徒に向き合えば、おのずと意は通ずるものだと思います。それでも通じなければ怒鳴ればいいではありませんか。昔は「聖職」と言われた職に付く人にはそれなりの覚悟と姿勢を強要します。
使命感を持っているからこそ、今でもこのレベルで維持されているんだと思いますよ。他の国なら間違いなくとっくの昔に崩壊しているでしょうね。日本の医師の倫理観は高いと思いますよ。
>昔は「聖職」と言われた職に付く人にはそれなりの覚悟と姿勢を強要します。
昔は「聖職」といわれた人に対して国民は敬意を払っていましたが、なにか?
理屈を理解する能力がないのにどうして書き込もうとするのかな?