柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

蔓延

2014-08-13 08:16:13 | Weblog
エボラ出血熱感染が世界に蔓延しそうです。WHOのあのおばちゃん、確か新型インフルエンザが拡がったときにも登場してましたね。今回は致死率の高い感染症ですから話しぶりも重々しい気がしますが、言うところの後進国(アフリカ)に拡がって、ヨーロッパにも伝わりつつあるという話です。逃げ帰ったり連れて帰ったりすることで拡がるんでしょうね。ものものしく報道してましたね、アメリカに連れ帰る報道でした。封じ込めるなら動かさぬが原則でしょうにね。医療環境は文字通り雲泥の差でしょう。から本人やその家族は帰りたいでしょう、国としても威信があります体面があります、医療の足りぬところで自国民をミスミス死なせるわけにはいきません。から、連れて帰ります、防疫態勢をこれでもかと示しながら。ヨーロッパも同じことです、先進国の威信をかけてです。でもそこで拡がったのでは感染症対策のイロハが問われませんか。先の新型インフルエンザの時のあの大騒ぎを思い出してもらいたいですが、水際作戦と称して空港や各保健所で「入る」を防ぐ手立てを講じましたが、全くの無効でした。地域内での人の出入りにも注意してましたが、一旦内に入れると後は拡がるだけです。そういう経験でしたね。風邪に毛が生えたような軽い症状でしたから、どんな医療行政上の失敗も笑い話でしたが、今回は死んでしまいますからね。が、感染拡大するだけで欧米では死者が出ぬとなればそんな致死的な恐怖ではないことになりますから、拡散して薄まっていく(終息する)のを待つばかりです。感染症対策として評価するにあれこれポイントがあるのでしょうが、ちょうど今朝のNHKの朝ドラで大正時代の設定、小児が疫痢で亡くなるシーンをやってましたが、中世期のペストや1900年代初頭のスペイン風邪等の感染症の猛威(高い致死率)は現在の医療環境と大きく違うことがその理由です。感染の仕方、拡がり方は当時と現代と違わないことでしょうが、点滴や抗生物質などの薬剤の発達、なかでも点滴補液がどんな末端施設でもできることが当時との大きな違いです、が救命率を上げています。感染症そのものが命を奪うというのは実は少なくて(心臓や肝臓やどこかの臓器を傷めるという特徴がなければ、免疫反応を過剰に惹起するという病原性の強さがなければ)、高熱や下痢、嘔吐による体力減退、脱水状態から二次的に引き起こされる多臓器不全がその死因です、ですから早めに点滴補液して対症的に応じて体力を保持すれば死亡率は下がるのです。ついこの前、昭和30年代までは感染症が死亡率を大きく上げていました、結核を筆頭に赤痢、疫痢、腸チフス、パラチフス、猩紅熱等々。抗生物質の登場を待って云々のストーリーに帰結して行くのですが、医療環境の整備(病院での入院加療の普遍化、そして点滴加療の一般化です)も大きい要素です。それがないのがアフリカです。感染の終息がもちろん喫緊の課題でしょうが、(先進国では)死ななくていい人が死んでいくわけです。死人が1000人を越えたとTVは煽情的に報道してますが、感染症の強さではなくきっと医療環境の不備不十分さに負うところが大きい筈です。そしてもう一つ、日本に来ても医療状態がいいから大丈夫だろうというこれまた安直安易な誰か医療関係者か厚生役人かのコメントを紹介してますが、来たら来たでテーブルひっくり返すような非難批判大騒ぎするくせに、マスコミってのは本当にマッチポンプ野郎どもです。世界への蔓延を危惧しながら、感染の場から感染者をどんどん世界中に撒き散らかしているのが現状です。人の世の、人の住む世界の凸凹さを均すことが正しい行為なのでしょうかね。正義の味方の多いことは十分認めますし、私如き凡人には思いもよらぬ博愛慈愛に満ちた本物の聖人達が世界の端々で生きておられること垣間見ておることですが、この凸凹ばかりはどうにもならぬことともいつも思ってます。
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