柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

言葉

2013-06-20 08:26:15 | Weblog
福島の原発事故で死亡例はないと発言した廉で高市トンガリ政調会長が謝罪して撤回してます。もちろん前後の文脈が無視されるいつもの切り取り報道です、報道されてるような無茶な内容じゃないだろうくらい皆わかってます。昔の東海村の被曝事故のように被曝が直接の原因で早々に亡くなってしまうことを彼女は指していたのです。原爆での死亡例の検討のように、ABCCが内部被曝例をカウントしなかったように、被曝して全身火傷したとか骨髄抑制されたとかそういう直接因で亡くなった人はいないという意味です。それを皆わかっていて、避難先で亡くなった人、将来をはかなんで自殺した人が、十、百じゃなくて千の単位でいるのにそういう物言いだ?と噛みつきます。福島の自民党県連からも抗議です。ううむ。そういうすり替えはどうかなと、冷静に考えます。将来のエネルギー問題としての原発論と今次の原発事故への対応反省とは本来別物ですね。もちろん繋がりますよ、安全策の構築は失敗例への反省対応によって積み上げられるものです。あの大惨事を失敗だぁ?とまた噛みつかれそうですが、そこは置いて下さい。政治家は言葉が命です、そこへの配慮の欠如はまことに咎められるべきです、日経コラム子は政治家としての資質を問うています。政治家は本音で喋っちゃならぬ、あくまで建前を理想を語るべきなのだ、と新潮45に多くの論文が載ってます、橋下発言を非難しての特集ですが。そういうことではあります。言葉の不適切が全てです。原発論はしかしきちんとなされるべきです。そう思います。
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