柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

緩和

2012-05-06 09:23:03 | Weblog
バス居眠り事故、どんどん裏実態が晒されます。こういうのだけは得意ですからジャーナリズムと気取ってる連中は。日雇いだ、白バスだの大非難。白タクは聞いたことがありますが、白バスってのもあるんですね。つまり営業を届けてないバス、ナンバープレートが緑色じゃなくて白のバス。もぐりのバス。もっとも今回は当の居眠り運転手の持ってる白バスは使わなかったそうですが。陸援隊なんて命名がふざけてますねぇと、事件起こしたらあっちこっちを突かれます。国交省の責任が大きいなんて話になってますが、何度も言いますが、規制を緩めればこうなるわけです、市場に任せると、神の手に委ねるとこの手の仲介業者を制限できないのです。弱い所が淘汰される前にこういう被害を産むわけです。言いかえれば、何人か死ななければ淘汰されない、その後にやっと市場原理に勝つモノが残って行く。そうなる前に国が、行政が、国交省がちゃんと規制しろよという矛盾した意見が罷り通る。順が逆ですよね。安売り合戦を促進したのは規制緩和なのですから。そこのところのデザインが足りなかったんですね小泉竹中改革には。安かろう悪かろうを阻止しながら市場競争に任せるというデザイン。違いましょうか。
 ふりむけばヨコハマ。何だか流行り唄の題名の様な見出しです、中国新聞ならです。うまい!ダントツの最下位だった筈の横浜がすぐ後ろに来ている、つまり広島がズルズルと定位置に近づいているということ、スタートダッシュしても連休頃には息切れするのが広島ですから。その横浜(ディーエヌエーという呼称にも段々慣れてきました、本来のDNAを明らかにもじってる所は気に入らぬことですが)ラミレスの中村紀洋のと余所で捨てられたロートルが打たねば勝てぬ為体、昨日は若い衆が打ってましたが、それにつけても大魔神がいた頃に多村、村田、古木と勢いのある若いのがいたことを思い出します。三人とも余所に出て行きましたが、この三人を育てられなかったことが惜しいことだなぁと思うことです。
 体操、田中の三きょうだいが揃ってオリンピック出場権を得て話題です。面白いと思ったのは口に出すには「さんきょうだい」でいいわけですが、その表記です。縦書きの見出しに3という数字を使うのはいつまで経っても違和感が強いのですが、それではなくて「きょうだい」の表記、朝日は兄妹弟と書いてきょうだいとルビ振ってました、毎日は兄妹です、他はきょうだいと平仮名表記でした。この辺りの、記事書いた者やデスクの考えが見えて面白いと思いました。あなたならどう表記しますか?そしてこの女代表。体操女子は子供がクルクル飛び跳ねてるだけ、綺麗でもなんともない、角兵衛獅子の物悲しささえ漂わすもので、コマネチに始まった幼少化は痛々しいことと思っているのですが、この人は大人の魅力を醸します。いいですねぇ。本番でいい成績が出るか否かは別にして、子供ばかりの中に混じればきっと異彩を放ちましょう。古い話で恐縮ですが、チャスラフスカやソ連のキムとか、ああいう機械仕掛けの人形モノではない、今で言えばフィギィアスケートで見せるような綺麗さ女らしい柔らかさを、それは容姿の占める部分がとても大きいことですが、見せてもらいたいと思います。
 白馬岳で70歳超えた医者のグループが遭難死亡したとの報道です。連中の自慢顔が目に浮かびます。高齢者でありながらの体力への自信、自分の山登りという趣味への自慢、俺たちはあんた達とは違うよという自慢顔。いえ、遭難したからザマぁ見ろじゃないんです。この辺りの過信ですわね。誰に迷惑かけたわけでもないことですし、好きでやってることですし、この結末は自己完結モノではあるのです、外野がとやかく言うことではありませんが、医者が何人も死んでるという特異性は医者ともあろうものがという驚き(それはバカじゃないの?という蔑みを含みます)を呼びましょう。医者だから軽んじたんでしょうよきっと。何年もの登山キャリアへの過信、健康状態への過信、医者としての知識への過信。普通の70歳オヤジと比べての過信。好きなことで死ねるは幸せなのでしょう。今時こうやって死ねないのですから。
 原発がとうとう全国で止まりました。反対派は気勢を挙げます、脱原発に向けての第一歩だと。なるほどね。細野大臣も言ったそうです、電力は厳しいが安全が優先されるべきだと。TVはいつものように街の声をセレクトして流します、反対する声ばかりです。典型は、雇用は大事だけれど安全がもっと大事だというモノです。大飯や泊の住民の声です。日本という国を今後どうするのかそれを考える日だなんていうのは活動家の言です。賛成派の声は全く聞こえません。恣意的に報道しません。こんなことです。この夏に足りる足りないという話じゃないだろうに。クーラーをかけるかけないという感覚に問題を矮小化するは向こうさんの意図です。日本の中小企業、日本の産業や生産部門そのものである町の工場を潰しにかかってどうする?そんな所に節電を強要するとは本末転倒そのものでしょうに。エネルギー問題は日本という国を維持するための大昔からの大課題なのです。先の戦争のきっかけはまさに兵糧攻めにあったことでした。ここを忘れて何とする?石油がなくても何とかなる。そういう状態に早く持っていかねば、いつまで経っても日本は他国に依存し続けなければならないのです。そういう大国策だったのではないのですか、原子力政策は。核兵器と一線を画して進める、それは被爆国としては当然なことであったことでしょうが、もちろんそれも空想的平和主義者達との交渉事です、偽善や大嘘の応酬です、外交上国防上核(核兵器
)を持たないままではこの先は済みますまい。そのために原子力技術をもっともっと高めねばならないのです。そういう方向です。私はそう思ってます。危険だから潰せ。そんな単純なことで済むはずがありません。危険だけれど国家百年の大計には欠くべからざるものだという再認識、大方針を今こそ満天に示すべきだろうと思います。誰が?政府が、なのですが、今のバカどもにはできぬことでしょうね。じゃぁ国民に問う?冗談じゃない。そんなことした日にはすぐに潰れます、国が潰れます。だから政治家達よ、いまこそ日本を考えろ。ですよね。
コメント
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