柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

憂鬱

2009-09-24 08:05:06 | Weblog
新聞の四こま漫画で夏休みのおまけみたいな連休と言われてました、ダラダラと要らぬ休みでしたね。そう思われませんか。いえ、私がこういう空き時間の使い方が生来下手くそで単に持て余しているだけなのでしょうが、しかし無駄に過ぎます。こんなに休日増やしていいんですかね。この方向はやはりグローバル化の一環ですか、欧米に倣えですか。日本人は働きすぎだ、中毒だアニマルだと揶揄されてきて、まるでそれが悪いことのように自国のマスコミ達も付和雷同して、の流れです。きっとアメリカなりの外国からの操作、プロパガンダなんでしょう、それにやすやすと政府が乗ったという図。日本人の特性、固有の才能をわざと蔑ろにするわけです。緩めればいくらでも緩みます。これは誰もが一度や二度の経験のあることでしょう、そして元に戻すにはそれだけの、あるいはそれに倍する時間が必要なことも。遊びなさい、なんて言われれば何もしない人間が大半です。そしてその人たちは働けといわれれば働く人達。どちらに針を振らせるか。どこが基準になるのかわかりません(結構微妙なところです、明治以前となると大昔の他人事のように感じますし、明治以降の富国強兵時代なんて括ると軍国皇国の匂いが立ち上ります)が、しかし今の日本が緩んでいることは確かです。良く言えば民主主義の成熟過程の一段階、個人主義とはこういうことだとなりますか。批判的に言えば公意識の欠如。これは個人主義の裏返しです。公意識を優先すればやがて全体主義に行き着きます。エントロピーは増大するわけです、この公理は曲がりません。ひとつ秩序を維持する為には大きなエネルギーが要ります。嫌なことはしなくていい、あなたの思うように生きなさい、では秩序が保たれぬわけです。少なくとも従来の日本文化はそういう根本を基に組み立てられているのです。だから小泉さんのやったような緩め方すると一気に崩れるわけです。もっともこれは日本に限った話ではないのでしょうが。休日使いの下手さからえらく大きな話になってしまいましたが、休日産業に携わる人も多いのは重々承知の介です。されど枝雀がよく言っていた緊張あればこその弛緩であって・・という繰言です。ううむ。休みが続けば続くほどに「月曜日の憂鬱」の度合いが深まりますか。そういう単純な話でもあるわけですが・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする