柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

善人

2009-09-11 08:12:08 | Weblog
裁判員裁判の話が続いてすみません。天声人語は山口での介護殺人未遂事件の判決を褒め上げます。裁判員の意見が法廷で読み上げられたそうです、引きます「生きがいを見つけ、肩の力を抜いて生きてください。周りと協力して見守り、二度と悲しませないように」コラム子は、事件当事者の身になる「素人裁き」の温もりが、優しい判決に残る、と手放しの賛辞です。さらに続けます、元気だった妻との2年に劣らず、続く13年も今では宝だろう、と。結婚して2年後に妻が倒れて、その後13年介護続けたという背景です。いかがですか。偽善のにおいがぷんぷんしませんか。私はどうにもこういうお定まりの、正義は勝つ式の、情に訴えての本質隠し、問題すり替えが嫌いで気に入りません。保護観察付きの執行猶予、つまり監視監督されての日常ということなんでしょうが、そんなのはどうせ書類上のことで、本人は介護の手間から完全に開放されて晴れて自由の身です。やったね、じゃないんでしょうかね。ま、そこまでひねくれて斜に見ないでもいいのでしょうが、裁判員達の善人ぶりはどうですか。そうです、彼らは善人として呼ばれてますからね、こういう発信を期待されているのですからね、それでいいじゃないかということではあるのですが、そこまで天の神様にならずともいいんじゃないんでしょうかね。優しいマリアさま、ですか。裁判官が読み上げたという裁判員意見の後段、主語は誰です?二度と悲しませないように、するのは誰が誰をですか?寝たきりの妻を本人(被告の夫)が、ですかね。それとも世間を?こういう曖昧さは、諭し文、教訓文、正義の空文にありがちではあります、原爆の碑のあの文言に通じます。さてさて、善人達によって守られた本人がちゃんと「更正」することを祈るばかりではありますが。一方で東京高裁は例のバラバラ殺人事件犯人を無期懲役妥当としました。理由は更正の可能性あるからだそうです。計画性はなかったとか、反省の色が見えるとかの状況です。とんでもないでしょう?こういう(東京高裁は人権裁判官の巣窟なのかもしれませんが)事の重大さを考慮せずにただ死刑はさせないぞなんて考えてるお粗末裁判官を叩く役を裁判員に担ってもらいたいのです。必ずこの男再犯しますよ。必ずまた殺します。違いないでしょう?そう思われるでしょう?恨みつらみで殺したんじゃないんですよ。誰でもよかった犯罪ですよ。どうしてここの区別がつかないんでしょうね。どうして区別しないんでしょうね。怖いです。善人じゃなくていいから、裁判員さんたち、悪い奴らを消してくれ!
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